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奥の部屋に戻って来たサァーラは箪笥の鍵を開け、中を覗いて見た。
クロスが丸くなって安らかな寝息をたてて眠っている。その姿にほっと安堵して、箪笥の内側の壁いっぱいに描かれた魔法陣に手を触れさせた。
「『シタヤ・グレス』の名を知る者が命じます。守護の眠りを司りし魔法の力よ、今すぐ霧散し、在るべき場所へと還りなさい」
魔力の込められた言葉が終わると同時に光り続けていた乳白色の輝きが消える。描かれていた魔法陣も消え失せ、サァーラが触れていた箇所だけが小さな魔法文字の円を描いて残った。
「起きなさいクロス」
「ぅ・・、ん〜・・・かぁ、さん?」
「えぇ、シタヤが帰って来たわよ。顔を見せてあげて」
「・・・したや・・え、シタヤかえってきたの!?わーい!シタヤ〜ッ!!」
箪笥から飛び出して満面の笑みを浮かべながらクロスは玄関の方へと走っていく。元気にはしゃぎまわる息子の後をサァーラは幸せそうに微笑みながらゆっくりと追いかけた。
「シタヤ〜ッおかえり!!」
小さな体で思い切りシタヤに抱きつくクロス。シタヤは彼の母親譲りの美しい黒銀色の髪をわしゃわしゃと乱暴に撫でてやり、高く抱き上げた。
「ただいまクロス!またちょっと大きくなったな、良い子にしてたか?」
きゃぁきゃぁと喜び上がっていた声がピタリと止む。笑顔は一気にしょぼくれた顔になり、シタヤの首元に抱きつく形で隠されてしまった。
「ぼく、いいこにしてなかった」
急にどうしたのかとサァーラに尋ねようと思ったシタヤの耳に小さな声が届く。シタヤはクロスの体を片手で抱き直し、もう片方の手で隠れてしまった顔をこちらに優しく向けさせた。
「何か悪いことしちまったのか?言ってみろ」
にっと悪戯っぽく笑うシタヤ。頬に触れている手は大きくてゴツゴツしていて、でも温かくて優しい。声も怒っている声では無くて手と同じ温もりを感じる。
子どもでも分かる甘えさせてくれているんだという事に、クロスは益々情けない顔になっていった。
「まいにち、かあさんをこまらせたの。おそとにでたいってなんかいも、わがままいっぱい・・・」
「そうか・・・わがままを沢山言うのはいかんな。でもクロス、お前は自分が悪い事をしたって思ったんだろう?なら、今お前がしなきゃいけない事は何だか分かるよな」
シタヤに言われ、クロスは『あっ』と声をあげる。そして慌てた様子で下ろしてもらうとすぐに台所にいるサァーラの所へ走った。
「かあさん、いっぱいこまらせちゃって、ごめんなさい」
深く頭を下げて謝るクロスに対し、サァーラはジッと見下ろして沈黙を呼んだ。その沈黙が怖くて、恐る恐る顔をあげて見ると、サァーラはいつもと変わらぬ笑顔だった。
「許してあげるわ。ただし、夕飯の準備手伝ってくれたらね」
「うん!てつだう!!」
元気よく返事をしたクロスはすぐに自分用の小さなエプロンを着けて夕飯の手伝いを始めた。シタヤも荷物の整理を始めるが、時々横目で親子の楽しげな様子を見る。
絶えない笑顔と笑い声。
此処にいると世界の状況がまるで幻のように思えてくる。このシアン以外の街や村ではこんな暖かで幸せな空気など何処にも有りはしない。
闇に震え、いつ何時来るかも分からない魔族の襲撃に怯え、僅かに薄まった闇に対してもまた色濃く空を覆うのではないかと不安を募らせている。
数日前にギルドで魔族の襲撃により一つの町が滅んだと耳にした。襲撃して来た魔族の方も大半は討ち取ったと聞いたが、それでも人々にまた恐怖心を与えたのは確実だろう。
これが『フェスティア大陸』の悲しい現状だ。
だからこそ思う、願ってしまう。
この親子の、この幸せな空間だけは、どうか壊れずに、ずっと在り続けてくれーーーと。
その日の夜。2人用のベッドに3人で寄り添い合ってシタヤの旅の話を聞いた。
ある町の周辺を縄張りにしていた複数の魔族の話、鉱山近くで見つけた新種の薬草の話、昔々の思い出話に、旅をしていて得た知恵。
家の中という狭い世界しか知らないクロスにとってシタヤの語ってくれる話はどれも新鮮で魅力的なモノばかりで。大きな瞳を輝かせながら語られる冒険話に熱中した。
ひと通り聞き終わり、そろそろ寝ようと促された時。クロスは少し躊躇しながらシタヤに話しかけた。
「ねぇ、シタヤ。けんじゅつっておしえてもらえる?」
「急にどうした?」
「いまからおしえてもらえばつよくなれるでしょ?ぼくね、はやくつよくなってかあさんをまもりたいの!それに・・・」
クロスの視線がシタヤから寝室の片隅へと移る。そこには柄の部分が細長いゴツゴツの骨で出来た白銀の長剣が在った。ランプの光に照らされた剣は妖しくも磨き上げられた美しい白い輝きを放っている。
「あの剣が、ぼくをよんでるきがするんだ」
真っ直ぐに、瞳を動かす事なく剣だけをじっと見つめながらクロスは呟いた。剣はその声に応えるかのように仄かな『赤い』光を放つ。
それは一瞬の事で、見間違いだったかもしれない。
けれども視えてしまった赤い光が目から、脳裏から離れてくれない。
血の赤に似た、深く黒い『真紅』。
何かを物語っているようで恐怖に似た感情が込み上げてくる。だがそれでもクロスは剣を見つめ続けた。磨かれたばかりの黒曜石のように輝く瞳で。
シタヤはクロスの横顔を見ながら思う。
運命はどうしたってこの子を戦場に連れ出すのだろう。
サァーラが、自分が、どんなに願ってもいても、それは最早変えられない。クロス自身がその事を感じている。もうこの歳で分かっているのだ、これから自分が背負う『運命』の重さを。そしてその重さに負けぬ強さをその身に身につけなければならないのだという事を。
「・・・クロスよ、強くなりたいか」
問いかけに、クロスは視線をシタヤに戻して力強く頷く。強くなりたいのだと、言葉以上に彼の表情が語っていた。
「良いだろう、教えてやる」
「ほんとう!?」
「ただし、」
パッと、花が咲いたような明るい笑顔を見せて喜ぶクロス。が、
「サァーラの許しが出たらの話だ」
シタヤのこの言葉に喜びは一気にどん底へと突き落とされた。
あれだけ力強かった眼差しは年齢相応の子どものものとなり、不安が隠しきれずに潤み出す。恐る恐る母親の顔を覗き見れば、彼女は睨んでいるように見えなくもない無表情で。不安は更に上乗せされていく。
そんな2人の様子(特にクロスの表情)を、シタヤは真横でニヤニヤしながら見ていたのだった。
「あ、あの、かあさん・・・シタヤにけんじゅつおしえてもらっても、いい、ですか?」
「・・・弱音を吐かないって約束出来るなら、良いわよ」
溜め息を吐きながらも笑顔で言われた許可に、クロスは夜中にも関わらず大声を上げて喜び跳ね回るのだった。
喜びすぎて疲れたのか、それから間も無くクロスは眠りについた。サァーラは安らかな寝息を立てる息子の頭を撫でながらシタヤに静かに話しかける。
「ねぇシタヤ、クロスに剣術を教えてくれるのは構わないわ。でも貴方にそこまでクロスに当てられる時間はないでしょう?ハンターの仕事はもちろんだけど、ミネリアさんに頼まれた各地の調査だってあるのに」
「あぁ、その調査だが『あの方』の協力もあって想定より早く終わりそうでな。次の調査で最後なんだ。それが終われば3年の休養期間を取る」
「え?」
「ミネ達にも一回まとまった休みを取れって散々言われててな。あ、金は貯めてあるから問題ないぞ?贅沢は出来んが、3人で暮らすには十分な金だ。その3年で剣と魔法の基礎ぐらいなら叩き込めるだろう」
「一緒に、暮らすの?」
「あ、すまん!相談も無しに決めて・・ダメだったか?」
言わずに勝手の話を進めていた事に気付いてシタヤは慌てた。先ほどのクロスのように不安になって少しオロオロしてしまう。
だが彼の心配を他所に、サァーラは涙を貯めて何度も首を横に振った。彼の大好きな笑顔を見せながら。
「嬉しい、嬉しいよシタヤ」
今まで離れ離れで、良くて月に一回、長ければ半年近く会う事が出来ない事すらあった。
でも、もう少し我慢すればそれは無くなる。
毎日のように顔を見て、言葉を交わす事が出来る。
そう思うと止まらなかった。大きな真珠の涙は止まる事なく、シタヤの胸へと消えていくのだった。
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