第五話 疑惑
福田沙亜弥の家はそれほど遠くはなかった。彼女は一軒家に住んでいるらしい。一台の白い車が敷地に駐車してある。その奥に庭が広がっていて、鬱蒼とした中に植わった蜜柑の木がまだ蒼い実を沢山つけているのが見えた。これからもっと甘くなるだろう。
私は車を福田沙亜弥の家を遠くから監視できる道路の端へ止めた。歩いて彼女の家の前に立った。私は呼び鈴を鳴らした。
玄関が開いて、愛嬌のある女性が顔を見せた。「こんにちは。どうかなさったんですか?」
「どうも。ここにいま沙亜弥さんはいらっしゃいますか? 彼女に伺いたいことがありましてね」
「ええ。いるわ。最近は大学もネット授業で済んでしまうみたいで、一日中部屋に籠っているんですのよ」親切な母親だった。彼女は沙亜弥を呼びに家に戻っていった。
再び玄関が開き、緩いグレーの私服姿で沙亜弥は現れた。彼女は気分が優れない顔色だった。そして私の姿を見て更に蒼白な顔色を浮かべて細い眉を顰めた。どうやらかなりの魔女嫌いらしい。敵愾心が眼にありありと見て取れる。しかし果たしてそれはすべて魔女への憎悪から来るものなのか。
「魔女が一体何のようなの?」
「初めまして。私は舞鶴と言います」私はわざと端折った。「鮎菜さんの件できました」
「なにそれ? どういうこと?」沙亜弥は戸惑ったように言った。「鮎菜に何かあったの?」
「御存じじゃないんですか?」
「知らないわ。何があったのよ。早く教えてくれないと困るわ」
「彼女はどうやら行方不明みたいなんです」
沙亜弥は目に見えて肩の力が抜けたようだった。そしてキッとした目つきになった。威嚇する猫のような目だ。「それでなんであんたみたいな魔女が来るのよ」
「私は傭兵事務所をやってる舞鶴というんですが、鮎菜さんのお母さんに依頼されて彼女を探しているんですよ」
「どうして魔女なんかに……。私は鮎菜について一切、何も知らないわ。彼女と最後に会ったのも、先月に映画を一緒に見に行ったきりよ」
「なんの映画を観にいったんです?」
「関係ないでしょ、そんなのは!」沙亜弥はしかし答えた。「恋愛映画よ。調べればわかると思うわ。あんまり面白くなかったから、題名は忘れちゃった」
「あなたは何か知ってるんじゃないですか?」私は脅すような口調で言った。「鮎菜さんは命を狙われているみたいなんですよ。今はとにかく情報が欲しいんです」
「なんなのよ、本当に……」沙亜弥は近所を見回してから、私の方へ歩いてきて言った。「こんなところで騒がれると迷惑なの。変な噂が流れても困るから、家に入りなさい」
薄暗い廊下をペタペタ鳴るスリッパを履いて歩いた。幾つか扉があったが、すべて閉まっていた。廊下の奥を左に曲がったところの部屋に通された。どうやら沙亜弥の部屋らしい。結構散らかっていて、ソファには脱ぎ捨てた服が乱雑に置かれ、床には大学で配られただろう書類が積み重ねられている。忙しい時期なのかもしれない。私は大学に一度も行ったことがないから、書類に印刷された細かい文字を読んでも、何もわからなかった。
「難しそうな勉強ですね」私は沙亜弥に勧められてベッドの縁に腰かけた。「大学へ通っているんですね」
「機械工学を勉強しているの。でもそんなことはどうでもいいじゃない。ねえ、鮎菜に何があったの?」
「私が聞きたいですよ。本当に何も知らないんですか?」
「知るわけないじゃない」沙亜弥はヒステリックな叫びをあげた。情緒が不安定らしい。
「昨日の夕方にどこかから鮎菜さんのお母さんに電話がかかってきて、鮎菜さんの声で、命が狙われて危険な状態にあると伝えてきたそうです。どこにいるのかもわからないので、困ったお母さんが鮎菜さんの行方を調べるよう私に依頼を出したわけです」
「命を狙われているって本当なの? 彼女がどこにいるのかあなたは知ってるの?」
「ですからそれを探ってるんですよ。誰か鮎菜さんを恨んでいる人とか、心当たりは有りませんか?」
「さあ? 私だって彼女と中学までしか一緒じゃなかったし。確かにいまでも遊ぶことはあるけど、でもそんなの月に一回とか二回とかだから」
「じゃあ鮎菜さんに彼氏がいたのは知っていますか?」
「彼氏?」沙亜弥の顔が暗くなった。「鮎菜に彼氏がいたの? どんな人?」
「山崎という体格のいい男らしいですね。心当たりはないですか?」
「私知らないわ」沙亜弥はソファの上で愈々疲れたように頭を振った。「ねえ、鮎菜が何処にいるかあなたは見当ついてるの?」
私はしばらく彼女の眼を見ていた。病的な印象を覚える目だった。この女は何か隠しごとをしている。そしてその重圧に耐えきれないでいるのだ。無理に大きな荷物を詰め込んだトランクケースのようなもので、内側から亀裂が入っている。
私は博打に出た。「見当はついてますよ。ただ、鮎菜さんが生きているかどうかは知りませんね。私の予想だと既に殺されているんじゃないかなあ。淡光に目をつけられたなら、まず普通の殺され方はしないでしょうね。嬲るように長い時間をかけて執拗で残虐な方法で殺されるわけです」
「何が言いたいの!」沙亜弥は激昂して立ち上がった。亡霊のような顔色だった。短くカールした髪の毛が激しく揺れた。「あなたは私を脅かして一体何がしたいの? 私は何も知らないわ。知っててもあなたみたいな外道に誰が教えるもんですか。どうして美穂さんはあなたみたいな屑を雇ったのか理解に苦しむわ。早く出てって!」
私は言った。「今も鮎菜さんは苦しんでいる最中かもしれない。あなたが私に彼女に就いて知っていることを話してくれれば助かる可能性はぐんと上がりますよ」
「知らないわ。私は何も知らないのよ」沙亜弥は私の身体を腕で押した。弱い力だったが、私は彼女の押す方向へ歩き出した。廊下を進んで玄関の方へ。「帰ってちょうだい。魔女に話す事なんて一切ない。あなたは私を挑発して愉しむ下種な魔女だわ。これ以上ここに居座るなら警察に通報するから」
私は素直に靴を履いて玄関から外へ出た。沙亜弥は自分の身体を抱くように腕を組んで私を見ていた。私は最後に言った。「鮎菜さんはもう死んでるんですかね?」流石に意地悪が過ぎたらしかった。
「さっさと出て行け!」沙亜弥は悲鳴のようにそう言って扉の鍵を閉めた。
私は後ろを振り返りながら、車を停めた場所まで歩いて、運転席に乗り込み息を潜めた。
運転席に深く座って、沙亜弥の家を凝然と見ていた。頭の中で様々な思惑が浮かんだ。下種な発想も浮かんでは消えた。
長い時間がかかったが、沙亜弥に嫌われた分の成果はあった。白い車が沙亜弥の家から飛び出して、私のいる方向とは逆の方へ走り去った。私は運転席に座り直して、追跡を開始した。