初恋の終わり
「順子」
家の前に、博人君と直人先輩がいた。
「な、博人君……」
直人先輩と呼びそうになった。
「どうしたの?」
「ああ、誕生日を祝おうと思って。だから、兄貴も来た」
直人先輩に会うのは、あの日以来だった。
「順子ちゃん」
先輩の声。前は先輩に呼ばれると胸が締め付けられていたのに、今はない。
「明けましておめでとうございます」
「ああ、明けましておめでとう。でも、それ以上に、順子ちゃん、お誕生日おめでとう」
先輩がにっこり微笑だ。先輩に恋をしていた時のように胸がドキッとしなかった。
「兄貴、ずっと順子と話をしたがっていたんだ。今日は順子の誕生日だから、いい機会だから連れて来た。
順子が兄貴に会いたくない気持ちは分かるけど、でも、このままで新年を迎えるのは、よくないと思ったんだ……」
博人君の気配りが嬉しい。
「うん。ありがとう」
きっとケンタの会話のおかげだと思う。こうして、直人先輩と会話をすることが、あんまり怖くない。博人君が私のことを考えてくれていて嬉しくなる。
「順子ちゃん、ごめん。俺、順子ちゃんを、傷つけた。本当にごめんなさい」
直人先輩が頭を下げた。彼の謝罪の言葉が、スットンと傷ついた心の傷にハマる。
「うん、いいよ。ありがとう」
「あっ、俺の愛車に乗せるよ。お詫び。誕生日、プレゼント。ほら、このヘルメット被って」
先輩に黒いヘルメットを渡された。
「愛車?」
愛車と自慢しているバイクは、古い。
「ああ、やっとお年玉で買えたんだ。って、言っても、正月の前に買ったけどな。俺の先輩に譲ってもらったんだ」
直人先輩は、おもちゃをもらって嬉しそうにしている子供のように、バイクを自慢する。
「順子ちゃんが、始めて俺の後ろに乗るんだよ」
(えっ!?)
「で、でも、美奈ちゃんに、悪いから……」
こんな時に、美奈ちゃんの名前を出すなんて……。私はいつになっても、引き立て役の女……。
「いいんだ。最初に、順子ちゃんに乗ってもらいたんだ」
「ほら、順子、乗れよ。兄貴、あくまでも、安全運転してくれよ。そして、十分だけだからな!」
「はい、はい。お前、細かすぎるぞ。段々、お母さんに似てきたな」
直人先輩と博人君がじゃれあう。二人は、別々に暮らしているだけに、こうして二人で両親の話をすると嬉しいけど、見ていて寂しくなる。
「ほら、ヘルメット被る。これ、俺のだから」
博人君が、黒ヘルメットを指して言った。
初めてバイクの後ろに乗った。直人先輩の腰に、しっかり捕まる。初めて男の人に密着したのに、胸はドキドキしなかった。
ただバイクがスピードを出す度にビクビクしていた。周りの景色なんて、見る暇がない。先輩の服の匂いじゃなく、潮風の匂いがした。
「順子ちゃん」
バイクを止めて、先輩が話かける。私は怖くて先輩にしがみ付いているままだった。
「あの時の言葉を、取り消しに出来るなら、俺は何でもする」
ヘルメットをしているけど、先輩の声はちゃんと聞こえた。
「俺、何度悔やんだか……ごめん。きっと、謝罪をしても、あの言葉を取り消すことなんて出来ないと知っているけど……何度でも、謝りたい。ごめん。そして、俺は、本当に順子ちゃんが優しいと知っている。順子ちゃんは、誰よりも優しいよ。美奈も、博人も、ケンタもみんなそう思っている……」
目から涙が出るのを我慢する。
「本当に、ごめん……」
先輩にドキドキしなかった心が、またドキドキする。
(ああ……終わったんだ)
私は永遠に先輩が好きなんだ……。決して、実ることのない私の初恋。
初恋の辛さを、先輩のぬくもりと一緒に覚えている。
直人先輩はなにも言わずに博人君の待っている場所まで運転した。博人君はヘルメットを外した私の顔を見て心配した。
「大丈夫?」
ポケットからハンカチを取り出して何度も顔を拭く。
私が落ち着くのを二人は黙って待っていてくれた。
その後直人先輩が「お誕生日、おめでとう」と、最後ににっこり笑って言って、バイクに乗って去って行った。引っ込んだはずの涙がまたこぼれ落ちた。
先輩が去った後に、自動販売機で博人君がジュースを買ってくれた。ふとケンタのことを、思い出した。
「兄貴、ちゃんと安全運転していた?」
「うん」
「そっか。俺も、後で乗せてもらうよ。俺も早くバイクの免許欲しい~」
こんなに博人君が話すのは珍しい。
「お、俺がバイクを買った時は、順子を最初に乗せてあげるよ。あっ、今はこれで我慢して」
いきなりジュースの缶を持っていない左手を握られた。手の中に小さく冷たい物があった。
「誕生日、おめでとう」
博人君はニコッと笑った。その笑顔が直人先輩と同じだった。
「こ、これは?」
手の平にオレンジ色の小さな、小さな石があった。
「お、俺もなんの石か分かんないが、ストーンマーケットに売っていたんだ。綺麗だろう。あの夕焼けの色と、同じだろう……」
あの写真。あの夕焼けの写真。私が博人君に送った写真。手の中の石と同じ色……。
「博人君……ありがとう」
このオレンジ色のように胸が温かい。きっと私の胸にこの温かい夕日が、輝いている。
「ああ。お誕生日、おめでとう」
「うん。ありがとう。大切にするね」
心から笑えた。
。
「っ! なあ、俺じゃ、ダメか?」
「えっ!?」
急に話題を変えられて戸惑った。
「だから、俺と付き合ってくれ。俺は順子が好きだ」
ビックリして言葉が出ない。何度も目をパチクリする。
「俺と付き合ってくれ」
「冗談はやめて」と言うつもりだったけど、出来なかった。博人君が真剣と言うことが、彼の顔を見れば分かる。
「私は……」
ふと可憐さんの顔が浮かんだ。
「ごめん。私、今、誰とも付き合う気がないの……」
そう言う言葉しか、思いつかなかった。心臓の鼓動は激しく鳴っている。
「……そう、なんだ。でも、俺が順子を好きと言うことを、覚えていてくれ。俺は、ジーンズ姿にTシャツで、ふわふわ髪を揺らして、走っていた姿に、惚れたんだ……」
どうしてあんな姿に、惚れるの! 涙が出そう。
「博人君、ありがとう」
「ああ」
その後に、家まで送ってもらった。二人で他愛ない話をした。博人君のことを知って、いつの間にか彼が大切な人になっていた。