雀製糸工場
虫が苦手な方はご注意ください。
町はずれにある巨大なレンガ造りの建物の前に蕉鹿は立っていた。
赤レンガの塀があり、正門の石柱には『雀製糸工場』と彫られている。
門番の――寒梅屋で涼多が会った――雀に頭を下げた。
「こんにちは!お疲れ様っス!!」
「…………」
雀は何も言わず門扉を開ける。
まあ、いつものことだ「ありがとうございます!!」と中に入った。
あの雀……というより、あの種族は人間や人間に肩入れする者たちを好いていない。
先程のような態度が『普通』だ。
それだけ嫌っているということなのだろう。
理由は知らないし聞くつもりもない。
自分だって好きな人もいれば嫌いな人もいる、……それと同じ。
構内には大小様々の建物があり、何処からかカチャカチャと作業音が聞こえてくる。
蕉鹿は『記憶・感情糸』と書かれている比較的小さい建物に慣れた足取りで進んでいく。
涼多達には説明が面倒だったので端折ったが、この世界の蚕には、『感情を食べる種』『石を食べる種』『葉を食べる種』等々、様々な種類がいるのだ。
中に入ると、木製の細長いベッドが等間隔に並んでいる。
視線を巡らすと、一番奥のベッドにルテが横になっていた。
ルテ以外、利用者はおらず、話をするのに好都合だと思いながら近づく。
枕元には眼鏡が置かれており、額や頭の上に人間界で言うところの『蚕』を数倍大きくしたような虫が数十匹ほど乗って、むしゃむしゃとルテの記憶だか感情だかを食べている。
これを生み出した奴は、業が深いなと思う。
初めて見た時は、臓腑を掴まれたような嫌な気持ちになったものだが――。
(この光景にもすっかり慣れたなぁ……)
それが良い事なのか悪い事なのか、自分には分からないけれど……。
顔を覗き込むが、目を閉じているので、寝ているのか起きているのか判断がつかない。
(無理に起こすのも気が引けるけど……)
「ルテさ――」
「蕉鹿ですか……」
声をかけようとした時、ルテがすっと目を開けた。
予想していなかっただけに、「うぇ!?」と変な声が出る。
「お、おはよう(?)ございますっス。ルテさん」
ルテは、小さくふふっと笑うと蕉鹿に問う。
「貴方から見て、涼多たちはどうでしたか?」
「問題はなさそうっス」
蕉鹿は「でも――」と続ける。
「ボクたちのことを信用しすぎで、別の意味で心配になってくるっスよ。今は寒梅屋で購入した眠り香で寝ちゃってますけど『疲れて寝ちゃったんだよ』って言えば信じると思うっス」
ルテも「そうですか……」と眉根を寄せた。
「あ、これ、名月さんから……」
そう言いながら、蕉鹿は名月から受け取った木箱から中身を取り出す。
中に入っていたのは一輪の朝顔でそれをルテの顔の近くに置く。
(……死んだ人に手向けているみたいだな)
絶対に口には出さないが。
「あー、あー、聞こえるかなのだ」
朝顔から名月の声が聞こえてきた。
◇◇◇
「聞こえますよ。名月さん、そちらはどうですか?」
「今のところ異常なしなのだ。平穏そのものなのだ」
「本当に大丈夫なんスか?皆、外出歩いちゃってますけど……」
蕉鹿の質問に、ルテは渋面になりながら答える。
「大蜘蛛は、強大な力を持った駄々っ子のようなものなのです。白蛇様に復讐すること以外は深く考えていないと思います」
むくっと上半身を起こし、忌々しそうに自身の前髪を掴む。
「……宴会場で我々を襲ったのは、単に目の前にいて邪魔だったからでしょう。何故いきなり分裂したのかは謎ですが」
名月も「涼多たちに接触してくる感じもないのだ」と答えた。
その言葉に、蕉鹿は「んー」と考え込む。
「いい玩具を見つけて引き込んだまではよかったけれど、思ったほど面白くなかったのでしょうか?」
『なんか違う』『いらなーい』と言ってごみ箱に捨てる子供のように。
それが本当なら、いくら彼らが儀式の手順を踏んでしまっていたとはいえ気の毒な話である。
「何はともあれ白蛇様の身辺と町の警備は強化せねばなりません。出鼻を挫かれて酷く苛立っているはずです、八つ当たりをし始めたら大変ですから」
それはそうだ、と蕉鹿は頷く。
「薄氷は、結界台が出来てから今の今まで怪しい者が出たり入ったりした気配はないと言っているのだ。一瞬だけ、奇妙な揺らぎを感じたぐらいで……」
「つまり?」
答えは出ているが、あえて問う。
自分の考えが外れてくれることを願って。
「つまり、大蜘蛛がこの結界の中に入ったのは昨日や今日じゃないということなのだ。相当上手いこと隠れているのかあるいは――」
誰か協力者がいるのか。
(やっぱりか……)
蕉鹿は、がっくりと肩を落とす。
暫くの間、重い沈黙が部屋に流れた。
方法はわからないが、誰にも気づかれずに何百年も大蜘蛛を守っている存在がこの町にいる。
考えたくはないが、視野に入れなければならないだろう。
名月が「あいつらは、どうなのだ?」とルテに質問する。
「様々な方法で探ってくれているのですが、今のところ……」
ルテは「私も、気配を全く感じられなくて……」と悔しそうに下を向く。
「ルテさん……」
どう声をかけるべきか悩んでいると、名月の明るい声が響く。
「まあ、焦っても仕方がないのだ!しっかし、かくれんぼで天下が取れるのだ。本当、腹が立つヤツなのだ!」
無理に明るい声をだしているのが丸わかりだが、ここは乗っておこう。
「そうっスね!かくれんぼならボクも負けないっス!」
「…………見つけたら今度こそ、完膚なきまでに叩き潰してやりますよ」
ルテは憎悪の籠った声で呟いた。
ジリリリリリリッ
暫く話し合いをしていると、ベルのけたたましい音が部屋に鳴り響く。
「……今日はもう終わりですね」
「これにて終了なのだ。また明日なのだ」
名月がそう言うと、朝顔はみるみる萎びてしまった。
◇◇◇
ルテと二人で工場を出る。
空は夕日で真っ赤に染まっていた。
思ったよりも長い時間、話し合いをしていたようだ。
敢えて取り留めもない話をしながら、土道を歩く。
道には沢山の光鈴が、フワフワと光を放ちながら飛んでいた。
灯としても食用としても重宝される不思議な生物だ。
「……まさか初日に光鈴の姿焼きを食べさせるとは思いませんでした。そして、食べるとも思いませんでした」
束ね損ねた黒髪を風になびかせながら、ルテは蕉鹿に言う。
蕉鹿も「ボクも吃驚したっス!」と話し出す。
「ボクたちに対する遠慮もあったと思うっスけど、結構、度胸あるなって思ったのは確かっス!」
「色々と思うところはありますが、礼節を弁えているようで少し安心しました」
ルテは黄金色の瞳をすっと細める。
「十年前に黄泉路から迷い込んできた姉妹の幽霊、……妹さんの方は凄かったっスからね」
蕉鹿は十年前の出来事を思い出し溜息を吐いた。




