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ドームを打ち砕き、中からゲルセルが飛び出した。声なき悲鳴と共に体勢を崩して倒れたユウシ。その横で、青褪めた顔で息を呑むユカと、あまりにも唐突に訪れた危機に、一周回って渇いた笑いを零したシガナ。それでもいち早くシガナは我に返り、今なお砕けたドームから湧くように出るゲルセルに視線を向けた。
「少なく見積もって50。……いや、3桁はいるか。属性もバラバラか、これは面倒だな」
「し、シガナさん、ど、どうすれば」
「杖の準備。ただし、まだ魔法準備はしないで」
よく見れば、ゲルセル達はまだ動きが鈍い。果たしてそれは生まれたばかりだからか、濃密な魔力を喰らい、腹が満たされていたからか。シガナは理由を考えるのを止め、ひとまずすぐには襲われないという事実のみを受け取った。
「静かに聞いてね。どうやらゲルセル達はまだ多くが自分たちに気付いてない。そして、気付いてる個体も含めて総じて動きが鈍い。もしかしたら、刺激しないようにゆっくり下がれば、なんとか助かるかもしれない」
「……わかり、ました」
「うん、ただ時間はあまりないから、遅すぎないようにし」
「む、無理だよ」
シガナは言葉を遮られ、そこで忘れていた事実に気が付いた。すなわち、ユウシがゲルセルに、大きなトラウマを抱いていることに。
「無理だよ、逃げられない、できないよ」
「ユウシ、大丈夫、落ち着いて」
「ユウシさん、まだ間に合います、逃げましょう」
「無理、無理、無理だ」
ユウシは激しく首を横に振る。全身の震えが止まらず、脚に力が入らず、立ち上がることもできない。なのに身体を起こす腕は仰向けになることを許さず、ユウシはゲルセルから目を背けることができない。
1つ、2つ、ゲルセルと視線が合うたびに心臓はひどく締め付けられる。呼吸は揺れ、激しく揺れ、視界も揺られ、涙に溢れ、もはや歪んでものを判別できやしない。なのに、ゲルセルの目が網膜に焼き付いて離れない。心臓の鼓動が耳を劈き、まともに声も聞こえない。手足の指先から顔の全てに至るまで、血の気が引いて、冷え切ってなお凍り付く。それほどに、ユウシは生きた心地がしなかった。
なぜなら、生きて帰れないことは、何度も何度も夢で経験しているがため。
「僕も、何度も逃げたよ。歩いて、走って、跳んで、転んでも立ち上がって、立ち上がれなくても藻掻いて、ずっとずっと逃げた。逃げたんだ。でも、真っ暗で何も見えないから外に出れなくて、それでも走るけど、音はずっとついてきて、どんどんどんどん近づいて。逃げて逃げて、逃げたけど、いつも、いつも最後は……最後、はっ」
「ユウシ、深呼吸。大きく息を吸って、長く、長く吐く」
ユウシの顔の横にしゃがみ、手でゲルセルへの視界を遮ったシガナ。わざと呼吸を大きくすることでユウシに間隔を伝えるが、それでも呼吸はすぐには元に戻らない。
「大丈夫、落ち着いて、息を吸って、吐いて」
「できない、無理、もう駄目だよ」
「……ユウシ、君はそんな無理だと思ったことを、これまで何度も乗り越えてきたじゃないか」
「っ!」
「杖に光を灯した時も、ギガスライムを倒した時も、魔法を使えるようになった時も、全部最後は1人でやって見せたじゃないか」
初めて声が聞こえた。できたときの喜びが、達成感が、心に強く残っていた明るい思い出が頭に蘇る、
その上から右腕を襲う、ないはずの痛みが記憶を掻き消した。
自分を信じ、まっすぐ顔を見てくれるシガナ。しかしユウシは、腕を抑え、顔を歪め、力なく首を横に振ることしかできなかった。
「やっぱり無理、無理だよ」
「大丈夫、ユウシなら」
「違うんだ、僕だって、今こうしてちゃ駄目ってことは分かった、分かったんだ。でも、足が、足が動かない……動かないほど、怖いんだ……っ!」
「肩を貸すよ、そうすれば立ち上がれる」
「でも、もう1人じゃ立ち上がれない……もう、僕は、戦えな」
「シガナさんっ」
こんなときでも、ユウシが異性であると思えば寄り添うことができなかったユカ。震える手が何を恐れているのか分からなくなりながらも、自分の役目をゲルセルの動向を捉えることに定め、傍に聞こえる2人の会話に口を堅く閉ざしながらも前を見ていた。
そして、ゲルセルはついに、動き出してしまった。何匹かが寝起きの人間のように身体を横に揺すると、その場であちこちを見渡した後、前方やや下方向に見える3人の姿に気が付く。そして獲物を狙うようにその目を細めると、ゲルセル達はその身体を静かに前に進めた。
ユウシの声を遮るように叫んだユカ。名前だけで言いたいことを察したシガナはすぐに立ち上がって振り返り、ユカに指示を飛ばす。
「ユカさん、防壁魔法!」
「はいっ」
【【【【【-!】】】】】
ユカの杖に込められる魔力の高まりに、一斉にゲルセル達が振り向き、その身を縮め始めた。視界が解放されたユウシはその光景に心臓を跳ね上げるが、一時我を取り戻したこともあり、身を捩って精神の安定を図ることが許された。とはいえ立ち上がれないことには変わりがなく、ユウシは身体を埋め、鞄を抱きしめて小動物のように震えていた。
ユカが杖に魔力を込め始めたのとゲルセル達が収縮を始めたのはほぼ同時。以前であれば、ユカの魔法の発動はゲルセルの攻撃に間に合わかったが、杖を新調したことであっという間に魔力を込め終えたユカはすぐに詠唱を開始した。
「-私の魔力。その力を炎に変え、敵から身を守り、私たちを覆う盾となれ。『火炎包壁』!」
【【【【【-⁉】】】】】
ユカが炎の防壁を生み出すのと、ゲルセルが弾くように身を飛ばすもほぼ同時だった。動き出したゲルセルは突如視界を遮った赤色の火炎壁に鋭い目を見開き、次々と身体を変形させて急減速を試みる。これにはユカも安堵の息をつくが。
「ユカっ、油断するなっ!」
「え?」
【【【-!】】】
「なっ」
シガナの余裕のない怒声が響くと、次の瞬間、赤いゲルセル複数匹が火炎壁を貫通し、中に飛び込んできた。以前と状況が変わったのは、杖を新調したユカだけではない。今回生み出されたゲルセルは草属性を有する個体のみではなかった。そのため、火属性に耐性を持つ個体は易々と包壁内に侵入し、ユカは想定外に対処するだけの余裕を持ち合わせていなかった。
包壁内に飛び込み、宙で身体を再収縮した赤のゲルセル達。しかし、それらが地に着き、再び身を弾けて3人に襲い掛かることはできなかった。
「-『魔球速連弾』」
【【【⁉】】】
ユカと同時に魔力を杖に込めていたシガナ。彼は詠唱破棄した『球群』と『速球』を掛け合わせた魔法を発動するとともに、宙に浮かぶゲルセル達へ寸分狂わず球弾を放った。命中したゲルセルは大きなダメージを負った様子はなく、しかし逆再生するかのように火炎壁の外側に飛んで行った。
なんとか攻撃されずに済んだ。そう理解して、ユカは腰が抜けたように地面にへたれこんだ。心臓の鼓動はこれまでに感じたことのない程に速く、頬を冷汗が伝った。もしシガナがいなければどうなっていたか。ユカはその先を考えようとして、再び杖を眩しく光らせているシガナに思考を邪魔された。
「ユカさん、まだ戦える?」
「え」
「今はまだ赤だけで済んでるけど、直に緑以外も青、茶、黄、黄緑の順で侵入してくる」
「え、っと」
「最悪『火炎包壁』だけでも発動を続けてほしい。そしてできれば、赤と青以外の全てを『火球乱舞』で撃ち落として」
【【【【【!!】】】】】
「-『魔球速連弾』」
会話の途中で、今度は青と赤のゲルセルが同時に飛び込んだ。青のゲルセルは体表が多少焦げているが、行動には全く影響が無さそうであり、先ほど様子見をしていたゲルセルも攻撃に加わったため、侵入したゲルセルは10を超えていた。だがシガナは涼しい顔のまま、周囲を一周見てそれぞれの位置を把握すると、浮かべた魔球を再び全てに当てて追い返した。
「と、こんな風にある程度までは対応できるけど、流石に外の全部を撃ち落とすのは厳しいところがある」
「……」
「どう?楽しい的当て、ユカさんもやらない?」
そんな風に冗談めかしたシガナの笑みを見れば、ユカは一月前、≪常緑の森≫にてギガスライム相手に難題を与えられたときのことを思い出し。
「……そう、ですね。ではゲルセルには申し訳ないですが、私の経験値にさせてもらいましょう」
「お、その意気だよ」
元気を取り戻したユカは杖に魔力を瞬時に込めると、宙に無数の火球を展開した。そして段々と不規則に飛び込んでくるようになるゲルセル達へ、周囲を見渡しながら、ユカは火球を撃ち込んでいった。
そんな中。ユウシはずっと、蹲っていた。顔を上げれば、どの方向を見てもゲルセルが殺意を込めて襲い掛かって来るから。それでも、いつまで経っても隠せない背中を、頭を、脚を、痛みが襲ってこないこと。自分の命を終わらせる鈍重な一撃が飛んでこないこと。ユウシに極僅かに残った冷静な心が疑問を抱き、彼に外界の音を拾わせた。
「シガナさん、赤も撃ち落とせます!」
「……あぁ、2発重ねたのか!それじゃあ前と後ろで分けようか!」
「黄色と黄緑が思ったより少ないので、なんなら全部対応できますよ!」
「ははっ、じゃあ任せようかなっ!」
……信じられなかった。それでも、ずっと聞いていても、聞こえてくる声色は変わらない。
「『火炎包壁』の魔力量を増やそうと思います、そうすれば少なくとも、黄緑は入ってこないでしょう!」
「いや、今後何があるかは分からないし、魔力は溜めておこう!」
「大丈夫です、まだ尽きたことはないですから!」
「ほんとに恐るべき魔力量だよっ!」
なんで、そんなに楽しそうなんだ。けして強がりでもなんでもなく、本心から魔法を楽しんでいる。それは声を聴けば分かるし、何より、2人は笑顔だ。
笑顔。そう頭で反芻し、ユウシは自分が顔を上げていることに気が付いた。慌てて顔を両手で覆うも、聞こえてくる声が気になって、つい隙間から視線を向ければ。
鮮やかに紅く火花を散らす火球と水晶のような1回り小さい球弾が宙を飛び交い、その下でシガナとユカが舞っているかのように回っていた。火炎壁の外側にいるゲルセルを注視し、身を縮める個体を見つけるや否や火球を次々と飛ばすユカ。杖を標的に振り、返す動きで新たな火球を生み出しては次のゲルセルに撃ち出す。
シガナはそんなユカの死角にいるゲルセルを狙って球弾を放つ。属性を宿さないそれは一撃が軽く、しかし威力が足りずに侵入を許すなどという失態は犯さず、速度や量を適切に調整してゲルセルを退けた。
気づけば侵入を試みるゲルセルの数は減り、外で隙を窺うばかりになっている。だが隙はけして隙ではなく、飛来するゲルセルは1匹残らず追い返されている。かといってしばらくゲルセルの様子見が続けば、ユカは火球を遊ばせておくのはもったいないと言わんばかりに、火球を火炎壁の外に撃ち出した。狙いは専ら緑と黄緑のゲルセルで、追い回すうちに他方向で侵入を許し、シガナが苦笑と共に追い返してユカを叱る場面もあった。
しかし、危うげな場面はもう訪れなかった。あのゲルセルが、遊ばれているようにも見えた。そうなれば、ユウシは気付けば顔を覆う手を下ろし、ただ球弾が宙を行き交う光景を見つめていた。
この2人なら、無数のゲルセルを相手にしても全く問題がない。それに対して、自分はどうだろう。
冷静に自分を見つめ直すことができるぐらいにはユウシは落ち着いていた。しかし依然として身体は震えており、明瞭になった視界に自信を見るゲルセルが映れば、逃げるように上を見上げた。
未だ立つこともできず、まっすぐ敵を見ることもできない。はっきり言って足手まとい。そんなに自分を振り返り、ユウシは恥ずかしさを覚えた。
だが、恥ずかしさを感じる余裕はあっても、自分に出来ることを考えることはできない。
怖い。もし壁を抜けて来たら。2人が止め損ねたら。狙いが自分だったら。今度は腕ではなく、頭に当たったら――
分からない。どうしてそんなに落ち着いていられるのか。どうして失敗を恐れないのか。どうして楽しそうに戦えるのか。
「いや、怖くないわけじゃないし、実は余裕があるわけでもない」
「え」
気づけば声が出ていたようで、声を聴き、ユカが大丈夫だと判断したシガナがユウシの隣でしゃがみ込んでいた。だが何を聞かれたのかと焦る前に、彼が口にする危機的状況を仄めかす言葉に心臓が再び高鳴った。
「2人で、今、守れてるよ?」
「今はね。でも、ユカさんはああいうけど、いずれ魔力は尽きるし、そもそもまだ1匹もゲルセルを倒せてないんだよね」
「あ……」
外を見れば、ゲルセルは跳んでは来なくなったものの、一度も跳んでこない緑のゲルセルでさえ、依然として怯えて逃げるような素振りは見せない。果たしてそれはゲルセルという魔物の特性なのかは分からないが、火炎壁の周りには変わらず100を超えるゲルセルが取り囲んでいる。
対して中を見れば、ゲルセル達の猛攻を完璧に防ぎ、楽しそうに魔法で戦っているように見えたが、中心となっていたユカは一息つくこともできない状況で、息を切らしていた。それはいつの間にか魔法の詠唱以外に喋らなくなり、笑みの消えた表情で額の汗を拭う様子から一目瞭然である。
「ただ自分は高火力でゲルセルを倒せる魔法を扱えないし、ユカさんの『火炎大蛇』はこの『火炎包壁』を壊さないと使えない」
「じゃ、じゃあ、ゲルセルは、倒せ」
「るよ。ユウシも見たでしょ?ここに来るまでの間に、頼もしそうな冒険者達を」
言われてユウシは思い出す。北門を出て、街から離れようとしたときに危ないからと止めに来た冒険者達を。事情を話せば分かってもらえたが、彼らは大会にて危険な魔物が出た際に生徒達を守る仕事も持っていると話していた。
「そ、そっか!待ってたらその人たちが来て」
「ただ、ここは街から少し離れてるし、助けを呼ばない限りは来ないけどね」
「やっぱり無理じゃんっ、何が言いたいのさ!」
期待させてはその希望を打ち消すシガナに、珍しくユウシは怒りを隠しきれなかった。
「僕が駄目な奴だから、失望させて楽しんでるの!?それとも僕が何もしてないから、ほんとはシガナも怒ってるの!?それはほんとうにごめんって思うけど!でも、僕はもう無理なんだ、駄目なんだ、できないんだ!僕はっ、もう!何も!」
「だけど」
シガナがユウシの手を引っ張った。不意を突かれ、ユウシは思いのほか強いその力で、逆らう前に身体を引き起こされる。そうして不安定な体勢を反射的に支えようと足が動いて、ユウシは立ち上がった、立ち上がることができた。
気づけば足の震えはなぜか止まっている。ゲルセルを見れば揺れはすぐにでも訪れるであろうが、ユウシの目は、彼を引き上げた、シガナの強い眼差しに縫い留められていた。周囲の音が小さくなったかのように錯覚する中、シガナの言葉が鮮明になって聞こえる。
「ゲルセルを倒せて、尚且つ助けを呼ぶことができる。そんなすごい方法が1つあるんだよ。気になる?」
「え……うん」
「それはね。ユウシ、君の音魔法さ」
「え」
「いや」
「それは」
「……え?」
夢でも見ているかのような、言われたことがすぐに入ってこない頭のまま、ユウシの手にシガナがなにかを握らせた。シガナがその手をユウシの目前に持ち上げれば、ユウシはそれが自身の黒の杖である、と数秒の後に認識した。どうやらシガナは先ほどしゃがんでいたときにユウシの鞄から取り出していたようでだった。
「具体的な流れはこう。まずユウシが魔法、『爆音』を発動。このとき、できるだけ音量は大きいことが望ましい。ただ、欠乏症にはならない程度に。次にユカさんが火炎包壁を部分的に解除して、隙間からユウシが『爆音』を着弾させる。そしてゲルセルが怯んでる間にユウシには駆け抜けて貰って、自分とユカさんでユウシを狙うゲルセルを撃ち落とす。そのままユウシは街の方向に行ってもらって、爆音を聞きつけて寄ってきた冒険者達に事情を説明」
「ま、待って、待ってよ」
「ごめん、続きは戦いながらね。-『魔球速連弾』」
【【【⁉】】】
「すみません、助かりました」
シガナの作戦に耳を傾けたのか、ユカの集中力が乱れた隙に飛び込んだゲルセルに魔球を撃ち込んだシガナ。それを境に再びゲルセルの襲撃が勢いを増し、シガナもまたユカを補助するように魔法を使い始めた。
ユウシは飛んでくるゲルセルに、怯えたようにしゃがみ込むが、やはりというべきか、彼の元にはゲルセルは跳んでこない。繰り返し安心感を抱いたユウシはなんとか包壁内では立ち上がることができるようになったが、シガナの作戦通りに動けるかと聞かれれば、そんなこと、出来る筈がない。
「魔力制御が下手な僕が『爆音』を、欠乏症にならないように?」
「音魔法はスライム種の弱点ということは既に分かってることだし、欠乏症になったらこの後に繋がらないからね」
「ゲルセルがトラウマな僕が、ゲルセルの合間を走って街に?」
「自分もユカさんもゲルセルを撃ち落とすのに集中しなきゃいけない。どちらが欠けても厳しいと思う」
「初対面の人と話せない僕が、『爆音』で怒ってる人に、説明?」
「『爆音』を聞けば、ただ事ではない何かが起きたことはすぐに伝わるはず。あとはゲルセルの大発生について話すだけさ」
「違う、理由を聞きたいんじゃない」
作戦については嫌でも理解させられたが、それが理論的に実現可能な作戦かどうかと、ユウシが実行に移せる作戦かは全く別の話である。増して後者に関して、ユウシは激しく首を横に振った。
「できるわけないよ、だって、僕だよ?何もできない、この僕だよ!?」
「音魔法が使えて、仲間想いで、元気で明るいユウシだよ」
「違う!僕は、僕はもう、立ち上がれない!」
「大丈夫、今立派に立ってるよ」
「そうじゃないよっ!!」
子どもの癇癪に正論を突き付けるようなシガナの言葉を大声で否定したユウシは、肩で息をして、上下がだんだんと小さくなり、やがて、両手で顔を覆ってしまった。
「……ねえ、シガナ、君には僕の気持ちも、分かるでしょ……?」
「……」
「怖いよ、怖いんだよ。ゲルセルが僕に襲い掛かってくるのが、だけじゃないよ。作戦を試したとして、練習もしないで、上手くいくはずない。だから怖いよ、魔力制御を失敗して、2人を傷つけるのが。欠乏症になって、2人の足をこれ以上に引っ張るのが。説得に失敗して、2人を助けられないのが。これまでずっと、ずーっと助けてくれたシガナとユカさんを、失望させるのが……僕は、怖いんだ……」
『知恵も、力も、才能も。意思も勇気も、何も無いお前には何の価値も無い。さらばだ、善悪の区別もつかない愚か者。二度と姿を見せるな』
入学前、アトイミレユの街に向かっていた馬車の中で、劣火竜に襲われたときに胸に浮かんだその言葉が、今になって再び蘇る。弱く惨めな自分に告げられたあの日から、年齢を重ねるばかりで、成長できたと、周りよりも秀でていると言い切れることはあるのだろうか。
「こんな僕じゃ……立派な冒険者になんて、なれるわけないね……」
「君は冒険者をなんだと思ってる」
そのシガナの声は、今まで聞いた中で一番重く、ユウシは咎められた気がして顔を上げるが、運悪く彼は背を向けて魔法を行使しており、その表情をうかがい知ることはできない。
「……魔物を倒して、素材を集めて、依頼を達成して……困ってる人を、みんなを助ける、強くてスッゴイ人」
「もちろん人によって目的は様々。だからそれは正解であり、間違いでもある……だけど、根本的にユウシが勘違いしてることがある」
シガナはもう一度杖を振って、魔球でゲルセルを追い出した後、ユウシに振り返った。
「冒険者だって人間だ。普通の人と何ら変わりなく、怪我を恐れ、魔物を恐れ、死を恐れる。むしろ恐怖心無くして高みを目指せる冒険者は、いたとしても極僅か。恐怖心は誰もが持っている、至って正常な感情だよ」
「……」
「もちろん恐怖に怯えてるだけじゃ冒険者にはなれない。富のため、欲望のため。はたまた仲間のため、家族のため。動機はなんでもいいし、なくてもいい。研鑽を重ね、知識を、力を、技術を身に着けて、いずれは恐怖に立ち向かう。前を向き、目を逸らさず、足を踏み出して、ようやく高みを目指すことができる」
そう言い切って、シガナはまた魔法を行使しようと杖を振るった。
ユウシは、彼の言っていることが分からないことはなく。ただ、恐怖を忘れ、純粋に前に走れた過去には、もう戻れなかった。恐怖を知って、立ち向かうだけの勇気を、振り絞ることができなかった。
「やっぱり、僕は……今の僕には、自分の力が、信じられないよ……」
「……ふー」
ユウシの肩が跳ねた。杖を下げたシガナのため息が大きく聞こえた。失望させてしまったか。見限られてしまったか。かつてのあの日のように……
「分かったよ。そもそも今の君はまだ、研鑽を重ねている段階。まだ冒険者じゃあないし、しょうがないね」
しかし、彼はユウシの正面に立つと、そっと微笑んで。
「だけど、申し訳ないけど、3人無事にこの場を乗り切るには、やっぱりユウシの力は必要なんだ」
シガナはユウシを見捨てることはなかったが、変わらないことを許してはくれないようだった。
「時間もないし、はっきり言うね。何もしないこと、何も変わらないことが、今一番良くないことだから」
「でも、僕のせいで、失敗したら」
「『爆音』が出なかったら、そのときは今の戦い方を続ければいい。欠乏症になったら、ユウシを守りながら冒険者が来るまで戦えばいい。ユウシが冒険者に話しかけられないんだったら、黙って指を指せばいい」
「……っ、それでも、ゲルセルの中を、走ることなんてっ」
「そこはさ自分の力を疑うんじゃなくて。自分、シガナの力を信じてほしいかな」
シガナはそういうと、魔導石に絶やさず魔力を送り続けているユカに近づく。
「ユカさん、少しの間休んでていいよ。ただ、念のため『火炎包壁』は絶やさないのと、10秒後、自分が通れるだけの穴を開けてほしい」
「え……わ、分かりまし、た……」
そう言った彼もまた杖に魔力を込めるが、無属性で白い色の筈のその魔導石は。
「本当はこの力、まだ誰にも見せるつもりはなかったんだけどね~」
「シガナ、その杖……」
あたかも虹を思わせるような、様々な色を灯していて。
「ユウシ。見てて」
優しく、頼もしく、振り返って笑みを見せた彼の背中に、ユウシは憧れの勇者を見た。




