機屋の焼野
「あのー、ここって台所ですよね?」
「うん、そうだよ。といっても、今じゃ画材置き場になっているけどね」
「へえー」
「気乗りした時は使うんだけど……」
興味津々に竈を覗き込む夢に、晩稲は苦笑いで答えた。
土間の隅には名月の家にあるような井戸があり、天井からは八方行灯が吊り下げられている。
ここに来て、十五分ほどが経過した。
薄氷は二軒隣の家に入って行ってしまい、ルテは二階へと通じる階段の横で朝顔を耳に当て、名月となにやら話をしている。
「すごーい!家の中に井戸がある!叶望お姉さんも見てみてよ!」
はしゃいだ声で叶望を呼ぶ。
「うん、ちょっと待って」
暖簾を潜り、家の中へと入って行く。
「……なあ、涼多」
「どうしたの?音律君」
先程と同じく、声を潜めながら奏は話す。
「さっきの会話で思い出したことなんだけど、どうして郁子は、ペティナイフを持って河原にいたんだろうな……」
「それは、………………わからない」
「だよな。……こっちから質問しておいてなんだけど」
奏は「悪い、変なこと聞いた、忘れてくれ」と早口で言うと家の中に入って行った。
一人残された涼多は、砂利道に視線を落としながら考える。
(いや、『わかりたくない』かな……)
化生界に来た時からずっと心の片隅で疑問には感じていた。
夜、ペティナイフを持って河原。
何故?
あの辺りには野良猫が――。
ぞっと、背中に寒いものが走る。
(友達に対して、僕はなんてことを考えているんだ)首を振り自分を叱責する。
『自分が傷つきたくないから……だよね?』
耳横で誰かの声がした。
『自分の友達、友達にした人がそんな奴だなんて、思いたくないんでしょう?自分が『頼って』って言った相手がそんな奴だなんて、助ける気持ちが失せてしまうもんね……』
老若男女どれでもない、低いような高いような粘度を孕んだ、楽しそうな声。
『もしアナタの想像している通りの内容だったらどうする?』
(いやそんな、郁子さんに限ってそんなこと……)
『君が、あの人の何を知っているというの?ま、これは逆も然りだけど』
(第一、あれは音律君の弟さんが……)
声が失笑する。
『全部がそうとは限らないでしょ?さっき無責任に『頼って』って言った手前、本当にそうだったら困るんだよね?』
(……っ、無責任ってわけじゃ)
『じゃあ、真実を知って『私を止めて』って言われたら止められる?こういうのって自分の意思では止められないだろうし。ねえ、アナタにできる?大切なお友達を助けてあげられる?』
(それは……)
『大丈夫!自分も含めて、皆同じだよ!!そ、れ、に、偶々、偶然、思いがけず、ポケットに入っていたけで、何もしていないかもしれないし!ごめんごめん、もっとぽじてぃぶにいかなきゃね!』
(……)
『後先考えずに『頼って』なんて言うものじゃないよ。力も覚悟もないくせに』
涼多は見えない手で、胸倉を鷲掴みにされているような気持になった。
『それか、他のもっと最悪な展開を考えてみる?』
(最悪な展開?)
『相手は猫なんかじゃない。アナタと『同じ』。しかも、これから使うんじゃなくて、既に――』
ピフゥ―――――――ッ。
なんとも間抜けな音を出しながら目の前に何かが伸びてきた。
驚いて隣を見ると、晩稲が『拭き戻し』を真顔で吹いている。
「……なにをしているんですか?」
「白雨屋で買ったピーヒャラ笛を吹いていますね。あ、もしかして今では馴染みがない感じ?」
「いえ、そういうわけでは……」
前に美月がテレビを見ながら作っていた。
あの時は、『ピロピロ笛』と言っていたが。
「いやー、なかなか入ってこないからどうしたのかなーと思いまして。気分悪いなら横になる?」
茶化しつつも心配そうな目で、奥の畳の間を指差す。
「い、いえ、大丈夫です。ちょっと考え事をしていて……」
「ホントに?」
「はい、心配してくれて、ありがとうございます」
「まあ、それならいいけどさ」
パーカーのポケットから独楽を取り出し、器用にひもの上で回す。
なんとなく気まずくて、何か話題をと口を開く。
「薄氷さん、遅いですね。ちょっと様子を――」
「なんか死にそうな感じだね。それ」
ヒュンッと独楽を手の平に乗せ、晩稲は笑う。
「だぶん、織りあがった布のチェックをしているんじゃないかな。あそこ機屋さんだから」
「機屋?」
「えーっと、機織り。鶴の恩返しで出てくるアレだよ」
「あ、わかりました……!」
耳を澄ますと、喧騒に混じって機の音が聞こえてくる。
「焼野さんっていう、機織りの達人が住んでいるんだよ」
「焼野さん……」
「うん、以前、織りあがった物を見せてもらったことがあるけど、天女の羽衣みたいで綺麗だったよ……あっ」
そこまで話すと、何かを思い出したのか晩稲はニヤッと笑う。
「どうしたんですか?」
「いやいや、少し思い出したことがあってね。そちらに提案があるんだけど……」
意味深な笑顔にゴクリと唾を飲む。
「ちょっと様子を見てきたら?」




