運命共同体
「……どうして?」
声が震えそうになるのをこらえながら、叶望は涼多に問う。
「だって郁子さんって、いつも冷静沈着で、慌てているイメージが浮かんでこないから。あの時だって――」
◇◇◇
数週間前。
劇の練習をする為、体育館で全員が集まるのを待っていた時、大きな百足が出たことがあった。
「……百足って、どんな毒あったっけ?」
「えー、死ぬほどではないと思うけど、あれ?下手すれば死ぬんだっけ?」
「お前、行って来いって」
「やだよ」
「先生来るまで待ってようよ」
「それもなー。『これぐらいのことで情けない』とか言われたら嫌だし……」
「わかる。あの先生、悪気なくそういうこと言いそうだよねー」
口々にそんな会話をする。
人の方が遥かに力は強いはずなのだが、厳しい野生の世界を生きてきた、言い知れぬ『圧』の様なものを涼多は感じた。
「兎火、お前やれよ」
「痛っ……」
出錆がドンッと背中を蹴る。
突然の事だっただけに、カハッと変な声が口から漏れてしまった。
「早くしてよね」
取り巻きの一人が、面白そうなショーでも見るような声音で囃し立てた。
「…………」
涼多が尻込みしていると、「さっさとしろよ!」とヤジが飛び、「兎火君がやってくれるみたい」「良かった~」と他の生徒たちは胸をなでおろす。
そして、事の顛末を見ようと周りが静まり返る。
その時、叶望が体育館に入って来た。
すぐさま状況を察したのか、持っていた自身の台本とペンでサッと百足を外に出す。
「おお……」と歓声を上げる者もいれば「うわぁ、よくあんなこと出来るよね」と若干、引いている者もいる。
中には「っち、いいとこだったのに」と悪態を吐く者や「水川先生か音律君への好感度稼ぎじゃない?周りとは違うんですってさ」と、ちょうど入って来た二人を見ながら囁き合う者もいた。
「郁子さん、ありがとう」
涼多がそう言うと、叶望は何でもないと言う風に頷き、その後はいつも通り練習が始まり、終わる頃には百足の件は頭の片隅に追いやられていた。
話題にあがることは二度とないだろう。
そう、思っていた――。
◇◇◇
「へえー、そんなことがあったんだ」
「うん、凄かったよ。あっという間に解決しちゃって!それに、化生界に来た時だって、即座にナイフを構えていたし」
宴会場で、自分はポカンとしていることしかできなかったのに……。
「……それは偶々、持っていたからで」
「でも凄いよ!僕だったら震えすぎて、きっと手から落っことしているよ」
「だな。俺も、『何が起こってんだ?』って言葉すら浮かんでこなかったし。ただ『は?』って思考停止して固まっているだけでさ」
「なんというか、流石だなって……」
二人に口々にそう言われ、徐々に目頭が熱くなる。
「後、紅葉食堂で『光鈴の姿焼き』を最初に食べたのも郁子さんだし。……成淵だってそうだったし。こうして考えると、郁子さんばっかり率先させちゃってて……その、ごめん」
「え?い、いや、いいよ。…………当然のことだし」
背中に隠れるのは駄目だから。
『誰かやってよー』なんて、言っちゃいけないから。
自分は、そうするべき存在だから。
慌てて手を振ると、奏が「別に当然ではないだろ」っと軽い口調であっけらかんと言い放つ。
チラッと、物珍しそうに白雨屋を覗いている夢を見た後、小声で続ける。
「理由はどうであれ、この世界に来た原因は同じだ。居候先も仕事内容も……帰る条件も同じ。必ず四人で帰らないといけない、言わば『運命共同体』。……だったら、一人だけに頑張らせるわけにはいかないって話だ」
奏は「まあ、夢は小学生だからあれだけど……」と笑う。
「うん、僕も同意。皆、同じ条件なわけだし、郁子さんに任せっきりにするわけにはいかないよ。だから、今更で申し訳ないし、頼りないと思うけど頼って欲しい」
「……同じ」
高校一年生ともなれば男女の筋力差には、かなりの違いがある。
同じ条件と言っても、鉱物を運ぶ時も叶望の方が持っている時間は――気を遣わせない程度に――短かった。
ランニングだって、二人よりも走る時間は少し短い。
遺品整理の時だって、なるべく重い物を避けて渡された気がして、内心、言い表せない負い目を感じていた。
でも、『聞いたらせっかくの気遣いを無駄にするんじゃ』と怖くなった。
同時に(そんなこと言って、本当は『ラッキー』って思っているんでしょ?だって、貴方は『これだから――』な存在だから)と囁く自分の声が頭に響く……。
『面倒くさい奴』『どうして、そんななの?』自分でもそう思う。
でも、考えずにはいられない。
心が少しでも穏やかになった瞬間に、父の声が聞こえてくる。
もはや呪いだ。
この世界に来て、半ばヤケだったところもあるが、『役立たずな自分にできるのは、コレしかない』と率先して食べ物を口に入れ、錐を突き刺した。
だって、もしもの時があっても、ろくな戦力にはならないから。
奏は言わずもがな、涼多だって直ぐに自分を追い越してしまうだろう。
だから、力以外の方法で報いようと思っていた。
『一人だけに頑張らせるわけにはいかない』『頼って欲しい』
(でも、そうすると、きっと二人の負担の方が大きい。……物語に出てくる女の子みたいな包容力は自分にはない。『運命共同体』だから、盾になって死ぬこともできない。ないないづくし……)
『同じ』にはなれない……。
(それでも、『同じ』だって言ってくれるんだね……)
叶望は『こんなに泣きそうになったのは久しぶりだな……』と思った。
相も変わらず目頭は熱い。
でも、涙は出てこなかった。
流し方なんて、忘れてしまった。
(でも、今回のコレは嫌な熱さじゃない……)
深呼吸を一つ。
「わかった。……ありがとう!」
自然な笑顔を二人に見せた。
『許さない』
「え?」
声が聞こえたような気がして、振り返ったが、誰もいない。
「郁子さん、どうしたの?」
「……あっ、ううん。なんでもない」




