理解者
ぐちゃっ
山犬の一匹が、子鹿の喉に牙を立てる。
自分は、ここで死ぬのだろう。
赤子も、さっきから数匹の山犬に群がられているが、泣き声一つ上げないと言うことは――。
心の中で、四右衛門達に詫びる。
山犬は、喉に刺さっている矢が邪魔で噛みにくいのか、中々、息の根を止めてくれない。
ぐりぐりと首の中で矢が動く。
他の仲間が、胴や足に食らいつき、着物を爪で引き裂いた。
ぐじゃっ、ずりゅっ、ぱき、ぼとっ、ずっ、ずっ、ずっ――。
ぶちぃっと、髪と皮が千切れる音が耳に届く。
それでも、まだ生きている。
ごぼっと口から泡混じりの血が流れだす。
例えようのない痛みが襲ってくる。
自分にできることは、早く死がくるように祈ることだけだ。
『ははは、お前は身が軽くて、本当、鹿みたいな奴だな』
長らく忘れていた父の声が蘇る。
「…………」
(本当に、そうだったら良かっ――)
ぐじゅっ
それが、命の潰える瞬間に思ったことだった。
◇◇◇
深い霧と草木の匂い。
ふらふらと、重い体を引きずりながら子鹿は歩いていた。
ここは何処なのか、誰かいないのか、どうして自分は歩けているのか、考えることは山ほどあるはずなのに頭がちっとも働かない。
がさっと音のした方を見ると、巨大な虫のようななにかがいた。
ブブブブブブ……と、翅を動かしている。
まるで、威嚇のようだった。
なにかは、鋭い牙をカチリカチリと鳴らし、赤い目を爛々と光らせて子鹿を見ている。
「…………」
普通なら、逃げるか腰を抜かすのだろう。
不思議と、何の感情も沸いてこない。
ゆっくりと前脚を振り上げる様子を、ぼうっと眺めていた。
その時。
なにかは、ふわりと宙に浮きあがった。
ギャアギャアと、抗議するように声をあげている。
「どうしたんですか?この時期、この辺りには近寄らないようにと――」
「…………?」
背後から聞こえた声に、緩慢な動作で振り返る。
紺色の布口面をつけ、長い黒髪を靡かせた人物が立っていた。
黒い着物も相まって、影が立ち上がっている様に見える。
男か女かはわからないが、前髪の隙間から覗く、黄金色の瞳と目が合う。
「ああ、今しがたここに来た方ですか……」
「え?」
思わず喉に手を当てる。
声が出せることに驚いた。
そして、ようやく自身の体の変化に気づく。
(足が……、鹿の足になってる?)
自覚した瞬間、バランスを崩しその場に倒れ込む。
恐る恐る体を見ると、視界には鹿の胴体が飛び込んでくる。
「……色々と、聞きたいことはあると思いますが、少し待っていて下さい」
なにかを地面に降ろすと、会話(?)を始めた。
赤く光っていた目が、徐々に黒色に戻っていく。
「…………」
悪い夢だと思いたいのだが、倒れ込んだ時の痛みは本物だ。
後ろ脚に意識を集中させると、ちゃんと動いた。
胴に触れると、感触が伝わってくる。
(温かい……)
そういえば、赤子を抱く手に力を籠めた時もこんな感じの――。
喚きとも叫びともつかない声が口から出ていた。
のた打ち回ろうにも、慣れない体がそれを許さない。
頭を滅茶苦茶に搔きむしる。
必死に覚えた弓も刀も役に立たなかった。
守る守ると言いながら、自分は庇われてばかりで……。
人も約束も、何も守れていない。
目からボロボロと涙が落ちる。
自身の目の色がどうなっているのかを、彼が知るのはまた後日。
泣きすぎて、胃が気持ちが悪いし頭が痛い。
その間、布口面の人物は、何も言わずに子鹿の背中をさすっていた。
◇◇◇
「――で、この後、ルテさんに『来てください』と言われたのでついて行ったら、この町だったという次第です!」
蕉鹿は「すみません、長話に付き合わせちゃって」と笑う。
笑える内容ではなかったのだが。
どう反応をかえそうか迷っている叶望に向かい、蕉鹿は口を開く。
「だから、その、庇われるっていうのも、良い事ばかりじゃないと思うっスよ……」
先程と違い、悲しそうな笑顔だ。
そんな笑顔を見つめながら、叶望は自分を恥じていた。
『あんた、そんなこと言ってもどうにもならんでしょ?』
(夫の言ったことに対して口を出せるなんて凄いなぁ……)
そんな風に思ってしまった。
(聞くべき所は、そこじゃないのに……)
申し訳なくて、顔を伏せる。
過酷な世界だと思うのと同時に、ある思いが湧き上がってきた。
「……面倒くさいことを聞いてしまいますが、いいですか?」
「いいっスよ!何でも聞いて下さい!!」
「蕉鹿さんから見――。いえ、やっぱり何でもないです」
彼から見た自分は、自分達はどう映っているのだろうか?
『甘い』『弱い』『贅沢』そんな風に映っているのかもしれない。
でも、それを問うたら、きっとこちらの望む答えを返してくれるのだろう。
これ以上、気を遣わせたくない。
しかし、そんな思いは看破されてしまったようで――。
「叶望さんは、ボクの話を聞いて、ボクのことを残酷だと思いますか?」
「えっ、それは……」
盗みを働き、人を殺した。
飛花も、殺した人間は軽く五十を超える。
現代の価値観で見れば、残酷そのものだろう。
その証拠に、十年前に迷い込んできた姉妹の片割れは飛花に向かって「武将って、早い話が大量殺人者ってことじゃん」と言ってのけた。
(まあ、それはまた今度でいいか……)
二人の間に、沈黙が落ちる。
「……正直、何と言っていいのかわかりません。同じ人間界で起こった事でも、なんだか、別の世界のお話みたいで」
「それと同じです。それに、『貴方よりも辛い思いをしている人がいます』って言われたところで、何の慰めにもなっていないじゃないっスか」
それは、わかっている。わかっているのだが――。
「もっと、好きに生きてもいいと思うっス!」
「好きに……」
『自分らしく好きなように自由に生きる』
時折、目にする言葉。
でも、それだって『犯罪にならない』が大前提。
父を不快にさせるのは『犯罪行為』だ。
わかっていても、前科?犯なのだが。
自分が女っぽい行動――中学生の時のスカートの着用等――をすると、父はいつも以上に苛立った。
何も知らない親戚から『料理が好きなんて、叶望ちゃん格好は『僕』だけど、やっぱり女の子だね』と言われた日。
作った夕食はゴミ箱に行った。
(あんなに、お姉ちゃんに言ってもらっていたのに……)
いつものように、髪をハサミで切って短く切る。
まだ、足りない。
神社に行って『女っぽくなりませんように』『やっぱりって言われませんように』と必死に手を合わせた。
賽銭を出せないのが心苦しかったが。
『好きに生きる』
もし、好きなように生きて、それが『これだから――』に繋がることだったら。
ロベリアチューブやスノドロにあげられ、著名な人の目にとまり、『こういう女は××です』みたいに紹介されたら。
悪戯に論争を増やすだけだ。
それによって、誰かに余計な迷惑がかかるかもしれない。
考え過ぎと言われるだろう。
でも、誰もが監視カメラを手にしてるような時代だ。
考え過ぎくらいが丁度いい。
黙り込んでしまった叶望をどう思ったのか、蕉鹿は口を開く。
「……その、何処か相談できる場所は無いんスか?」
「……考えたこともなかったです」
だって、自分は虐待されているわけではないのだ。
怒鳴られたり、物を投げられたり、髪を掴んで床に叩きつけられることはあれど、それだけだ。
痣が残ったり、性的に何かをされたことはない。
外に締め出されたことも。
自分が、ちゃんと受け答えできていれば済んだ話。
それに、父だって怒鳴られて叱られて育ってきたのだ。
『子供は、叩いてなんぼ』
『言うことを聞かないのなら鉄拳制裁』
『当たり前のこと』
そんな考えで育ってきた人に対して、『現代の価値観』を押し付けすぎるのもどうかと思ってしまう。
好きでそうなったわけではない人に――。
「本当に?」
「…………」
それも、わかっている。
祭の日に痛感した。
でも、認めてしまっては耐えられない。
「うーん、そうだ!それなら一発殴りましょう!」
「ええ!?」
いつもの雰囲気に近づいたのを確認すると「冗談っスよ」と笑った。
「ただ、離れた方がいいと思うっス。他でもない叶望さん自身の為に」
「…………はい」
離れることは可能だろう。
あんなことをしたのだから。
(人間界に戻ったら、もう、お父さんには会えないな。いや、気分次第で会いに来てくれる……わけないか)
『恥をかかせやがってっ!』
『お前の所為で、俺の人生滅茶苦茶だっ!!』
きっと、こうなるだろう。
「……さっきから思っていたんスけど。恨んではいないんスか?」
「……それも、考えたことなかったです」
確かに恐ろしい存在ではあるし、想像するだけで冷や汗が流れてくる。
それでも――。
「ここまで育ててくれた『お父さん』であることに、変わりはないから……」
「……そうっスか」
微笑む叶望を、蕉鹿は複雑な思いで見つめていた。
(叶望さんは、お父さんにとって、唯一の理解者かもしれないのに……)
「……あの」
「なんですか?」
「さっきの話なんスけど、なんか恥ずかしくなってきたんで他言無用でお願いするっス!」
蕉鹿は「たははー」と頭を掻く。
「は、はい、勿論です。私の方こそ、話を聞いてもらって気が楽になりました。ありがとうございます!」
「それなら良かったっス!」
それから約三十分。
二人で茶を飲みかわし、談笑していると、茶屋からルテが出てきた。
「いつまで話し込んでいるんですか?もう寝なさい、二人とも」




