騎士の死(4)
「お前、どうして騎士になったんだ?」
一度だけ。
一度だけ、あの男に、そんなことを聞いたことがある。
去年の冬、だったかな。たまたま、俺はあの男と二人きりになる機会があったのだ。
訓練塔の地下にある、訓練用の武器の保管庫だった。俺が保管庫の目録の整理のためにそこで作業していたときに、あの男がちょうど、自分が使っていた模擬剣を返却しにきたのだ。
あの時、どうして突然そんなことを聞いたのか、自分でもわからない。
ただ、今までは冷たいだけだったあの男の顔が、随分とまぁ『人間らしい』無表情をするようになったもんだと思ったのだ。
今なら俺がそんなことを聞いても、あの男は型どおりの答え――祖国のために働きたいとか、国王陛下に忠誠を誓っているからだとか――以外のものを返してくるんじゃないかと、多分、そんなことを思ったのだろう。
模擬剣を片付けていた男は手を止めて、黙って俺の方を振り向いた。相変わらずの無表情で、それでも僅かに困惑したような色が薄い青色の瞳に浮かんでいた。
何故、急にそんなことを聞くのか。
そんな風に思っていたのだろう。
俺はあの男と親しくしていたわけでもないし、むしろ一定の距離を置いていたからな。
男は少しだけ考え込むようにして、それから静かに口を開いた。
「約束したからです」
「約束?」
予想外の答えに俺が驚いていると、あの男は僅かに目を細めて微笑んだ。何を考えているのか、よくわからない微笑だった。
「ええ。約束したからです。だから、騎士になりました」
誇らしげなわけでもなく、過去を懐かしがっているわけでもない。
言葉に込められた気持ちが全く読めない不思議な微笑を浮かべたまま、男は静かにそう言った。
「……誰との約束なんだ?」
「内緒です」
「……内緒なのかよ」
「ええ」
怜悧な美貌に似合わない可愛い言い方に脱力すると、男ははっきりと楽しそうだと分かる笑みを浮かべた。
ちょっと前までは、こんな風に笑ったりしない男だったのに。その変わり様に驚きと呆れを同時に感じながら、それでもこういう変化は悪くない、と思った。
「……変なこと聞いて、悪かったな」
「いえ。――あなたはどうなんですか?」
武器庫から出て行く際に、男が俺を振り返って静かに聞いてきた。
「あ? 何が?」
「あなたはどうして、騎士になろうと思ったんです? 別に、生活に困っていたわけでも、国のために働きたかったわけでもないでしょう」
「……それは」
責めるような口調ではなかった。からかってもいなかった。純粋に不思議そうな口調で、あの男は、俺にそう聞いてきたのだ。
だが、俺はすぐに答えられなかった。
俺が騎士になった理由は――くだらないことだった。だが、俺にとってはとても重要なことだった。だから、俺は騎士になった。
そのことを、すぐには答えられなかった。
「――答えづらいことを聞きましたね。すみません」
「あ、いや……」
あっさりとそれだけ言って、男は武器庫から去っていった。
後に残された俺は、少しの間呆けて、男が出て行った武器庫の扉を見つめていた。
あの男は、俺の事情を色々と知っていたのかもしれない。そう思ったのは、男が出て行って暫く経ってからだった。
王太子殿下の側近だったのだ。騎士の中でもややこしい事情を抱えている奴のことは、知っていたはずだろう。
俺はあの男の生い立ちについて、何一つ詳しいことは知らなかったが。知っていることと言えば、せいぜい噂で聞いた、天涯孤独の身の上で、貧しい暮らしをしていた、ということくらいだ。
あのときは、男の問いに上手く答えることができなかった。
でも、あの男が――恐らく、俺の唐突な問いかけに対して、正直に答えてくれたのだから。
俺もいつか、きちんとあの男に答えを返そう。そのときには、酒でも酌み交わしながら、色々話をできたらいい。
そう思ったのだ。
結局、それは叶わない夢となってしまったのだけれど。
俺たち騎士は、このレガイア王国の紋章――黄金の剣と盾と茨のうち、『盾』を意味している。
国に害なす存在から民を守る、揺るがぬ盾。それが俺たち騎士なのだ。
この国は建国以来、他国を侵略した歴史はない。侵略などをしないで、巧みな外交と内政手腕によって強国となったのだ。
勿論、何度か他国と国境地帯で小競り合いになったことはある。他国からの侵攻を退けるために、戦争したこともある。しかし、自分から他国に侵攻したことは一度もない。
俺たち騎士は、生ける盾として剣を振るい、魔物や他国の脅威から民を守るのだ。
騎士は常に、死と隣り合わせとなっている職だ。
だから騎士となった貴族は、家の爵位を継ぐことができなくなる。平民で騎士となった者は、家名を授与されるが、生涯独身のままで終わる者も多い。絶対に命の無事が約束できない職だからこそ、なかなか家族を持つふんぎりがつかない者もいるのだ。
年に四回は必ず行なわれる魔物の討伐遠征では、毎回何人かの死者や怪我人が出ている。家族を遺して死ぬことや、大怪我をした後に自分が家族の負担となることを嫌う者もいる。考え方は人それぞれなんだろうが、高収入で女に人気があるのに、何故か騎士に独身の者が多いのはそういう理由からだ。
アディート・ルクス――あの男は、寂しい男だったのかもしれない。
騎士になるまで、家族や友人といったものに、一切縁のない生活をしていたのかもしれない。
だから、あんなにも冷たい雰囲気の男だったのかもしれない。
それでも、王太子殿下や『光の神の使者』ハルカ様の前では、ただの普通の『男』だった。
特にハルカ様のおかげで、あの男は変わっていった。
あの男が死んだ日だって、きっと王城で、彼女はあの男の帰りを待っていたに違いないのに。
――あの男にも、「家族」ができたかもしれないのに。
あの男は、もう、何一つ得ることができないのだ。
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それぞれが思考の海に沈み、静寂が満ちていた執務室の空気を変えたのは、待合の間にいる扉番の入室伺いの声だった。魔法使いの塔に行っていたレーミアが戻ってきたのだ。
「あったか?」
真剣な表情をした王太子殿下は、入室してきたレーミアともう1人の魔法使いが臣下の礼をとるより先に、そう声をかけた。
「はい。これがそうです」
室内にいた俺の存在と縛られて床に転がされている二人の男に驚いているレーミアではなく、もう一人の魔法使いがそう言って、手に持っていた一冊の本を見せた。
肩まである、まるで鳥の巣のようにボサボサの白金の髪と、金を帯びた丸い茶色い瞳。そのつぶらな瞳が特徴的な、背の低い、ぽこっと腹の出た壮年の男は、王城使えの魔法使いたちの中でも一番の変人と名高い、セレスという名の魔法使いだ。
この男は、なんというか……学者気質の魔法使いが大半の王城仕えの魔法使いの中では珍しい『実戦派』だ。
攻撃魔法や転移魔法が得意で、騎士団が魔物討伐に赴く際には必ずと言っていいほど、毎回遠征に協力してくれる。騎士団や王太子殿下と最も仲が良く、レクシスと最も仲の悪かった魔法使いだ。
セレスは、暗殺未遂事件が起こった今回の遠征には同行していなかった。新しい魔法の開発をしていて、魔法使いの塔にある自分の部屋の一部を燃やしてしまい、謹慎処分を食らっていたためだ。
情けないといえば情けないが……セレスがいてくれたら、騎士団の被害はもう少し抑えられたんじゃないかと思う。彼はレクシスと並んで、この国でも優秀な魔法使いの一人なのだ。
セレスが王太子殿下に見せたのは、紫色の装丁の、ごく普通の本だった。しかし、題字や著者名は記されていない。
あれは一体、なんの本だ? もしかして、カシムはレーミアにあの本を保護するように頼んだのか?
王太子殿下はセレスからその本を受け取ると、中を開いてパラパラと頁をめくった。
中に何が書かれてあるのか、殿下は形のいい眉を寄せて、考え込むようにしている。
「殿下、その本は何なのですか?」
黙っていても状況についていけないと思った俺は、王太子殿下に声をかけた。
殿下は顔を上げて「ああ」と言うと、シャイサース殿に視線をやって、「この馬鹿2人は地下牢に放り込んでおけ」と命令した。
頷いたシャイサース殿は、執務室を出て行った。恐らく、他の騎士を呼んできて、ダグラスとグイードを地下牢に放り込むのだろう。ダグラスもグイードも、怯えきって涙目だ。しかし、こいつらのことはもう無視していいだろう。
俺はダグラスとグイードから視線を外し、王太子殿下の説明を待った。
「この本は、カシムがレーミアと共に開発した、新しい魔法具だ。そうだろう? レーミア」
王太子殿下に声をかけられて、レーミアが上ずった声で「そ、そうです」と言った。
……なんで頬を染めてるんだよ、お前。いや、殿下が王城にいる女共の憧れの君なのは知ってるけどな。状況考えろ、こら。
そんなことを思っていたら、ふいにこちらを振り向いたレーミアと視線がかち合ってしまい、すぐにさっと顔を背けられた。
……昼間、急に怒鳴ったのは俺が悪かったが、それはお前が最低な言葉を言いやがったからだぞ。
レーミアの態度に苛つきつつも、俺は再び視線を王太子殿下に戻した。
「王城仕えの魔法使いが開発した新しい魔法具は、最初に魔法使いの長に提出するのが決まりだ。
レーミアとカシムは、二人で一冊ずつ、この魔法具を作った。本来なら両方を提出しなくてはいけないが、直前になってカシムの魔法具に不備な点が見つかったため、先にレーミアの魔法具だけを長――レクシスに提出したそうだ。
こちらにとっては都合のいいことに、カシムの方の魔法具の不備というのは単に装丁が汚れてしまっただけで、魔法具としての性能自体に問題はなかった。そして、レーミアはレクシスに間違った説明をして、魔法具を提出してしまった。
――そうだな? レーミア」
「は、はい。わたし、その……初めて魔法具を作ったものですから。カシム先輩にも褒められたし、嬉しくて。それでつい、大事な部分の説明をレクシス様に抜かしてしまったんです」
おいおい、いいのか、それ。
呆れたようにレーミアを見たが、王太子殿下が「こちらにとっては都合のいいことに」と言ったのが、どうにも気にかかった。
「二人で一冊ずつ作った」ってことは、その本の形をした魔法具は二冊あるはずだ。もう一冊はどこにある?
「だが、レーミアが説明を抜かしてくれたおかげで、レクシスはレーミアの魔法具をそれほど問題視せずに、部屋に置きっぱなしにしていた。
レーミアが魔法具を提出したのは遠征の五日前だ。カシムは遠征の準備や打ち合わせの会議があったせいで、魔法具の装丁を直すのに時間がかかってしまい、結局、この魔法具をレクシスに提出しないままで遠征に出て行った。
――レーミア、お前が提出したときに、魔法具はすでに魔法を発動させていたのだな?」
「はい。レクシス様に、魔法具の性能を見て頂かなくてはいけませんでしたから。レクシス様に説明をした後、魔法を発動させました」
「いつまで、その発動は続いた?」
「カシム先輩が捕まって、地下牢に放り込まれるまで、だと思います。カシム先輩が捕まったと聞いて、わたしが慌ててレクシス様の部屋に行って、その時にわたしが提出した魔法具が開きっぱなしになって放置されていたので、変だな、と思って、レクシス様に言って発動を止めたんです」
「お前の魔法具は、どうなった?」
王太子殿下の問いに、レーミアは一瞬、言葉を詰まらせた。
「……さっきまで、セレスさんと一緒にレクシス様の部屋をあちこち調べましたが……。暖炉に、燃えカスが残っていました」
「……そうか」
レーミアは悔しそうに声を震わせて言うと、顔を俯かせた。
レクシス――あのババアに、一生懸命作った魔法具を燃やされて悔しいのか。
それとも、カシムをレクシスに利用されてしまったことが、悔しいのか?
じっとレーミアの様子を見ていた俺に、王太子殿下が穏やかに声をかけてきた。
「ジャン。魔法具には、あらかじめ魔法が組み込まれていて、魔法に拠らない特定の動作によって組み込まれた魔法が発動するものと、発動のきっかけとなる魔法をかけることで、組み込まれた魔法が発動するものの二種類があるのは知っているな?」
「はい。レーミアとカシムが作った魔法具は、後者のものですか?」
「そうだ。魔法使い専用の、記録書の試作品だな。魔法書や魔法具の目録を作る手間を省くためのものだ。カシムは魔法書を多く保有していたようだからな、目録をいちいち書くのが面倒だったんだろうよ。後輩のレーミアの魔法具作りの修行の一環として、二人でこの記録用の魔法具を作ったそうだ」
トン、と純白の手袋を嵌めた右手に持った紫色の本――いや、本の形をした魔法具の背の部分と左手の掌に打ち付けて、王太子殿下は説明した。
……『記録用の魔法具』だと?
「殿下……今、殿下が手に持たれている魔法具は、カシムが作ったものなのですか?」
「そうだ。暗殺実行犯たちの私物が置かれている部屋は現在、全て騎士団の管理下にあるが……魔法使いのものだけは、魔法書やら魔法具やらがあるせいで、魔法使いの長――レクシスの管理下にあったからな。
捜索をするのにもレクシスの許可と監視が必要なせいで騎士団には手が出しにくかったが、魔法使いであるレーミアならば、カシムの部屋にどうにか入り込むことができるだろう。カシムはそう踏んで、レーミアにこの魔法具を保護してもらうように依頼したのだよ。
カシムも本来ならば私や騎士に頼みたかったのだろうが、そこに転がっているグイードのように、自分にレクシスらの見張りが付いている可能性を考慮して、迂闊に言い出せなかったようだ。私が直接尋問した際にも、周囲には何人かの騎士がいたからな。
だから、自分から面会に来てくれて、おまけに魔法具の性能を知っていたレーミアに、遠まわしにこの魔法具の保護を依頼したらしい。
――そうだな? レーミア」
「はい。わ、わたしは……カシム先輩が暗殺の実行犯だなんて信じられなくて、それで、同僚たちには止められたんですけど、先輩に会いに行ったんです。そうしたら、魔法使いの塔から出てすぐに、そこにいる若い男が付いてきて……。あの時は騎士の格好をしていたから、カシム先輩の後輩だったわたしを見張っているんだって思って、嫌な気持ちはしたんですけど、我慢したんです」
その言葉に、俺は床に転がっているグイードを見た。奴は怯えたように俺から視線を逸らしている。
こいつ、本当にレーミアを見張っていたのか。くそ、俺、どうして気がつかなかったんだ? あー、駄目だ。鈍すぎるこんな俺には、やっぱり副団長とか無理ですって、殿下。
「カシム先輩は、その男のことを凄く気にしていて……それで、もし自分が処刑されたら、カシム先輩が持っている全部の魔法書をわたしに譲る、って言い出したんです。凄く高価な本もあるから、わたしは頂けませんって言ったんですけど、カシム先輩は高価な本はレクシス様に渡して保管してもらえばいいと言って……。
そのときに、『紫の装丁の本は、初めて作った魔法具だから絶対にレーミアが持っていてくれ』って、そう何度も念を押してきたから、変だな、と思ったんです。先輩が初めて作った魔法具は水晶を使ったものだったはずだし、先輩の言う紫の装丁の本って言ったら、わたしと一緒に作った魔法具しか思いつきませんでしたから。
でも、きっとその魔法具に何かあるんだと思って、『わかりました』って答えたんです。わたしの作った魔法具は、先輩の作った魔法具と対のものでしたから。わたしのために、そう言ってくれているんだと思って……」
レーミアは、唇を噛んで黙り込んだ。淡い緑の瞳が僅かに潤んでいる。
……つまり、どういうことだ?
カシムは、レクシスにその紫の本の形をした魔法具が処分されることを恐れたのか?
俺の疑問に答えてくれたのは、王太子殿下だった。
「ジャン。この魔法具はな、レーミアの魔法具と対になっていたのだ。レーミアのものは、赤い装丁の本だったそうだが……さすがに、不味いと思ったレクシスに燃やされてしまったようだな。
レーミアの作った魔法具は、本のページを開いた状態であれば、その周囲で語られた人間の言葉を文字と音声で記録する、という優れものだ。もっとも、記録の限度はあるし、魔法をかけなければ発動しないがな」
……なんだって?
「で、殿下……。それはつまり、レーミアの魔法具には、レクシスが暗殺未遂事件について、首謀者たちと話したことが残っていたのでは?!」
「そうだな。あの馬鹿共は、遠征の三日前にも一度、レクシスの部屋を訪ねているからな」
「ですが、それはもう燃やされてしまったのですね……?」
なんてことだ。レーミアもカシムも、記録用の魔法具を作るのなら、耐火性くらいつけろよ。
そう考えていると、それまで黙っていたセレスが苦笑して言った。
「ジャン殿、レーミアとカシムの作った魔法具に使われている魔法の媒介は、紙に塗りこまれた絵の具でしてね。これは透明度が最も高く、魔法を組み込みやすい、シリス産の最高級の水晶を砕いて練成された特殊なものなんですよ。
この絵の具は魔法を組み込みやすくて強い効果があるんですが、その分、組み込む魔法を何重にもかけることはできないんです。耐火性や耐水性をつけるための魔法を組み込んでしまったら、その分、記録の効果が落ちてしまうんですよ」
「そ……そうなのか」
俺、何も口に出していなのに、不満について解説されてしまった。鋭い男だな……。
俺とセレスのやり取りに苦笑した王太子殿下が、カシムの作った魔法具を撫でながら言葉を続けた。
「大丈夫だ、ジャン。記録自体は消えていない。言っただろう? カシムのこの魔法具はレーミアのものと対になっている、と。
お前も危惧したとおり、魔法具自体を燃やされてしまっては記録書としての意味がないからな。カシムの魔法具は、レーミアの作った魔法具の記録を自動的に写し取る魔法具になっているのだよ。レーミアの魔法具が発動した場合、カシムの魔法具も自動的に発動する仕組みになっている。逆に言えば、レーミアの魔法具が発動しなければ、カシムの魔法具は発動しないわけだ」
その言葉に、俺は目を見開いた。
つまり、カシムの魔法具はレーミアの魔法具の予備ってことか?
レーミアの魔法具が――そう、今回のように燃やされてしまったりした場合でも、内容を失わないための?
思わず王太子殿下の手の中にある紫の装丁の本を凝視すると、殿下がにやりとした笑みを浮かべた。美しいが……なんとなく、『凶悪』と表現したくなる恐ろしい笑み。
「レーミアがレクシスに、この点についての説明を抜かしていたのが幸いした。
対になっているとはいえ、魔法具としては、レーミアの作ったものの方が重要だからな。レクシスもカシムの作った魔法具について、魔法具の性能が連動しているとは考えなかったのだろうよ。
助かった、レーミア。――セレス、この魔法具の解析を頼む」
「御意、殿下。……ですが、レーミアは?」
王太子殿下からカシムが作った魔法具を受け取ったセレスは、心配そうな視線をレーミアに向けた。
それを受けて、殿下は静かに頷いた。
「ああ。
レーミア。私はお前に、今回の事件の捜査に協力してほしい。特に、お前の探索魔法の腕を借りたい。勿論、報酬も出す。
だが、これは命令ではない。私はお前に強制する力をもっていないからな。断ってくれても構わない。――どうだろうか」
凶悪な笑顔を引っ込めた王太子殿下は、真摯な瞳でレーミアを見つめた。殿下のいる執務机の前に立っているレーミアは、正面から強烈な光を宿した翡翠の双眸に射抜かれて、少しだけ体を震わせた。
――レーミアは、カシムから保護を頼まれた魔法具を殿下に持って来ただけで、正式に捜査協力を申し出たわけではなかったのか。
俺はその事実になんとなく落胆してしまい、そして、あれ? と思った。
……なんで、俺、レーミアが捜査に協力していないことなんかに落胆するんだ?
そんなことを考えている俺をよそに、レーミアは何かを決意したような必死な表情で、王太子殿下を見つめた。
「王太子殿下。もし、わたしが捜査に協力したら……そうしたら、カシム先輩の罪は軽くなりますか?」
――何を言い出すんだ、こいつは。
俺は驚いて、レーミアを見た。
セレスもくりくりとした金茶の瞳を見開いて、ぎょっとしたようにレーミアを見つめている。
「それは無理だな」
王太子殿下は全く表情を変えず、落ち着いた口調のまま、そう答えた。
「で、でも……! その魔法具は、カシム先輩が教えてくれたもので……!」
「確かにそうだが、カシムは実際に、私を守っていた三人の騎士を殺している」
「そ、それは……。でも、カシム先輩が暗殺だなんて、そんなこと……。
きっと、何か理由があるはずなんです……!」
「理由、な。まぁ、あるにはあるが、それは実際には小さなきっかけにすぎない。クレイグ・スタンが行動を起こしたときに、それに便乗しなければよかったのだ。しかし、カシムは私に敵対した。三人の騎士を殺害し、五人の騎士に怪我を負わせた。レーミア、お前がどんな働きをしてくれようとも、カシムの罪をなかったことにはできないし、軽くすることもまた、できない」
「そんな……!! だって、騎士たちが死んでしまったのは、仕方がないことでしょう?! 殿下を守ったのだから、名誉の死なんじゃないですか?! カシム先輩は、きっと誰かに脅されてるんです! それなのに、処刑だなんて……!!」
この女は、また。
俺はもう一度レーミアを怒鳴りつけそうになって――けれど、俺と視線を合わせた王太子殿下に無言で諌められた。
両手で拳をつくり、歯を食いしばって怒りを耐える。脳裏に浮かぶあの日の光景を、無理矢理追い払う。
セレスは俺とレーミア、それに王太子殿下を何度も交互に見て、心配そうな顔をしている。
王太子殿下は――――
「確かに、カシムは脅されてはいたな。しかし、それはやはり、小さなきっかけにすぎない。どんなに卑劣で許されない方法で脅されていたにしろ、カシムが私を襲おうとしたのは、紛れもない事実なのだから」
王太子殿下は、落ち着いていた。
感情の揺らぎなど微塵も感じさせない口調で、冷静に、静かにレーミアに向けて言葉を紡いだ。
「レーミア、お前は先ほど、騎士の死を仕方のないことだと言ったな? 私を守ったのだから、名誉の死だと」
「……はい」
レーミアは、目に薄っすらと涙を浮かべて王太子殿下を見つめていた。怒りで興奮したためか、頬が赤い。不満そうに唇をぎゅっと引き結んで、じっと王太子殿下の言葉を待っている。
「――ラッド・カルセ」
王太子殿下は翡翠の双眸を宙にやって、静かに名前を挙げた。
「ティタン・クラウス、グレゴリー・トラスト、ルーウェン・マグナス、フランク・ロッド、シュベルツ・ザウアー、ロクサス・ゾイド、エリック・バルカン、ジョイ・ファクサス、ケイン・サルベック、イリヤ・ヴァウエス、マックス・イード、アルフ・レイン、サイラード・グウェン、ポール・ディオン、ハンス・サイア、ヘンリック・ツベルグ、……アディート・ルクス」
――その、名前は。
俺は驚いて、王太子殿下を見た。
王太子殿下は目を開けて、静かにレーミアを見つめた。殿下の美しい翡翠の双眸には、ただ、静かな光が宿っている。そこにどんな感情が隠されているのか、それは俺にはわからなかった。
「今挙げた18人の騎士が、あの事件で暗殺実行犯たちと戦って、そして死んだ騎士だ。
カシムが殺したのはラッド・カルセとティタン・クラウス、そしてグレゴリー・トラスト。
ラッドはあと三年もしたら騎士を引退して、故郷に帰る予定だった。この間、王都に住んでいる長男夫婦に三人目の孫が生まれたばかりだった。葬儀には、長男一家が来て大声で泣き叫んでいたよ。
ティタンは去年の夏、騎士の入団試験に合格したばかりの新人騎士だった。最近になってようやく、王城の下働きの娘と恋人になったそうだ。彼女も葬儀で泣いていたな。
グレゴリーは、騎士になって六年目の男だった。一昨年に結婚して、去年の秋に初めての子どもが生まれたばかりだった。小さな子を抱えて、グレゴリーの妻も葬儀では泣き崩れていたよ」
王太子殿下の静かな言葉に、レーミアの目が大きく見開かれた。――殿下は、当たり前のことを言ったに過ぎないのに。
死んでしまった騎士たちの一人ひとりに、それぞれの人生があって、それぞれに大切な人たちがいたという、ただ、当たり前のことを言ったに過ぎないのに。
……やはり、レーミアのような魔法使いにとっては、騎士団の騎士たちは、個性のないただの『盾』にすぎないのか。
自分や国民、そして王族を守るための、代替がきく便利な『盾』にすぎないのか。
死んでも「仕方ない」で済まされる――死ぬことが『名誉』になる、その程度の存在にすぎないのか。
俺たちだって、そりゃ、『騎士』として戦場で死ぬ覚悟は、大なり小なり、皆が持っている。
しかし、それぞれに大事なもの――守りたいものがあるんだ。
全員が全員、戦場で死ぬことに完全に納得しているわけではない。国のため、民のため――そういう意識は、確かにある。しかし、だからといって、自分の人生を何の未練もなく終わらせることを、何の悲しみもなく受け入れているわけではないのだ。
騎士によって、考え方は色々だ。次期国王たる王太子殿下を守って死んだのだから、今回の暗殺未遂事件で死んだ騎士たちは、一般的に『名誉の死』になる。俺だってそのことについて、異存はないさ。
けれど、彼らは――彼らだけではない、全ての騎士たち一人ひとりが、誰かにとって大切な存在なんだ。
剣をもつことのできない、普通の人々と同じように。
――でも、お前にはそれが分からないんだな、レーミア。騎士はお前にとって個人ではなく、ただの『盾』にすぎないんだな。
「レーミア。彼らが死んだのは仕方のないことかもしれない。しかし、カシムら暗殺の実行犯たちが裏切らなければ、彼らは死ななかった。王太子である私を守ったのだから、確かに『名誉の死』と言えるだろうが、それでも彼らが死ぬことなど、誰も望んではいなかったんだ。
彼ら一人ひとりは、『騎士』であると共に誰かの父であり、夫であり、恋人であり、友だった。
仮にあの事件で私が死んでいたとしても、私の他にも王位継承権者はいた。――私自身は替えのきく存在で、だからこそ私は常に狙われているのだよ。
しかし、私は王にはなれても、死んでいった騎士たちの代わりにはなれない。遺された者たちに、彼らを返してあげることはできない。
レーミア。お前には、騎士など、それこそ一部を除いて、全て同じに存在に見えるのだろう。だが、それは違う。彼らは一人ひとりが、替えのきかない存在なんだ。お前にとってはそうではなくても、彼らの家族や恋人、友人たちにとっては、死んだ18人の騎士は全員、替えのきかない、大切な存在だったんだ」
小さな子どもに教えを諭すような、優しい声だった。
決して相手を責めていない、穏やかな声だった。
だからこそ、王太子殿下の言葉は、真摯にレーミアの胸に響いたのだろう。
レーミアは淡い緑の瞳を潤ませて、声もなく涙を零した。両手を胸の前で祈るように組んで、ぽろぽろと、彼女の目から涙が零れ落ちていく。
「カシムら、生きたまま捕らえられた暗殺実行犯たちは、皆、例外なく処刑される。この決定は、絶対に覆らない。
彼らの罪は、王太子である私を殺そうとしたこと――国家反逆罪だ。
レーミア。お前が捜査でどんな功績を立てようと、カシムがどれだけ有益な手がかりを出そうと、その罪を免れることは出来ない。
――国家反逆罪の中に、カシムらが殺した18人の騎士の命は含まれない。だが、彼らを殺したことも、カシムらの罪なのだ。王太子である私一人の命を狙ったこと、その罪の前には問題にされないがな。
しかし、私は彼らの死を忘れない。彼らが遺していった者たちも、決して彼らの死を忘れないだろう。
カシムらは罪人なのだよ、レーミア。絶対に、それは変わらない。そして、罪には罰を与えなくてはいけない。二度と今回のような事件が起きないように、首謀者たちを含めて、罪人は皆、処刑される」
王太子殿下は静かに、しかし力強く断定した。
俺には、その言葉だけで十分だった。
彼が騎士団の団長であり、王太子――次期国王であること。
俺が――騎士団が、絶対の忠誠を誓う相手であること。
彼の今の言葉で、それは揺ぎ無いものになった。
エルリアス・ラス・レガイア――彼を支えるためなら、俺も副団長くらい、どうにかこなしてみせよう。暫定的なものだろうが、その間はしっかりと、副団長として騎士団を纏めてみせよう。
その決意を固めた俺は、レーミアに目を向けた。
体を小刻みに震わせて、黙り込んだまま涙を流し続けるレーミア。
……多分、捜査協力は無理だろうな。
少なくとも、今すぐには返事ができないだろう。
王太子殿下もそう考えたのか、セレスに視線で彼女を連れて退出するように促した。
セレスは無言で頷いて、レーミアの背中を優しく叩き、魔法具を持ったまま、彼女を連れて退室した。
扉を閉める直前、レーミアの視線が俺とぶつかった。しかし、レーミアの視線はすぐに俺から逸らされてしまった。
……そのうち、レーミアに怒鳴ったこと、謝っとかないとな。俺の方が年上なんだし。レーミアも、騎士に対して今までとは違う見方をしてくれるようになってくれれば、それでいい。
そんなことを思いながら、俺は視線を王太子殿下に向けた。
殿下は束の間、天を仰いで何かを考えていたようだったが、不意に俺と視線をあわせると、静かに微笑んだ。
「……よく耐えたな、ジャン。昼間も、今も。お前にカシムを会わせたのは、酷だったな」
その言葉に、俺は不覚にも泣きそうになった。
……わかってらしたのか、やはり。
「ティタン・クラウスは、お前が一番面倒をみていた後輩だったな。騎士団の暗殺実行犯に後ろから斬りかかられて倒れたところを、カシムの魔法で止めを刺されたのだったか?」
「はい。逃げろと言いましたが……間に合いませんでした」
乱闘の際、俺の目の前で裏切り者の兇刃を受けて倒れた後輩――ティタン。
それでもまだ、かろうじて生きていた彼の命を奪ったのが、カシムだった。
俺は上から襲いかかってきた魔物の爪を避けて、ティタンを助けようとした。そのとき、倒れたティタンの後ろにカシムが見えて、奴が何故かこちらに向かって魔法を放とうとしているのに気がついたから、声をあげて逃げろと叫んだ。でも、間に合わなかった。
あの傷では、カシムの魔法を浴びなくても、ティタンは死んでいただろう。けれど、あのときはまだ、あいつは生きていた。俺の声に反応して、苦しそうに倒れたまま、俺の方に顔を向けたんだ。そして、その直後にカシムの放った魔法を浴びて、ティタンの姿は赤い炎の中に消えてしまった。
――ティタンはアディート・ルクスとは違い、黒焦げの骸を残して、死んでしまった。
「そうか……」
それきり、王太子殿下は黙りこんでしまった。
美しい翡翠の双眸を床に転がる愚かな罪人二人に向けながら、何かを思案しているようだった。
俺は脳裏に刻み込まれている、あの日の光景を思い出した。そして、翌日の葬儀の日のことも。
ティタンが一目惚れして、必死に口説いてようやく恋人になった王城の下働きの少女は、葬儀の間中、ティタンの名前を何度も呼びながら泣いていた。
ティタンは孤児で、家族がいなかった。だから、身寄りのない騎士がまとめて名前を刻まれる墓石に、ティタンの名は刻まれた。
――アディート・ルクスもそうだった。あれだけ輝かしかった男の名前は、多くの騎士の名前に紛れて、大きな墓石にその名が刻まれた。
あの二人には、血縁者というものがいなかった。
でも、もしかしたら、これから新たに「家族」を得ることができたかもしれなかったのだ。
もう、それは無理なことだけれど。
ハルカ様は、葬儀の間、どんな顔をしていたのだろう。
いつも身に着けているものとは違う、葬儀に参列する神殿の者が身に纏う黒地を使った巫女服に、表情が見えないようにベールを被っていた少女。
葬儀の間中、ハルカ様はひどく頼りない様子だった。立っているのも覚束ない様子で、そんな彼女をずっと王太子殿下が支えていた。
騎士団長としての弔辞を述べる際、彼女の側を離れた王太子殿下に代わってハルカ様の護衛を任された騎士たちが、彼女にアディート・ルクスの死に際について教えていた。ハルカ様が王太子殿下を恨まないように、懸命に、殿下は悪くないのだと、アディートは騎士として立派だったのだと、そう教え込んでいた。
――約束したからです。だから、騎士になりました――
だが、あの男は何も、死ぬために騎士になったわけではないだろう。
あの男にも、守りたい存在がいたのではないだろうか。
他の何に代えても、絶対に守りたい存在が――王太子殿下以外にも、いたのではないだろうか。
俺はふと、王太子殿下は誰かに責められたいのかもしれないと、そう思った。
死んだ騎士たちの遺族も、俺たち騎士団の騎士たちも、魔法使いたちですら、王太子殿下のことは責めない。
責められるはずがない。
彼の命を狙った輩が悪なのであり、彼自身の存在に罪はないのだから。
いや、王太子殿下は次期国王として、レガイアの民のほとんどが期待し、敬っている存在なのだ。
だから、誰も彼を責めない。責めようなどと、思わない。
しかし、彼は――――
「……シャイサースの奴、遅いな」
ぽつりと呟いて、王太子殿下は俺に目を向けた。
殿下の口元には既に、普段どおりの笑みが浮かんでいる。
「長々と脱線してしまったが、お前の二つめの質問について答えようか、ジャン」
「は?」
えっと……。何でしたっけ、殿下。
「『は?』ではない。何故、お前が騎士団の副団長に指名されたか、ということについてだ」
「あっ……。は、はい! ぜひ、お聞かせください!」
「……もう忘れていたのなら、別に構わないんだが」
「いえ! 知りたいです、殿下!!」
あああ、そういえば、最初に俺、二つ質問したんだった! 忘れてたよ!
引き攣った笑みを浮かべつつ、俺は王太子殿下の言葉を待った。
そんな俺を少しだけ呆れたような顔で見ていた殿下は、それでも俺に、納得できるようなできないような、何とも微妙な理由を教えてくれた。
「私がお前を副団長に指名したのは、大きくは次の二つの理由からだ。
まず、一つめの理由は――――」
それから俺は、シャイサース殿が数名の騎士を引き連れて執務室に戻ってくるまで、王太子殿下と今後のことについて話し合った。
拘束されて床に転がされたままのグイードやダグラスは、自分たちの絶望的な未来の話を聞いて震え上がっていたが、それはもう、どうでもいいことだった。
俺たちは一刻も早い事件の解決のために、早急に動き出さなくてはいけなかったのだから。
――事件の首謀者たちを、一人残らず捕まえること。
それが、死んでいった騎士たちと彼らの遺族に対する、今生きている騎士たちが贈ることが出来る、最高の手向けなのだから。
誰かが泣いた誰かの死が、積み重なっていく。
捨て駒の命では、なかった。
込みあがってくる全ての感情を抑えつけて、名誉の死だと誇らしく笑える人は、どれだけいるのだろう。
だから、彼らのためにできることを行なわなければならないのだ。




