夢枕にだって立てやしない
「……え?」
何でそんな質問をされるのかはわからなかったが、答えないと助けを呼んでくれなさそうだったので、「できる」とだけ呟いた。
それだけでも、首や顎の下が痛い。
体が、徐々に冷たくなっていっている様な気がした。
……あれ?二重跳びの話は前に彼女にしたはずだ。
『連続で何回もできる』私の唯一の自慢だったこと。
「……毎日、放課後まで必死に練習して、やっと一回できるようになって、それでも『練習不足』って言われて、周りからはクスクスと笑われた」
ぼやけた視界で彼女が俯き、拳を握っているのが見えた。
「『一回くらい跳べるのが普通』なんだって。わかる?その時の私の気持ち。いや、わかんないわよね!それこそ、あんたみたいに何の苦もなく、しかも連続で跳べる人には、もっとっ……!!」
ギリッと、彼女の奥歯が擦れる音が聞こえる。
「『勇気』だって同じよ!……あーあ。ははっ、あははははははっ!!お母さん、あんなに、あんなに耐えて耐えて耐えて耐えて、勇気を振り絞って頑張ったのに、何年もかかって、やっと声を上げれたのにさぁ、は、はははっ!結局、普通の人から、こう言われちゃうなんて……!!」
暗い視界に悲痛な笑い声が響く。
その声、もどんどん聞こえなくなっていった。
「はは、はっ、ははは、…………………………………………傑作だなぁ」
彼女が救急車を呼んでくれたのかはわからない。
私が目を開けることは、二度となかったのだから――。
◇◇◇
「……馬鹿みたいですよね。理解を得られない辛さを知っていた筈なのに、私自身も別の面ではそうだったんです」
『自分は無差別に誰かを傷つけたりしない、あの人たちとは違うんだ!』
そう思っていた。
「でも、大切な友達を傷つけてしまった。……罪を、背負わせてしまった」
あの、今にも泣き声に変わりそうな笑い声が耳について離れない。
どれだけ楽しい時間を過ごしていても、ずっとついてくる。
(私に妹さんの話をした時、こんな気持ちだったのかな……)
そこで初めて、自分に縋った時の彼女に気持ちがわかった。
それまでは、なあなあで流していたにすぎなかったのだ。
「本当、何もかもが遅過ぎだろって思いました。霊感がいくら強くっても、夢枕に立つことすらできなくて……」
だから、彼女が天寿を全うして黄泉路へくるのを待っている。
そう彼女は言った。
「そうか」
名月は、自嘲気味に笑う彼女にそれだけ言うと、優しく頭を撫でた。
「……あたしに仲直りさせる力はないが、お友達と仲直りできる未来を、祈らせてもらってもいいかなのだ?」
「も、勿論です!神様に祈ってもらったというだけで、なんか自信が持てます!!それに、こういうのは力で何とかしてもらうんじゃダメですから!」
『他力本願の仲直りに意味などない』という事なのだろう。
そうこうしているうちに、一行は分かれ道へと差し掛かった。
「それじゃ、俺たちはこれで」
「お会いできてよかったです!一路さんに、その――」
「ちゃーんと、よろしく伝えておくのだ!」
「……っ!お願いします!!」
名月がそう言うと、彼女は勢いよく頭を下げた。
複雑な顔だが、少しの安堵が混じっている。
「あ、そうだ!稲妻さん……!!」
「どうしました?」
暫く逡巡した後、「何でもないです」と手を振った。
嫌な予感がする。
もしかして、彼女のように六番目(それ以外の他の兄弟たち)もそう思っているのだろうか?
『酷いことを言って、傷つけたことを謝りたい』と。
冗談じゃない!
だが、彼女の垂れ下がった眉が物語っている。
(私のみならず、早苗まで悪く言った連中のことを、どうして許すことができようか……!)
それでも――。
「私も、貴方がご友人と仲直りできるように祈っていますよ」
「……ありがとうございます!」
色々と飲み込んでくれたようだ。
知らず知らずのうちに入っていた緊張を抜く。
去って行く二人の背中を見送った後、稲妻は口を開いた。
「では、里へと参りましょうか」
「参るのだ!」
◇◇◇
「あの、ちょっと思ったんですけど……」
柄杓を持った奏が、おずおずとルテに問う。
「どうされました?」
「さっき出水さんが花冷図書館に向かったって聞いたんですけど、出水さんの家って図書館の中にありますよね?」
二階にあったピアノの家。
そこが彼の住まいだったはずだ。
「ああ、葉桜の湯が大変なことになっていたので、先にそちらへ行ったらしいですよ。なんでも、瓦が飛んだり『お庭』にゴミが散乱したりと悲惨な状態になったのだとか……」
(職場を片付けてからというわけか……)
「あの銭湯って、結構しっかりとした造りだと思っていたのに……」
「まあ、どれだけしっかり造られていても壊れる時は壊れるさ」
衣紋掛けを拭いていた涼多に、奏はそう答える。
そのまま、部屋の隅にある大きな下駄箱に視線を移す。
「……ちょっと湿っているから、この太陽で乾いてくれたらいいんだけど」
「その為に出すんだし、大丈夫だと思うけどな」
二人で、えっちらおっちらと下駄箱を中庭まで運ぶ。
既に一つ同じ大きさの下駄箱があり、叶望と猫の従業員が、縁側に座って物干し竿を拭いていた。
「兎火君、音律君、お疲れ様」
「郁子さんもお疲れ様」
「お疲れ。あれ?夢は――」
「お疲れ様ー!」
涼多たちの後ろから、カードケース程の大きさの下駄箱を二つ持った夢が、跳ねるようにやってきた。
遅れてルテもやってくる。
倉庫に入って探し物をしていたらしく、頭には蜘蛛の巣がついていた。
「店主さんと一緒に、着物の模様の図案集を探していたのですが見当たらなくって。150年程前に作った物らしいのですが……」
ルテは、パッパッと蜘蛛の巣を払いながらそう呟く。
続けて店主もやってきて、涼多たちにジェスチャーをする。
『むかし流行った柄にアレンジを加えてみたいと思いまして』
「何処に行ってしまったんでしょうね……」
『管理はキチンとしていた筈なんですけど』
「鬼のようにキチンとされていますよね。だからこそ謎です」
『まあ、急ぎではないので、別の場所も見てみようと思います』
「そうですか」
『はい、一緒に探してくださって、ありがとうございます』
「いえ、何のお力にもなれなくて……」
会話を終えると、店主は人数分の茶の入った湯呑を置いて、猫の従業員と一緒に持ち場に戻って行った。
「お疲れ様です。休憩にしましょうか」
「ルテさんも、お疲れ様です」
一同は、茶を啜りながら四角に切り取られた青空を見上げる。
目の前の下駄箱が無かったら、料亭の中庭にでもいるような気分だ。
「ふう、正直、この後の仕事は特にありません。夕飯を買って帰ろうかと思うのですが、何処か行きたい所はありますか?」




