化生界と四人の人間
(この子、七日前に道でぶつかった子だ。……でも、僕ら三人はクラスメイトって共通点があるけど、この子はないし……)
思い出したところで、疑問は増えるばかり。
加えて、今はそれ以上に疑問が山積みなのだ。
「……まあ、何が何だか、というところには同意しますけどね」
疲れたような声とともに、ルテは前髪を掻き上げる。
「単刀直入に申し上げますと、ここは幽霊や妖怪そして八百万の神々が住む『化生界』という世界です」
「……つまり、俺たちがさっきまでいた人間の世界とは全く違う場所だと?」
奏の質問に、ルテは「そうです」と頷いた。
「とは言っても、『元人間』だった方は数多く暮らしています。似て非なる世界、と言ったところでしょうか。八百万、全ての神が住んでいるわけでもありませんし……」
確かに、と涼多は思った。蕉鹿は鹿と人が混ざったような姿をしているし、ルテは見た目こそ人間だが、何やら不思議な力で大蜘蛛を吹き飛ばしていた。
「ただ、今一番の問題は、『なぜ、生きている人間である貴方たちがこの世界に来てしまったか』なのですよね。死者……幽霊なら分かるのですが、こんなことは前代未聞です……」
顎に手を当て、ルテは考え込む。
暫く無言の時間が続いた後、彼は涼多たちに尋ねた。
「皆さん、火祭りの布に何を願ったのですか?」
低くなった声に、涼多は身を竦ませる。
眼鏡の向こうにある黄金色の瞳が、ギラリと瞬いたような気がした。
「すみません。私たちが布に願い事をしたことを、ご存じなんですか?」
叶望の質問に、ルテは「いいえ」と首を横に振った。
彼は、感情の読めない瞳を、チラリと涼多へと向ける。
次いで、「少し長くなりますが」と前置きをし、話し始めた。
「実は、貴方たちが来る少し前までここで宴が催されていたんですよ。……後祭町で信仰されている白蛇様の……火祭り600年を記念して」
「そこにある鏡越しに、祭りの様子を皆で眺めていたんスよ」
「……と言っても、私は外に出ていましたが」
そこ、と言われ四人が目をやると、罅の入った直径三メートルくらいの丸い大きな鏡があった。大きさを覗けば、普通の鏡に見える。
「確かあの時、誰かが『今年の火祭りは本格的だな、……本物の布が混じっている』って言ってたんスよね」
誰だったかな、と蕉鹿は首を傾げた。
しかし、すぐに「まあ、いいか」と顔を上げる。
「その後、この世の終わりみたいな顔をした涼多君が映って――」
「えっ、僕……ですか?」
(そ、そんな大勢の人……神様?に見られていたなんて)
どうにも居心地が悪くなり、涼多は目を伏せた。
「はい!で、『この子、暗い顔してどうしたんだろう』みたいな話をしていたら急に強い風が吹いて、何だ何だ、と思っていたら大蜘蛛が現れて、白蛇様に攻撃を喰らわしたんスよ」
蕉鹿は「あの辺りっス!」と部屋の中央を指差す。
そこも例にもれず、赤黒い染みができていた。
「だだ、何故かその直後、涼多君たちが見た大きさに分裂したっス。まるで、最初からそうだったかのように……」
殆どの者がかなり酔いが回っていて動けなかったらしく、戦える者たちで何とか応戦していたそうだ。
「………………ですが、白蛇様はかなりの重傷を負いました」
すっと目を伏せ、ルテは拳をぐっと握りしめる。
「まあ、一番ベロンベロンだったのは白蛇様っスけど……、そのせいで人の姿から白蛇の姿になるのが遅れちゃって、涼多君たちが現れたのは、大蜘蛛が分裂した直後っスね!」
「貴方たち全員が、後祭町にお住まいなのかは知りませんが、少なくとも、火祭りで使う『布』に『願い』ましたよね?」」
ルテは奏と叶望、夢を見ながら言った。
涼多は、彼が何故そこまで『布と願い』に拘るのか分からないまま答えた。
「……確かに、僕は布に願い事を書きました。それで、一週間前の夜に、神社の境内に置かれた木箱の中に入れました。……お、音律君たちは?」
問われた奏と叶望は「書いた」と答えた。
涼多は「ええと、有栖乃さん……は?」と視線を移す。
「……わたしも、書きました」
四人の返答にルテは「やはり……」と顎に手を当てる。
「…………願い事を書く際に、布に血がつきませんでしたか?」
「あ、その、……すみません。怪我をした手で触ったので、少し」
叶望は、持っていたペティナイフをポケットに仕舞い、擦り傷のできた手をすっと見せた。
「他の方々はどうですか?」
ルテに問われ、涼多は「そう言えば――」と記憶を探る。
(シューズで蹴られて、血が出たところを触った手で布を持った気が……)
出錆たちの嗤い声が頭に響き、慌てて首を振った。
「……俺も、一週間前に布を木箱に入れたんですけど、その時、手を怪我していたかもしれません」
そう話す奏に続いて、夢が「わたしも、紙で指を切っちゃって……」と呟いた。
涼多も、「僕も、少し、怪我をしてしまって……」とルテに告げる。
彼は「そうですか」と静かに頷いた。
怪我の理由は二の次で、血が布に付いたかだけを気にしているようだった。
「それで、何を願ったのですか?」
「別の世界に行きたいと願いました」
ぴったりと揃った声に、四人全員が驚いた顔で互いを見る。
蕉鹿が「おおー、見事にハモったスね!」と小さく拍手をした。
「原因はソレですね」
「ちょっ……!」
ルテは、そんな蕉鹿を無視し話を続ける。
無視された方は、「いや、ちょっとでも場を軽くしようと」と項垂れた。
「貴方たちは『布に自分の血を付ける』という中途半端に正しい手順を踏んでしまったのです」
「中途半端?」
首を傾げる四人に、ルテは「そうです」と頷いた。
「……そもそも、あの火祭り自体、誤りなのです……」
嫌な予感がしつつも、涼多は「……誤り、ですか?」と問う。
「はい、あの火祭りは『大蜘蛛に生贄を捧げる儀式』と『白蛇様を祀る儀式』が混ざったものなのです」
ルテは「長い歴史の中で……」と溜息を吐く。
やるせなさを孕んだ声音と瞳だ、と涼多は思った。
「別段、珍しいことではない、と言えばそれまでですが。白蛇様も……豊穣の神も大蜘蛛も、昔話の中では死んだことになっていますし」
「600年も前っスからねー。その間に戦やら災害やら色々ありましたし、白蛇様も、大蜘蛛との戦いの後、人間界に行くことが出来なくなったそうなんで、仕方がないんじゃないっスか?」
二人は、少し悲し気な顔でそう言った。
震える声で、涼多は「つまり――」と質問する。
「僕たちは『大蜘蛛に生贄を捧げる儀式』の手順を踏んでしまった……ということですか?」
「……火を燃やすのは『白蛇様を祀る儀式』であっているのですが、布に血を付けるのはそうですね」
青ざめる四人に、ルテは淡々と語った。
彼は「それに、貴方たちの願いに対する思いも影響しています」と続ける。
「思い、ですか」
「本気で願ったのではないですか?別の世界に行きたい……と」
鋭い光を宿した黄金色の瞳が、涼多たちを射貫くように見た。
それを受け、涼多は「そ、れは、…………はい」と言葉を絞り出す。
「白蛇様の力でかなり弱体化した大蜘蛛ですが、600年の時を経て、完全とはいかないまでも強さを取り戻しました。そして今日、宴で皆の気が緩んでいるという絶好の機会が訪れた……凄く喜んだでしょうね」
「そんな時に、自分に向けられた熱烈な願いを受信したとしたら、生贄云々関係なく叶えてあげたくなると思うっスよ!別の世界でいいのなら、化生界に引っ張り込めばいいわけですし」
「そんな無茶苦茶な……」
二人の言葉に、涼多は茫然と呟いた。
(いや、でも、神様や妖怪にとっては、どうなんだろう……)
人間の道理が通じる相手かどうか、全く分からない。
涼多は、「だけど、僕のするべきことは一つだ」と手を上げる。
ゴクッと唾を呑みこみ、口を開く。
「……あの、人間界に帰していただくことは出来ませんか?」




