憧憬(1)
「ハルカ、危ないですよ」
そう言って、あの騎士が何度も彼女のことを助けている場面を見かけた。
小柄な彼女の身体に合わせて作られた、特別な巫女服。
彼女は丈の長い服を着慣れていなかったのか、神殿内のいたるところにある段差を上る際、長い裾を踏みつけては転びそうになるのを、あの騎士はいつも、片腕を彼女の体に回して抱きとめていた。
「ありがとう、アディート」
その度に彼女は真っ赤な顔をして、騎士に礼を言っていた。
最初の頃は、ひどくあの騎士に怯えていたけれど、だんだんと彼女はあの騎士に対して、そう――『女の子』らしい反応を返すようになっていった。
――ああ、好きなのかな。
そう思った。
僕は、彼女はあの騎士のことが好きなのかな、と、そう思ったのだ。
彼女はあの騎士と一緒に、最初の1年目はほとんど毎日、この神殿に来ていた。
巫女姫様のお部屋で、色々な話をしていたようだった。
時々、王太子殿下も一緒に来られることがあった。
年若い噂好きの巫女たちは、彼女は王太子殿下と恋仲なのではないか、と邪推していたが、僕はそれはないだろう、と思った。
王太子殿下と彼女は、確かに仲が良さそうだったけど、あの2人は恋人同士というよりむしろ、兄弟のようにじゃれ合っていただけだった。
彼女は王太子殿下よりも、いつも彼女の側にいた護衛騎士―――あの、背の高い、彼女と同じ黒い髪の、冷たい目をした騎士のことを気にしていた。
騎士の方も、いつもは王太子殿下以外の人間に対しては冷たい表情をしているのに、彼女にだけはとても優しい、柔らかな笑顔を向けていた。そのせいで、彼女が来てから、急にあの騎士が人気になったんだ。それ以前は、顔は整っているのに、とても冷たくて近寄りがたい印象の騎士だったから。
だからきっと、あの騎士も、彼女のことが好きだったのだろう。
背の高い騎士と、小柄な彼女。
でこぼこだけど、不思議と似合いの2人だと思った。
いつも一生懸命な彼女と、それを優しく見守るあの騎士。保護者と被保護者、兄と妹、飼い主と小動物――ちょっと失礼だけど、いろいろな見方ができる2人ではあった。でも、僕はあの2人には「恋人」という関係が1番似合うと思った。
だから、僕はあの2人が恋人同士になればいいのに、と密かに思っていた。
平民出身でありながら王太子殿下の側近であり親友でもある、王太子殿下と並ぶ剣の使い手だった、あの騎士。
巫女姫様の祈りに応えて光の神が遣わされた、『光の神の使者』である彼女。
あと数年もしたら新たに即位される王太子殿下のお側に、この2人が並んでいるのなら、きっとこの国も安泰だ。
そう、思っていた。
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「それにしても、おかわいそうだよな」
「ああ、使者様だろ? アディート様の葬儀から、ずっとお部屋に篭られているらしい」
「巫女姫様や王太子殿下も心配なさっているようだが」
「無理もないさ。この3年間、ずっとお側にいた護衛騎士が死んでしまったんだからな」
季節外れの風邪をこじらせてしまい、7日も寝込んでしまった僕が、久しぶりに出仕して最初に耳にしたのは、信じられない話だった。
「ちょ、ちょっと! あの話、本当なのか?!」
僕は大慌てで自分の持ち場――神殿の一画にある資料室の、同僚2人の元へと駆け込んだ。
僕の声に、先に資料室で仕事をしていた2人――小太りのロージャとのっぽのキースが、揃って「お、マルス! 全快したのか!」と笑いかけてきた。
「あ、うん。見舞い、ありがとな。――じゃなくて! アディート様が亡くなったって?!」
僕の言葉に、2人はお互いに顔を見合わせて、何ともいえない顔をした。
悲しそうな、苦しそうな、寂しそうな――そういう顔だった。
「とりあえず、扉をちゃんと閉めろよ。で、座れ。今、茶を淹れっからよ。お前、まだ病み上がりだろ?」
キースに促されて、僕はそれに従った。
資料室の扉をちゃんと閉めて、キースたちのいる執務机の方に向かい、椅子に座る。
さすがに、病み上がりで神殿の大門前から全力疾走してここまで来たものだから、かなり頭がフラフラしていた。
ロージャが淹れてくれたお茶を一口飲んで、体を落ち着かせてから、改めて2人に向き直る。
「……で。アディート様が亡くなったってのは……」
「ほんとのことだよ、残念ながらな」
ロージャの答えに、僕は愕然とした。
馬鹿な。アディート様は、大陸一と言われる剣の使い手である王太子殿下と、唯一対等に渡り合える騎士なんだぞ。剣だけじゃない、アディート様は弓や槍、体術も素晴らしかったはずだ。身体だって健康で、丈夫だったのに。何故。
「南部の国境地帯の、魔物討伐……。あれのせいか?」
久々に王太子殿下が指揮をとられての、大規模な討伐。
移動は何回か転移魔法を使うから時間はかからないが、今回は狩る魔物の数が多いため、治癒の術が使える高位の神官や巫女も何人か同行していた。僕ら3人の上司にあたる神官も、今回の討伐に同行したから知っている。
僕の疑問に、しかし2人は遣り切れない表情をして首を振った。
「アディート様が魔物なんかにやられるわけないだろ」と、キースが言った。
「その魔物討伐自体は問題なく作戦通りに進行して、早めに終了したらしい。騎士団の側じゃ、1人も重傷者は出なかったって。
ただ、魔物の被害に遭った国境沿いの村にろくな医者がいなかったから、騎士団の中の2部隊と転移魔法が使える魔法使いが2人、それと同行した神官や巫女の何人かはまだ帰って来てない。国境沿いの村に残って、村人の治療や村の復興にあたってる。ジュイ様もまだ帰って来てないんだ」
ジュイ様、というのは僕らの上司だ。かなり高位の神官で、体を癒す治癒の術の他に、魔物除けの結界を張ることができる。
もうしわくちゃの爺さんだけど、おっとりしていて、優しい方だ。上位の神官は、何人か嫌味な人間もいるけど、あの方は全然そんなところがない。2年前に外遊先の事故で亡くなった、嫌味な人間の代表格だった前神官長やその取り巻きたち、彼らと仲が悪くて閑職に追いやられていたけど、今では王太子殿下や巫女姫様に最も信頼されて、重用されている。
「じゃ、じゃあ、一体なんで……」
「暗殺者だよ。騎士団の中に、裏切り者がいたんだ」
顔を歪めて、ロージャが吐き捨てた。穏やかな彼にしては珍しい、嫌悪でいっぱいの顔だった。
僕は呆然として、いつもはにこにこしているロージャのふっくらとした顔を見つめた。
「王都に入るときにはさ、血の臭いや戦の気配を持ち込んじゃいけない決まりになってるだろ?この光の神殿があるから……光の神は血の臭いがお嫌いだからさ。
だから、騎士団が王城の近くのバウファーの森、あそこを抜けたところにある谷間で兵装を解いたときに、古参の騎士で、王太子殿下も信頼なさってたクレイグとかいう騎士、そいつがいきなり王太子殿下に斬りかかったんだそうだ。
咄嗟のことで殿下が反応できなかったのを、アディート様が庇って、裏切り者の利き腕を切り落としたのはよかったんだけど……兵装、解いてたからな。アディート様は腹をざっくりやられて、おまけに刃に即効性の猛毒が塗られていたせいで、身動きできなくなったらしい。
クレイグってのの他にも、全部で30人くらい、騎士団の中に裏切り者がいて、乱戦になったんだそうだ。7人いた魔法使いも2人、裏切り者だったらしくてな。おまけに、血の臭いを嗅ぎつけて魔物まで現れて――混戦状態だったから、治癒の術が使える神官や巫女が王太子殿下の側にいなかったせいで、アディート様の治療ができなかったらしい。
殿下はどうにかアディート様を救命しようとなさったんだけど、あの方は治癒の術は使えないからな。それで、アディート様が殿下に騎士団の規則通り、『友の手による最期』と『焼却』を殿下に願い出て、殿下は最初は断ったらしいんだけど、最終的にはアディート様の希望通りになさって――」
「ちょっと待てよ! じゃあ、アディート様を殺したのは、王太子殿下なのか?!」
僕の声に、2人はぎょっとしたような顔をして、慌てて僕の口を乱暴に塞いで辺りを見回した。
この資料室は、閲覧者の集中力を妨げないように、一応防音加工がされている。資料室の奥にいる僕の声は外には絶対に漏れていないはずだし、今この部屋には僕とキースとロージャの3人しかいない。
しかし、それでも2人は青ざめて「滅多なことを言うんじゃない!」と僕を叱りつけた。
「で、でも……」
「でももクソもあるか! いいか、2度とそんなことを言うんじゃないぞ?!
例え殿下がお怒りにならなくても、周りの奴らはそうはいかないんだからな!
下手すりゃ不敬罪で、即刻処刑だぞ?!
それに、殿下がアディート様を自分の手にかけて、お辛くないはずがないだろうが!!」
「そうだぞ、マルス。お前だって、何回も見たことあるだろ。
『友の手による最期』と『焼却』をした騎士、彼が1番辛いんだぞ?
葬儀の時、遺族から人殺しと罵られて、それでも黙って謝罪し続ける騎士を何人も見たことがあるだろう? 1番仲の良かった同僚や信頼していた上官に頼まれて、彼らに止めを刺して、その遺体を燃やさなくてはいけなかった騎士たち、彼らが葬儀の間中、泣くことも悲しむこともできないで、必死に耐えていた姿を忘れたのか?」
キースとロージャに口々に諭されて、僕はかっとなっていた頭が瞬時に冷えていくのを感じた。
『友の手による最期』と『焼却』。
魔物のいる戦場で騎士が死にかけた際に、仲間に止めを刺してもらい、そして遺体を焼却してもらう、騎士団の規則だ。もっとも、絶対に守らなくてはいけない規則ではないが。
魔物は生死に関わらず、人の肉や内臓を好む。わざわざ墓場を掘り返したりはしないが、腐っていても、奴らは人の体を貪り食らうのだ。
国と民を守る騎士が、それを脅かす魔物の餌になるわけにはいかない。
だから、魔物のいる戦場で治癒をしても蘇生の見込みがなく、遺体を無事に保存できない場合、瀕死の騎士が自ら頼んで、仲間の騎士に止めを刺してもらい、そして遺体を燃やしてもらうのだ。それが『友の手による最期』と『焼却』だ。
『焼却』には騎士団の騎士1人につき1つ配布される、特別な火炎の魔法が閉じ込められた魔法の石を使う。持ち主の血に反応して、その石は1回だけ炎を放つのだ。
たった1人の人間を、灰すら残さず完全に消してしまう、魔法の炎。人間以外は燃やせない、『焼却』のためだけの炎。それによって、魔法が使えない騎士でも、戦場で仲間の遺体を『焼却』することができるのだ。
普通、『友の手による最期』と『焼却』は、その騎士と最も仲の良かった騎士が行う。信頼も何もない人間に、自分の命を奪うという重大な負担を与えたくないからだ。
アディート様は、王太子殿下ととても仲が良かった。
「平民のくせに」と貴族連中や一部の騎士に陰口を叩かれながらも、アディート様は常に王太子殿下の側に控え、彼の手助けとなっていた。
王太子殿下も、アディート様には「主君と騎士」というより、1番心が許せる「親友」として接していた。なまじ顔立ちが整っているせいで、常の無表情が冷たい印象を与えがちだったアディート様の表情を崩せたのは、王太子殿下だけだった。
――ああ、いや。『彼女』がいた。
「……ごめん。でも、じゃあ、使者様…ハルカ様は……」
僕の言葉に、キースとロージャはくしゃりと顔を歪めた。
酷く辛そうな顔だった。
「……お前が風邪で寝込んで3日目に、遠征から殿下方が帰って来て、その次の日に葬儀があったんだ。本当は教えなくちゃと思ったんだけど、お前、凄い高熱で意識も朦朧としてたから、治るまでよそうってことにしたんだ。……俺たちも、辛かったし、信じられなかったから」
「……ハルカ様は、王太子殿下から直接事情を聞いて、それで……それ以来、ずっと放心状態なんだ。葬儀の間も、ベールを被ってらしたからお顔は見えなかったけど、フラフラしてて……王太子殿下が、ずっと支えてらした。それから、お部屋にずっと篭ってらっしゃる。巫女姫様や王太子殿下が毎日会いに行っておられるけど、まだ、ぼんやりなさったままだそうだ。
……アディート様の死が、うまく受け止められないらしい」
僕は黙って2人の顔を見た。2人は泣きそうな顔をしていた。
僕も、泣きそうだった。
僕ら3人は、示し合わせたわけでもないのに、ふっと同じ方向を向いた。
僕らが今いる資料室の奥から見える、西側の窓。
その窓辺には、資料を閲覧する人が使うための机と2脚の椅子が置かれてあって、机の上には小さな子ども向けの絵本が積み重ねられている。
この資料室には、あまり人が来ない。ここには、主に神殿の記録や神話の資料、過去の魔物討伐の記録などがある。騎士団の隊舎や王城にも似たような資料庫があるから、皆、基本的にそっちを使う。
この資料室は本来、必要ないのだ。ただ、僕ら3人のように、大した力のない神官が暇にならず、適当な仕事ができるように、そういう下らない意図のために存在する部屋なのだ。
だから、僕らは神官としての修行と奉仕活動をするとき以外は、ここでだらだらと過ごしていた。
そうしたら、3年前のある日、彼女とあの騎士がやって来て、それから2人で文字の読み書きの勉強を始めたのだ。
アディート様と、ハルカ様。
2人は、この部屋のあの場所――陽のあたる暖かな窓辺で、楽しそうに勉強していた。
僕ら3人はその光景を、たまにお茶を淹れてあげたり、お茶菓子をあげたりしながら、こっそりと見ていたのだ。
幸せそうだった。楽しそうだった。見ているこっちの心が温かくなる、そんな2人だった。
3年間、定期的にやって来ては、ここで文字の勉強をしていた2人。
ああ、でも、その光景を見ることは――もう、2度とないのだ。




