化生界と四人の人間
そこにいたのは奏と叶望だった。
叶望は震える手でペティナイフを構え、奏は驚いた顔で周囲を見渡している。
二人の後ろにもう一人、小学生くらいの少女がいた。
青いスカートに白いエプロン、不思議の国のアリスのような格好をしている。
長くウェーブがかった赤みのある黒髪に赤茶色の瞳をしており、頭頂部には大きな青いリボンを付けていた。
青ざめた顔で両手を口に当て、何とか悲鳴をこらえている。
(……?何処かで会ったような)
そう思いながら他の二人に目線を移すと、奏の着ている長袖の白いシャツの袖口に血が付いていることに気付く。
よく見ると、右側の肩から肘のあたりまで血がベットリとついていた。
怪我でもしているのかと声をかけようとしたその時――。
パァンッ!!
一際大きな破裂音が響いた。
同時に「蛍!危ない!!」と女性の叫び声が聞こえる。
見ると、涼多から少し離れた場所に六歳くらいの少年が立っていた。
状況が呑み込めていないのか、自分に向かって倒れてくる木の柱をぼんやりと見つめている。
「……っ!!」
咄嗟に駆け出し、少年を抱え畳を転がりった。
そして、そのまま壁に背中を思い切り打ち付ける。
スパイクシューズで蹴られた所に食器の破片が刺さり呻く。
「いててて、君、大丈夫?」
少年は驚いた顔で涼多を見た後、ヒョイと立ち上がり笑顔でコクリと頷いた。
「良かった」
可愛らしい仕草に自然と笑みがこぼれる。
「もー、じっとしておいてって言ったじゃないっスか!」
笑い合う二人の元に、蕉鹿がやって来た。
「あっ、す、すみません……」
「全く、吃驚したっスよ!でも、蛍君を助けてくれたことは礼を言うっス!」
謝る涼多に、人好みするような笑顔を見せる。
その後ろから十七、八歳くらいの見た目をした女性が駆け寄って来た。
そのまま勢いよく少年を抱きしめる。
「蛍……!良かった。ありがとうございます……!」
涙で潤んだ目を涼多向け、頭を下げた。
「い、いえ、無事で良かったです」
そう言って、辺りがだいぶ静かになっていることに気付く。
どうやら、あの蜘蛛のような怪物は全て退治されたようだ。
怪我をした者たちも何処かに運ばれたのか、この場にいるのは涼多たちと目の前にいる二人――蕉鹿と呼ばれた下半身が鹿の少年と白衣を羽織った青年――そして数体の異形のみとなっていた。
「えーと、何が何だかって感じだとは思いますが、こっちもどうご説明したらいいのか皆目見当がつかなくて困っているんスよね……」
腕を組み「うーん……」と考え込む。
「とりあえず自己紹介から始めましょうか。ボクは『蕉鹿』と申します!」
涼多に向かって笑顔で右手を差し出してくる。
「ちなみに、あの丸眼鏡の人はルテさんと言います!」
こちらが答える間もなく、すっと手を青年に向けた。
「丸眼鏡って、もっと別の紹介の仕方があったでしょう……」
白衣を羽織った青年・ルテが呆れた顔で溜息を吐いた。
「……兎火 涼多と言います」
差し出された手を取りながら答える。
すると蕉鹿は、瞳をキラキラさせながら捲し立てた。
「兎火君ですか!なんか変わった名字っスね!というか、涼多君って呼んでもいいスか!?いやー、見た目が同年代くらいの新入りさんと話すの久々で……痛ぁっ!!」
「……五月蠅いですよ」
勢いに戸惑っていると、白衣を羽織った青年が蕉鹿の頭を指でピンと弾いた。
「埒が明かないので私が話をしましょう。初めましてルテと申します。すみませんね、喧しくって」
如才なく頭を下げられ、涼多tちもそれに倣う。
「ルテさんが静か過ぎるだけっスよ……」
「何か言いました?」
「何でもないっス!!」
(何となく、この人(?)たちの力関係が分かったような気がするなぁ……)
どういう関係性かは不明だが、ルテの方が上なのだろう。
ただ、口ぶりから『上司と部下』というよりは『先輩と後輩』のような感じに見えた。
「えっと、初めまして、兎火涼多です……」
もう一度、名前を告げると奏、叶望と続く。
最後の一人に、全員の視線が注がれる。
「有栖乃 夢……です」
奏の後ろに隠れ、今にも消え入りそうな声で答えた。
(確か、祭りのポスターの絵を描いた人もそんな名前だったような……)
少女の顔を見ながら涼多はあっ、と思った。
(この子、七日前に道でぶつかった子だ。でも僕ら三人はクラスメイトって共通点があるけど、この子はないし……)
思い出したところで疑問は増えるばかりだ。
「……まあ、何が何だかというところには同意しますけどね。単刀直入に申し上げますと、ここは幽霊や妖怪そして八百万の神々が住む『化生界』という世界です」
「……つまり、俺達がさっきまでいた人間の世界とは全く違う場所だと?」
奏の質問にルテは頷く。
「とは言っても、『元人間』だった存在は数多く暮らしています。似て非なる世界と言ったところでしょうか。八百万、全ての神が住んでいるわけでもありませんし……」
確かに蕉鹿は鹿と人が混ざったような姿をしているし、ルテは見た目こそ人間だが何やら不思議な力で大蜘蛛を吹き飛ばしていた。
「ただ、今一番の問題は、なぜ生きている人間である貴方たちがこの世界に来てしまったかなんですよね……。死者なら分かるのですが、こんなことは前代未聞です……」
ルテは暫く考え込んだ後、涼多たちに尋ねた。
「貴方たち、火祭りの布に何を願いましたか?」
一段階、低くなった声に涼多は身を竦ませる。
眼鏡の向こうにある黄金色の瞳がギラリと瞬いたような気がした。




