4-5
「ーー・・・ぇ?」
閉じた瞼が限界まで見開かれる。
それでも今見えているものが自分の都合の良い幻覚ではないかと疑ってしまう。
呼吸は荒く切れ切れで、頬に伝うのは恐らく汗の滴。
一緒にいたのはまだほんの数ヶ月程だが、こんな姿の彼を見た事は無い。
いつも冷静沈着で、どんな相手でも表情を崩さなくて、会話が極端に少なくて、説明もあまりしてくれなくて、実は本気で話すのを忘れていたなんて間抜けなところがあって、でも戦闘においては魔力や体力の配分が完璧で、だからいつも余力を残して汗一つかかなくて。
それから、それからーー
最近、少しだけ笑ってくれる様になった。
そんなライティエットが、必死な形相で、今目の前にいる。
自分の名前を呼んで、探して、見つけてくれた。
「・・・ラ、ぃっ・・!」
ぼろぼろと大粒の涙が溢れ出る。彼の姿をしっかり見たいのに視界がぼやけてよく見えない。
「この膨大な魔力にその見た目・・・ルーフェン・デュークか」
「いかにも。君は・・・あぁ、メーディエの傍にいた奴だね」
「なんで俺のことを?いや、最近の視線の犯人はアンタか。闇の貴公子様とやらはストーカー気質な上に女子どもを丁重に扱う事すら出来ないのか?」
「・・・・・・」
ルーフェンはライティエットに向けていた視線を一瞬だけメーディエに戻し、首を絞めていた手を離す。
「「ーっ!?」」
急な解放と落下に目を閉じて叫ぶ暇もなく、ライティエットの救助の手も間に合わない。
だが想像していた地面への激突はなく、メーディエの体はフワリと宙に浮かんだ。
浮いたメーディエの足元に蒼白い雪の結晶のような魔法陣が展開している。土台となった魔法陣から同じ色の花びらがブワっと音を立てて広がっていき、メーディエを包むように蕾の形となって固定された。
柔らかな、けれど強固な檻の魔法。
『(ーー!!ーーー!!)』
呼吸を整える為にメーディエが咳き込んでいるがその声は外に漏れず、全く聞こえてこない。花びらを叩く拳も柔らかく反発されて傷つくことなく彼女を守り、そしてしっかりと閉じ込めている。
「これで満足かな、原住民」
「さっきよりはマシって程度だがな」
「そうか、こちらの世界のマナーはなかなか難しーーっ!!?」
ルーフェンが言い終わる前にライティエットは素早く走り、首を狙って思い切り斬りつける。
武器を持たぬルーフェンは受けることが出来ずに既のところで回避したが、金色の髪が数本宙を舞った。ライティエットの剣はその一撃では止まらず、四方八方から繰り出される音速の斬撃はじわじわとルーフェンを追い詰めていく。あまりの速さに防御魔法の発動も間に合わないほど。
そして少し距離を取る為にルーフェンが取った僅かな予備動作、その一瞬の間を的確に捕え、ルーフェンの頬に一筋の紅い線を刻み込む。
後ろへと飛んで距離を取ったルーフェンが不思議そうに頬を擦った。指の腹が僅かにだが紅く染まっている。うっすらと入った傷自体に恐らく痛みは感じていないし、魔族特有の回復力ですぐさま塞がる事だろう。
だが数百年ぶりに見た己の血は、なんとも言えない高揚と屈辱をルーフェンの体に駆け巡らせた。
「ふふ、くくく・・・・・ふはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」
心底愉快だとばかりに笑うルーフェンの体から魔力が衝撃波となって放出される。
マルクスの魔力が熱く沸る灼熱の炎ならば、ルーフェンの魔力は全てを凍てつかせる絶対零度の氷。
辺りは一瞬で凍りつき、黒に染まった世界が白い氷点下の世界へと塗り替えられていく。木々は巨大な氷像に、地面に生い茂る葉は凍った瞬間から氷の塵となって粉雪の様に消えた。
「はぁーーーーー・・・いやはや失礼した。この私に傷を、己が血を見させる輩がこんな辺境の大陸にいるとは思わなくてね。マルクスを退けて調子に乗った若造かと思っていたんだけど。んふふふ、なるほどなるほど、そうではないようだ。君はただの原住民ではないね、一体何者なのか詳しく聞かせてもらえないかな?」
「断る」
「おやおや、つれないね。それじゃぁ・・・答えを聞くための舞台を準備するとしようか」
パチン!と、ルーフェンの長い指が小気味良い音を弾き出す。
音と共にメーディエを閉じ込めた結界魔法が空へと浮かび上がった。
『(ーーっ!!?)』
「メーディエ!?ーーチッ、逃すか!!」
浮いて離れてしまったメーディエにライティエットは意識を持って行かれ、その隙にルーフェンは黒い翼を大きく広げてメーディエと同じ位置まで飛び上がった。一瞬で手も剣も届かぬ上空に行かれてしまい、ライティエットは本気で舌打ちする。
だがすぐに片手を上へと向け、ルーフェンを撃ち落とさんばかりに無数の炎の球を放った。
「悪くない速度だね。けれどーー」
ーーキンッ!!
「威力が全然、足りないようだ」
ルーフェンがした事は片手を横に一閃したのみ。
ただそれだけで、高速でルーフェンに向かって来ていた炎の球は全て凍らされ、ゴトゴトと音を鳴らしながら地面へと落ちていった。
「魔力をもっと込めなければね。でなければ、私には届きもしないよ」
「なら今からそれをやってやるから受けてみろ。それとも言うだけ言ってこのまま逃げるのか?」
「ふふふ、まさか。ーーと、言いたいがその挑発は受けないよ」
『(ーーー!!)』
ルーフェンは再び片手を一閃して無色透明な巨大な氷の刃を放つ。視認出来ないそれは高威力の魔法を構築しようといていたライティエットの身体を容易く薙ぎ払い、氷像となった巨木に叩きつけた。更に刃はそのまま砕ける事なく凍りつき、ライティエットを巨木に貼り付けてしまう。
「ーっ、ぐぅぅっ!?!」
『(ーー!!ーーーー!ーーー、ーーーー・・・!)』
「あぁ泣かないでメーディエ。大丈夫、もうおしまいだよ」
ルーフェンは少しだけ高度を下げ、ライティエットがめり込んだ巨木に近づいた。
氷の刃は構えていた剣が防御してくれたようだが、叩きつけられた衝撃で内臓と骨を少し傷つけたらしい。口から血を流し、それでもルーフェンを睨みつけて氷から這い出ようともがいている。
「そういう訳だから、私達は帰るよ」
「ぅ・・・ぐっ、待てっ・・・」
「なかなかに楽しい時間だった。出来れば場所を変え、第二幕と行こうじゃないか、メーディエをかけてね」
「・・・何を、・・勝手、に・・・」
「君たちハンターは知っているだろう、私の城の位置を。此処からそう遠くない。彼女を取り戻したいなら、そこまで来るが良いよ」
そう言ってルーフェンはライティエットの返事も聞かずに飛び去って行く。メーディエが結界の中で泣き叫んでいるが、やはりこちらまで声は届くことはなかった。
ライティエットは何とか氷を溶かし切って解放されたその時には、もう2人の姿はどこにもなかった。
巨木にもたれて回復魔法をかけながら思考を巡らせる。
ーー別に、追いかける必要はない。
これは明らかに罠で、それ以前に公爵級に1人で挑むなど自殺行為だ。
一度追い詰める事が出来たのも、ルーフェンが油断していて、且つ武器を持っていなかったおかげ。魔力はメーディエと同等レベル、更に攻撃を避けるあの動きからして剣術も相当な腕前の持ち主だろう。
1人で挑むべきじゃない。準備万端で待ち構えているのを相手にすべきではない。
ライティエットは2人の消えた空に背を向け、町へ戻ると決めた。
が、足は一向に進まない。
頭に浮かぶのは結界に阻まれながらも必死に手を伸ばすメーディエの姿。
そしてーー
『よろしく、ライ!』
『・・・私のこと、置いていかないよね?』
『あなたが自分を心配しないなら私が代わりにあなたを心配するぐらいいいでしょう』
『ライ』
『ライティエット』
『いつか、お前にも己が命をかける者に出会うだろうよ。その時が来たら、使命なんぞその辺に放っておけ』
『絶対、手放すなよ』
ライティエットは、動かなかった足を大きく一歩、踏み出した。
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