本に挟まっていた手紙
私がその日、図書室に行ったのは「なんとなく」だったのだけど、もしかすると目に見えない力が私を図書室に引き寄せたのかもしれない。
一週間前、私の通う学園の近くで通り魔事件があり、しばらくの間、登下校の送り迎えが義務付けられている。
今日は兄が迎えにきてくれることになっているのだが、仕事が終わってから来るということだったので、時間を潰そうとめったに行かない図書室に足を運んだ。
たまたま目に止まった一冊を本棚から抜いてパラパラとめくっていた時に、ページの隙間からひらりと一通の手紙が落ちた。
拾って見てみると、宛名であろう男性の名前が綺麗な字で書かれていた。
名前だけ。
差出人は?と封筒を裏返して見ようとした時、隣に女の子が立っているのに気づいた。
あ、この子は隣のクラスの……
「これ、あなたが書いた手紙?」
彼女にしか聞こえないくらい小さな声で問いかける。
彼女は一瞬びっくりしたような顔をして、小さく頷いた。
「ここじゃ話せないから、外行かない?」
彼女の反応を見ずに、本棚に本を戻してスタスタと歩き出した。もちろん手には封筒を持ったまま。
後ろを付いてくる気配を感じながら、靴を履き替えて外に出てキョロキョロと周囲を見渡す。人の少ない方を探して、校庭の隅のベンチに辿り着いた。
私がそこに座ると彼女も隣にふわりと腰を落とした。
「あの…私…」
戸惑った様子で彼女が言う。それを遮るように
「手紙を拾った時にあなたが隣にいたから、あなたの手紙かな?って思ったの」
そう言いながら封筒の裏を見た。思った通り、彼女の名前が書いてある。
「なんであの本にこの手紙挟んでたの?気づかないで返却しちゃったとか?」
「ううん。図書館の本棚で適当に選んだ本に挟んだの」
「わざと?」
「うん」
「そっか。そしてそれを私がたまたま見つけちゃった、と」
「そうだね」
「宛名の人って誰?」
「お兄ちゃん」
「なんでお兄ちゃんへの手紙をあんなところに」
彼女の顔が少し曇ったのを見て、慌てて付け足す「あ、イヤだったら別に言わなくていいよ」
彼女は頭を横に振るとポツポツと話し始めた。
「その手紙ね……どうすればいいか迷ってたの。私じゃ決められないから、他の誰かに決めてもらおうと思って」
「自分の部屋とか、お兄ちゃんの部屋に隠しておくとかじゃダメだったの?」
「全く関係ない誰かに決めてほしかったんだよね」
「全然誰にも気付かれなかったかもしれないよ」
「それでもいいと思った」
「ゴミだと思って捨てられたかもしれないよ」
「それでもいいと思った」
「10年後に届けられたかも」
「それでもいいと思った」
「届けられる前に中身を見られていたかも」
「それでもいいと思った」
「むしゃくしゃしてやった、誰でもよかった、って感じ?」
「なにそれ」
そう言って彼女はクスクス笑った。やっと笑顔が見れた。
「じゃあ私がこの手紙をどうするか決めていいってことね?」
「そうね。あなたの好きにして」
彼女は明るく言うけど、本人でも決められないようなこと、他人の私だって決められない。
「うーん。私さぁ面倒なこと嫌いなんだよね…正直に言って、あなたに会ってなければこの手紙は元の本に戻して見なかったことにしてたと思う」
「それでもいいよ」
「うん、でもこうやって話してるのも何かの縁だと思うからさ。あなたの話を聞いて、あなたのことをもっと知ってからこの手紙をどうするか決めたいんだけどいいかな?」
「いまさら私のこと知りたい?」
「知りたいよ。すごく知りたい。隣のクラスなのに、今まで話したことなかったよね」
「隣のクラス……だったんだ」
彼女がまじまじと私の顔を見つめる
「知らなかった?」
「ごめん」
素直な子だな。
「私って、なんか『どこにでもいそうな顔』らしいんだよね。美人じゃないけどブスでもなくて、目立つホクロがあるわけでもないし、傷があるわけでもないし、目とか鼻とか口とかそういうパーツにしても小さいとか大きいとかそういう特徴もなくて、もうほんと普通すぎる顔。よく『三回会っても覚えられない顔』って言われる」
「あー……」
否定も肯定もされない。
「そういう顔だからなのか謎の安心感があるらしくて、今までいろんな人の愚痴とか悩みとか聞いてきたんだよね。誰かに話すだけでもずいぶん楽になるみたい。だからあなたも私に話してみない?もちろん聞いたことは誰にも言わないから」
と言って、ふと彼女の置かれた状況を思い出して「あ!もちろん誰かに伝えた方がいいんだったらちゃんと伝えるし!」と付け足した。
彼女はそんな私を見て寂しそうに笑った。
「もっと早く、あなたに会いたかったな」
「隣のクラスにいたんだけどな……」
暗い雰囲気にならないようにおどけて言うと
「そうだった」
と今度は「ははは」と声を出して楽しそうに笑う。
「私ね…好きな人がいたんだ」
彼女が話し始めた。
「婚約者がいるって聞いたけど」
「うーん。正式に婚約したとかじゃなくて、小さい頃からの約束、みたいな?もともと親同士が仲良くて、家族ぐるみの付き合いで。五才年上のお兄ちゃんと、ひとつ年上の彼と私の三人でいつも一緒だった。彼は私の初恋の人で『大きくなったら結婚しようね!』って言ってたんだ。ずっとずっと彼が好きで、彼しか見えなかった。大好きだった……」
「過去形なんだね」
「え?」
「いや『大好きだった』って」
「あ、過去形になってた?違う違う今も好き。大好き。現在進行形。」
そう言う彼女の笑顔はどこか寂しそうだった。
「彼も私のこと『好きだよ』って言ってくれてたし、周囲に仲のいい女の子とかもいなかったし、安心してたの。このまま結婚するんだろうなって」
「うん」
「すごく幸せだった。うちの両親もお兄ちゃんも、彼の両親もみんな私と彼が仲良くしてることに喜んでくれてて、早く結婚しなよって言われたりとかして。でも二週間前にね、彼に言われたんだ」
そこで言葉を切って俯いた彼女は、絞り出すように言った
「私とは結婚できない、って」
「もし『好きな人ができた』だったら悲しいけど彼のことを諦めて前に進めたかもしれない。でもそうじゃなくて、ずっと前から好きな人がいたんだって。全然気づかなかった。ずっとそばにいたのに。彼はずっと片思いで、でもそれは叶わない恋だから……でも私もずっと片思いで叶わない恋してたって気づいて……彼の気持ちもわかるし苦しくて……」
ポタポタと涙が零れ落ちて消える。
「この手紙にはそのことが書いてある?」
「うん」
「彼の好きな人が誰なのかも書いてある?」
「うん」
「彼が好きなのはもしかしてあなたのお兄さん?」
「……うん」
「困ったな。もう図書室の本棚には戻せなくなっちゃったよ」
手に持った封筒をじっと見て、ふっと息を吐く。そして彼女を見てゆっくりと問いかける。
「あなたを刺し殺したのは通り魔じゃなくて彼なんでしょう?」
「……うん」
彼女も私を見て寂しそうに頷く。
私には亡くなった人の遺品に触るとその人が見えるという不思議な力がある。その人の愛用していた物だったり、思い入れの強い物だったりすると、はっきり見えるし話もできる。
図書室で彼女が隣に立っていた時、生きてる人かと思うくらいにはっきりとした存在感があったけど、一週間前の通り魔殺人事件の被害者だと気づいて話しかけた。ちょっとした野次馬根性だったのに、犯人までわかってしまって冷や汗が流れる。
「殺されたのに、『今も大好き』なの?」
「小さい頃から、いいえ生まれた時からずっと彼のことが好きで、彼が私の人生の全てだったから、彼を嫌いになることは今までの人生を否定するような気がして。っていうかもう、嫌いになんてなれないよ……理屈じゃないんだもん。大好きなんだもん…」
「そっか」
「本当は自殺するつもりでその手紙書いたの。お兄ちゃんに彼のことを言いたい気持ちもあったけど、言ったらお兄ちゃんもきっと傷付くと思って。私が彼のこと大好きだったの知ってるし、お兄ちゃんも彼のことを弟みたいにかわいがってたし」
「でも、心無い人にこの手紙を見られてたら、開封されて公表されてたかもしれないよ」
「うん。そうなって、もし彼が非難されることになったとしたら、私のこと一生忘れないかなと思って。恨まれても彼の心の中にいられるならそれでもいいのかなって」
「いろいろ拗らせてるね」
「そうだね。拗らせたまま死んじゃった」
「これはあなたの遺書、ってことなのかな」
「遺書……そうかも」
「ますますこの手紙をどうしたらいいのか決めるの難しいな…。うーん。よし。選択肢は三つね。三択。
①宛名の通りにお兄さんに渡す
②見なかったことにして捨てる
③私の兄に渡す」
「あなたのお兄さん?」
「うちの兄、あなたの事件を捜査してる官吏なの。もしこれを兄に渡したら犯人は捕まるんじゃないかな?②の『捨てる』だと犯人は捕まるかもしれないし、捕まらないかもしれない。①だとお兄さんの判断に任せるって感じかな。ま、普通に考えたらお兄さんも届け出るだろうけど、万が一、お兄さんが彼に好意を持っていたとしたら、お兄さんは彼を庇ってこの手紙を握りつぶすかもしれない」
「お兄ちゃんが、っていうのは考えてなかった……」
「どうする?どれにしたらいい?」
彼女はしばらく考え込むと言った。
「①で……お兄ちゃんに渡してくれる?」
「わかった。間違いなくお兄さんに渡すね」
「うん。お願いします」
「この手紙をお兄さんに渡したら、私にはもうあなたの姿が見えなくなるんだけど、他の誰かに伝えたいこととかある?」
「んー……ないかな。自殺するつもりだったから別にもう未練はないのかも」
「それにしても、なんで彼はあなたを殺したんだろうね」
「わからない。カミングアウトして不安になったのかな。殺さなくてもたぶん今頃には自殺してたのに。でも自分で自分を殺すより、愛する彼の手で殺されて良かったって今は思ってる。あ、もしどこかで彼に会えたら『ごめんね』と『ありがとう』を伝えてほしい」
「わかった。こうやって話してるのも、他人から見たらひとりごと言ってる人にしか見えないから、あなたと話すのもこれで最後になると思うけど、あなたと話せてよかった」
「それはこっちのセリフだよ。本当にありがとう」
「どんな結果になっても恨まないでね」
「あはは。恨まないよ。それじゃ、元気でね」
「あなたも。なるべく早めに上にあがった方がいいよ」
「わかった」
そうして私は手紙を鞄にしまって歩き始めた。ふと時計塔の時計を見ると兄との約束の時間は少し過ぎてしまっている。やばい。校門に向かって走り出した。
あれから一ヶ月。
通り魔事件の犯人が捕まったという知らせはまだない。
書き終えて、あまり「推理」っぽくないなと思いましたが、広義のミステリってことで勘弁してください。