りすぺくと石碑と複雑な顔
ほとんどは知らない名前だったが、中には涼多の知っている名前もあった。
(確か、社会の教科書に載っていたような。……でも、なんで?)
改めて、まじまじと石碑を見つめる。
出身地も国籍も生きていた時代も、てんでバラバラの人たちだ。
夢が「あっ、この人知ってる!」と声を弾ませる。
「これは、言ってしまえば『感謝の石碑』なのだ。彼らがいなかったら、化生界に存在していなかったものも数多いのだ」
ランも、人間の医療行為に着想を得て、歯科医院を開業した、と言っていた。
どこをどう着想したら『抉り取る』に至ったのか。それは謎だ。
「玉虫花の栽培方法もそうっスね。日の当たり方とか、植える場所とか。『お陰で、より綺麗で色の濃い花が、毎年咲くようになった』って、前に颪さんが言っていたっス」
初めは『別の世界の、見た目が似ているだけの花の栽培方法だしな』と敬遠していたのだが、物は試しに、とやってみたところ大当たりだったそうだ。
「音楽もそうっスね。この世界になかった曲調とか。あとは、建物のデザインなんかも、影響された方はされたっスね」
なるほど、と涼多は今まで見てきた建物を思い返す。
何故この町を『懐かしく』感じるのか、何となく分かるような気がした。
「晩稲も『自分の時代には無かった表現方法だ』『描ける幅がどんどん広がっていく』って、色んな絵画やイラストを見て、とても喜んでいたのだ」
一路から渡されたデスゲーム漫画も、それに該当するらしい。
名月の指差す先を見ると、その漫画家の名前が彫られていた。
作者も、まさか自分の名前が別世界の石碑に彫られているとは、夢にも思わないだろう。
ちなみに早苗の『金平糖の師匠』の名前も彫られている。
彼女が手をつけるまで、この町に金平糖は存在しなかったらしい。
「それに近い菓子は、一応あったのだ。でも、『金平糖』はなかったのだ。初めて見た時は感動したのだ!」
噂に聞いてはいただけに、余計に嬉しかった、と名月は言った。
それで一度、ランの世話になったことがあるらしいが――。
「早苗の師匠に会ったことはないが、尊敬するのだ。それと、最初に金平糖を作った人にも感謝なのだ!」
誰が言い出したのかは、昔のこと過ぎて忘れてしまったが、自然と『石碑をたてよう』という話になったのだそうだ。
蕉鹿が、「所謂、りすぺくとってヤツっスね」と笑う。
「それ以外にも、『人間界にある、自分の祠を守ってくれた』とか『仲の良かった友人』『家族』とかも彫られているのだ」
焼野の夫や、露姫たちの名前もあるらしい。
名月は「上の方に名前があるのだ」と、朝顔の蔓を伸ばす。
彫られている名前を眺めていた涼多は、あっと声を上げた。
名前の中に『沫夢 泡幻』の文字を見つけたからだ。
「……あれ?沫夢って、前に兎火君が説明してくれた」
隣に立っていた叶望は、顎に手を当て、涼多を見る。
そう飛花の城を攻め、勝利した人物だ。
まさか、こうして名前を見ることになるなんて――。
名月は「まあ、驚く気持ちは分かるのだ」と言うと、説明を始める。
なんでも、泡幻は子供の頃、怪我をしていた颪を助けたことがあるらしい。
一緒に遊んでいた友を巻き込んで、怪我が治るまでの間、面倒を見たのだとか。
それが気まぐれだったのか、憐れみだったのかまでは分からない。
けれど、結果的に颪が救われたのは事実だ。
話を聞いた、涼多たちの心に去来したのは『複雑』の二文字。
飛花や蘇芳の事を知っているだけに、何とも言えない気持ちになる。
(でも、落葉さんや蘇芳さんの人となりを知っているから、そう思うだけなんだろうなぁ。肩入れしちゃうと言うか……)
何も知らなければ『無常だな』で終わった話だ。
泡幻と飛花の関係に気づかずに、颪が話してしまったことがあったらしい。
その時、飛花は一瞬だけ眉を寄せ「そうか……」とだけ呟いたのだそうだ。
「二人とも、颪と仲が良いだけに、めちゃくちゃ複雑な気持ちになったみたいなのだ。……でも、泡幻も自分と似たような道を辿ったと知った時の方が、複雑な顔をしていたと思うのだ」
飛花が死んだ数年後に、家臣に裏切られて――。
「それを聞いて『様を見ろ』って飛花様が思えていたら、良かったのに、と蘇芳さんから聞いたことがあるっス」
人間の姿に変化する為に、一緒に修行をしていた時に話だ。
滝行中にする話ではないな、と思ったのを覚えている。
叶望は淡々と話す蕉鹿を見て、ふと思った。
『彼は、飛花の死を知った時、様を見ろとは思わなかったのだろうか?』と。
◇◇◇
何年か前『愛犬チロの物語』を父の勤務している学校で上映したことがあった。
道徳だか何だかの授業の一環で。
家に帰って、教え子たちの感想文を読みながら、はっと鼻で笑っていた。
「何が『主人公がいじめっ子を許すシーンに感動しました』だ。『許すって、勇気が要る事なのに、強いなと感じました』だ。下らない」
『所詮は、その程度の恨みだったってことだ』
『偽善的で綺麗ごとばかりの、ゴミみたいな脚本』
『これで感動するなんて、世も末だ』
『いじめをする奴なんざ、目には目を――でも足りないんだよ!』
『だいたい、俺が学生の頃にやっていた映画とは質が違い過ぎるんだ』
『くだらなさ過ぎて、理解に苦しむ』
『どうせ、いじめに気づけなかった教師にも責任が――とか思ってんだろ!』
……姉も、こんな言葉を聞いたのだろうか?
「若い教師も『子供向けだと思ってちょっと舐めていましたが、大人にも刺さるシーンがたくさんあって良かったです』『レンタルして、今度、妻と子供と一緒に、もう一回見ようかな』とか言いやがって!馬鹿どもがっ!!…………はあ、あんな映画で『感動』だの『感激』だの言える思考回路が羨ましいよ」
「『登録者数〇万人のロべチューバ―が話題にあげていた』とか何とか騒いでたが、人気がある奴が正しいってわけじゃないだろっ!そいつが『面白い』って言えば、『面白い』のかよ!?……ああっ、たくっ!!自分で考えられない馬鹿がネットを持つから、こういった馬鹿が増えるんだよっ!!くそっっ!!!」
小学生だった自分には、父の言っていることが半分も理解できなかった。
ただ、上映しようと言い出した『誰か』を身勝手にも恨んだ。
そして『所詮は、その程度の恨みだったってことだ』という言葉だけが、やけに脳裏にこびりついて、結局は今日まで、共に歩いてきてしまった。
◇◇◇
(……落葉さんに対する自分の心と、折り合いをつけられた蕉鹿さんは、『所詮』なのかな?それとも、『許す』じゃなくて『折り合い』だからセーフ?だったりするのかな)
どちらにせよ、彼から聞いた話を思い出すと『所詮』でも『その程度』でもないような気がした。
(でも、別の面から見たら、きっと『綺麗ごと』で『所詮』で『その程度』なんだよね。……なんか、悲しいな)
別に、蕉鹿は叶望に悲しんでほしくて、あんな話をしたわけではないだろう。
(それに、誰が何と思おうと、蕉鹿さんの中で折り合いがついているのなら、それでいい筈。むしろ、『悲しい』なんて感情的な感想なんて良くないよね……)
そこまで考えて、「あれ?」と思う。
どれだけ父の言葉を思い出しても、胃が痛くならない。
それどころか、息も苦しくならないし耳鳴りもしない。
良い事の筈なのだが、どこか不気味に感じてしまう。
何と言うか、『申し訳なく』感じた。
父が『これだから――』と言うモノの中には『痴漢冤罪』『AED問題』や『パパ活』『実子誘拐』など、被害者の方がいて、申し訳ありません、と頭を下げるべき話もあったはずなのに。
でも、それって、わたしがあやまるべきことなの?
これだから、にかすってもいないわたしが?
あのひとはりふじんなんて、いっていたけれど、じゃあわたしは?
げんじつをおしえてやる、なんていうけれど、わたしのくるしさもげんじつなんじゃないの?
頭の中に、自分の声が響く。
でも、心は凪いだまま。
ああ、『申し訳なく』思わないといけないのに。
どうして?
ねえ、あなたはおとうさんをうらんでる?
心の中で、叶望は自分自身に問う。
(正直な所、分らない。……でも、永久山で蕉鹿さんに話した時と、どこまで行っても変わりはしないかな。『お父さん』だから)
しょせんは、そのていどのうらみなんだね。
(そうだね)
おとうさんは、よかったね。
じぶんが、うらまれていないことぜんていのはつげんができて。
ちかくにいるのが、そのていどのあまいやつで。
ほんとうに、よかったね。
「そうだね」
心の中で呟いたつもりが、声に出てしまっていたようだ。
蕉鹿が「どうしたんスか?」と首を傾ける。
それに「なんでもないです」と返事をした時、「あらぁ、名月さん、蕉鹿さん、こんにちは~」とのんびりとした女性の声が聞こえてきた。