朝の一幕
蕉鹿が目を覚ました次の日の朝。
病室に飛び込んできた奏は、彼と目が合うなり泣き出した。
自分の所為で怪我を負った申し訳なさ、目を覚ましてくれた安堵、それらがぐちゃぐちゃに混ざり合った涙だった。
床に膝をつき、懺悔でもするかのように泣いている。
暫くは、「彼が泣き止むまで待っていよう」と思っていた蕉鹿だったが、あまりに泣くので心配になってきた。
ずっと昔、化生界に来て直ぐの自分を見ているような気持になる。
正直、居た堪れない。
涼多たちも「どうしよう」と言った顔をしている。
昨日よりも幾分マシになった声で、蕉鹿は奏に声をかけた。
「あ、あの、奏君、そんなに泣くと、その、疲れるっスよ?」
「……あ、ああ、悪い」
「はい」
叶望が、すっとハンカチを差し出す。
奏は礼を言って受け取ると、少し照れた様子で涙を拭う。
彼は蕉鹿に向き直ると、「助けてくれてありがとう」と言った。
どうにか笑顔を作っている。
そんな奏に蕉鹿も「気にしないで欲しいっス」と笑顔で答えた。
奏は、何もない空間を見上げると「ありがとうございます」と礼を言う。
どうやら、先生が彼の背中を擦っていたようだった。
ルテが「……本当に、よかったです」と蕉鹿に視線を落とす。
昨日、飛花から連絡を受け、彼は一度、夜中にやって来てはいたらしい。
しかし、蕉鹿が眠ってしまっていたので、言葉を交わすのは今が初めてだ。
ルテもまた、泣くのを堪えているような顔をしていた。
「……心配をおかけして、申し訳な――」
「そんな風に言わないでください」
ピシャリと遮られ、「……はい」とだけ答える。
蕉鹿はルテを見上げると、ホッと息を吐く。
夢の中で見た彼は、顔が半壊していて首や指が折れていた。
でも、(当たり前かもしれないが)現実はそうじゃない。
(……もし、あの世界を選んでいたら、どうなっていたんだろう?)
幸せではあったあの世界。
とても平和で「ここにいたい」と思える要素は沢山あった。
誘惑に負けていたら、きっと目覚めることはできなかっただろう。
考えれば考える程、ゾッとする。
「……どうしました?」
「……いえ、なんでもないっス」
(元気になったら、改めて飛花さんに礼を言わないと……)
それと、お守りの弁償もしなくては。
ルテの話によると、悪夢を吸い上げて黒ずんでしまったお守りは、石火隊がきちんと処理をしてくれたそうだ。
今頃は燃えて灰になっている、とのことだった。
お守りを持った飛花の、心底ほっとした表情を思い出す。
何百年経とうとも、自分は彼の城へ盗みに入ろうとした賊の仲間だ。
そして、自分にとっては恩人の仇でもある。
(いくら関係性が変わったとはいえ、あんな顔ができるだなんて……)
一片の曇りもない、心の底から相手の身を案じる顔。
実際、仲間思いで愛妻家で、芯を持った人物だ。
過去の自分が見ていた彼は、多面体の一つに過ぎない。
(何というか、敵わないなぁ……)
複雑な思いを抱えたまま、蕉鹿は布団をグッと握りしめた。
◇◇◇
涼多たちが病院に来て十五分ほど経った頃、鵙と鶉がやって来た。
「蕉鹿ちゃん!ああもう!すっごい心配したんだからねっ!!」
「飛花さんから聞いてはいましたが、本当に、よかったです」
鵙は目に涙を浮かべ、蕉鹿の手を掴む。
鶉は持って来た花を花瓶に入れた。
「ありがとうございます」
「礼なんていいよ!こうして目を覚ましてくれたんだからぁっ!!」
「……姉さん、ちょっと声が大きいわよ」
鶉に窘められ、鵙は「ごめんごめん」と頭を掻く。
二人の頭には、いつも通り翼が生えていた。
着ている服も、中学生の制服ではない。
(……ルテさんや薄氷さん、名月さんのポジションは分かるけど、どうして鵙さんや鶉さん、一路さんまで同じクラスだったんだろう?)
『近所の大学生』でもよかった筈だ。
奏も、何故か『お城に住んでいる』という設定だった。
彼がどんな家に住んでいるか、聞いたことはないのに。
前に本で見た王子様と見た目が似ているからだろうか?
それもこれも『夢だから』と言ってしまえば、それまでだが。
寒梅屋の店主に至っては、家紋になっていたわけだし。
(夢の中の話を、あまり深く考えても仕方がないか。……晩稲さんが出てこなかったのは、ちょっと意外だったけど)
彼の住んでいる家らしき建物は出てきたが、それだけだった。
晩稲本人の姿は見ていない。
こうして夢だと理解したうえで思い返してみると、少し残念だ。
どんな感じだったか、興味が湧いてしまう。
「そういえば、薄氷さんはどうしたんスか?」
蕉鹿の質問に、ルテは「……ええっと」と言葉を濁す。
涼多たちも、どう伝えるべきか迷っているようだった。
彼らの反応を見るに、何か不味いことが起こっているようだ。
「もしかして、ボクが眠っている間に何かあったんスか?……白蛇様に、大変なことが起こったとか、町にヤバい生物が出たとか」
「『ヤバい生物』は、先程、貴方に話した巨大な鶸虫以外は出現していませんよ。白蛇様も、傷が開いてしまいましたが……まあ、お元気です」
「じ、じゃあ、どうしてそんなに、言いづらそうな反応をするんスか?」
かえって気になって仕方がない。
「……薄氷ちゃんは今、晩稲ちゃんの家に行っているわよ。正直、私たちにも答えらんないのよね。どうなるか分かっていないから」
鵙の言っていることは、半分も理解できなかった。
ただ、晩稲に何かあった、ということだけは分かった。
自分が、奏と菊を突き飛ばした後、何かあったのだろうか?
「見るな!」とか「やれることをやる!!」と声が聞こえた気はするが。
何にせよ、心配なことに変わりはない。
鵙が「そんな難しい顔をすると、傷に響くわよ」と蕉鹿の頬をつつく。
「きっと、今日の夕方には答えが出るとは思うんだけど……」
「……もしかして、昨日の飛花さんの言葉と、関係しているっスか?」
「飛花さん、蕉鹿ちゃんに何か言ったの?」
鵙の問いに、蕉鹿は、昨日質問された言葉を伝える。
「……滅茶苦茶に言い方がアレね!?」
「まあ、それだけ歯痒い思いだったってことよ」
額に手を当てる姉に向かって、鶉は苦笑いを浮かべそう言った。
ルテも「そうですね……」と複雑な表情を浮かべる。
彼らの様子を見る限り、『周知の事実』というよりも『察する者は察している』といった感じだな、と蕉鹿は思った。
(今日の夕方……か)
今は朝。答えが出るまで、まだかなりの時間がある。
「あっ、そういえば、ボクが動けない間の結界守は――」
「…………一路さんにお願いしていますよ」
ルテの言葉も、昨日の飛花と同じ間があった。
きっと、結界守と晩稲の件は何かしらの関係があるのだろう。
心の片隅では「……まさか」という思いが芽生え始めていた。
決めつけるのはよくない、と心中で首を振るが、むくむくと大きくなってくる。
(もし、僕の予想が当たっているとすれば……どうしようもないか。勿体ないとは思うけど、もう後戻りはできないんだし……)
結局のところ、自分にできるのも祈る事だけだ。
晩稲は勿論のこと、薄氷のことも心配になってきた。
(あの人、なんだかんだ情に厚いというか、情に絡めとられているようなところがあるから。……こんな時くらい、別の人に任せればいいのに)
彼の性格を考えれば、「それはない」と分かってはいるけれど。
何もできない事実が、ただただ悔しくて申し訳ない。
「では、そろそろ……」
ルテがそう言うと、涼多たちはコクリと頷いた。
「蕉鹿さん、また来ます」
「ありがとうございます!……お仕事、頑張ってくださいっス!」
今日はこれから寒梅屋で、香袋を作る予定のようだ。
終わったらまた来ると言い残し、涼多たちは去って行った。
鵙と鶉も、五人の後に続く。
先生も、薬と水を渡すと部屋を出て行った。
それらを胃に納め、蕉鹿は枕に頭を乗せる。
晩稲のことは気になるが、身体はまだ休息を欲しているようだ。
(……答えが出るのは、夕方)
無事に終わりますように、と願いながら、蕉鹿は目を閉じた。




