撫子輪舞
「お帰りなのだ!!」
一同が花冷港に到着してから約五分後、名月がたったっと走ってきた。
そのまま涼多の腰あたりに、とんっとダイブする。
「ぐうぇっ!」
ずっと座っていた所為か、足に力が入らずふらっとよろけた。
「こら!『ぐうぇっ!』はないのだ!」
ジトッと見上げてくる二色の瞳と目が合う。
「す、すみません……」
頭を下げると「まあ、いいのだ!!」とわしゃわしゃ頭を撫でられる。
他の三人の頭も次々に撫でていく。
少し乱暴ではあるが、宝物でも撫でているような手つきだ。
名月の体から発せられている空気が、やたらキラキラとしている。
端的に言うと、とても嬉しそうだ。
「名ちゃん、ただいまー!!」
夢の言葉に、名月は彼女の手をギュッと握り、うんうんと頷く。
「不思議なものなのだ。結界台に入っていた時の十日間よりも、ずっとずっと長い時間、お前たちに会っていなかったように感じるのだ……」
それ以外にも、数日会えない日はあった。
しかし、何故か今回のような長さは感じなかったらしい。
「ん?みんなが手に持っているのは――」
「竹あかりだよ!」
夢は先程のように竹あかりを掲げると、事の次第を説明した。
名月は「みんな綺麗にできているのだ!」と笑う。
「……まあ、少し歪な模様になったけど」
「むっ!こういう時は素直に喜ぶものなのだ!!」
頬を膨らませ、奏が持っていた竹あかりをまじまじと見つめる。
そして朝顔の蔓を伸ばすと、彼の頬をペチペチと叩く。
とは言っても、鞭のように叩いているわけではない。
タンポポの綿毛を飛ばすような柔らかさだ。
「繊細で綺麗な模様なのだ。そりゃあ奏が思い描いた柄とは違うかもしれないが、決して歪ではないのだ!」
名月は「認めちまえなのだ!」と今度は朝顔を奏の頭に乗せる。
どういう原理なのかは分からないが、朝顔が減る様子はない。
「…………そう、だな。実は初めてにしちゃ上出来かなって思っている」
「それでいいのだ!」
夕暮れの空に朗笑が響く。
夢が「ねえ、名ちゃん」と話しかける。
「また、向日葵みたいに家の何処かに飾ってもいい?」
「勿論なのだ!折角だから、明かりも灯してみるのだ!!」
彼女は「家がどんどん華やかになっていくのだ!」と目を輝かせる。
それにつられ、涼多たちも自然と笑みをこぼす。
「灯すも何も、光鈴をぶち込めば――」
「こういうのは、蝋燭を使った方が雰囲気が出るんスよ……」
薄氷の話を遮り、蕉鹿はこそっと耳打ちをする。
言われた本人は「そういうものなのか」と呟いた。
お洒落なカップで茶をしばいている割には、今一つ分かっていなさそうだ。
ひゅうっと冷たい風が港を吹き抜ける。
「おっと、いかんのだ。これ以上ここにいたら、風邪を引いてしまうかもしれないのだ。早いとこ家に帰ってご飯にするのだ!」
そう言って、クルリと体を反転させた。
鼻歌混じりに歩き出す名月は『いつもと同じ』に見える。
先頭を行く小さな背中を、薄氷は憂愁を帯びた瞳で見つめていた。
◇◇◇
蝋燭を入れ、庭に等間隔に並べる。
中の火が揺れるたび、庭に落ちた影がユラユラと揺れた。
空には月が皓皓と輝いており、それもあってか家の明かりを消しているのに、周りが良く見える。
「綺麗だね……」
夢の呟きに、他の三人は「うん」としか返せない。
それ以外に、何と言えばいいのだろう?
「叶望のヤツは、テーブルクロスとお揃いなのだ!」
名月は、皿の上に盛られた金平糖を一つ口に放ると、ちゃぶ台の上に敷かれたテーブルクロスを指差した。
「はい、パッと思い浮かんだのがこの柄だったので……」
蘇芳が選んでくれた大切な物。
汚したくはないので特別な日に、と考えていたが、ずっと仕舞っておく方が悪い、と思い直し使うことにした。
(持って帰れない物だし、それぞれ『役目』があるから……)
包丁と刀の用途が違うように。
「しかし、こうして四人で集まって月見と言うのは久々だね」
「それ前にルテが言っていたのだ」
「まあ、本当の事ではあるんスけどね」
そんな会話が聞こえたので、改めて結界守たちを見る。
確かに、一路を入れた四人は見たことがあっても、この面子が揃っているのを見るのは初めてだ。
「不思議な感覚でしょう?」
叶望の考えを察したルテが、ふふっと微笑む。
いまだに彼の後頭部の髪の塊には歩揺簪がぶっ刺さったままだ。
ちなみに、ヘアピンの飾りは朝顔とのこと。
花冷港から歩き出した時は何処か鬱屈とした顔をしていたが、人通りの多い所を過ぎたあたりから、『いつものルテ』に戻っていた。
同僚の前でだと、そんなに気にしない質なのかもしれない。
名月の家ならジロジロと見られる心配もない、という安心感もあるのだろう。
彼が動くたびに、歩揺簪がシャラシャラと音を立てる。
最初こそ、いつもと違う髪型に驚いたが、今では全然、違和感がない。
あまり(と言うより全く)髪型の事に詳しくない叶望でも、(白衣とマッチしていないというのはあるが)よく似合っているというのは分かる。
黄金色の目を横目に見て、「はあ……」と溜息を吐く。
(ルテさんの髪、長くて綺麗な黒髪だよね。……『烏の濡れ羽色』って、こういう事を言うのかな?)
それを言ったら、春もそうだったな、と思う。
同時に、少し疑問に思うところもあった。
(切ったりはしないのかな?)
『男が長髪なんて駄目だ』と言うわけではない。
ただ、髪を弄られるのが嫌なら短く切ってしまってもいいのではないか?
そう思っただけだ。
(……もしかして、願掛けでもしているのかな?)
そこまで考えて、無粋に詮索するのはよくない、と心の中で首を振る。
伸ばしていようがなかろうが、本人の勝手だ。
でも、ほんの少し、本当にほんの少しだけ、羨ましいと思った。
そうやって、髪を伸ばせることが。
『叶望、髪の毛伸びたね。切らなくちゃ。……え?クラスで揶揄われるから嫌?我がまま言わないで!学校が終わった後や土日は揶揄われないんだからいいでしょ!?クラス替えで離れられる可能性だってあるんだし!!お父さんはずっといるんだよ?大人になるまで、なってもずーーっと!一個でもイライラを減らす協力してよ!家族でしょ?もう怒鳴り声聞くの嫌なの!!ちょっとでも減らしたいの!それでなくても、生徒が馬鹿やった皺寄せがきてんだから!!保護者様も五月蠅いんだって。本当、勘弁してって感じ。先生にだって家族がいるってことわかってよ!今流行っているドラマだってそう、悪い先生出すなら、保護者や生徒に苦労させられている先生も出してよ!クラスで話題になるたびに、どれだけ胃が痛くなっているか!学校でも家でも胃がキリキリして、穴が空きそう!ねっ!!ここまで話たんだから、切るよねぇ!?アンタは太郎じゃないといけない存在だったんだから!せめて見た目ぐらい太郎寄りになりなさいよ!!はい!切るからそこ座るっ!!』
叶望は、湯呑に映った自分の髪を見る。
長い髪の自分を想像すると、やはり吐気が込み上げてきた。
吐き気と言うより、あばら骨と肺の間に大きな石をゴリッと入れられたような、何かが引っかかっているような息苦しさだ。
やめよう。
長い付き合いの条件反射だ。
テーブルクロスを買ってくれ蘇芳にも、申し訳が立たない。
いつの間にか、ルテは薄氷や涼多たちと、竹あかりの前で談笑していた。
朝顔のヘアピンについている宝石が、月の光を受けて光っている。
……鵙と鶉に髪を弄られている時、彼はどんな気持ちだったのだろう?
少なくとも、『心の底から嫌』ではなかった筈だ。
もしかすると『双子の妹たちに遊ばれた』ぐらいの感覚なのかもしれない。
あの双子も、性格は随分と違うのに仲が良いな、と思う。
羨ましい。
(……ダメだな。こんなこと考えたら。それこそお父さんが言っていた『これだから、嫉妬って漢字に女が使われるんだよっ!』になる)
『でも、化生界では、羨みと嫉妬を履き違えた挙句に一緒くたにして、あなたを責め立てる馬鹿はいないよ?』
「え?」
振り返ったが、暗い廊下があるだけだった。
「気のせいか……」
クルリと涼多たちに視線を戻す。
(やめよう、気にしたって仕方がない。……化生界にきて、そう思えるようになっただけでも良かったな。私には勿体ないぐらい)
『…………………………役立たず』




