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魔法少女の憂鬱  作者: 砂糖千世子
Episode 4 暁天の魔女たち
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第一話 依頼

 私は事務所の椅子に座って客を待っていた。

 回転椅子は私が少し態勢を変えるだけで、軋んだ音を立てる。

建物の二階にあるこの部屋には、南向きの窓が複数あり日当たりはいい。今日は窓の外は灰色の光に包まれている。

 立ち上がって窓の傍に寄った。事務所の正面には年季の入ったマンションが建っており、廃墟のように薄汚れた壁を持つ。今にも崩れそうなベランダには換気扇が設置され網の中でプロペラが回っており、吊るされた洗濯物が冬の風に吹かれて揺れる。街並みの上には11月の曇天が重たく広がっている。

 奥の路地から水色の車が走ってきた。事務所の下で止まり、車のドアが開く音がした。

 私は椅子に戻った。姿勢を正して椅子に座った。建物の階段を上がってくる規則正しい音がして、扉が三回ノックされた。「どうぞ」

 女が入ってきた。四十代だろうと思われた。彼女は右手の腕時計を見てから、私の顔を真正面に見据えた。

「昨日お電話いただいた石原美穂さんですね?」

 私が聞くと女は頷いた。名刺を渡してからソファを勧めて彼女の話を聞くことにした。

「それで依頼内容というのは?」私がこう聞いても彼女はまだなにか迷っているようだった。こういう場所に来る人間はなにがしか常に迷っているのだ。一切の抵抗や躊躇いもなく、他人に個人的な相談などできるものではない。

 私は暫く女を見ていた。美穂はまるで授業参観に来たシングルマザーという格好だった。顔は疲れていて、髪の毛は毛先が痛んだ様に跳ねていた。

「多分ご存じだとは思いますが、この傭兵事務所は私一人でやってるんですよ」そう言って私は左腕の腕輪を見せた。鈍色に輝くそれを美穂は呆然と見上げた。「そして私は魔女なんです」

「すみません、調べたので知っていますわ」美穂がやっと口を開いた。矢張り声も疲れていた。「私がこちらへ伺ったのは、娘を見つけて欲しいからなんです」

「娘さんを? 行方不明なんですか。それなら傭兵ではなく探偵に依頼したほうがずっと安く効率的だと思いますよ」

「探偵に依頼しても無駄ですわ。世田谷区には淡光の本拠地がありますし、悠長に捜索してもらっては困るんです。娘はいま危険な状況にあるんです」

「どういうことです?」

「娘がいなくなったのは二日前のことです」私は頭の中で日付を考えた。今日が11月10日だから8日にいなくなったわけだ。「最初私は気にしていませんでした。前から何も言わずに姿を消すという事もありましたから。でもそれは友達の家に泊まっていたり、よくある自分探しの旅とかで一人で旅行に出かけていたりしただけでした。心配はしましたけど、必ず帰ってくるので、必要以上に不安になりはしませんでしたわ。けれど昨日の朝に電話があったんです」

 私は美穂の次の言葉を待った。美穂は躊躇ったように言った。

「お母さん、私殺されるかもしれない」美穂が言った。「娘の声でそう言ったんです。でも私は起きたばかりで頭もはっきりしてなくて、混乱していて……」

「何時ごろの電話でした?」

「たしか朝の七時前です」美穂は両腕を胸の前で抱くようにして座っている。「私がどこにいるのかと聞く前に電話が切れました。私は夢だったんじゃないかという気がしましたわ。もう一度電話をかけても繋がらないんです。電話番号も非通知で残っていません」

「それなら警察に通報したほうがいいですね」

「それもしてみました。けれど警察は事件が起こらないと本気にしてくれないんです。ただの家出じゃないかと言って去っていきました。だから私はもうここしか頼れるところがないんです」

「どこにお住まいなんです? 娘さんも一緒に住んでいるんですね?」

「ええ」そう言って美穂は私に詳しい住所を教えた。私は手元のメモ帳に記入した。「家族みんなで住んでいますわ」

「娘さんの年齢は幾つなんですか」

「今年で二十歳です」

「成人しているんですね。それならやっぱり家出という可能性だってあるわけです。あなたの聞いた電話も所謂狂言というやつかもしれませんよ」

「鮎菜が何のためにそんなことをするというんですか」娘は鮎菜と言うらしかった。

「さあ? 私はお宅の家庭事情を知りませんから何とも言えませんね。いまは可能性を列挙している段階ですよ」

「私たちの家庭は円満でした。あの子たちに父親はいませんが、それでも私一人でせいいっぱい育ててきました。みんな優秀ないい子に育ちましたわ」

「娘さん一人ではないんですか?」

「弟の琥太郎がいますわ」私が父親について質問するよりも早く敏感に彼女が先手を打った。「父親の健治は琥太郎がお腹の中にいる時に死別しました」

「お気の毒ですね」今の時代そういうことは珍しくないが、ありふれた悲しみだからと言って、悲しみが緩和されるわけでもないのだ。「娘さんの居場所に心当たりはないんですか。電話では娘さんの声のほかに何か聞こえませんでしたか?」

「わからないです。静かだったと思います。でも私はあの時起きたばかりで、ちゃんとしていなかったので自信はありません」

「最近の娘さん──鮎菜さんの様子でおかしな点などありませんでしたか?」

 美穂は悩む仕草を見せた。指先を丸めて、苦手な食べ物を無理やり食べさせられていると言った表情を見せた。「わかりません。娘ももう成人して働いていますし、自分のことは自分でやらせていますから。勿論家族で食事をする時は鮎菜と話したりもします。でももう子供の頃のように、その日あったことを詳しく報告してくれるわけじゃありませんから……」

「娘さんは働いているんですか?」

「ええ。横ノ宮の方の薬局に薬剤師として勤めています。ええ、横ノ宮です。危険な場所ですわ。高校を卒業してすぐに働き始めました。あの子は優秀でしたから、本当は大学へ入れてあげたかったんですけど。自分から大学に行きたいと言ったら、最悪お金を借りてでも入れてあげるつもりでした。けれどあの子が遠慮してしまったんでしょうね。私に余裕がないことをはっきりわかっていたんです。優しい子です」

「最後に娘さんに会った時の様子でなにか変わったところはありませんでしたか?」

 この質問は何か美穂の深い部分を突いたのかもしれなかった。美穂はぼんやりと自分の爪先をみていた。私の声が届いているのかどうかわからなかった。「美穂さん?」

「え、ああ、すみません。私昨日からよく眠れていなくて……」美穂はそういって無理に微笑もうとして失敗していた。「最後にあった時も鮎菜は別におかしなところはありませんでした。いつも通りでしたわ。普段通り出勤していきました。8日の朝の七時に家を出ましたわ」

「鮎菜さんは車を持っていますか?」

「いえ。持っていません。いつもは自転車か、バスで通勤していますわ」

「美穂さんの車を借りることはありましたか?」

「いえ。そもそもあの子は運転免許を持っていませんでした。取る気はあるみたいでしたけど」

 私は椅子の上で手を組んで少し考えた。傭兵が受けるような依頼ではない。しかし、受けることにした。インターネットで調べればこの傭兵事務所を魔女が運営していることは簡単にわかる。それでもここに依頼しに来る客というのは、かなり追い込まれているのだ。

「わかりました。お受けしましょう」

 私は美穂と依頼料の相談をした。依頼料として、15万円貰う事になった。そうして活動している期間は毎日3万円、その他に移動費や宿泊費、諸々の経費も貰う。本来の傭兵の仕事に比べたら安く設定した値段だが、それでも高い。

「探偵に依頼したほうがずっと安く済みますよ。それでもいいんですね?」

「ええ。構いません」美穂はスマホを弄ってすぐに私の口座に送金したのを知らせた。「娘の鮎菜をどうか見つけてください」

「できる限りの努力がはしますが、娘さんを見つけることができても無事かどうかはわかりませんよ」

 美穂は悲痛に顔を歪めてお辞儀して事務所を出て行った。

階段を降りる音、車の扉の開く音、閉める音、エンジンのかかる音、走り去る音。それら五つの音の後には元通りの沈黙が残った。

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