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呼ばれているような、惹きつけられるような。
他のことを忘れてしまうほど、メーディエはその板に釘付けになってしまった。
木板と言ってもあまり分厚くはない、大きさも両掌に収まりそうなほどのサイズだ。埃の蓄積が他よりも少ないようだから、最近になって振動か何かで倒れてしまったのだろうか?
そんな事を考えながらメーディエは木板を手に取り、軽く誇りを払ってからゆっくりと裏返した。
「ぇ?・・・これって、ライ?」
板には薄いキャンバスが丁寧に貼られ、そこに美しい黒銀色の髪の人物が描かれていた。それはまるで今にも動き出しそうな、喋りかけてきそうだと思うくらいに繊細で写実的なタッチで。
「ぁ、違う。女性だわ・・・。でも本当にそっくり。もしかしてこの人がライの」
「あぁ、母親だ」
いつの間にか部屋に戻ってきていたライティエットが、柔らかなタオルをメーディエに被せながら答える。
「あ、タオルありがとう。それと、やっぱりライのお母様なのね」
暖炉の上に絵を戻して、メーディエはタオルで濡れた髪や服を拭いていく。けれど視線だけはずっと、ライティエットの母親『サァーラ』の絵を見つめていた。
柔らかく、全てを許し、抱擁するかのように微笑む姿はまるで女神や聖母に例えれるほどに優しく美しい。随分と大きくお腹が膨れているので恐らくライティエットを産む直前に描かれたものなのだろう。
彼女の両手は愛しい者を守るように強く、けれどもそっと優しく、膨れたお腹の上に置かれていた。
「とても優しそうなお母様ね・・・良いな。ふふふ、ライはお母様にそっくりだったのね」
「師匠にもよく言われる」
「確かにこれだけ似ていれば言われるでしょうね」
「・・・お前は、どっちに似てるとか言われなかったのか?」
「私?言われなかったし、知らないわ。いないから」
「親が、いない?」
似ていると言われた気恥ずかしさで言った言葉が意外な答えで返されてライティエットは戸惑う。
メーディエがルーフェンの城に閉じ込められていた事は知っている。だが、親がいないとはどういう事なのだろうか。自分と同じように亡くなっている、にしてはメーディエの放った言葉のニュアンスが当てはまらないような気がする。
「言葉通りよ、私に親はいないわ。正確にはいるのかもしれないけど、会った事も話を聞いた事もないの。だからいないのと同じでしょう?」
ライティエットの表情は変わらないながらも困惑している雰囲気を感じ取ったのか、メーディエが正確な情報を伝えてくれた。しかしそれも残念ながらライティエットに違う意味の困惑を与えただけだった。
どう声をかけていいか分からないライティエットは珍しくその動揺を表情にも出してしまう。そしてそれはメーディエにしっかりと見られ、伝わってしまった。
「ふふ、そんな顔しないでよ。別に辛かったり寂しかったりしたことはないの。だっていない事が私の当たり前の日常だったんだから」
「あ、あぁ」
「でもそうね・・・知らないからどんなものなのか知りたくはあったかな。親は温かくて優しいって本には書いてあったけど、本当にそういうものなの?」
「どう、なんだろうな。全ての親がとは言えないだろうが・・・まぁ大抵はそうじゃないのか?」
「ライのお母様も?」
「・・・あぁ、そうだな・・・。温かくて、優しくて、強かったよ」
「そうなんだ・・・、素敵ね」
そう言って微笑むメーディエはサァーラの絵を眺める。彼女の顔には先程見られなかった僅かな寂しさが含まれていた。
ライティエットはそんなメーディエを見て、ふと、サァーラが良く自分にしてくれた行動を思い出す。その行動が今のメーディエにしても良い事なのかは正直分からない。けれど頭が正しさを判断する前に体が勝手に動き出す。
そして
「・・・ライ?」
とても、不思議そうな顔を返された。きっと驚きもあっただろう、元々大きな瞳を更に大きく見開いてライティエットを見ている。
間違えたか、と不安になって動きが止まりかけた。だがメーディエはすぐ嬉しそうに笑って、力を抜いた。そしてライティエットの幾つも傷跡のある大きな手に甘えるようにして頭を預ける。
ゆっくりと撫でる動きははっきりいってあまり上手ではない。慣れていないから当然で、髪も乱れていっている事だろう。
それが分かっていても、頭から、手から、伝わる温もりが嬉しくて、2人は少しの間そうしていた。
強く降っていた雨が少しずつ弱まってくる。森を抜ける風が雨水と一緒に小屋を叩く。
まるで子守唄のような音の重なり。
穏やかに、静かに、時が流れていく。
この穏やかな時間は2人が知っている気配を感じ取るまで続いた。
柔らかな波うつ髪の感触が消えてしまった掌。温かな温もりが消えてしまった頭。
気づかぬ淋しさを胸の奥に感じながら、純白に発光した扉と共に来訪者を迎える。
扉が開くと同時にこの場の穏やかな空気は
『ヤッホー〜ーーイ!!おっもたいシタヤ運んできたよ〜っ!!」
一気に崩された。
ドドドッと小屋に雪崩れ込んでくるシタヤと精霊4体。シタヤは4色の鮮やかなグラデーションの輝く結界に守られ浮かんでいた。恐らく精霊たちに移動魔法を駆使してもらって此処まで来たのだろう。
ただ小屋に入ってくるなりそのままポイッと捨てられ、同時に結界が解除され。シタヤは大きな音を立てて床に落ちたのだった。
「どわぁッ!?ぃーーッ!!!鼻、鼻打っ!こらお前ら!!もう少し優しく出来んのか!!」
『ご無事にお着きでなによりで御座います。あら、お二方とも濡れているではありませんか』
『ぬれてる、よくない』
『あらあら本当ぉ!乾かしてあげるわぁ、ウィンティ手伝って』
『よしきた!まっかせて〜っ!』
『ついでに髪も直してあげるわねん』
「え、あの大丈夫ですから!」
『フレイネは器用ですので任せなさいませ』
『ていうライティエットなんてもっとびしょびしょじゃん!何してたのさ!』
『ちゃんとふかなきゃ、だめ』
「あ、あぁ」
叫ぶシタヤを無視して精霊たちはライティエットとメーディエを構い倒しにかかっている。
完全な無視、である。
「お前ら・・・さっさと還らんか!!」
ギャンッ!と以前聞いた涼やかな音とは真逆の音がシタヤの金属片から鳴らされる。それを合図に精霊たちはゆるりと原形を崩していった。
『あ〜ん、まだ髪弄ってる途中なのにぃ〜』
『そーだそーだ!もっと遊ばせろよ!!』
『お二方共、お騒がせいたしました』
『シタヤ、よろしく』
それぞれが言いたい事を言って精霊たちは消えていく。
メーディエは笑いながら軽く会釈をして見送り、ライティエットは「こんなデカ物の面倒見られるか」と、小さくぼやいた。
静寂が戻った小屋の中には肩で息をしているシタヤの荒い呼吸と、フレイネとウィンティが点けていった暖炉の火で燃える木の音だけが響く。
そして落ち着いて息を吐き出したシタヤは何事もなかったように笑みを浮かべてこちらを向いた。
「よぉ、少しぶりだな。お前さんたちも此処に着いたばかりか?」
「・・・・・・あぁ」
そんなシタヤをライティエットが呆れたように見返すのは、最早必然でしかなかった。




