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「ユウシ、ホントに良いの?」

「うん、絶対追いつくからね!」


 ユウシが心配されている今は、春中月最初の魔法の講義の始め。ランクが上がり、いよいよ魔法の使用に入るテイガ、モモコ、フーシュの3人は別の場所で講義を行うため、ユウシは1人ぼっちになる。


 モモコは3人のうちの1人が日替わりでユウシに教えることを提案したのだが、迷惑はかけられないとユウシは断った。


 先月までなら迷った末、逆に頼んでいたであろうユウシだが、今はやる気に満ち溢れている。抱える鞄にはスリミレから貰った宝石があり、見る度に元気がわくような気がしていた。


「お前がそう言うんなら俺らは信じるさ。だけどなユウシ、俺らもどんどん先に行くからな?」

「うん!それでも追いつく!」

「それならハンデ付きの競争ってとこね!」

「ユウシくん、頑張ってね!」

「ありがとう!」


 ユウシは3人の背中を見送った。そして鞄を開き、宝石を眺め、貰った言葉を思い出し、気合いを入れ直して、両手で杖を構えた。


 それからユウシの長きにわたる挑戦は幕を開けた。この日、初回の講義だけでは終わらなかったユウシは講義終了と同時に図書室へ駆け込み、疑問の解消に努めた。


 テイガ達と合流して夜ご飯を食べるともう一度、図書室が閉まるまで本を読んだ。それは長い時間は取れなかったが、かえって集中して勉強することができた。


 この週、ユウシはこんな1日をひたすら繰り返した。考えうる限りの方法を講義で試し、できなかった理由を図書室で考えつつ、新たな方法を模索する。


 最初は長時間は保たなかった集中力も、回を重ねるごとに長続きするようになった。大好きな物語を読むのも我慢していたが、小難しい本も読み慣れ始め、読むこと自体を楽しめるようになっていった。


 結果はすぐには出そうにないと、分かってしまうこともあったが、それでもいつかはたどり着ける。そんな希望をいくつも見つけだすことができた。


 一冊駄目ならもう一冊。それが駄目ならまた新しい本を。それでも駄目なら見逃したところがないかを戻って確認。案外試したいことは絶えずに見つかり、休みの日にも進んで学習に図書室へ訪れることができた。


 できる。できる。僕はできる。ユウシが杖に念じていたそのとき。ユウシに近付く足音があった。ユウシが見上げれば、それはDランクの講義中のはずのゼイドであった。


「あれ、ゼイド先生?向こうの講義は良いんですか?」

「ああ、今は見本を見せるだけだからな。ひとまず他の先生と魔法の俺に任せてきた」


 そんなこともできるのか、とユウシは目を輝かせるが、疑問が解消された訳ではない。それはゼイドがここにいる理由にはならない。


 魔法の講義において、基本的にゼイドの方から生徒に関わることはなかった。分からないことがあるときには生徒が質問をしに行くためである。ゼイドはその受け答えをするためにも、これまで移動することはなかった。


 Dランク以上の講義でも、教える魔法の見本を見せはするが、最初だけである。以降はEランクの講義と同じで、ただ質問を待つだけの筈だった。


「なんで僕のところに?……あ、学生証!」

「そういうことだ」


 ユウシは学生証のことをすっかり忘れていた。話を聞けば、不具合を確かめていた学生証が帰ってきたため、もう一度適性診断を行うとのことだった。


「(いよいよ僕のステータスが分かるのかぁ)」


 診断の魔導具の部屋まで先導するゼイドの後ろを歩きながら、ユウシは考える、考えてしまう。自分のステータスはどんなものなのか、と。考えないようにしてきたのに。


「あー、ユウシ君、調子はどうだ?」

「え?」

「いや、君は俺に質問をしに来たことが無かっただろう?それで、大丈夫かと、ちょっと気になってな」


 思考を遮るゼイドの問いで、ユウシはそういえば、と思い出した。


 ユウシがゼイドに質問をしに行かなかったのは、初めは質問する生徒が余りにも多かったから。講義が始まった週は質問を待つだけで講義時間が終わることもあり、それなら質問をした生徒に聞いた方が早い、とはテイガの考えである。


 次いで、質問する必要が無かったから。翌週になり、目標を達成する生徒の増加に伴って質問する生徒は減った。だが教えてくれていたフーシュの説明は分かりやすく、成果こそ得られなかったが、質問をしに行こうとは考えつかなかった。


 最後に、迷惑をかけたくなかったから。今月になり、ゼイドはDランクの生徒の指導に移った。それでもEランクの生徒が質問することは可能であったが、ユウシは遠慮し、質問はするにしても最終手段だと考えており、実際時間はかかっても、これまでの疑問はおおよそ図書室で解決していた。


「そんなわけで、今のところはなんとか大丈夫です。ご心配をおかけしてごめんなさい」

「いや。それなら良いんだ」


 そうして会話は途切れ、無言の時間が続く。ユウシはなんとか話題を探そうとしたが、何を言えばいいのか分からない。というのも、ユウシはゼイドの様子が何か変だと思っていた。


 生徒の前で講義をするゼイドは、生徒の悩みに親身に寄り添ってくれる、明るく頼もしい先生という印象。しかし今の彼は、親身にはなってくれていても、どこか挙動不審で、何か秘密を隠しているような、そんな様子だった。


 そんな彼に理由を尋ねてもはぐらかれてしまいそうで、かといって突拍子の無い話題も気まずくなるだけだ、とユウシは結局何も言い出すことはできなかった。


「よし、それじゃ前みたいに診断を始めてくれ」

「はい!」


 部屋に入ってゼイドが調整を終え、渡された学生証は既に橙色の模様がついている。試しに丸い円の部分に触れたが、やはり何も表示はされなかった。


 大きな魔導具の窪みに学生証を置き、深呼吸の後、ユウシは水晶に手を触れる。十秒、二十秒、三十秒経って、やはりなかなか反応は起こらない。


「……ユウシくん。確か前回の診断のとき、友達が冒険者になるって言ってたよな?」

「えっと、テイガのことですか?そうです、一緒に冒険者になるって決めてて」

「ということは、君も冒険者志望だよな」

「?、はい」


 前回は診断中は無言で見守っていたゼイドだが、今回はユウシに話しかけている。ユウシは今は1人だからかな、と思っていた。


「冒険者を目指すということは、いずれ魔物と戦うことも考えてると思うんだが、ユウシ君はやはり魔法での戦いを考えてるんだよな?」

「はい、そうです」

「どうして剣とか武技じゃなくて、魔法を選んだんだ?」

「どうして、ですか?」

「ああ」


 何故そんなことを聞くのか、ユウシには分からなかったが、あまり深くは考えず、ユウシは夢を語った。


「えっと、もちろん剣にも憧れるんですけど、僕、みんなより弱いんです」

「……」

「身長も低いし、足も遅い。あと、力も弱くって。だから剣はもちろん、他の武器も使えないんじゃないかなぁって」


 水晶に触れていない手に持っている杖を固く握りしめる。口調は明るく、特に気にしていないかのように話しているが、その手は小刻みに震えていた。


 まだユウシがテイガと出会う前、物語の勇者や英雄に憧れたユウシもテイガと同様、木剣に触れたことがあった。


 挿し絵の真似をして持ち上げたが、それだけで腕が震え、それでも練習をと振ってみれば剣に振り回されて転んでしまった。終いにはユウシには危険だ、と母親に取り上げられてしまい、以降触ることも禁じられていた。


 ユウシが自分に自信を無くした原因はこういったことの積み重ねである。何故自分は他の人が簡単に出来ていることもできないんだ。周囲との差を自覚する度、ユウシは傷つき、いつしか目を背け、諦めるようになった。


「そんな僕が、他属性を使えるって、立派な才能だって言って貰えて。珍しい属性だって驚いて貰えて。すっごく嬉しかったんです。だから僕、魔法を使いたいんです!」

「………………そう、か」


 ユウシはゼイドに感謝を伝えたかった。自分の魔法の才能を見つけてくれたこと、立派な才能だと褒めてくれたこと。そのためにも、魔法を使えるようになり、冒険者として活躍したかった。


 しかし。それを聞いたゼイドは苦しそうで。ユウシは感動したのかと勘違いするが。ゼイドは重々しい口を開き、ユウシに告げた。


「……ユウシくん。君は、選ばなきゃいけない」

「?何をですか?」








「冒険者を目指すために魔法を諦めるか、魔法を使うために冒険者を諦めるか、だ」




「……え」


 ユウシは何を言っているのかが分からなかった。頭が、言葉を受け付けようとはしなかった。表情から温かさが抜け落ちていくユウシの耳に、歌が流れ始める。はっとして水晶に視線を移すと、水晶にはぼんやりと薄い光が灯っていて、枯れかけた河川のような、か細い光が学生証に流れている。


 なんと弱々しいことか。話の流れもあり、その光は心の焦燥を激しく煽り、微かな歌も以前と変わらないはずなのに、消え入りそうな声はまるで自身の才能の弱さを誇張しているように思えてくる。


 突然世界を照らす希望の光を見失ったユウシ。だが心を安らげる間もなく、ゼイドは残酷にも話を続ける。


「ユウシくん、君の診断はやけに時間がかかっただろ?実はこの魔導具は属性を映し出し、学生証に情報を記すだけじゃなくて、ステータスの魔力量と魔適性、すなわち魔法の適性も診断途中に判断できるんだ。


 それで、その結果はどこにでるかっていうと、魔力量は水晶の光の強さ。魔適性は、診断にかかる時間なんだ」


 知りたくない。聞きたくない。しかしユウシの片手には杖が握られ、耳を塞ぐことは出来ない。


「原理としては、身体を巡る魔力を水晶が吸い寄せて光を放つらしい。つまり、診断に時間がかかればかかるほど、魔力の巡りが悪く、魔適性が低いってことになる。それに、水晶の光も初めは気が付かないほど弱かった。学生証に色が付いたからゼロでは無いのは間違いないが、それでも、期待は……しない方が良い」

「…………」


 ゼイドはもしかして、言外にこう言っているのか。魔適性も魔力も低い、だからユウシ、お前には。魔法使いの才能は無い、と。


「勘違いしないでくれ、適性も魔力も現段階の、だ。魔物を倒してレベルを上げたり、繰り返し使ったりすればどちらも上げることは出来るんだ。


 魔法は誰にでも開かれるもの。使えない人なんていない。例えユウシくんみたいに診断に時間がかかった生徒でも、一ヶ月以内に魔法を使えるようになった事例はいくつもある」

「…………」


 つい先日聞いたばかりの言葉。ユウシはその言葉を元気の糧にして頑張ってきたのだ、間違えるはずがなかった。しかし、現実はそう優しいものではないようだ。


「ただし、そんな彼らはみんな、基本属性だったんだ。同じ属性の仲間から支援を受け、属性に合わせた杖を使って、講義の時間以外も使いつくして、その時間だ。


 これがそのまま君に置き換わったら。同じ属性の生徒や教師がおらず、杖による強化もされない状態で練習したら……俺の予想だが、杖に光を灯すだけで早くても半年、最悪在学中には終わらないだろう」

「…………」


 ゼイドは己の罪悪感からユウシを見ることはできず、それ故にユウシの耳にはもはや何も入っていないことも分からない。ユウシはその場でただ立ち尽くす。


 ふと、脱力した手が水晶から滑り落ち、窪みの学生証に触れる。ちょうどそこは円形の模様であり、情報の記載に成功したらしい学生証はユウシのステータスを表示した。


 ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


 ユウシ  ステータス詳細


  魔力: E

  体力: D

 攻撃力: G

 防御力: F

  敏捷: F

  器用: E

 魔適性: F(音)

  幸運: B


 ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


 ほぼ全てが平均値であるD以下。運だけは何故か高いが、今は神経を逆撫でする情報でしかない。立派な才能であるはずの魔法は、魔力も魔適性も、とても立派なものとは思えない。このとき、何も気付かないゼイドは話を続けるが、ユウシは小さく何かを呟いていた。


「話変わって、この学校には冒険者を志す生徒のための講義がある。それが始まるのは後期の秋前月からで、卒業後に冒険者となった生徒は例外なくこの講義を受けている。


 この講義の目的は学生のうちに仕事の仕方を覚えてつまずかないようにするのはもちろんだが、なにより魔物との戦いにおける死亡率を下げる面が大きい。そのため、魔物との戦闘訓練もあるんだ。


 そのときまでに何かしら戦う武器を決めておかなければならない。半年後、講義が始まるぐらいには、最低限一般初級魔法で戦えるようにならなきゃいけない。ようやく杖に光を灯せるようになった、じゃあ遅いんだ。だから冒険者になりたいなら、魔法を諦めて何か他に武器を」

「…………です、か」


 ゼイドがユウシの声に気付いた。声を聞いて口をつぐみ、視線を戻し、目を見開く。


「立派な才能っていうのは、嘘ですか。僕を気遣った、嘘だったんですか。喜ぶ僕を見て……陰で笑ってたんですか?」

「っ、そんなことはないっ!事実、強力な魔法で有名になった勇者達の多くは他属性だ!他属性は特別で優れたものが多い、ただ、彼らは適性が高くて」

「……そうですよね、ごめんなさい、変なことを言いました。ごめんなさい」

「ユウシくんっ!」


 ユウシは逃げ出した。ゼイドの伸ばした手は反応が遅れて宙を切り、代わりに得たのは小さな雫。遠くなっていく足音を聞くが、後を追いかけることができず、伸ばした手が力なく垂れ下がる。


「……俺の馬鹿がっ、これじゃあもっと悪いじゃないか……!」


 今すぐ追いかけなければ。でも追いついたとして、何を伝えられる?事実を後回しにし、手遅れになる前にと正直に話した結果のこの惨状。


 最初から諦めさせるべきだったのか?それとも、本人に気付かせて諦めさせるべきだったのか?


 部屋には起動状態の学生証と濁った白色の魔導石の杖が残される。ゼイドは拾い上げ、ユウシの苦悩を垣間見て、歯を強く噛み締めた。


 - - - - -


「ユウシ、昨日はどうしたんだよ?」

「あはは、お腹痛くなっちゃって、あ、今は平気だよ、ホントだよ?」


 翌日の朝、テイガは昨晩のことを尋ねていた。昨日の夕食時、ユウシは食堂に現れなかったためだ。ユウシは苦笑いでお腹をさする。


「だから今さ、お腹空いてるの。ぐーって鳴りそうだよー、ほら、急げ急げーっ」

「お、おい、待てって!」


 真っ直ぐ手を伸ばしたユウシは食堂に走り出し、テイガは慌てて背中を追いかけた。




「それじゃあみんな、まったねー」

「うん、頑張ってね……」


 午前の講義と昼食後、ユウシはいつものように3人と別れた。フーシュが小さく手を振るが、言葉は尻すぼみに小さくなってゆく。モモコが腰に手を当て、口を開いた。


「なーんか変なユウシ」

「なんていうか、ちょっと怖かったね」

「まるで強制仲裁のユウシだな」

「それよそれ!あースッキリした!……あれ、でもどうして?」

「さぁ、な」


 まさか知らぬうちに何かをやらかしたのかと怯えるモモコ。そんなモモコに雑な返事を返すテイガは、ユウシの背中から視線を外すことが出来なかった。




「先生」

「あ、ああ、ユウシくん」


 講義開始前、グラウンドにいたゼイドは声をかけられ、気まずそうに返事をするが、当の本人は笑顔だった。笑顔のまま、ゼイドの腰に差してある白色の魔導石の杖を指差した。


「それ、僕の杖ですよね?えへへ、昨日落として帰っちゃいました。あ!学生証も!またまた忘れてましたぁ」

「ユウシくん、昨日はすまなかった。俺は別の選択肢もあるってことを言いたかったんだ」

「預かってもらってありがとうございます。僕、まだまだ頑張れますから!」

「……」


 強制仲裁中のユウシが2人の和解の言葉以外を受け付けないように、ゼイドの言葉の全てはユウシに届いていないようだった。杖を催促するユウシにゼイドが渡すと、ユウシは直角にお辞儀をする。


「先生、ありがとうございました!」

「ユウシくん、悩んだときはいつでも相談してくれ!」


 果たしてそれは杖を貰ったお礼か否か。ユウシは身を翻すと、いつもの場所に駆けていった。かけられたゼイドの言葉に頷くことなく。それはまるで、話を一切聞きたくないかのように。




 ユウシは以前にも増して勉強するようになった。朝早起きをすると図書室に行って勉強し、朝食、座学の講義、昼食を終える。魔法の講義が始まるまでの短い時間にも図書室で予習し、終わってからも復習に励んだ。夕食後も変わらず図書室に入ったが、勉強時間は司書さんに頼み込み、時間を延長して深夜遅くまで勉強した。


 以前と変わったのは、人と話さなくなったこと。いつものようにテイガ達と食事をするが、ユウシは終始無言で食べ、何かを問われても一言最低限の返事のみ。一番早くに食べ終えると、すぐさま図書室に直行した。それは日が経つごとに早くなり、いつしか別に食事をとるようになった。


 テイガは共同練習をもちかけ、モモコは休日に観光の提案をし、フーシュは勉強を教えようとした。しかしユウシは自分だけが遅れていることを改めて持ち出し、その全てを断った。いつでも、ユウシは笑顔だった。


 ユウシは学生証を見て、他属性を扱える自身を応援する。他属性の適性が優秀であることは複数の教本を通じて間違っていないと知った。熟練の魔法使いの多くが他属性を追い求め、それでも叶わないことを知った。


 ユウシは鞄の宝石を見て、期待される自身を応援する。強大な魔物を容易く倒す冒険者に才能を認められた。自身の魔法を見てみたいと期待された。


 できる。できる。僕はできる。確かな才能があるんだ。期待の声があるんだ。それに物語には困難が必ずある。僕の困難は今、ここにあったんだ。


 できなきゃ。できなきゃ。使えるようにならなくちゃ。これしか才能が無いんだ。期待されているんだ。この困難からも逃げてたら、僕には何も残らない。


 ユウシは今日も図書室を訪れる。本を読み、杖を握り、最低限の食事と睡眠をとる。他にあるのは各々に必要な準備や移動時間のみ。無駄な行動は次々と省かれていき、いつしか御守りの宝石の確認すらしなくなっていた。


 - - - - -


「今日も頑張って頑張って、頑張るぞー!」


 ユウシは今日も図書室に向かう。太陽はまだ低く、辺りには人影は無い。


 ユウシは歩きながら鍵を取り出す。図書室の開閉に必要な合い鍵である。時間外に通い始めて数日経つと、図書室前で待たせるのが忍びなくなった司書が不安そうにしながらも手渡した。


 ユウシは鞄を出入り口に一番近い席に置き、本棚に向かう。目当ての本棚にはもう迷うことがない。手早く望みの本を取ると、席に着いて黙読する。誰もいない図書室は、自分の呼吸が嫌に大きく聞こえた。




 読み始めて数時間、ユウシのお腹が鳴った。時計を見れば、食堂で生徒が賑わう時間である。ユウシは少し考える。結果、本を手放そうとはしなかった。


「今日は……いいかなぁ」


 普段のモモコが聞けば飛んで喜びそうな台詞を口にし、ユウシは朝食を食べないことに決める。ページを捲り、読み終えると次の本を探しに席を立った。


 ユウシは大きく伸びをした。凝った身体が悲鳴を上げるが、ユウシはすっかり慣れてしまった。気休めに軽く身体を解すとテーブルの上を見た。


 目の前には乱雑に積み重なる本。片付けやすいようにと背表紙が並ぶように置いていたのはいつまでだっただろうか。思い出そうとして、すぐさま止めた。そんな無駄なこと、考えている時間はない。


「よーし、休憩おーわりっと」


 数秒のうちに気持ちを切り替えると本を寄せ集める。数冊に分けて運ぶ本達は、あっという間の元の棚に戻される。それぞれの場所を覚えているため、間違えたところにしまうことはない。いらないことばかり覚えてしまった。


「次はこれとー、これとー、……」


 別の棚に移動して本を抱え、再びテーブルに山を作る。今や1人で複数冊を占領しても注意すらされることはない。ただ遠くから、哀れみの目で見られているのを感じるのみだった。


「それじゃあ続き、始めるかぁ」


 一番上の厚い本を開き、少しずつページを捲ってゆく。途中にある魔法の図解のなんと綺麗で魅力的なことか。しかし先に進む手は止まらない。目的の初心者用のページに辿り着くまで。


「『誰にでも分かる!初心者魔法講座』」


 不意に口から言葉が飛び出た。ユウシは次の行から読み始める。しかし内容は頭に入らない、否、頭に入りきっているからこそ、間違いを探そうと同じ文を読み返す。


 間違いを探すのは、これで何度目か。間違いはあってほしかった。間違いがあれば、納得できたのに。細かいところまで探そうとして顔を近づけて、額が本にくっついた。離そうとしても、なぜだか離れない。


「……あー」


 視界が黒に閉ざされる。目を開けているのに、そこには何も映らない。身体は言うことを聞かない。そもそも何かを言っていただろうか。そんなことを言っている暇があるのなら、勉強しなければ……


「なんで、こんなことしてるんだろ」


「意味ないじゃん」



「だって、できないもん」




「できないもん」





「できないもん……」













「……やっぱり僕にはできないよ……」


 ユウシの心は折れかけていた。今日は春中月の第3週休日2日目。ユウシが魔法を使えないまま、既に一月が経過していた。


 道を歩けば聞こえてくるのは魔法を楽しむ生徒達の声。うまくできないという表情は明るく、共感する仲間もいる。


 少し歩けば今度は武技を楽しむ生徒達の声。基礎訓練が終わって武器を持ち始め、何を使うか幸せな悩みを語り合っていた。


「ゼイド先生の言うとおりだったな……」


 あれからも何度かゼイドはユウシの下を訪れていた。武技も魔法とは違った面白さがあること。力に頼らない戦い方が出来ること。数え切れないほどの種類があること。それでも魔法が使いたければ、武技の訓練中にも続けられること。魔力さえあれば、魔導具、魔法陣で代用できることなど、ユウシが知らないであろうことをわざわざ教えに来た。


 ユウシはそのどれもから逃げてきた。終いには体調不良と嘘をつき、魔法の講義に出るのを辞め、図書室に籠もってしまっていた。


 既に講義では、同じEランクの生徒はいない。近くで練習していた生徒達は皆先に行ったか、諦めて辞めてしまった。ここ一週間は先に進む人は誰もおらず、最後の一人も杖を地面に投げ捨ててどこかへ消えて行った。


「なんで僕、こんなことしてるんだろ」


 ユウシはもう一度呟いた。


「なんで僕、魔法が良かったんだろ」


 忘れていた理由を考える。


「なんで僕、諦めたくなかったんだっけ」


 幸か不幸か、疲れきったユウシは理由を考える余裕ができていた。いつの間にか覆い隠していた蓋を開け、ユウシはきっかけを思い返した。


「……ここで逃げたら、もう、なんにも出来ないって思ったからだ」


 ユウシはこれまで、あらゆることを諦めてきた。剣を諦めたことをきっかけに、身長が低いこと、足が遅いこと、力が弱いことなど、才能が無いことを言い訳に、全て諦めてきたのだ。


 適性診断をすると言われ、本当はユウシは怖かった。才能が無いと直接言われること。そして哀れまれ、慰められ、励まされるのが嫌で、すぐに結果が出なかったときは泣いて逃げ出したかった。


 そんなユウシが才能がある、と評価された。人生で初めてのことであった。泣いて喜ぶほど嬉しかった。しかもそれは特別な才能で、人より優れている才能だった。他の大勢を犠牲にして、それでも生かそうと思える、そんな才能だった。


 もし今諦めてしまえば。特別な才能を捨ててしまえば。ユウシに残るのは劣等感の塊である。何をするにも才能の無さを言い訳に諦めてしまう自分である。ユウシは唯一の才能を、希望を、決して諦めたくなかったのだ。


「そうだった。僕はなりたかったんだ。すごいって応援される僕に。1人でも頑張れる僕に。すっごい才能を胸を張って自慢できるような僕になりたかったんだ!」


 ユウシの頭が自然と上がった。暗闇に満ちていた視界が一気に白に染まる。その眩しさに目が眩み、細めてしまうも閉じることはない。


 ゆっくりと慣らし、やがて外の景色が現れようとしたとき。


「そっか、それじゃ手伝ってあげるよ」

「えっ?」


 目の前には生徒がいた。深い藍色の髪を持ち、顔に黒く細い傷が刻まれている少年、シガナがそこにいて、ユウシに微笑みかけていた。



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