喪失と祈り(2)
何もかもが、突然のことだった。
だから、あたしもまだ、喪失をうまく実感できないときがある。
――アディート様が死に、ハルカ様は抜け殻のようになってしまわれた。
「殿下……」
「……サラか。ハルカの様子はどうだ?」
「まだ、あのままです。3度のお食事はなんとかお召し上がりになるのですけれど、段々量が減ってきていまして……」
「そうか……。レスティアナと話はするのか?」
「いいえ。巫女姫様に会われても心ここにあらずの状態で、まともな返答ができておりません」
「……わかった。あれには、暫くハルカに会うのを控えさせよう」
「よろしいのですか?」
「構わん。あまり神殿の者が王城に居つくのも困るからな。
……それに、レスティアナと話をしても、ハルカの心は晴れないだろうよ」
「……殿下」
あたしは毎日、ハルカ様のお部屋を辞した後、王太子殿下にハルカ様の様子をご報告している。
ハルカ様に毎日会いに来られる殿下だけれど、訪問される時間帯も、部屋に滞在される時間もまばらだ。だから、日中、ハルカ様とずっと一緒にいるあたしが、その日のハルカ様の様子を報告しなければならないのだ。
「アディートが帰って来るのが、1番の薬なんだがな……。アディートに庇われて命を救われておきながら、逆にあいつに止めを刺して遺体を焼却した私が、こんなことを言っても仕方がないか」
「殿下、そのようなことをおっしゃらないでください! ハルカ様も、いずれ元通りになってくださるはずです!」
「……そうだな。今はまだ、アディートの死を実感することができないだけなのだろうな。
……私もだよ」
「殿下……?」
「おかしなものだな。私自身がアディートの胸に剣を突き立てて、あいつの最期を看取ったというのに。……毎朝、部屋にアディートが来ない、と思ってしまう。あいつはいつも、ハルカの部屋に行く前に、私の部屋に来ていたからな。勝手に私の補佐官を捕まえてハルカが新しく読む絵本を注文させたり、私にハルカをからかうなと説教したり。好き勝手して、それからハルカの部屋に行っていた」
「…………」
「夜もだな。あいつには、よく私の夜遊びにつき合わせたから。今夜はまだアディートは来ないのか、と思ってしまう」
「……殿下……」
「ああ……。泣くな、サラ。すまない、こんなことを言うつもりではなかったんだ」
「いいえ、いいえ……」
「……本当にすまない。日中、ハルカとずっと共にいるお前が1番辛いな。だが、ハルカが立ち直るまで、それまでもう少しだけ、ハルカと共にいてくれ。それが終われば、お前はハルカの侍女を辞めてもいいから」
「っ!! いいえ! わたくしは大丈夫です!
ハルカ様のことを、今まで通りずっと、お世話させていただきます!」
「……そうか。すまないな、サラ」
いいえ。いいえ。いいんです、殿下。
でも、あたしにはハルカ様を立ち直らせることができなくて、それが辛いんです。
あたしも毎朝、思ってしまうんです。
朝食後、今日はまだアディート様が来られないわって。まだ殿下とお話されているのかしらって。
もう2度と会えない人を待ってしまう、自分の心が苦しいんです。
それに、ハルカ様のことも、殿下のことも、誰1人慰めることができない、自分自身が悔しくてたまらないんです。
喪失が、あまりに突然で、大きすぎて。
あの方が2度と、ハルカ様を迎えにあの部屋に来られないことが、悲しくて、苦しくて、まだ、信じられないんです。
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「サラさんって、王都生まれじゃないんだね」
「はい。わたくしは、王都から南西部にある、山間の小さな領地の生まれなのですよ」
あたしはその日、ハルカ様にお茶を淹れながら、あたしの出身地についての話をした。
ハルカ様はどうも、王城仕えの人間は、王都生まれの人々ばかりだと思われていたようだった。
あたしはハルカ様に、自分がこの国の広大な領土の中では田舎にあたる地方の出身で、12歳の時に王都の商家に出稼ぎに来て、18歳の時に王城仕えの侍女の試験を突破して、以来ずっと侍女として働いていることを掻い摘んで説明した。
「実家には、帰らないの?」
「ええ。ここからは遠いところですし、わたくしの家は子沢山でして。兄弟が全部で14人もいましたから、わたくし1人がいなくても問題ないのですよ。今でも手紙のやり取りはしておりますから、お互いのことはわかっていますしね」
「へぇ……」
ハルカ様は感心なさったように、あたしを見て微笑まれた。
その微笑みの中に、僅かに羨望と望郷の色を感じ取って、あたしは失敗した、と内心で舌打ちした。
ハルカ様が、今はもう会えない家族のことを忘れがたく思っていらっしゃることは、ちゃんとわかっていたのに。
寂しい顔をするのは構わない。でも、ハルカ様はそれを隠して無理に微笑まれるので、それが見ていて辛いのだ。
あたしは慌てて話題を変えることにした。
「でも、王都に来たばかりの頃は、大変でしたわ。わたくしは田舎育ちでしたから、所作も言葉遣いも、とても乱暴だったのです。必死で王都に暮らしている女性の真似をして、なんとか女らしくなったのですよ」
「ええっ? だって、サラさん、殿下付きの侍女だったんでしょう?」
「ええ。ですがそれも、王城に仕えて10年ほど経った頃にようやく、ですわ。王族の方の側近くにお仕えするには、また別に礼儀作法などを学ばなくてはなりませんし、大変でしたわ。言葉遣いや所作も、新しく習わなくてはいけませんから」
驚いた顔のハルカ様に、あたしは内心で苦笑した。
子どもの頃に培われた性格や言葉遣い、というのはなかなか矯正できないものなのだ。
「わたくし」なんて、言い慣れるまで、何百回舌を噛んだことか。優雅な言葉遣いも所作も、最初はひぃひぃ言いながら体に叩き込んだのだ。
今ではもう、『侍女』としての人格が出来上がってしまっているから、問題ないのだけれど。
それに、いいところの商家の娘などでもなかったあたしが王太子付きの侍女になれたのは、一重に運がよかったからだ。通常、王族の方専属の侍女や侍従になるには、容姿や能力の他に、それなりの家柄も必要になってくるのだ。
あたしが王太子付きの侍女になれたのは、当時の王太子付きの侍女の1人が、あろうことかまだ子どもだった殿下を誘惑して押し倒す、などという悲惨な事件を起こしたせいだ。
彼女は王都でも有名な商家の娘で、当時25歳。美しく、侍女としての仕事も優れていたのだけれど、男女関係にふしだらなところがあったらしい。当然ながらその侍女は即刻地下牢行き、実家の商家は方々から圧力がかかって破産した。
事件を知って、国の次代を担う王太子殿下が女嫌いになるのでは、と多くの者が心配したものの、押し倒された瞬間に護身用の短剣で侍女の鼻を切り落とした殿下は、苦笑して「次から私付きの侍女は自分で選びますよ、陛下」と国王陛下におっしゃったそうだ。……侍女の返り血で、真っ赤に染まったままで。
その侍女を王太子殿下に付けたのは、国王陛下のご命令だったそうだ。
いくら美しくて能力が高く、実家にそれなりの力があったとしても、男女関係、といった性的な事柄に問題がある女は、王太子殿下の侍女には絶対に選ばれない。大切な王太子殿下が、放蕩な女好きになったら困るから。
侍女頭は彼女を王太子付きにするつもりはなかったのだけれど、国王陛下の勅命で決定された人事だったらしい。当時、まだ12歳ほどだった王太子殿下に対して、国王陛下は既に、様々な嫌がらせを行っていたのだ。この侍女の騒動も、その内のひとつだった。
呆れたくなるほど狭量な国王陛下だけれど、怖ろしい方なのは事実だ。陛下は血まみれの殿下と数刻睨みあって、それから仕方なしに、侍女の人事について殿下に決定権を与えたらしい。
まぁ、そんなこんなで、殿下は侍女頭と相談なさって、新しい王太子付きの侍女にあたしを選ばれた。
理由はごく単純で、あたしには既に夫と子ども――もっとも、子どもは夫の連れ子で血の繋がりはないんだけど、お互い本当の親子だと思ってるからいいのだ――がいて、王城の勤務経験も10年以上あり、能力的にも問題はないから、だった。
それに、殿下は既にこの頃から、身分制度を緩めることを考えておられたようだった。あたしのような田舎の領地出身の、農家の娘を王太子付きの侍女にするなんて、などと文句を言う人間もいたけれど、殿下は笑って相手にされなかった。
「身分や家柄で能力が決定するのなら、私に誘いをかけてきた、あの無礼な侍女はどうなる?
有力商家の娘は皆、子どもに欲情する淫売なのか?」
お美しい笑顔でとんでもないことをおっしゃって、あたしに対する中傷の類を黙らせていった。
王太子殿下は、時々突拍子もないことをなさるけれど、素晴らしい方だ。
……まぁ、あたしは所詮、ただの侍女。王太子殿下の側近になられて以来、殿下に振り回されたり、いいように遊ばれたり、逃亡する殿下の捕獲係を宰相閣下から任命されたりしている、アディート様のような無駄な苦労はしていない。
「そっか……。やっぱり、礼儀作法を覚えるのって、大変なんだね」
顔を顰めて呻くように言うハルカ様に、苦笑する。こればっかりは、仕方ない。
ハルカ様は別に自然体でも構わないように思うのだが、巫女姫様がきちんと礼儀作法を会得しているがために、ハルカ様もなんとか覚えようと努力なさっている。まぁ、巫女姫様はあれでも一応、王女としての教育を受けているから、礼儀作法が完璧なのは当然のことなのだけれど。
「……ところで、さ。サラさん」
「はい、何でございましょう」
「アディート、殿下と何してるのかな……? 昨日の誕生日の贈り物に対するお礼をしてくるって言って、朝から殿下に会いに行って、まだ帰って来ないし」
「さぁ、どうされたのでしょうか」
恐らく、昨日のあなた様の艶姿にさんざん煽られた欲望を我慢せざるをえなかった怒りと遣る瀬無さを、王太子殿下に色々な形でぶつけているところだと思われます。
殿下は昨夜、殿下の伯父上にあたられる宰相閣下のお屋敷に避難なさっていましたから、アディート様は殿下に会えなかったのですよ。今朝、爽やかな笑顔で「殿下にお礼を『言ってきますね』」ではなく、「殿下にお礼を『してきますね』」と言っていた辺りに、あたしはアディート様の本気の怒りを感じましたから。
「アディート、殿下のことが本当に大好きだよね。昨日も、何回も『殿下には明日、どのようなお礼をしようか』って言って笑ってるんだもん。ちょっと怖いくらいの綺麗な笑顔でさ」
「まぁ。それは、昨日のハルカ様がそれだけ可愛らしかったということですわ」
「そうかなぁ……。あんな恥ずかしい格好、似合わないよ……」
いえいえ、ばっちりでした。
我ながら、最高に色っぽく、かつ可愛らしい出来に仕上がりましたから。
あのドレスの型だと、横に並んで座った際に、お2人の座高の違いから様々な面白い……いや、素敵な事態が発生したことでしょう。
アディート様の視線はまず確実に、繊細なレースの間から覗くハルカ様の意外に豊かな禁断の胸元や、艶やかなトルシェの花――『愛の花』と名高い求愛に使われる花だ――の柄のレースのストッキングに彩られた、白く柔らかそうな魅惑の太腿に釘付けになったはずだ。しかも、座れば確実に際どい位置にまで短くなる長さだったからね、あのドレスの前面の丈。正面からは勿論のこと、横から見ても壮観だったはず。そしてハルカ様が少し身体をずらせば、普段は隠れている滑らかな背中が見え、そこから続く細いくびれと、その下のまろやかな腰の線まで、絶対に目を逸らすことが出来なかっただろう。
ハルカ様は、顔立ちは幼くて身体も小柄だが、肉体的には、なかなか色気のある体つきをしている。
なので、実はかなり遊んでみたのだ、昨日は。
普段は垂らしたままのハルカ様の黒い髪をまとめ上げ、宝石の散りばめられた豪奢なリボンで『誕生日の贈り物』らしく括りつつも、白いうなじを協調するように、少しだけわざと髪を後ろに流してみたり。
白く細い首元にはラバールの花――『私は貴方のもの』『私を食べて』という意味で使われる、トルシェの花よりも情熱的な求愛の花だ――の飾りを付けてみたり。
化粧はハルカ様の美しい肌を損なわない程度にあくまでごく薄く、ただし唇には甘い香りつきの淡い色をのせて。
ご自分のお姿に恥ずかしがって、わたわたおろおろなさるハルカ様のちまっこい小動物的な動きが加われば、もう、完璧。正味2時間ほどかけて、我ながら、なかなか辛抱たまらん『ハルカ様・ドレス艶姿』が出来たのだけれど。
さすがは≪騎士の中の騎士≫アディート・ルクス様。
王太子殿下からのご褒美なのか嫌がらせなのかよくわからない、≪好きに過ごせ≫た筈が実際には全くままならなかった1日を、見事に耐え抜かれた。ハルカ様は昨日、無事まっさらなままでアディート様とお別れになったのだ。
本当に≪絶対に大丈夫≫な男だったのですね、アディート様!!
わたくし、改めてあなたを騎士として、王太子殿下の側近として、そして人の悪い王太子殿下の親友として、尊敬し直しましたわ! わたくしが男なら、昨日のハルカ様と1日中部屋に2人きりでいて、何もしないなんて有り得ませんもの! ハルカ様、お顔に似合わず、出るところは出てて、引っ込むところは引っ込んでて、しかも柔らかいですからね! 昨日ドレスを着付けた際に、思わず色々と感触を確かめましたもの!
あの艶やかな格好のハルカ様に無防備に笑いかけられて、よく平気でしたわね。わたくし、あなたの理性と忍耐力に、心の底から感服いたしましたわ!!
内心でにまにましながらも、表面上は普段どおりの淡々とした表情でハルカ様とお話していたときに、ようやく扉を叩く音と名を告げる声がして、アディート様が帰って来られた。
このときのアディート様が、いやにすっきりとした笑顔だったのが印象深い。
後で聞いた所によると、その日は翌日の明け方近くまで、王太子殿下は執務室の椅子に縛られて、政務をこなし続けたらしい。……何故か、頭に大きなリボンを結ばれて、少しでも体勢を崩したら即座に背骨がへし折れる、そんな特殊な拘束を施されて。
可愛らしいリボンを頭に結ばれた、やつれた顔でペンを動かし続ける王太子殿下と、確実に不敬罪にあたる拘束を殿下に施した犯人を知っていながらも、無言を貫き通した補佐官4名が、殿下の執務室を訪れた王城の人間全てに珍妙な顔をさせたそうだが、特に問題にはならなかった。アディート様が逃亡する王太子殿下を捕まえる際には、もっと容赦のない拘束をなさることは周知の事実なので。
「アディート、遅いよ……。それに、なんでそんなに機嫌がいいの?」
「すみません、ハルカ。殿下と少し、話が弾んでしまって」
殿下、今朝から逃亡中でしたが、無事にアディート様に捕獲されたのですね。
そして、見事に報復を受けたのですね。やはりアディート様からは逃げ切れませんでしたか。
「……ふーん」
「ハルカ、本当にすみません。殿下が私に明日から休暇をくださると言うので、つい長話になってしまって」
ああっ、殿下、おまけにアディート様に休暇をもぎ取られてしまったのですね。
自分には休暇が存在しないのだから、側近にも休暇なんぞやるもんか、などとおっしゃるからこういうことになるのですよ。
「え? 休暇? ……じゃあ、その間は、アディートには会えないんだね……」
「いいえ。殿下はハルカにも休暇をくださるそうです」
「えっ?! きゅ、休暇? わたしにも?」
「ええ。ここのところ、魔物の出現もありませんしね。3日しかありませんが、私と一緒ならば王都内を歩いてもいいそうです」
殿下! 3日も休暇をもぎ取られたんですか! おまけにハルカ様の分まで!
あれだけ他国の熟練の外交官を相手に、自国に有利になるように言いくるめるのが上手いあなたが、ご自分の側近に言い負けてどうなさるのですか!!
「えっ……。えっと、ほんとに?」
「ええ。殿下は笑顔で快く了承してくれましたよ。
ハルカも最近、礼儀作法の勉強ばかりで大変だったでしょう」
殿下……調子に乗ってアディート様をからかわれるから、報復を受けるのですよ……。
さぞかし虚ろな笑顔で泣く泣く休暇を与えたのでしょうね……。
「嬉しいな…。殿下に後で、お礼言わなきゃ」
「必要ありませんよ、ハルカ。
殿下には私が先ほどまで、たっぷりとお礼を『させて』いただきましたから」
「そっかぁ……。殿下って、優しいね」
「ええ。お優しい方ですよ」
殿下……アディート様が休暇でおられない3日間は、執務室に篭りきりになりそうですね……。
悪乗りしたあたしも悪かったですが、これに懲りて、今後はハルカ様を使ってアディート様をからかいすぎないようにいたしましょうね……。アディート様のチラリとあたしを見る目が微妙に笑ってなくて怖いです……。
「あのね、あのね、アディート」
「はい、なんですか?」
「王都を散策するのもいいんだけどね、わたし、休暇の間に、アディートに読んでもらいたい本があるの」
「本ですか? どの本です?」
「これ」
「………………ハルカ」
「なに?」
「この本は、一体どなたから頂いたのですか?」
「殿下だよ。今朝、アディートが来る前に、部屋に来て置いていったの。これを読んで勉強しろって」
「……ふふ」
「アディート?」
「……いえ。これは今のハルカには少し難しい本なので、もう少し簡単なものにしましょう」
「そうなの? わかった。……でも、これって何の本なの? 表紙に絵も何もないよね? 題字が崩してある字体だから、難しくて読めないんだ」
「大陸各国の歴代の通貨制度の変遷と経済活動の関係性について纏めた専門書です」
「ええっ?! そんな本、読めないし意味が分かるわけないじゃない!」
「そうですね。殿下がまた、ハルカをからかったのでしょう。
……この本は、私から殿下に返しておきますから」
「うん。お願いね。殿下って、優しいのに時々ちょっと意地悪だよね」
「ええ。どうしようもありませんね、あの方は。
……ああ、そうだ。ハルカ、明日は王都内にある国営の図書館に行ってみますか?」
「え?」
「あそこなら、王城の図書館にはない娯楽本が多く置いてありますから。それに、図書館の近くにはハルカの好きそうなお店もありますよ」
「ほんと? 行きたい!」
「では、そうしましょう」
「うん!」
ああっ、殿下!! 大変です!!
殿下が今朝ハルカ様に渡された、大陸各国の歴代の美女と英雄たちによる波乱万丈の色艶恋物語を纏めた本が、アディート様に没収されました! あの本、史実に忠実で歴史書としての評価は高いのですが、少し描写が過激ですからね! 読書家のアディート様なら歴史書としてお読みになったこともあるのでしょう、内容的に純真無垢なハルカ様には不適切、と判断されてしまったようです!!
あっ、微笑んでおられるアディート様の目が完全に据わっていますよ、殿下! また報復されますよ、この調子だと! 今すぐ宰相閣下のお屋敷にお逃げください、殿下ー!!
それから3日間、ハルカ様はアディート様と共に、とても楽しそうに王都内へと遊びに出かけられた。
レガイア王国の王都は活気があって、しかも広い。3日間では全部は回りきれなかっただろうが、ハルカ様は十分満足されていた。
あたしの内心の叫びも空しく、王太子殿下はアディート様の手によって、アディート様が休暇を取られた3日間は執務室に完全拘禁され、凄まじい量の政務をこなされていた。
やつれていても尚、殿下のお美しさは凄絶だったが……哀れだった。王城内の人間が誰も何も言わなかったため、助けてもらえなかったのも、いいのか悪いのか……。アディート様が休暇を取るということで、宰相閣下からアディート様に、事前に殿下の逃亡を防ぐための殿下の拘束依頼があったそうだとかなんとか、真しやかに囁かれていたが、どうなのだろう。真実は闇の中だ。
「楽しかった! また遊びに行きたいな」
「そうですね。国内の情勢がもう少し落ち着いたら、ハルカもきっと色々な場所に出かけられるようになりますから」
「うん。そのためには、早く魔物を根絶やしにしないとね……」
「大丈夫ですよ。最近では、ほとんど出現していませんし。被害に遭った村や街の復興も進んでいますからね」
「うん……」
「では、また明日も迎えに来ますから。明日は神殿に行く日ですよ」
「わかった! 今日はありがとう、アディート。また明日ね」
「ええ。今日はゆっくり休んでくださいね」
「うん!」
そして『明日』が訪れた。何日も、何日も。
アディート様は毎日、ハルカ様の部屋にやって来た。
そうして2人は、いつも一緒に出かけて行ったのだ。
それが当たり前のことだった。当然のことだった。
それが失われるなんて、誰も予想していなかった。
あたしがハルカ様とアディート様の関係に変化が起きたことに気がついたとき。
嬉しかった。ハルカ様のことを、自分の娘のように思っていた部分があったから。
アディート様なら、ハルカ様を幸せにしてくれると思ったのだ。
でも、ハルカ様をアディート様に取られてしまったような気がして、つまらないと思う部分もあった。だから時々、王太子殿下と一緒になって、アディート様をからかって遊んだりもした。
あの2人の幸せを、あたしは祈っていたのだ。光の神なんて、あまり信用していなかったけど。ハルカ様を遣わしてくださったのだから、少しは見直してやろうと思っていたのだ。
そして、あたしのその祈りは、当然に叶うものだと思っていた。
2人の「幸せ」がこんなに簡単に、唐突に失われるものだとは、思っていなかったのだ。
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いつもと変わらない朝が来る。
あまり食欲のないハルカ様は、少しだけスープを飲んで、サラダをつついて、それから部屋の扉を見つめる。
「…………」
「ハルカ様、もう少しだけ、食べていただけませんか?」
あたしの言葉に、のろのろと視線をこちらに向けて、ハルカ様は微笑まれる。
空虚な笑みだ。
何の感情もない、壊れたような、そんな笑みだ。
ああ、このままでは、ハルカ様は壊れてしまう。ハルカ様が、消えてしまう。
そう思うのに、あたしもまた知らず知らずの内に、扉に目を向けているのだ。
『おはようございます、ハルカ。今日もいい天気ですね』
背の高い、黒い髪と薄い青色の瞳をした、怜悧な顔の騎士。
彼が扉を軽く叩いて、自分の名前を告げる。
あたしが部屋の扉を開けて、彼がハルカ様に優しい笑顔で挨拶する。
ハルカ様も嬉しそうな笑顔で、彼に挨拶する。
あたしはそれを、静かに見守る。
毎日毎日、夜は明けて、変わらずに朝が訪れる。
それなのに、当たり前だったはずの朝は、もう、2度と訪れない。
死んだ者は、日常から除かれる。
当たり前のことなのに、その空虚さは想像以上に大きかった。
賑やかで楽しかった日々の記憶が、鮮明であるほど。
彼の喪失が、心を酷く、傷つける。




