大きな世界よりさらに大きな世界よりさらに――
「休んでいる雀達には、風邪薬を飲ませたから、時期に良くなるのだ。お大事になのだ」
「失礼します」
「……」
門番の雀に会釈をし、雀製糸工場を後にする。
夜ではあるのだが、道に出来た大きな水溜りに、月と辺りを飛び交う光鈴の光が反射しているお陰でかなり明るい。
草むらからは「リー、リー」と虫の声が聞こえてくる。
「四人とも、お疲れ様」
「ありがとうございます。薄氷さんたちもお疲れ様です」
薄氷と涼多が話していると、名月が「遅くなってすまなかったのだ」と眉尻を下げた。
「紅葉食堂が混んでいて、弁当を受け取るのに思いのほか時間がかかってしまったのだ」
「いやいや。丁度いい時間だったよ」
「はい、ありがとうございます」
「次ある時は、俺達が先に行くよ」
奏が苦笑いを浮かべながら言う。
「ははは、また何か思いついたら、よろしく頼むよ」
薄氷が、奏と涼多の肩をポンッと叩く。
「……『もう少しビビればよかったのに』って顔をしていたのだ」
名月が歩きながら、チラリと門に視線を送る。
「な、なんとか無事に終えれてよかったです……」
「おや、結構、余裕そうに見えましたが」
涼多の発言に、ルテが『意外だ』と言った顔をした。
「そう見えていたのなら、よかったです。……実のところ、あまり直視しないようにしていましたから」
(本当はそういうの、良くないけど……)
成淵と同様、慣れていないと、くるものがある。
「……何はともあれ、お疲れ様です。貴方はどうでしたか?」
ルテはそれ以上、深入りはせず叶望に声をかけた。
「私も同じです。強いて言うなら、煮繭よりも匂いのほうが大変でした」
作業の時、作務衣に着替えたはずなのだが、独特の匂いが未だ手や髪から漂ってくる。
別の部屋に服を置いてはいたが、これではあまり意味がない。
(明日には、落ちてくれればいいんだけど……)
風呂で念入りに洗えば大丈夫だろうか?
「あ、そういえば……。明日には成淵が届きますので、またお願いします」
「おっ、思ったよりも早かったのだ」
「飛花さんの作戦が、功を奏したようですよ」
「どんな作戦だったのだ?」
ルテは、白衣のポケットから眠り香を取り出し説明する。
「探索に長けている蘇芳さんに成淵を見つけてもらって。眠り香を風に乗せて流したそうです。効きにくかった成淵は稲妻さんが捕まえたそうですよ。帰還も円滑にできたようですし」
「それは良かったのだ。あの辺りは危険な生物も多くいるから、出会わないように遠回りをしないといけないことも多々あるのに……」
「もう少ししたら、何処かに移動したり冬眠したりしてくれるのですが……」
(……結構、地味なのね)
夢が想像する成淵捕獲の様子は、網をブンブンと振り回し、木箱にぶち込んだ後に眠り香で眠らせていると言った感じのものだったので、かなり驚いた。
(落葉さん武将だから、それこそ刀でバッタバッタと――、ってするのかなと思っていたのに)
夢の隣を歩いていた薄氷が口を開く。
「しかし、酒に酔ったところを襲われるだなんて、まるで八岐大蛇のようだね。まぁ、あちらと違って白蛇様は何もしてはいないのだけれど」
薄氷はそう言った後、「いや、したと言えばしたのかな。どんな形であれ……」と呟いた。
月の光を受け、キラキラと光る翅を見ながら、夢はずっと思っていたことを聞く。
「あの、大蜘蛛のことなんですけど、他の町に協力してもらうことってできないんですか?この町のお陰で結界を張れているっていうのなら――」
「一応、大蜘蛛の存在を伝えてはいるけれど、望み薄かな。装置を提供する代わりの物は貰っているし……」
町を作る時に出た残土の処理や、貴重な薬の栽培法を教えてもらったり等々。
「そもそも、大蜘蛛と張り合えるだけの者がいない」
「そんなぁ……」
「それに、大蜘蛛の狙いが無差別なら兎も角、狙いはただ一人、白蛇様だけだからね。言ってしまえば『対岸の火事』なのさ」
勿論、救援要請をすれば協力してくれるだろうが、事態がが収束するまでは、なるべく静観していたい、というのが本音だろう。
「他の町からしたら『なんか大変そうだな』くらいのものだしね」
結界の装置の仕組みを理解している者、力を送り込んで結界を張ることのできる者はどの町にもいる。
最悪、結界が張れなくなっても構わない。
生活の危険度は、それなりに増すだろうが。
化生界の住人はなかなか死なない。
結界がなくても暮らしてはいけるのだ。
「……じ、じゃあ、もっと上の人に頼んでみるとか」
夢は神について詳しくは無いが、神の中にもランクがあるのは知っている。
『ザ・神様』とでも言える存在に頼めば、白蛇の傷や大蜘蛛のこと、そして自分たちを人間界に戻すことも可能なのでは、と――。
「うーん、いるにはいるんだろうけど、文字通り『住む世界が違う』からね」
薄氷は自身の髪の毛を、つめでクルクルと弄りながら「それに――」と続ける。
「もし自分の爪先、一つ一つに人間界や化生界の様な世界があって、その一つがボロボロになったらどうする?」
「え?……えっと、ボロボロになったのなら、その部分だけ爪切りでパチンと切ります」
「うん、普通はそうするよね。爪先に生きている者たちが、どんなに助けを求めていても」
「……」
つまり、切ってもなんら支障のない存在と言うことなのだろうか。
「あくまで『もし』の話だよ。ただ、それぐらいの認識なんじゃないかと思う」




