手を伸ばせば届くもの
がらがらがら……。
小さな石が、ごつごつとした岩肌を転がり落ちていく。
大きな岩にコツンと当たり、崖下へと落ちていったソレは、あっという間に見えなくなってしまった。
「おっと……」
「大丈夫ですか?」
籠を背負ったルテが、少し後ろを歩いていた涼多に声をかける。
「はい、ちょっと滑りそうになっただけです」
「気を付けてください。無理は禁物です」
足元に転がる小石の群れに目を向けながら言った。
コクリと頷きズレかけた籠を背負い直すと、涼多はルテの後を追う。
名月たちが『井戸端会議』をしてから二日目の今日、涼多とルテは『透明粘土集め』をすべく、雷様が修行をしていた山へと来ていた。
他に同行者はいない。
二人だけという状況は、千里の所から帰った日のことを思い出させる。
歩くたびにカランカランと危険生物除けの鈴がなった。
『季節柄、出ることはないだろうが万が一に備えて』と持たされた鈴だ。
それもあってか、寄ってくるどころか影すら見えない。
前を歩くルテに視線を送る。
いつもの白衣は羽織っておらず、ニッカポッカのようなズボンに厚手の上着と言った出で立ちだ。
パッと見は土木作業員のようにも見える。
彼は糠星鍾乳洞の時と同じく、眼鏡を外していて別人のように思えた。
かく言う自分の格好も、ルテとそう大差ない。
強いていうのなら、自分の方が服の色合いが派手な所だろう。
ズボンは彼と同じ茶色だが、上着は蛍光がかった黄緑色だ。
頭には蛍光オレンジの帽子。
『山登りするんなら、ちょうど良いのがあるから貸すよ!雷様が修行をしていた山なら、紅葉で分かりにくくなる心配もないしね~』
昨日の昼頃、ルンルンと晩稲がやってきて渡してくれ物だ。
見せられた時は驚いたが、理由を聞いて納得した。
確かに、灰色と濃い緑、土色ばかりの世界でこれは目立つ。
『もうずいぶん前の話になるけどね、この服のお陰で稲妻さんに見つけてもらえた過去があるから、ゲン担ぎの意味も込めて……』
『まあ、お前が先走っていなかったら避けられた迷子ではあるのだが、派手な色の方がいいというのはそうなのだ』
晩稲の苦笑いと、名月の呆れ声が蘇る。
『ずいぶん前』という割には、綺麗に洗濯されていた。
『そちらはこういうカラー苦手だとは思うけど、好き嫌いやお洒落よりも、先ず目立つこと優先ってことでっ!』
『そういう割には、やたらと華麗に着こなしていたところに、お前の凄さを感じたものなのだ……』
まるでパリ□レみたいだった、と名月は言った。
『そう褒めてくれるとは嬉しいねー!……じゃっ、早速着てみようか。背丈自体はそう変わらないから大丈夫だと思うんだけどね』
『ありがとうございます!』
礼を言って受け取り、意気揚々と着てはみたものの、あまりの似合わなさに鏡の前でがっくりと肩を落としたものだ。
『…………ああ、ちょっとブカついている気もするけど、許容範囲、許容範囲!なんか面白い石や葉っぱがあったら持って帰ってきてね!!』
そう言ってパンッと背中を叩かれる。
どう着こなしていたのか気にはなったが、結局は聞かなかった。
(あの『…………』には、色んな意味が込められていたんだろうなぁ。……『面白いもの』あればいいんだけど)
転ばないように一歩を踏み出し空を仰ぐ。
名月の家を出た時は晴れていた空は、今は全体的に霞がかっている。
その所為か遠くの景色はぼんやりとしか見えない。
この季節にしては珍しい、と呟きが聞こえてきたのは十分程前だ。
額の汗をぬぐい、ふうっと息を吐く。
「少し休憩しましょうか」
ルテはそう言って、目の前にある座るのにもってこいな大きさの岩を指差した。
異論はない。
涼多は「はい」と頷き、二人して岩に腰を下ろす。
「霞がかっていなければ、町全体が見渡せるいい場所なのですが……」
成程、岩の傍にはこの山から見える建物や山々を描いた看板がある。
画風からして、晩稲が描いたものだろう。
しかし、記載されている躑躅百貨店も白蛇様の屋敷も結界台も、残念ながら見ることができなかった。
「明日、帰る時に見れたらいいですね」
「ええ、本当に……」
涼多の言葉に、ルテは静かに頷く。
そう日帰りではなく一泊コースなのだ。
竹筒を取り出し、ごくりと水を飲む。
箱の中には白い軍手と金槌、携帯食料しかまだ入っていない。
「はあ、雷様のお陰で来るのは楽だったんですけどね……」
ルテが、目の前に舞ってきた枯葉をキャッチしながらボソリと呟く。
行きは話を聞きつけた雷様がやってきて、山の麓まで送ってくれたのだ。
彼はこの山よりもさらに向こうにある別の山で滝行をするらしい。
曰く『一度やり出すと暫くやめられない』のだそうだ。
『早い話が修行中毒なのだ。程々になのだ……』
そう言って、名月は笑っていた。
「材料集めは楽しいんですけど、帰りは荷物がありますから、それがちょっと面倒なんですよね。行きはよいよいと言うやつです……」
葉柄を指でギャルンギャルンと回し、ぺんぺん草のように枯葉を高速回転させながら、愚痴るように話す。
そんな彼に少し……いや、かなり涼多は驚いた。
確かに名月とのやり取りを見ていると、時折、親子のように見え、どこか子供っぽく感じる時はある。
しかし、それは薄氷や蕉鹿も同様だ。
普段の彼から受ける印象は『物静か』で『真面目』『几帳面』。
そんなルテの口から『面倒』という言葉が出てくることが意外だった。
あんな物を浮かせる力を持っているのに、と。
(……いや、ただの勝手な偏見か。誰だってそう思う事の一つや二るあるだろうし、僕なんか、しょっちゅうだし)
涼多の沈黙をどう捉えたのか、ルテは僅かに柳眉を寄せた。
「言っておきますが、私は貴方が思っている以上にズボラですよ」
「な、何というか、意外です。いつもしっかりされているので……」
ルテは「人前とプライベートは別です」と言って、どこか遠い目をする。
「恥ずかしながら、家では手を伸ばせば届く範囲に物が配置してある状態で」
「ええ……」
「気が乗るか、蕉鹿あたりに言われれば片付けることもありますが、良くて半月、綺麗さが保てたらいい方ですね……」
本の巻数がしっちゃかめっちゃかでも、あまり気にならないと彼は語った。
「ますます意外です。(本のくだり以外)気持ちは凄くわかりますが」
「まあ、元からそんなに私物が無いというのもあるのですが……」
(最近よく聞く『ミニマリスト』みたいな感じなのかな……?)
何にせよ意外だ。
「その手のことに関しては名月さんや寒梅屋の店主さん、鵙さんや鶉さんが凄いですね。後は、落葉さんもでしょうか」
想像できる人選だと思った。
「末枯さんや薄氷さんの家は……散らかってはいますが、何というか丁寧に散らかっているって感じですね」
物が散乱しているはずなのに、何処か纏まりを感じる。
(確かに、末枯さんの作業場は絵具とか筆や紙が床に散らばっていたけど、どこか規則性があったような――)
その時、ふと頭をよぎったことがあった。




