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魔法少女の憂鬱  作者: 砂糖千世子
Episode 4 暁天の魔女たち
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第七話 災難

 一昔前にはミニマリズムという思想が流行った。必要以上のものがない部屋を目指すのだ。けれどその内、人々は選択する贅沢を失いつつあることに気付き、廃れた。今では街を歩けば五分に一回はゴミ屋敷に遭遇するだろう。雑草が生い茂り家の周りに物が乱雑に投げ置かれている。そこでは敷地に捨てられた食べ終わったカップ麺の汚れた容器に、小さな蠅が羽休めをして、前脚を擦り合わせるのだ。

 私はミニマリズムを実感する警察署の取調室にいた。必要最低限のものしかない。煙草の煙によって変色したであろう壁を私は黙然と見つめていた。扉が開き警部が入ってきた。自らを斎藤と名乗り、私に手を差し出した。「災難だったね」

 私は椅子から立ち上がって握手した。彼の手はごつごつしていた。働き者の手だ。大して私の手はすべすべして色白い。けれど力比べをしたら必ず私が勝利するのだ。

 斎藤警部は、警部という役職では若い方に見えた。顔に皺も少ないし、目が生き生きとしている。背後の鉄柵のついた窓から差し込む光が彼の顔に光の束を投げかけ、明暗がはっきりしている。鼻の筋が通っていて、耳が柔道経験者だと語る。肩幅が広く、スーツが似合っている。私は椅子に座って言った。「もっと別の場所じゃ駄目だったんですか?」

「いや、申し訳ないんだけど、君は魔女だし、警察署に魔女がいると色々と厄介な問題が起こる可能性が上がるんだよ。だからなんというか……」

「臭い物に蓋ってわけですか」

「そうなんだ。本当に悪いとは思うんだけど、我慢してくれると助かる。別に容疑者扱いしている訳じゃない。既に事情聴取は終わってるんだろ?」

 取調室の端に立っている警官が頷いた。私は背筋を伸ばして首を回した。脳裡にこべりついた鮎菜の死体。あの冷たく残酷な表情。弱冠二十歳の女子が浮かべていい絶望ではない。ああいうのは私のような、大罪人の魔女が浮かべるべきものなのだ。

「石原さんのご家族とは連絡が取れたよ。今頃は病院の安置所で鮎菜さんと悲しい再会をしている頃だろうな」斎藤は疲れたような声で言った。「鑑識が言うには、死んでから一日以上は経過してるらしいよ。喉がぱっくり鋭利な刃物で切り裂かれてる。深い傷で頸動脈も傷つけられてるからあんなに激しい出血になったんだな。抵抗した痕跡はなくて、傷は首のそれだけ。躊躇い傷はないから自殺の線は薄い。現場の状況から、顔見知りの犯行だろうと俺は考えてる。詳しいことはもう少し経たないとわからないがね。凶器はやっぱり部屋に落ちていたナイフだな。あれの販売経路を今調べさせてる。時間はそれなりにかかるだろうが、確実だ」

 私は時計を見た。午後五時を回っている。外は既に薄暗くなってきていた。冬だから日が落ちるのが早い。斎藤は胸ポケットから煙草の箱を出して、器用な小技で一本抜き取り、手に持ったライターで火を点けた。それから私に箱を見せた。何度も潰れて皺だらけになった箱だ。

「魔女は幾ら煙草を吸っても肺が汚れもしないんだろ? あんたは吸うのか?」私が断ると寂しそうに胸ポケットに箱を仕舞い込んだ。「吸わないなんて勿体ないね。それともあれか、吸っても意味ないのか」

「意味ないよ。ニコチンを幾ら摂取しても脳味噌は変化しないんだ。酒も同じだね。いくら飲んでもアルコールで酔えない。味を楽しむしかないが、酔えない酒は大概ジュースに劣るね」

「それじゃあ本題に入ろう」斎藤は机の上で手を組んだ。骨ばった日焼けした手だ。「鮎菜さんには付き合っていたと思われる彼氏がいた。山崎という男らしい。そうだったな? そいつが目下一番の容疑者ってわけだ」

「だろうね。これ以外に思い浮ばないよ。山崎って男の正体もよくわかっていないがね。鮎菜さんは誰かの恨みを買っていそうな人間じゃない。まだ今日調べ始めたばかりだが、比較的おとなしいタイプだし、殺されるような動機を生む感じじゃない。唯一怪しいのが山崎だ。そいつについては鮎菜の弟の琥太郎と、職場の五十嵐って女に聞いてみたほうが新鮮な話が聞けるよ」

「しかし一日で良く辿り着いたな。あんたは探偵じゃないんだろ? 傭兵事務所だってね。裏技みたいな話だな。いや、悪く思わないでほしいが、今この国の治安を悪化させているのは魔女じゃないか。その魔女の脅威から魔女が人を守って日銭を稼ぐというのはどうもね。しかしそうせざるを得ない日本というのが嫌になるね。まったく……警察の俺がいうのもなんだが」

「鮎菜の居場所に辿り着いたのは運がよかったのさ。俺が思うに、福田沙亜弥はそれなりに心の備えをしておいたし、鮎菜を匿う覚悟はあったんだろうけれどね。しかしやってきたのが魔女だったのは予想外だったんだろう。随分慌ててた。私も意地が悪かった気もする。少し脅かすようなことを言って不安を煽ったんだ。そうしたら自分から鮎菜の居場所へ連れてってもらえたよ。私は探偵じゃないし、普通の人間じゃない。そこが功を奏したんだな」

 探偵ならば、綿密な推理で犯人を導き出して、丁寧な推理の披露のあとに、犯人が自供させるのが一種の美学だろうし、或る意味ではルールだろう。しかし私は魔女の傭兵なのだ。犯人だと思った人間を脅迫して自供させればいいのだ。勿論信憑性のない恐怖から出た出まかせの自供かどうかを見抜く心の眼が必要だが。

「魔女が突然家に来てあれこれ訊問してきたら誰だってビビるさ。あの子はどうやら鮎菜から電話を貰って、居場所を教えられていたそうだね。一週間後にそこで会う約束をしていたらしいよ。詳しいわけは聞かなかったって」

「嘘をついている気がするな」私は彼女の家で面と向かって会話したときの反応を思い出していた。「もう少し深入りして聞いてみたほうがいいよ。どうも彼女は臭うな」

「今日のところは家に帰らせるつもりだが、まあまだまだ聞きたいことはあるしじっくり手を付けるつもりだ」斎藤は灰皿に煙草を押し付けた。煙草の先端が赤く燃えて小さな火の粉が灰皿のの上で跳ねたあと黒くなった。

「石原美穂が二日前に警察に相談したと言っていたが、動かなかったそうだね。まあその時にさえ既に鮎菜さんは死んでいた可能性は高いが」

「そうだったのか? しかし石原美穂は角崎に住んでるんだろ? 管轄はここじゃないな」斎藤は不安そうな顔をした。「それに二日前ってことは、例の事件があった日じゃないか。それなら忙しくて行方不明の女を調べている暇はなかったかもな」

「例の事件?」

「知らないのか? かなり話題になったんだが……。淡光の経理が自宅で死んでたんだよ。誰かに殺されたんだな。拳銃で胸と頭を一発ずつ撃たれてる。淡光の管理していた口座の一つから大金が引き出されてる。現代じゃ金の流れを掴むのも大変だからな。まだ全然手がかりは掴めてない。魔女組織が絡んでいるから、結構面倒な捜査になってる。あんたはどうせ依頼も終わりだろ? そっちの事件を調べて欲しいもんだがな」

「私は探偵じゃない。それにきちんと金を受け取って捜査するんだ。無料でボランティア感覚で首を突っ込んだりしないさ」

 斎藤は立ち上がった。取調室にいる全員が立ち上がった。私は解放された。警察署を歩きながら、警察官たちの好奇心や敵愾心の籠った眼差しを何の膜もなく直截に受け止めて、私は自分の肌がカサカサに乾いていくのを感じていた。

 駐車場に停められた私の車に乗り込んで、暫く警察署を見ていた。四角い箱のような建物で、外からは中がどうなっているかわからない造りだった。入り口に制服を着た警察官が立っている。警棒と自動式拳銃を腰に携帯しているのだ。

 魔女が日本の治安を悪化させたことで、警察は回転式拳銃から自動式拳銃へ切り替えざるを得なかった。小火器の密輸入が増え、少ない弾数では対処できなくなったのだ。アメリカから型落ちの武器を輸入してそれを国内で改造したものが一般に流通している。

 私は自宅へ帰ることにした。警察署を後にして暗くなった空の下、閑散とした道路を直進する。残念な形で依頼は幕を閉じた。私の出番はもうやってこないだろう。事件が発生したのだ。これは私の予想した通りだった。美穂と琥太郎は二度と目を覚ますことのない鮎菜を見てどういう気持ちになるだろう。なにもかもが億劫な時代だった。この時代を作り上げたのは誰なんだろう。魔女かもしれない。参謀局の連中かもしれない。日本政府かもしれないし、国民全員に責任があるともいえる。

 そうなると、国民全員で各々の責任を微量ずつ取らされているのだ。生活に潜むリスクという形で。鮎菜は貧乏くじを引いたのだ。いつの時代にもそういう事は起きるが、最近は貧乏くじの数が多い。

 私は事務所に帰ってきて、奥の資質に横たわるベッドに倒れ込んだ。コートを脱いで、テレビを点けた。古い映画が流れていた。時計は午後七時前だった。

 私はタコライスを作って、流れていた映画を観ながら食べた。映画は古い時代のもので、プロットが複雑なので、私の疲れた頭には相当に難解だった。しかし主人公の探偵が女性たちと出会う先々で交わす瀟洒な会話が面白かった。

 頭の中ではまだ石原家に纏わる哀しみについて考えていた。山崎とは誰なのか、鮎菜はなぜ殺されたのか。私はうんざりした。複雑すぎる。なにがあって、どうなって、こうなってしまったのか、今日初めて首を突っ込んだ私はついて行けそうになかった。

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