偽りの親子(悪魔)
お気おつけて………
「私はお父さんの子供じゃないの?」
口から出てきた言葉はあまりにも率直で自分でもびっくりする物だった。
19の歳を終えハタチという肩書を受け取る前夜。龍寓 ミヤコは目の前の存在に尋ねていた。内容が内容のため、聞くのを躊躇していたが、やはりそのままにしてはいけない内容だと思ったのだろう。ミヤコは自然とその疑問を投げかけた。
――――違う。
その言葉が聞きたかった。だがしかし、どれだけ待ってもその言葉は訪れる気配すらない。何秒経っただろうか、ミヤコにとってこれ程長く気まずい沈黙は他にない。
目の前の存在は、難しい顔をしたままこちらと目を合わせようとしない。それがまた、ミヤコの心に穴を開けた。
「やっぱりそうだったんだね………」
失望に似た声色でミヤコは投げつける。未だに目の前の存在は黙ったままだ。言わばこれは一方通行のキャッチボール。いや、キャッチすらしてもらえていないかもしれない。
そしてまた、沈黙を破ったのはミヤコだった。
「私をここまで成長させてどうする気だったの? 成長した私に欲情でもする気? 私は貴方の道具になる為に育てられてきたの?」
既に他人行儀に変わってしまったミヤコの口からは、嘘に塗り固められた罵倒が生まれる。ここまで嘘を平気で言える自分が憎たらしい。そして言いたくもない事を躊躇無く言う自分の性格は歪んでいるとミヤコは再確認する。
教育だってきちんと受けている。今も大学に行かせてもらってる。
食べたい物は何でも食べさせて貰った。行きたい所があれば学校を休んででも行かせてもらう始末だった。
家だって裕福な方だ。習い事だろうと、娯楽だろうと、漫画だろうと、全て許してくれた。
そんな優しい人に罵声を浴びせている自分が恥ずかしい。
「それに! 貴方に私を育てるメリットが何処にあるの! 私は貴方の子供じゃないんでしょ!」
言ってはいけない一言を、ついに言ってしまった。だがしかし、ミヤコの表情は変らない。それが育て親に対して禁句の一言であっても、ミヤコはもう止まらないでいた。
「お前は………、俺の友人の子供だ………」
ようやく出てきた目の前の存在の一言は、重みがあり、内容が濃い物だった。
まず目の前の存在が父ではない事。そして、自分は目の前の存在の友人の子供である事。
たった二つだからといって馬鹿にしてはいけない。重量が違う。顔面パンチを喰らわさせた感覚にまで陥った。
「嘘………」
「嘘じゃない。お前は俺の子じゃない。血も繋がってない赤の他人だ………」
「………」
崖の上から突き落とされた感覚に似たその発言にミヤコは絶句する。他人行儀に扱うのと、他人行儀に扱われるのは訳が違う。自分がやっていた事だと思うとなおさら胃が痛くなった。
「じゃあ私は貴方の友人の子供って事なの………?」
「あぁ、そうだ」
再度確認するミヤコは即答してくる存在に怒りとは違った負の感情を抱く。重くのしかかる負のオーラに耐えながら、ミヤコは未だに目線を外そうとはしない。
倒れてもおかしくない内容だったが、それでも意識を保ってたのはまだ引っかかる物があるからだ。
「じゃあ何で………、私は一年間孤児院に居ていたの………?」
「………」
ミヤコは知っていた。知っていたと言うよりは、確たる証拠がある紙の在り処を知っていた。そして今その場にそれが有り、目の前の存在に見せている。
それを目視している存在はまた黙ったままだった。だがその表情は驚きを超えた顔になっている。きっとバレないとでも思っていたのだろう。
「私が本当に貴方の友人の子供だったとして、一年間孤児院に入ってる訳が無い。もし入っていたとしてもそれは………、一年間も長い間にはならなかった筈………、どうして………」
どうしてと、聞かなくても分かってしまう自分が恐ろしい。それはきっとこうだろう。
友人の子供というのは真っ赤な嘘で、本当は誰の子供か分からない。
そう思っていた。そう思うしか他に無かった。やはり自分の考え方は歪んでいると思う。
「俺に………、勇気が無かったからだ………」
「ぇ………」
何を言っているのか分からなかった。だがしかし、それは否定であると直に分かった。否定から入ってくれた事が嬉しく涙が出そうになるが、それは一歩手前で止まった。何故なら、目の前の存在がミヤコを置いて先に泣いているからだ。
「俺は………直にお前を迎えに行きたかった………。けどそれが出来なかった。俺には勇気が無かったから。お前を育てる勇気が。俺は独り身だ。ましてや育てる相手が女の子だったなおさら、不安もあった………」
「――――!」
驚きだった。目の前の存在がここまで真剣に考えていた事にでは無い。自分があまりにも馬鹿馬鹿しい考えをしていた事にだ。
自分の顔は美しい。スタイルだってずば抜けている。そう自負しているからこそ、自分の考えは歪みきって手のつけられなくなる勢いまで至っていた。
それを止めたのは間違えなく目の前の存在。未だに目の前の存在と思っている辺り、末期だろう。
早くお父さんと、言いたい――――。
だがそれを許さないのは、歪みきった自尊心。自分の立場や地位を守る為では無い。自分という個人を守る為のその心は容易に崩れようとしない。例え脳が望んでいても。
「じゃあ何で私を育てようと思ったの!! 不安もあったら育てない方が良かった筈なのに!」
――――違う! そんな事言いたくない!
心の中でもう一人の正常な自分が殴ってくるが、それを自尊心という悪魔が抑えつけてくる。
「勇気が無かったなら私は………、貴方に育てて欲しくなかった! 孤児院で育っていればよかった!」
――――違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!
そんな事思ってもいない。考えてもいない。本当は――――。
――――ありがとうの一言が言いたい。
育ててくれてありがとうと。ただその一言が言いたい。
だがしかし、悪魔に取り憑かれているミヤコの口からそんな純粋な言葉が出てくるはずが無い。自分だから分かる。何があっても、何を言われても、そんな事は絶対に言わないだろうと。
「本当に………、済まないと思っている………」
涙をポタポタと落し、頭を下げてくる存在。その意味が、その意図が読めなかったミヤコは口を押える。
「なんの謝り? なんの謝罪? 誰の誰に対する………。何で………」
押さえたくらいで悪魔は容易にミヤコの口を裂く。だがそれに後悔はしない。出てきたものはしょうがないと割り切るミヤコは、未だ頭をあげない存在に苛立ちを少々含ませる。
「本当の親の元で育ててあげられなくて済まなかった。本当の親を、たった一度の人生なのに、親の温もりを与えてあげられなくて済まなかった」
未だに顔をあげないのは、顔がぐちゃぐちゃになっているからだろう。滴る涙の量を見ればそれは容易に想像出来る。
そしてそれを見つめているミヤコは、先程とはまた違った感情になっていた。
怒りだ。
純粋な怒りは時として意外な結果を生む事となる。
「お父さんは間違ってる………」
「――――!」
『お父さん』と言われて、父はピタリと涙を落とすのを止めた。そしてゆっくりとこちらに顔を向けてくる。その顔はまさしくぐちゃぐちゃ。一つに括る事が出来ない物だった。
「私は! お父さんはお父さんだと思ってるし、血が繋がってなくても、お父さんが親である事は変わらないと思ってる! だから………」
前の発言と矛盾仕切った今の発言はミヤコの純粋な本当の気持ち。悪魔に打ち勝った言葉である。
「だから………、これからも育てて、お父さん!」
「ミヤ………、ミヤコ………。…………あぁ、もちろんだ!!」
その後ハグをした。久しぶりのハグは温かく、とろけるようで、やはり親子であると確信した。
少し落ち着いてから、自分の肉親の話をしてくれた。長い話は朝まで続き、いつの間にか自分はハタチという肩書を貰っていた。
それから父におめでとうの一言を貰い、その日の朝から父と一緒に墓参りに行っていた。場所は墓所とはかけ離れた場所だったが、しっかりと二人の墓があった。
そこで手を合わせ、これまでの人生を語った。そして最後にお別れの言葉を残し、また来ると一言置いてその場を去った。
墓の前で手を合わせている時、父は気を使って離れた場所で一服していた。隣に居てくれても良かったが、父もまた色々あるのだろうと悟ったミヤコは、何も言わずに父の背中を見送った。
ミヤコはハタチになった朝に覚悟を決めた。父を父として最後まで付添おうと。父が病気になっても、自分が結婚して子供が産まれても、父を最後まで見守ろうと思った。
子供である自分がこんな事を思うのはおこがましいかも知れないが、自分がそうしたいならと、止める自分は居なかった。
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龍寓 ミヤコの父である龍寓 正人はミヤコの本当の両親の墓の離れた所で一服していた。
ミヤコは現在手を合わせ、プツプツと話をしている。
マサトは自分の名前が嫌いだった。『正しい人』と描いて『正人』。これ程自分には似合わない物は無いと思うばかりだった。
正直に言おう。昨夜の話の全ては真っ赤な嘘。勿論ミヤコがマサトの子供では無いのは本当の事だが、それ以外は全てマサトが作った嘘である。
ミヤコの両親は友人なんて生易しいものでは無い。
母親は婚約者、父親は部下だ。そいつらは亡くなったのではない。
――――殺したのだ。
婚約者の子供が自分の子供では無いと知ったのはミヤコが産まれた後の事。その後マサトは誰の子供なのか洗いざらい探した。探すのにはそう時間は掛からなかった。
犯人は右腕だった男だったからだ。
――――まず右の手の爪から剥がし取った。
全ての爪を剥がし取った後、次は右手の指から切り落としていった。
男は泣いて謝っていた。血と涙が混在する中、マサトが作った処刑室には断末魔が絶えず鳴り響いていた。それは三日三晩続いていた。
泣き止んだのは四日目。男は死んだ。
だがそこでマサトの憎悪は消えなかった。消えるどころか増してしまった。
次は妻という肩書を持っている女を目隠しをさせたままその処刑室に連れてきた。サプライズがあるからと言ったら喜んでそれを受け入れた。
宣告通りマサトは妻にサプライズをした。愛人の屍の姿を見せてやったのだ。
その光景は今でも覚えている。
血は水溜り程に大きく広がり、指は無く、歯すらない。目は片方垂れ下がっており、男の急所は取られていた。
それを見た妻は一瞬にして悟ったのだろう。目の前に置いてあったナイフで自らの喉を串刺した。
――――ここで死ななければ殺されると。
これが一連の流れだ。本当にあった話で、マサトは『正しくない人間だ』。
その後、マサトは血の繋がらない子供であるミヤコの処分を考えた。そしてある一つの考えが生まれた。
成熟したアレを、言葉を理解出来るまで育ったアレを、犯して壊して殺そうと。
時期はそう、高校生になった時。反抗期で歯向かって来た時にしようとその場で決めた。
だがしかし、マサトはミヤコを殺さなかった。犯しもしなかった。壊そうとも思わなかった。原因は一つではない。幾つもある。
大事に育て過ぎた事。愛情という物を知ってしまった事。娘を娘だと思ってしまった事。娘を娘として愛してしまった事。そして――――。
――――娘に反抗期が訪れなかった事。
神様のいたずらか、はたまた本当の両親の願いなのか、どうやら世界の全てはミヤコを生きさせたいようだった。
どうだろうか。自分は汚れているのだろうか。
「俺は………、これからどうしたらいいのか………」
空に向かって聞いても返事が帰ってくる訳がない。そう思っていたが、それは間違っていたようだ。
マサトは確かに聞いた。優秀な右腕と妻の怒りの一言を。
『お前は………、死ね!!』
その何処から来たか分からない言葉は再びマサトの心に悪魔を宿した。
そしてまた決心する。
「お前らの子供殺してやる! それから俺が死んでやるよ!!」
その表情はまさに悪魔その物。この世の物だとは思えない。一言で括るなら、そう。
『おぞましい』