生きている限り……
祖父母は、夢の前では両親と仲良くしていた。
夢のことを大層、可愛がってくれて夢も二人のことが大好きだった。
しかし――。
「聞いたぞ、夢のこと。幼稚園で友達に手をあげたそうじゃないか。どうして注意をしないんだ?……俺たちの時代と今では躾方は違うのは百も承知だ。『叱らない子育て』というのがあるのも知っている。でもな、ここぞという時は、親であるお前たち夫婦が、きちんと叱ってやらないと――」
「お言葉ですが、お義父さん。友達が先に夢のおもちゃを取ったのが原因なんです。夢は被害者なんですよ」
「そうよ。そんな手癖の悪い子、一、二発ひっぱたいて当然でしょ?お兄ちゃんたちだって、よく取っ組み合いの喧嘩をしていたじゃない。アレに比べたら可愛いもんよ」
「それとこれとは別問題でしょ?人様の子なのよ?それに『叱られないってことは、暴力で解決してもいいんだ』って考えのまま成長してしまったらどうするの?ちゃんと、謝れる子に躾けないと将来――」
「でも、あの子のやったことは、いわば正当防衛じゃない!なんで謝る必要があるの?それとも泣き寝入りしろって言いたいの?……はあ、今日はもう帰ってよ。これから別の幼稚園を探す予定なんだから」
夢が眠った後、こんな感じの会話が形を変えて毎回、行われていた。
そして、祖父母が帰った後の両親――主に母親――は荒れに荒れた。
「なにが『お前たち、夫婦が――』よっ!私がお兄ちゃんに物を取られたの見ても、叱りもしなかった癖に。そんな奴に躾のことでとやかく言われたくないわよ」
「お義父さん達が、夢の為を思って言ってくれているのはわかるんだけど、やっぱり感覚が違うのかなー。『鉄拳制裁』も『喧嘩両成敗』も、もう古いのに……」
二人して、喉を鳴らしながらビールを胃に流し込む。
彼らは、怒っている姿を夢には見せないようにしていた。
しかし、こういうことは案外、子供にはバレる。
そんな両親を見て、夢はだんだん祖父母が疎ましく思えてきた。
溜め息、ガンッとビールを置く音、疲れた顔の両親、見ていたくない。
(パパとママにあんな顔をさせるなんて、おじいちゃんもおばあちゃんも、ひどい……)
小学校低学年の頃には、もはや両親を傷つけに来る敵として認識していた。
そんな時、祖父母が家にやって来た夜、いつものように言い争いが始まった。
というより、その頃の夢からしてみれば言い争いではなく、両親が一方的に攻撃されているようにしか映らなかった。
「『ヘリコプターペアレント』って知っているか?今のお前達はまさにソレだ。なんでもかんでも、先回りして準備してあげていたらろくなことないぞ」
うるさい……
「そうよ、あなた達にもしものことがあった時、何にもできない大人になるわよ。それに、あんなワガママな性格じゃあ、友達だってできないわ」
うるさい、うるさい……!
いつもなら怒りを覚えつつも、廊下でこっそりと聞き耳を立てるだけなのだが、次の祖母の言葉で扉をバンッと開ける。
「そんなんじゃ、親失格よ」
「うっさいなっ!いつもいつもパパとママをイジメてさ!!パパとママが何したっていうの?」
いつも自分に隠れて溜息を吐く両親の姿。
それは夢にとってかなりのストレスだった。
怒りに任せ、感情をぶつける。
「おじいちゃんもおばあちゃんも、死んじゃえばいいんだっ!!」
その言葉を聞いて、祖父母は悲しそうな顔を夢に向けた。
そして、「また……来る」と言って帰って行った。
シンと静まり返ったリビング。
(ちょっと、言い過ぎた……?)
そう、夢は思った。
学校で『死ねとか簡単に言ってはいけません』と先生に教えられてはいたからだ。
(……叱られるかな?)
そう思い、恐る恐る両親を見るが、かえってきた言葉は予想していたモノとは違った。
「ありがとう。パパとママの為に怒ってくれて」
頭を撫でる父を見上げホッとする。
同時に(わたしは『死んじゃえ』って言っても大丈夫な存在なんだ)と思った。
他人の死を願っても許されるのだ、と。
「また……来る」と言っていた祖父母だが、某ウイルスの影響もあってか実際に会ったのは、あの日が最後だ。
時折、母のスマホに連絡はあるようだが。
祖父母の忠告がなくなってからも、両親は今まで通り夢を甘やかした。
夢もソレを疑問に思うことなく毎日を過ごした。
傍若無人に振舞う夢と友達になりたいという者もおらず、一人でいることが多かったが構わなかった。
学年が上がるにつれ、両親を窮屈に感じることもあったが、何故そう感じるのかわからなかった。
変化が起きたのは五年生の春、後祭町に引っ越した時――。
信号待ちをしている時、開けられた車の窓からぼんやりと外を眺めていると、女性の声が聞こえてきた。
「こら、美月。危ないわよ!」
四歳くらいの女の子が、母親に注意されている。
どうやら、横断歩道の先にいる父親らしき人を見て、走り出そうとしたようだった。
(……え?あれぐらいで注意されるの?あんな小さいのに)
女の子は「ごめんなさい」と素直に謝ると、母親と一緒に横断歩道を渡り出す。
(…………)
『ごめんなさい』自分は言ったことがあっただろうか……?
初めて、今までの自分と両親の関係に疑問を持った。
何故『窮屈』に感じるのかが、わかったような気がした。
家に帰り、スマホで『ヘリコプターペアレント』と検索する。
出てきた内容に驚くと同時に『こうやって育った子供の多くは~』という記事を見て(自分のことだ)と恥ずかしくなった。
(なおさないと……!!)
そう思っては見たものの、これが全く上手くいかない。
十年以上、積み上げた思考は簡単には直らず、気を抜くとすぐに戻ってしまう。
叶望に対してもそうだったし、初めて鉱物採集をした時もそうだった――。
祖父母に連絡を取りたくても、連絡先を知っているのは両親だけで、未だ許可はおりていない。
『謝りたいから連絡して欲しい』と言うと『反抗期』と言われ、悲しい顔をされた。
それに、夢自身も(もし、許されなかったら……)と思うと二の足を踏んでしまう。
(薄氷さんも『怒りや恨みは簡単には消えない』みたいなことを言っていたし。もう少し、ほとぼりが冷めてから、……大学生くらいになってからでもいいかな?)
化生界に来て仕事や勉強をしながらも、心の片隅でそんなことを考えていた。
(だって、おじいちゃんもおばあちゃんも元気だし。きっと百歳までピンピンしているよ……!)
だから、もう少し先延ばしにしても大丈夫――。
晩稲の話を聞くまで根拠もなく、漠然とそう思っていた。
◇◇◇
「……でも、そんなことないよね。明日がどうなるかなんて誰にもわからないのに……。それこそ、ちょっとした怪我で死んじゃうかもしれないのに」
「夢ちゃん……」
夢は叶望を見て「改めて、前のこと謝るね。ごめんなさい」と頭を下げる。
叶望は「いいよ。気にしないで」と言った後、夢の頭を撫でた。
「戻ったら朝一でおじいちゃんとおばあちゃんに謝りに行くよ!」
吹っ切れたように言う。
「うん、それがいいね」
「……許してくれるかなぁ?」
「……それは、わからない。でも、死んだら二度と伝えられない。化生界に迷い込むっていうのも最近はほぼないって言っていたし、迷い込んだとしても会えるかわからない」
第一、その可能性にかけるなんて駄目だ。
生きているうちに、自分の納得いく行動を起こさないと。
「大丈夫。生きている限り気持ちは伝えられるよ」
「うん」
夢が頷いた時、遠くから名月と蛍が連れ立って、こちらに向かってきた。
「あ、名ちゃん、蛍君」
二人に駆け出す夢の背中を見つめながら、叶望は呟く。
「そう、生きている限り……」
あの人……父の連れて来た女性を思い浮かべる。
『今日からこの人が、お前の新しい母さんだ……!!』
『よろしくね。叶望ちゃん』
はにかみながら、こちらに笑いかけるあの人――。
「…………青葉さん」




