甘えん坊のお母さん
≪甘えん坊のお母さん≫
狭い敷地に素人が設計したむちゃくちゃな間取り・・・
日の当たらない部屋、急な階段、物置と化した狭いホコリだらけの三階・・・
そして、一階にはもうつぶれて使い道が無くなったお好み焼き屋さんの残骸。
家の周りはトタンで囲まれ、大きな車が通るたびに家が揺れる。
田舎の中の都会と言うとわかりやすいかな??
交通量の多い、家の密集した、ゴミゴミした場所・・・。
そんな家に、おばあちゃんと、お母さん、私、妹の4人で住んでいた。
うちの家系は女が気が強いらしく、みんなそれぞれ自己主張が激しかったから喧嘩はしょっちゅうだったけど、家族水入らず、誰にも気兼ねなく、当たり前にある幸せにみんな気付かずに仲良く暮らしていた。
狭くて汚かったけど、私はその家が大好きだった。
おじいちゃんは、私が生まれる前にもうすでに亡くなっていた。
お父さんは、私が物心つくか付かないかの頃に家を出て行った。
お父さんとは、たまに会うぐらいだったけど、居ない事に慣れすぎて、寂しさなんかは一つも感じたことがなかった。
それに、お父さんが会いに来ると、決まってお母さんの機嫌が悪いし、お父さんの悪口を聞かされるのが嫌だったから、会いに来てほしくないとまで思っていた。
お母さんは朝から晩まで働いていたから、家には年老いたおばあちゃんと、幼い私と、さらに幼い妹。
私達、幼い兄弟は、まだまだ手のかかる年頃だったため、しょっちゅうお母さんの兄弟や、おばあちゃんの兄弟たちが、家のことを手伝いに来てくれていた。
家に色んな人が来るのがすごく楽しみな子供だった。
朝、「今日は○○が遊びに来るよ」と聞かされると、幼稚園にいる間、家の事が気になって仕方なかった。
早く家に帰りたくて、友達と遊んでいても心此処にあらずだったのを覚えている。
中でも、親戚が遊びに来るのは、私の一番の楽しみだった。
親戚は、たまにしか会わないお客さんとはちょっと違う。
決して甘やかしてはくれない。
親のように厳しく叱るけど、その分、わが子のように愛してくれる。
私も妹も、親に甘えるように親戚のおっちゃんやおばちゃん、お兄さん、お姉さんたちに甘えまくった。
そして、お母さんも、親戚たちに甘えまくっていた。
六人もの兄弟がいるお母さん。
お母さんはその兄弟の中の一番末っ子。
子供ながらに、お母さんのお姉さんやお兄さんは、お母さんにすごく甘いように感じていた。
いちばん上のお姉さんなんて、お母さんと15歳も離れているもんだから、幼い私の目には、親子のように映っていた。
お母さんは何かあると、その15歳離れた「おばちゃん」と、当時独身だった、おばちゃんの一人娘の「有ちゃん」に、ヘルプを求めていた。
私の運動会や参観日に有ちゃんが来てくれたこともある。
お洒落できれいな有ちゃんは、私の自慢だった。
派手でミーハーで、流行最先端!!といった感じの有ちゃんは、テレビの話や、ファッションの話、女の子が興味のあるような話をいっぱいしてくれた。
見た目はイケイケだったけど、有ちゃんは本当に本当に優しかった。
妹が肺炎で入院した時は、おばあちゃんもお母さんも妹につきっきりでてんてこ舞いだった為、有ちゃんは自分の職場まで私を連れて行ってくれた。
有ちゃんは一流企業に勤めていた。
そんな会社の会議中に私は有ちゃんの横でおとなしく「お絵かき」していたらしい。
今から思えばあり得ない話だけど、「その時はそうするしかなかった」と有ちゃんは言っていた。
有ちゃんには感謝してもしきれない。
感謝してもしきれないのは、おばちゃんも同じこと。
おばちゃんはよく怒るから少し怖かったけど、本当に私たちの為を思って叱ってくれているのがわかっていたから大好きだった。
おばちゃんは、おばあちゃんの面倒もよく見てくれていた。
親戚の中で一番落ち着いていて、みんなが一目置いていたのがこのおばちゃん。
私は、お母さんやおばあちゃんに怒られるより、おばちゃんに怒られるのが一番怖かった。
幼すぎてまだ理解できなかったけど、おばちゃんは本当に親のようにしつけてくれた。
今でも身に付いている行儀や礼儀はおばちゃんが教えてくれたものだから、本当に、感謝してる。
そして、そのおばちゃんの旦那さんの、「おっちゃん」も大好きだった。
私にとって、「おっちゃん」も、感謝してもしきれない人の一人。
面白くてよく一緒になって遊んでくれるていたおっちゃん。
私が叱られていたら、いつも庇ってくれていたのがこのおっちゃんだ。
おっちゃんは、子供心を本当によく分かってくれていた。
いつも同じ目線で話してくれた。
「女の子は、お父さんみたいな人を好きになる」
この言葉はよく聞くけど、お父さんのいない私にはピンとこない。
でも、小さい頃から、結婚するならおっちゃんみたいな人と決めていた。
お酒はよく飲むけど、家族思いで、すごく親戚思いのおっちゃん。
おっちゃんがいると、その場が明るくなる。
そして、いつ何時も筋を通し、いざとなったら一番頼りになる。
今でも、私の理想はそんなおっちゃんみたいな人。
おばちゃん、おっちゃん、有ちゃん。
私にとっては、このおばちゃん一家もかけがえのない家族だった。
おばちゃん一家を含め、毎日いろんな人が家に出入りしていた。
いつも賑やかで、お父さんが居ない寂しさも感じる事は無かったし、このままの状況がいつまでも続くと思っていた。
でも、それは子供の考えだったんだと今になって思う。
お母さんは孤独だったのかな?
さみしかったのかな?
女として・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。