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今日まで続く平和な村

 「…………ごめんなさい」


 花冷(はなびえ)図書館の誰もいない一室で、春はポツリと言葉を零す。

 目は虚ろで、何処を見ているのかわからない。


 薄暗い部屋。

 今日は訪れる人も少なく、雨が窓を打つ音だけが聞こえてくる。


 時計を見ると、後十分ほどで休憩時間も終わりそうだった。

 また、食堂に戻らなければ。


 そう思いはするものの、一向に足が動かない。

 どうして、今頃になって思い出すのだろう。


 きっと、蛍が涼多(りょうた)に読んでもらったと言う絵本の所為だ。


 『涼多さんに、どんな絵本を読んでもらったの?』

 『えっとね――』


 折角、忘れたふりをしていたのに――。


 あれとは別の、『絵本』というよりは『児童小説』に近い本を、蛍にせがまれ読んだことがある。


 タイトルは『今日(こんにち)まで続く平和な村』。

 表紙は明るく楽し気な絵が描かれているのに、何処か不穏な感じがした。


 今にも禍々しい何かがページの隙間から這い出てきそうな――。

 しかも文字が掠れていて、所々ページが破れている。


 表紙も同様で、作者が誰かもわからない。


 いくら子供が出し入れするからって、こんなにボロボロになってしまうものなのだろうか?


 春が考え込んでいる間にも、蛍は『どうしたの?早く読んでよー!』とキラキラした目を向けてくる。


 あの目を拒む資格など、自分にはない。

 ただ、それでも読んでしまったことを激しく後悔した。


 『ねえってばー』

 『はいはい、じゃあ読むわね。昔々――』


 ページを捲った所で手が止まる。

 舌が渇き、手は震え、先を読むことがどうしてもできない。


 『…………』

 『お、お姉ちゃん、どうしたの?』


 『な、何でもないわ!……蛍、帰りましょう』

 『う、うん……』


 どうして、自分の人生と酷似する内容の本を蛍は選んでしまったのだろう。

 どうして、作者はあんな話を書いたのだろう。


 きっと忘れたふりをしていた私への罰なのだ。

 ああして本を読むことになったのは、必然だったのかもしれない。


 それでも――。

 それから自分は、躑躅(つつじ)百貨店の児童書コーナーには近づかなくなった。

 

 「…………はあ」

 その場にしゃがみ込み、顔を両手で覆う。


 脳裏に浮かぶのは600年前、自分が生きていた時のことだ。


 ◇◇◇


 隣村には山を越えないと行けない小さな村。

 入って来る情報など、たまにやって来る者から聞くだけのような山奥の。


 当然、携帯もなければパソコンもない。

 警察や病院と言った施設もなければ、飛行機や車もない。


 化生界(けしょうかい)のような、岩を軽々と担げるような者もいないし傷を癒せる者もいない。


 今の人間界を知り、化生界(ここ)での暮らしに慣れてしまった今では、かなり不便で大変だったように感じる。


 きっと、今600年前の暮らしをしろと言われても無理だろう。

 経験したことがあってもだ――。


 だが、当時の自分の世界はあそこだけだった。

 それに対して、不自由を感じたことも不満を抱いたこともない。


 賊も出なければ、飢饉や災害に見舞われる事もなく、季節になると田畑は見事に彩られた。


 それもあってか皆、のんびりとしていたし、何より優しかった。

 他所から来た母子のことも、すんなりと受け入れた。


 『あの時』までは――。


 戸板はなく、ボロい(むしろ)の隙間から冷たい風が入って来る家の中。

 病に倒れ、死を待つだけとなった父が言ったのだ。


 「実は、あの神様を――」

 後悔と諦めを滲ませた、か細い声。


 「…………っ」

 子供心に、誰にも言ってはいけない事だと感じた。


 「すまねぇ、村が()()()()()になったのは、おとうが悪いんだ」

 「…………おとう」


 嗚咽を漏らすたびに、くっきりと(あばら)の浮き出た胸が不規則に上下する。

 田畑を耕していた頃の元気な姿は何処にもない。


 ひゅうひゅうと、口から苦しそうな息が漏れる。

 もう虫の息だ。


 何もできない不甲斐なさに、春はギリッと唇を噛む。

 この村に医者はいない。


 村が()()なる前にやって来た旅の行者(ぎょうじゃ)の話では、隣の村にもそのまた隣の村にも医者はいないのだと言う。


 それに、医者にかかるには金がいる。

 奇跡的に医者を見つけられても、金がなければ始まらないのだ。


 そもそも、()()の所為で村から出られない。

 ごほっごほっと、父の咳き込む音が耳に届く。


 『まあ、要は病に罹らなければいいだけの事よ!』

 『んだ、……それにしても、他の村は一日食べるのもやっとなんだな』


 『可哀想になぁ……』

 『この村に生まれて、良かったよ』


 村人たちが、そんな話をしていた頃が懐かしい。

 いや、懐かしんでいる場合じゃない。


 一体、どうすれば――。

 村の爺様や婆様に効いたことは全て試したが、どれも効果はなかった。


 今思い返してみると、根拠も効果も元からなかったのだろう。

 それでも、当時は必死に縋った。


 しかし『病は気から』の『気』すら奪われた父には、無駄な努力だった。

 自分に出来ることは、傍にいることだけ。


 それも、何時までもつのやら。

 もう、村に『それらしい』存在は自分を含め数人しかいない。


 あれが……、大蜘蛛が次の生贄を要求してきたら。

 確率は低いが、今度こそ自分の番になるかもしれない。


 でも、きっと自分は最後になるだろう。

 そんな思いが春の中にはあった。


 (おらが、おらが()()()酷いことをしたから、面白がってんだ……)

 だから、大蜘蛛は自分をまだ喰らわない。


 春の沈黙をどう受け取ったのか、父親は自分と同じく枯れ枝のように痩せ細った手をグッと握る。


 もう、喋る体力もないのだろう。

 目だけで『すまない』と訴えてくる。


 「……おとうの所為じゃないよ」

 「…………」


 『気を遣ってくれている』と思われているに違いない。

 でも、本当のことだ。


 確かに、神様が石に閉じ込めるきっかけを作ったのは父だ。

 でも、仕方がないと思う。


 大蜘蛛の姿と力を見た後で、子供姿の神様の味方をできるかと言うと難しい。


 いくら不思議な力があると言ってもだ。

 それに、父は神様のことを元から少し疑っていた。


 『本当に神様なのか?』と。

 『狐か狸か、化け物の類なのではないか』と。 


 『だって、(おかあ)のことは、助けてくれなかったでねぇか……!!』


 そんな中、大蜘蛛に『お前、目障りなアイツを誘い出してこい。俺が石に閉じ込める』なんて言われ(脅され)たら従ってしまうだろう。


 何故、大蜘蛛自身がやらなかったのかはわからない。

 恐らくは、『大切に思っている者から裏切られた方が面白い』からだろう。


 現に今では、村人の殆どが、あの子を神様だとは思っていない。

 『村を守ってくれなかった役立たず』それだけの存在だ。


 昨日も、適当に転がされているあの石を、数人の村人が取り囲んでいた。

 

 痩せ細った足で蹴り、棒で叩き、小便をかけ、馬の糞を投げつける。

 そうしている間だけは、目に光が宿っていた。


 大人たちには聞こえていないのか、時折、石からは謝罪の声が聞こえてくる。


 『ごめんなさい……、ごめんなさい……』

 神様(あの子)には、村人たちの怨嗟の声が聞こえているのだ。


 もしかすると、大蜘蛛に村が壊されている光景も見えているのかもしれない。


 (……あーあ、またやってる。腹が減るだけなのに)

 それを何とも思わなくなった時点で、自分もだいぶ()()ていたのだろう。


 「…………」

 仕方がない。

 ()()が無くなったら、鬱憤の矛先が向かうのは『弱い』者だ。


 自分は『生贄になるかもしれない存在』だから傷つけられはしないだろう。

 問題は父親だ。


 病の所為で、大蜘蛛の所まで生贄を運ぶ作業も、それ以外の手伝いも何もできない。


 『おらんとこの年端の行かない坊や、今にも死にそうな爺様(じっさま)婆様(ばっさま)まで頑張っていると言うのに、お春のおとうは何だいっ!?』


 そう言われたことがある。

 あの人も、少し前までは凄く穏やかで優しい人だったのに。


 いや、あの人だけじゃない。

 村の人たちは皆、穏やかで優しい人たちだった。


 それが、あんなにもおかしくなってしまった。


 ……………………………………………だから、(あれ)は必要なのだ。


 例え、閉じ込められているのが五つか六つの姿をした存在であろうとも――。


 ◇◇◇


 『春お姉ちゃん!!』

 そう言ってコロコロと笑う、蛍の笑顔が脳裏をよぎった。


 そんな笑顔を向けないで。


 『すまねぇ、お春。すまねぇ……』

 同時に、父の声も聞こえてくる。


 謝らないで、おとう。


 「…………ああ。本当は、本当は私が全部悪いのに」

 春は膝の上に、顔をうずめた。



 

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