人魚の余花
「ごめん下さい」
涼多たちが家に帰ると、霰が訪ねて来た。
薄氷とルテは新たに用事ができたらしく、まだ帰ってきていない。
時刻は、午後九時過ぎ。
頭には、いつものように雪が乗っており、くわっと欠伸をする。
「こんばんは、霰さん。どうしたんスか?」
蕉鹿の問いに、霰は持っていた風呂敷をすいっと差し出した。
青海波が描かれた浅縹の風呂敷は長方形の何かを包んでいるようで、時折、ちゃぷちゃぷと水音が聞こえる。
心なしか、霰の視線が風呂敷から逸れているように見えた。
意図的に、逸らしている様な――。
「……水槽でも入っているのか?」
「確かに、学校の理科室にあったメダカの入っている水槽の、少し小さめなヤツって感じがする」
首を傾げる奏に、涼多も後の二人も同意する。
仮に水槽だとして、中に何が入っているんだろう?
そんな疑問と共に、四人は成り行きを見守る。
「?……あの」
「こちらって、『何でも屋』めいたことをされているんですよね?」
急にそんなことを言われ驚くが、「まあ、そうっスね」と返す。
「立ち話もなんですから、中に入って欲しいっス」
蕉鹿は、霰たちを中に招き入れる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
涼多から差し出された茶をグイッと飲み干すと、霰は、ちゃぶ台の上に置いた風呂敷の結び目を解く。
出て来たのは、案の定、水槽だった。
そして、中に入っていたのは――。
「……ど、どうもです」
顔が人間で、体が魚の姿をした『人魚』だった。
「は、初めまして」
鈴の音を転がすような、……というよりは、ずっと聞いているとフラフラと引き込まれていくような不思議な声をしている。
癖のある朱色の髪。
真ん丸な瞳も同じ色だ。
よく見ると、人と魚の境目の所にエラのようなものがあった。
「今日の夕方、結界の外に山菜を取りに行って、偶然、出会いまして。……あの時間にしか出てこない美味しい音波魚兎もいますし、危険なのは百も承知だったんですけど、近場なんで危険があれば走って結界の中まで逃げたらいいかなって」
蕉鹿の目が『一人で行くなんて危険だ』と言っていたのだろう。
少し、言い訳混じりに霰は言った。
「えっと、それで本題なんスけど――」
その言葉に、霰は「ああ、いけない、いけない」と話しだす。
彼の話によると、水場も何もない地面の上で、助けを求めながらはねていたのだそうだ。
「この方が住んでいる町では、空前の旅行ブームが到来しているらして」
「私も、同じ種族の友達三人と何処かに行こうってことになったんです」
護衛兼案内人の二人に、自分達の入った水槽を担いでもらいながら数年間、旅をしていたのだそうだ。
「……旅行感覚の旅を数年間?」
「人魚の人達にとっては、十日間くらいの感覚なのかも」
夢と叶望が、ひそひそとそんな話をする。
「それで、『噂で聞いた糠星鍾乳洞にも行ってみたいね』って話になりまして。そこに向かっている最中のことでした」
涼多達のいる『白蛇が治めている町』まで後少しといったところで、巨大な『何か』に襲われたのだと彼女は話した。
「……アレが何だったのかはわかりません。」
全身が黒い靄で覆われていており、姿は見えなかったそうだ。
「ただ、物凄く嫌な感じはしました。ずっと低く唸っていて、案内人の方が話しかけても通じないし、威嚇も鈴も効かなくて……」
『鈴』というのは、鶸虫達を追い払ったあの鈴のような物だろうか。
『……おかしいな。調べた限りだとこの辺りは何も出ないはずなのに』
『今考えたって仕方がないだろ』
『もしかしたら、出産かなにかで気が立っているのだろうか?』
『それとも、知らないうちに縄張りに入った俺達に怒っているのかも……』
『だとしたら』
『ああ、逆なでしないに越したことはない』
できる限り、敵意がないことを示しながら、ゆっくりと距離を取ろうとした時、叫び声とともに飛び掛かってきた。
そのまま戦闘になり、自分だけが水槽ごと吹き飛ばされたのだそうだ。
「その時に水槽は割れてしまって、それから三時間くらい経った時に霰さんに見つけていただきまして……」
その後、急いで石火隊本部に行き、事情を説明したのだそうだ。
直ちに捜索が開始されたが、友人と案内人の行方はまだわかっていない。
その捜索に、薄氷も加わったとのことだった。
ルテは白蛇の屋敷へと戻り、石火隊本部から持ってきた『町周辺に出没する生物・魔物と生体』という資料と睨めっこをしているらしい。
「それは、災難でしたね……」
「旅の危険は承知の上ではあったんですけど、まさか自分達がこうなるなんて」
ちゃんと危険な生物や魔物の出没場所は避けていた。
万全の準備をしていたというのに――。
しゅんと肩(?)を落とす彼女を見て、全員が黙り込む。
「ああ、すみません、暗くなってしまって。えっと、それでお願いがあってやって来た次第で――」
「お願い?」
首を傾げる蕉鹿に向かって、霰が口を開く。
「この方を、暫く名月の家に泊めて欲しいんです」
仲間の捜索も時間がかかると言うことで、石火隊の一室を貸す案も出たらしいのだが、ある問題が生じた。
声だ。
事情を聞いていた天狗は、会話をして数分で寝入ってしまった。
他の者達も同様で、眠りはしないものの、酷い眩暈に襲われるのだそうだ。
「……『体質』なのかな?」
涼多は、音波魚兎の事件を思い出す。
あの時も、酷い眩暈や幻覚を見る者もいれば、軽い頭痛で済む者もいた。
「うう、私たち、人魚の『特性』とでも言うんでしょうか。効かない方にはてんで効かないんですけど……」
「俺は平気な方なんですけど、猫でしょう?さっきから本能と理性がせめぎ合っていて、どうにも……」
それは焼野も同じらしい。
彼女を見た瞬間、後頭部がもぞもぞと動いていた。
きっと、舌なめずりをしていたのだろう。
「晩稲さんは、ダメだったんスか?」
「いえ、大丈夫ではあったんですが、この間、白雨屋で水を被って体を冷やしてしまっていたようで……」
『なんかあの日から、ちょっと寒気がするなーとは思っていたんだけどね。そんなわけで、無理です。ごめんね』
布団の中からそう言ってきたらしい。
「――というわけでして。別に海の水じゃないとダメってわけではないんで、水の問題はないんですけど」
だからといって、『一切喋るな』というのも酷な話だろう。
「成程」
「そのことをルテさん達に話したら、『彼らが大丈夫そうなら』と言われて」
話を聞いた蕉鹿は、「どうっスか?みなさん」と涼多たちを見る。
「どうだ?」
「まあ、ちょっとクラッとはしたけど、それぐらいかな……」
「私も」
「同じく」
四人は問題ないと頷いた。
「ボクも特に何ともないですし、大丈夫っスよ!」
「ありがとうございます……!」
人魚は心底安堵した顔をする。
考えてみれば、一番、心身ともに疲弊しているだろう。
「あっ、自己紹介がまだでしたね。余花と申します」




