歯医者で蟲歯を抉り取る
『セピア色が良く似合う建物』
目の前にある、木造二階建ての、鳥の子色の壁に焦げ茶色の瓦を持った、擬洋風建築の建物を見て、涼多はそんな印象を抱いた。
木製アーチの玄関口があり、少し奥に大きな両引き戸がある。
建物正面の土広場も相まって、昔の小学校を小さくしたような感じだ。
ひっそりと設置されている鉄棒とシーソーが、その思いを加速させている。
広場の片隅には、大きな石碑が置かれていた。
なにか文字が彫られているが、今いる場所から読むのは難しい。
石碑の周りには花が植えられており、朝の風にそよそよと靡いている。
(……なんだか、懐かしいな)
建物に視線を戻し、涼多はそう思った。
果無寺の近くにも、明治時代あたりに、某有名建築家が手掛けた『○○家住宅』というものがあった。
バイトが終わった後、何の気なしに説明板を読んだことがある。
あの建物も、目の前にあるような、木造平屋の擬洋風建築の家だった。
(説明と一緒に、当時の写真が貼られていたけど。あの建物も、生で見るとこんな感じだったのかな……)
そう考えると、セピア色でしか見られないのを残念に思う。
それにしても、『お供え物博物館』とは一体何なのだろうか?
なんとなく予想はできるが、いまいち自信が持てない。
名月が小走りで玄関口へ向かい、あっと声をあげた。
「……着いたのは良いが、まだ開いてないのだ」
彼女は『十時~十七時』と書かれた看板を見て、あちゃあ、と頭を掻く。
開館まで、まだ四十分以上あった。
夢が「その割には人がいるね」と広場の、芝生になっている場所へ目を向ける。
何人かの神や妖怪が、芝生に寝転がって本を読んだり、ベンチに腰掛け談笑したりしていた。
中には、瞑想だったり腕立て伏せをしている者もいる。
まるで、朝の公園の一幕のようだ。
「ああ、広場は一般開放しているっスからね。みなさん、自由に使っているっスよ。町の中心街から、程よく離れているので」
言われてみれば確かに、うら寂しいわけでも、静まり返っているわけでもない、『ちょうどいい静けさ』の中に、この建物はある。
「じゃあ、開くまで適当に時間を潰すのだ」
「賛成!……さっきから気になっていた、アレ見に行ってもいい?」
夢は、先程涼多が見ていた石碑を指差す。
しかし彼女の興味は、石碑というよりも、花の方にありそうだった。
名月が「勿論なのだ」と、夢と手を繋ぎ歩き出す。
その後ろを、涼多たちはぞろぞろとついて行く。
「……まあ、明日はどうなるか分からないっスけどね」
「明日、何かあるんですか?」
涼多の問いに蕉鹿は「歯医者っスよ」と返した。
一週間に一度だけの歯科医院なのだそうだ。
「『ムカデ歯科医院』と言いまして、お察しの通り、大ムカデの先生が見てくれるっス。この建物の主でもあるっスよ」
「じゃあ、一人で……えっと、お供え物博物館と歯医者さんを切り盛りしているんですか?一週間に一度とは言っても、かなり大変そうですね」
「いえ、ご夫婦で営んでいるっスよ。ああでも、博物館の受付は、もっぱら奥さんがやっているっスね。旦那さんは診察に出かけていることが多くて、時たま受付にいるって感じっス」
事情があって来ることができない者や、『定期健診のお知らせ』を出しても一向に来ない者などの所に行って、大丈夫かどうか確認しているらしい。
「休みの日は、二人で花壇や石碑の手入れをされているっス。無季商店街でお茶をしているのも、何度も見かけたことがあるっスよ」
話を聞く限り、仲の良い夫婦のようだ。
ちなみに、旦那の名前は『ラン』で、妻は『ヤツデ』と言うらしい。
「二人でも、かなり大変そうですね」
「いやそれが、『誰も来ない日の方が多い』って、前に仰っていたっス。ただ、病院と同じで、無いともしもの時に困るんスよね……」
「分かります」
昨日、身に染みて感じたことだった。
(結局、朝顔電話は僕には使えないってことも判明したしな……)
名月に「使って見たい」と申し出たはいいものの、全く声が聞こえなかった。
彼女が使用した時は、ちゃんとルテの声が聞こえてきたのに。
箱は手順を聞いたら開けられただけに、ガックリと肩を落としたものだ。
『つまりは、こちら側ではないってことなのだ。ちゃんと、『契約』が効いている証なのだ』
涼多の肩をポンと叩き、名月は自身の手首をツンツンと指した。
その言葉を聞いて、心中で、安堵と不安の寄せ鍋ができてしまった気がする。
もう、あんな事が起こりませんように。
自分に言えるのは、それだけだ。
「やっぱり、歯を削ったりとかするんですか?」
気持ちを切り替えるように、涼多は蕉鹿に質問する。
歯医者のイメージと言えば、やっぱり『削る』だ。
それか、『先端の尖った器具で、歯茎をつつく』それくらい。
でも、化生界の歯医者となるとどうなのだろうか?
ひとえに『歯』と言っても、全てが異なりそうだ。
「削るは、あるっちゃあるっスけど、どちらかと言うと、抉り取る方が多いらしいっスよ。虫歯なんかは特に」
どちらかと言うと、抉り取る?
歯医者にあるまじき言葉が聞こえたような。
「勿論、千差万別ではあるっスよ?ただ、再生能力の高い患者さんは、歯茎ごと虫歯を抉り出して、再生させた方が手っ取り早いんで……」
ランの毒には、麻酔の効果があるらしく、それを素早く打ち込み体に巻き付き、動きを封じた状態で、問題のある歯を、脚で歯茎ごと抉り取るらしい。
「なんか、『虫歯』じゃなくて『蟲歯』って言うらしいっス。歯やその周りの歯茎に寄生する生物がいるみたいっスよ」
花粉ように小さく、一度寄生するとじわじわと歯を削り、最終的には歯や歯茎の中に、蟻の巣そっくりの巣を作るそうだ。
「で、痛み始めるのが『最終』になってからなので、気が付かないうちに浸食されている方が、割といるらしいっス」
想像するだけで、歯がジクジクと痛くなってきた。
人間界に帰ったら一度見てもらおう、と涼多は頬に手を当て思う。
「体が大きな患者さんは、広場でやらなきゃいけないんで、歯医者の日は患者さん以外、基本来られないみたいっス」
「……再生能力が高くない患者さんは、どうなるんですか?」
「そりゃあ、何日かかけて治すしかないっスね。再生能力が高くても、抉り取られるのが嫌だって方も同じっス。どちらが良いかは、患者さんそれぞれっスね」
『いかに再生が早いとはいえ、麻酔がきれたら抉られた痛みが暫くは続く』
そういった者は、首を縦には振らないそうだ。
「何と言うか、ますます歯が痛くなってきた気がします」
「気持ちは分かるっス。お互い、虫歯には用注意っスね」
蕉鹿はそう言って笑うが、涼多は苦笑いを浮かべることしかできなかった。
そうこうしているうちに、石碑の前に到着する。
石碑は二メートルくらいの大きさで、長方形の形をしていた。
玉虫花が、フレームのように彫られている。
涼多は石碑に顔を近づけ、目を細めた。
細かい文字が、大量に彫られている。
それは、人の名前だった。




