淡い思い出
「春お姉ちゃーーん!」
涼多たちが寒梅屋に到着すると、蛍が元気よく駆け寄ってきた。
「涼多お兄ちゃんも、さっきぶり!」
「あ、うん、さっきぶりだね……」
先程の話を聞いた後だと、どんな顔をしていいか分からなくなる。
自分は今、ちゃんと笑えているだろうか?
見上げてくる蛍の笑顔は、とっても無邪気だ。
春の言っていた通り、これでいいんじゃないかと思う。
ただ、春の気持ちを考えると、何とも言えない気持ちになる。
毎日『お姉ちゃん誰だっけ』と聞かれ『私は春、あなたの姉よ』と答える行為を600年間、何度も繰り返す。
それは、自分には想像できない苦しさだろう。
仮に春本人が、それを受け入れていたのだとしても――。
「見つかったかなー?」
「えっ、蛍君?」
突然、蛍はクルリと体を反転させると寒梅屋へと戻って行った。
入れ違いに名月が出てきて、涼多たちを手招きする。
「寒梅屋の店主が、図案集にあった模様の帯を探しているから、もう少し待っていて欲しいのだ」
名月が湯呑を差し出しながら、呆れた声をだす。
「ルテ、たちは、どうしたの?寒梅屋には、いない、みたい、だけど」
「ああ、あの五人は躑躅百貨店に行ったのだ。今頃こちらへ向かっているのだ」
あらかた図案の説明を受けた後、夕飯の材料を買いに行って雨に降られたのだそうだ。
雨上がりの街を一望してから戻ってくると連絡があったらしい。
確かに、地上から見る景色とはまた違った美しさだろう。
二階からは、まだガサゴソと音が聞こえる。
「やれやれ、この間から探し物ばっかりなのだ……」
「探すの、手伝う」
一路はそう言うと、店主のいる二階へと上がっていった。
「あたしは帯留めを見てくるのだ。ちょっと休憩するといいのだ」
名月は、少し離れた場所にあるショーケースを見に行った。
春と二人して長椅子に腰かける。
店内を見渡すが、閉店間際ということもあって誰もいない。
「……春さん、さっきは話してくれて、ありがとうございます。えっと、また吐き出したいことがあったらいつでも言ってください」
小声で春にそう告げると、先程と同じ自嘲の笑みを浮かべる。
「それも鶸虫部屋で話した時のように、『涼多さんなら、言ってくれると思っていました』と言ったらどうします?」
『そんな、言ってくれるのを待っていた女の話でもいいのか?』
彼女の目は、そう言っていた。
「……僕は、春さんが思ってくれている様な『優しい』人間じゃありません。弱くて打算的で、人を選り好みする人間です」
その癖、同じことを自分にされたらキチンとモヤモヤを溜めてしまうような。
「もし、春さんじゃなくて別の……出錆だったら話も何も聞きません。だから、その、春さんだからいいというか、何というか……」
顔に熱が溜まっていくのがわかる。
そんな涼多とは対照的に、春は涼し気な笑みを浮かべていた。
覚悟が決まったような顔。
「……ありがとうございます。では、またよろしくお願いしますね」
「は、はい……」
もっとカッコよく決めたかったのに、結局はしどろもどろになってしまう。
それでも、断られなくて良かったと胸を撫でおろす。
(僕は、春さんのことが好きなんだな……)
横顔を横目に見ながら、涼多はそう思った。
(でも、皆にも春さんにも言わない方がいいよね。住む世界が違うんだから、困らせるだけだろうし……)
どれだけ願っても、春を人間界に連れてはいけないし、自分も化生界に留まることはできない。
もし、人間界に帰った自分が化生界に来ることになっても、それは、きっと、たぶん、恐らく、ずっと先のことになるだろう。
(仮に七十歳くらいでここにきたとして、春さんは十七歳のままだから、『お爺さんと孫』ぐらい見た目の差があるよなぁ……)
春の方がずっと年上ではあるのだが、そういう事ではない気がする。
何から何まで八応塞がりだ。
(やっぱり、話すべきじゃないよね。これは『淡い思い出』として心の中にしまっておこう……)
グッと茶を啜り、はあっと溜息を吐く。
それをどう捉えたのか、春はクスリと笑う。
「美味しいですよね、このお茶。寒梅屋の店主さんが選ぶ物にハズレなしだと、常々思います」
どうやら、『あまりの美味しさに溜息を吐いた』と思われたようだ。
味のことを気にしていなかった涼多は、バツが悪そうに俯く。
「……そう、ですね」
今度は味に集中しようと、再度、湯呑を口へと運んだ。
◇◇◇
(うーん、涼多には悪いが、あたしに出来るあどばいすは何もないのだ。涼多の思っていることが全てなのだ……)
鏡越しに二人を見ていた名月は、申し訳なさに溜息を吐く。
二人が何の会話をしていたのかは分からない。
ただ、涼多の思いは手に取るように分かった。
伊達に何百年も産土神をしてきたわけではない。
だからこそ、複雑な気持ちだった。
(春も春で、涼多のことを好いているのだ。でも、お互いに『言わないでおこう、黙っていよう』と思っているのだ)
それが『勇気が出ない』『嫌われていたらどうしよう?』などの理由であれば、喜んで背中を押せるのだが――。
花冷図書館で、奏たちがやたらとソワソワしていたのはその為だろう。
『友の恋路を応援したいには山々だが、理由が理由なだけに手放しで応援するには躊躇がある』そんな感じだった。
それでも、『少しでもいい方向に』と顔に書いてあった。
それが微笑ましくもあり、複雑でもあり。
(涼多たちは、お互いによい友に出会えたのだ……)
お互いに気遣い、励まし合い、助け合って――。
この世界に来た時だって、『いくら同じ願いと言っても、思いには差があるはず』『お前の所為なんじゃないのか?』『こっちは巻き込まれただけ』『もしもの時は、お前が盾になれ』そう言い出す者はいなかった。
夢と叶望が喧嘩(?)をした時も『お前らの所為で空気が重い』『だから残りの仕事はやれ』と言い出したりはしなかった。
涼多が音波魚兎の騒動で三日間寝込んだ時も、『次の仕事は全部やって』とはならなかったし、奏が体調を悪くした時(ルテから聞いた)も『男のくせに情けない』なんて言わなかった。
『こんな特別な状況だから』
『協力するのは人として当然』
『吊り橋効果のようなモノ』
そう言う人もいるかもしれない。
でも、どれだけ特別な状況で吊り橋効果があっても、仲良くできない者はいる。
それこそ『あんな奴と、一時的とはいえ手を取り合うくらいなら死んだほうがマシ!!』というような。
そして、そこにあるのは『正義』の場合が多い。
自分を作り上げる主軸となる、ある種の狂信じみたモノ。
だからこそ、相いれない。
だからこそ、協力したくない。
村に住んでいた時も、何度か目にした光景だった。
皆『正しい』から、わかり合えない。
それでも、折り合いをつけられる者たちもいた。
時には自信の『正しさ』を少しの間封じたり、誰かに預けることができる者も。
揉めている光景を目にするたび『ああ、あの時のアイツがここに居たらな』と思ったことも一度や二度ではない。
だからこそ『よい友と出会える縁があって良かった』と、名月は思うのだ。




