無地・斑・目玉・帯
どうして青葉のことを奏に話してしまったのか、涼多自身にも分からなかった。
話すにしても、事細かに言う必要はなかった筈だ。
青葉のプライバシーにも関わってくるのだから。
「それに、……何というか、嫌な言い方をしちゃったな、と思って。聞いていて、気分が良くない言い方というか。本当に、ごめん……」
すっと頭を下げられ、奏は慌てる。
どうにか「涼多が謝ることないって」と彼の肩をポンと叩く。
「俺の方こそ、心配ばかりかけてごめんな」
「そ――」
涼多が口を開くよりも早く、奏は薄氷たちを呼んだ。
名月が「どうしたのだ?」と駆け寄ってくる。
これ以上、さっきの話のことは言えない。
そう涼多は判断し、「実は……」と畳の上のお守りを指差した。
「これは……」
飛花が蕉鹿の見舞いに持って行ったお守りと同じだ。
(あの時は、蕉鹿君の悪夢を吸い取った結果、黒ずんだとばかり思っていたけれど。……今の二人は、起きているしな)
また別の『厄』を吸い取ったのだろうか?
兎にも角にも、然るべき方法で処理をしなければ。
名月が「任せるのだ!」と一枚の風呂敷を取り出した。
何の変哲もない、夕顔の描かれた風呂敷だ。
彼女はその上に一枚の札を置くと、すっと目を閉じた。
祈っているようにも、集中しているようにも見える。
「……よっし!これで大丈夫なのだ!!」
パンッと手を叩いて目を開くと、名月は立ち上がった。
涼多たちには何が大丈夫なのか全くわからないが、何かしらの力を籠めたであろう風呂敷で、お守りを丁寧に包む。
朝顔電話を取り出し、石火隊に「今からそちらに向かうのだ」と連絡を入れた。
買い物にでも出かけそうな、明るい声だ。
「……というわけで、ちょっくら行ってくるのだ!」
「ああ、気をつけて」
「名月さん、お気をつけて」
「了解なのだ!涼多たちも、鉱物採集、頑張ってなのだ!」
ブンブンと手を振り、綺麗に掃除された道を名月は歩いて行った。
去って行く背中を見送り、薄氷は涼多たちに向き直る。
「傷の手当てをするから、そこに座ってくれないかい?」
「……あ」
すっかり忘れてしまっていた。
指摘された途端に、棘を踏んだ箇所が痛みを訴えてくる。
傷を負った経緯を説明すると、薄氷は顔を顰めた。
あれだけ丁寧に頭巾を払っていたのに、どうして――。
(「そういうこともある」と言ってしまえば、それまでだけれど。……どうにも嫌な感じがするな。音波魚兎の小骨が喉に引っかかっているような気分だ)
何はともあれ、治療が先だ。
薄氷は、名月の部屋にある棚を開けると、小さな札を一枚取り出した。
◇◇◇
「ありがとうございました!」
「はは、大事が無くて良かったよ」
思っていた以上に深く刺さっていたが、札で事足りた。
涼多は薄氷に一礼すると、成淵の置かれている部屋へと向かう。
「ああ、ちょっと」
「何ですか?」
「今から、君たちの部屋に入っても構わないかい?」
その言葉に、涼多と奏は顔を見合わせ、コクリと頷く。
「ありがとう」
薄氷はニコッと微笑むと、二人の部屋に入った。
布団は既に押し入れにしまわれており、私物は棚に仕舞われている。
そう広くない室内を見渡すと、目当ての物はすぐに見つかった。
屑籠の縁に、血のついた棘が引っかかっていた。
二センチにも満たないそれを、つめですいと持ち上げる。
珍しくも何ともない植物の棘。
考え過ぎ……そんな言葉が頭をよぎる。
(……大蜘蛛の件に加え、タツノオトシゴ(仮)と雷火君の件があったから、少々、神経が過敏になっているのかな)
『一難去って――』ではなく、去る前に別の『難』が複数やって来た。
(こんな事が初めて、というわけではないが、ここ数百年はなかったことだ。……それだけ、平坦な時間が流れていた。それが良いのか悪いのか)
薄氷としては、少々退屈だ、と感じる日々だった。
宴会をするにしてもワンパターンだし、どうにも物足りなかった。
自分だけではなく、多くの者が『刺激』を望んでいた。
しかし、こんな刺激は望んでいない。
これなら、何もない穏やかな日々の方が余程いい。
楽しめてこそ『刺激』足りうるのだから。
自身の鱗粉を棘に振りかけ、呪文を唱える。
ジュッという音と共に、棘は燃え上がった。
瞬く間に空気に溶けていき、ふつりと炎も消える。
枯れた植物の焦げた臭いが鼻をかすめるが、すぐに何も感じなくなった。
《………………ちっ》
「ん?」
家鳴りとも舌打ちともつかない音が聞こえ、薄氷は辺りを見渡す。
その時、成淵に錐を突き刺す音が耳に届いた。
音の正体は、きっとアレだろう。
そう当たりをつけて、薄氷は涼多たちの部屋を後にした。
襖を閉めようとした時、棚に置いてある本が目に留まる。
自然と、口からため息が漏れていた。
本を読むのは好きだ。
どんな種類でも、面白いものは面白い。
だが同時に、苦い記憶が蘇る。
むかしむかしの大昔。色褪せすぎた古い記憶だ。
◇◇◇
「ああ、××さん。貴方の書いた小説のことで少しお話があるんですけど」
「……別に、内容に文句はありません。ただ、登場人物がちょっとねぇ」
「少し気になる描写がありまして。……ああ、ここです。斑の翅の主人公が、首飾りの紐が切れて、拾う為にしゃがみ込むところ」
「この後、通りすがりの帯模様の少女に、『こんな夜更けに目カブ畑でしゃがみ込んでいる!……泥棒だ!!』って誤解されて、話が進むじゃないですか?」
「どうして、帯模様だったんですか?」
「いや、だって、何も帯模様じゃなくてもよかったじゃないですか。何かしら意味があるのかと思って読み進めたのに……」
「ないんだったら別に『通りすがりの少女が――』だけで良かった筈ですよね?どうしてわざわざ『帯模様の』って入れたんですか?」
「言っちゃあ悪いんですけど、××さんの書く小説って、そうですよね。『意味なく』模様で分けたがるっていうか……」
「別の話でも、『無地の学生たちが、目玉模様の青年を取り囲み――』ってありますけど、特にいらない模様描写でしたよね?」
「時々、申し訳程度に『こういうところが、斑の悪い癖である』みたいな、帳尻合わせの文が挟まっていますけど、かえって神経が逆なでされます」
「それから、それぞれの特徴にしたって雑です。いかにも斑が考えそうな、他の模様って感じで。……え?ちゃんと取材した?嘘吐かないでください!!」
「その取材が本当なら、凄く偏った取材の仕方だったんでしょうね。帯の自分から言わせてもらえば、『馬鹿じゃねぇの』の一言に尽きます」
「楽しいですか?意味なく他の模様を貶めるような描写を入れて」
「ご自身の本の影響がどれ程のものか、知らないわけじゃないよな?」
「無意識でやっているというのなら、これ程、質の悪い話もないわ」
「分かりますよ?誰だって、自分の模様が一番だって」
「それでも、尊重し合うのが筋というものでしょう!?」
「別に、××さんに筆を折ってもらいたいわけじゃない。ただ、自分の模様至上主義を改めて欲しい、というだけです」
「だから、そんな被害者面しないでください」
「…………え?何ですか、貴方?どうして、そっちを庇うんですか?言い過ぎ?ふざけるなっ!こっちはあの本の所為で、意味もなく嫌な気持ちになったのに」
「だいたい、アンタに割って入る資格はねえよ!!」
「そうです!だって――」
どの模様にも属していないのだから。
◇◇◇
(……嫌なことを、思い出した)
薄氷は意味なく触角を揺らし、気を落ち着けるように息を吐く。
思い出したところで、どうしようもない。
もう、全部終わったことだ。
見回りついでに掃除でもするか、と箒を手に取る。
名月が帰ってきたのは、それから二時間ほど経った頃だった。
彼女は「無事に終わったのだ!」と笑顔でそう伝えてくれた。
晩稲はというと、山から月が顔を覗かせるまで、帰ってこなかった。




