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私が男で彼が女で

お帰りなさいませ、お嬢様

 岐阜駅、南口。

季節はまだ冷たい空気が残る春だが、人々が行き交う横断歩道に怪しげな女の姿が見える。


 黒髪ストレートの長い髪はボサボサで櫛すら通しておらず、トレンチコートを着込み、マフラーに手袋まで着用。その上ニット帽を深く被り、瓶底メガネにマスクという出で立ちの女。彼女が向かう先は一見の喫茶店。木造のペンションのようなデザインの路面店。


 店の前のイーゼルには、本日のお勧めメニューなどが書かれている。時刻は午前九時半。開店はしているが、客は居ないようだ。だが女は好都合だ、と店の中へと入っていく。


 カラン、とカウベルを鳴らしながら入店する女。いそいそとマスクとニット帽を外し、店員を待つ。


「おかえりなさいませ。お嬢様。本日は御一人様ですか?」


「は、はい」


応対した店員は燕尾服を着た執事。そう、ここは執事喫茶。

非日常を提供する場所。

 女は執事に案内され、窓の無い壁際の席へと。


「どうぞ、お嬢様」


執事は眼鏡を直しつつ、女のトレンチコートを受け取りながら椅子を引き座るよう促してくる。女は恥ずかしそうにしながら着席し、執事から本日のメニューを手渡された。


「ご注文はお決まりですか? お嬢様」


「ぁ、えっと……後で……」


畏まりました、と執事は再び眼鏡を直す仕草をしながら一礼する。

高身長でスタイルが良く、この執事喫茶の中でも屈指の人気を誇る執事。

そんな彼はこの店のオーナーでもあった。現在店の中に執事は彼しか居ない。


央昌(かねまさ)さん……」


央昌とは彼の名前だ。女はメニューを見るフリをしながらチラチラと執事を観察していた。

各テーブルに備え付けられた備品の位置を直し、時折眼鏡を直しながら軽く社交ダンスのようなスッテプを踏む。

シャドーボクシングならぬ、シャドーダンスだろうか。まるで相手が居るかのように錯覚してしまう程、執事のステップは見事だった。


 執事を観察するのに夢中の女、そんな女と目が合い微笑み返す執事。

女は赤面しながらメニューで顔を隠し、近づいてくる足音に心臓の音を高鳴らせた。


「お嬢様、お決まりですか?」


女は慌てる。まだ何も決めていない。とりあえずと、女はホットコーヒーのモーニングセットを注文した。


「畏まりました。ぁ、少し動かないでください……」


ビクっと震える女。執事の手が自分の髪に触れるか触れないかで近づく。かすかに頭皮へと感じる感触。

まるで撫でられているかの様だった。そこまで触れられてはいないが。


「失礼しました。では少々お待ちください」


ぁ、え、と間抜けな声を出す女。恐らく髪にゴミか何かが付いていたのだろうが、それを言わない所が執事らしいと言えばらしい。お嬢様に恥をかかさないようにするのが大前提なのだ。


(央昌さん……カッコイイ……)


そんな時、新たに客がやってきた。現在執事は央昌のみ。当然応対する事になる。


「お帰りなさいませ、お嬢様方」


新たな客は二人連れの女。一人は車椅子に乗り、もう一人が後ろから押していた。


(ん……? あの後ろの女の子……どっかで……)


メニューで顔を隠しながら観察する女。確かに見覚えがあるのだが思いだせない。

そのまま央昌は二人を席へと案内する。それと同時に一匹の犬が車椅子の女性へと近づいていった。

この執事喫茶の看板犬だ。可愛らしい柴犬で毛がモフモフのため、訪れるお嬢様は大抵、皆撫でてから席へと着く。女は犬が苦手だった為、撫でる事などしたことは無いが。


「あらー、ヴェル様元気ー?」


車椅子の女性の膝に顎乗せしながら甘える柴犬。普段から大人しい犬だが、自分から撫でられに行く事も全くないと思っていた女は驚いた。あのヴェル様と呼ばれる柴犬が、あそこまで懐いている。きっとかなりの常連なのだろう、と推測する。


(くぅ……せっかく央昌さんと二人っきりだったのに……)


悔しそうにしながら携帯を取り出し、自分とは反対側の窓辺へと座る二人の女性客を観察する。車椅子の女性は大人っぽい雰囲気を醸し出している。実際大人なんだろうが、顔には少女の面影が残っている。一方で、もう一人の女はポニーテールで背が高くスタイルもいい。長い脚を組みながらおしぼりで顔を拭く姿など、どこかの居酒屋のオッサンのようで……


「って、えぇ……な、なにしてんのあの子……」


なぜ執事喫茶でそんな事が出来るのだ、と驚愕する女。おしぼりで顔を拭いてしまったら化粧が落ちるでは無いか。しかしそんな事を気にする事なくゴシゴシと顔を拭いている。まさかノーメイクなのか、とマジマジと観察する女。そんな時、一瞬ポニーテールの女性客と目が合う。


女は咄嗟に目を反らし、恥ずかしそうにしながらメニューで顔を隠した。同時に自分が頼んだコーヒーとモーニングセットが届く。しかし持ってきた男は執事では無かった。


「ん、モーニングセットお待ち」


不愛想に言う男。恐らくキッチン担当なのだろう、フランス料理のシェフが着るような白いコックコートに身を包んでいた。てっきり央昌が持ってきてくれる、そう信じていた女の表情は固まる。まるで、この世の終わりに直面したかのような表情。


「ちょ……末原さん! なにしてんの?!」


その時、ポニーテールの女性が駆け寄って来た。末原と呼ばれた男は「何?」と不愛想に答える。


「央昌さんは……? っていうかダメ! ご、ごめんなさい、やり直させますので……」


いいながらコーヒーとモーニングセットを再び末原に持たせ、奥へと消える二人。

女は唖然としながら首を傾げていた。一体何が起きたのだ。


 奥から、かすかに二人の会話が聞こえてくる。女は聞き耳を立てた。


「央昌さんは?!」


「あぁ、なんか腹痛起こしやがって……早く持って行かねえと冷めちまうだろ」


腹痛。央昌に何があったのだ、と引き続き聞き耳を立てる女。


「ダメだよ……やるなら、ちゃんと制服きて……」


「俺の制服コレだもんよ」


二人の会話を聞く限りかなり親しげだ。あのポニーテールの女は一体何者なのだ、と首を傾げる。

もしかしたら央昌とも親しい間柄かもしれない。想像するだけで嫉妬の炎に包まれる女。


「あー、もう……まだ出てこないの? 仕方ないな……」


央昌は大丈夫なのか、と心配しながら嫉妬する女。その数分後、別の執事が女の元へモーニングセットを運んできた。その顔を見て女は思いだす。先程のポニーテールの女性客が誰だったのかを。


「あっ……ぁ、晶ちゃん……?」


「はい、先程は申し訳ありません、お嬢様」


女は驚愕する。そうだ、先程の女性客、どこかで見覚えがあると思っていた。それもその筈、その女性客はこの執事喫茶の店員だったのだ。


「あ、晶ちゃんの……女の子バージョン……初めて見ちゃった……」


晶と呼ばれる執事。その正体は男装癖のある女だと言う事は知っていた。だが女性時の姿など見た事が無かった女。自然と心が踊る。


「お恥ずかしい……他のお嬢様にはナイショにしてくださいね」


口元に人差し指を当てながら「シィー」とジェスチャーする姿に女は心をときめかせる。

カッコ可愛い、素直にそう思った。ポニーテールだった髪型は三つ編み一本のお下げに。胸はサポーターか何かで潰しているんだろう。そして何より央昌ほどでは無いが高身長。完全なイケメンだ。


「ぁ、あの……晶ちゃん……」


女は勇気を出して携帯を取り出し、撮影の許可を求める。平日は午前中のみ撮影が許可されていた。午後になると高校生のバイトが増える。彼らの撮影は禁止されていたからだ。


「はい、構いませんよ」


言いながら携帯を奪う晶。呆気に取られる女の横に椅子を付けて座り、そのまま肩を抱き寄せ、頭を撫でてくる。女は同性の晶に心臓が高鳴り、自然と甘えるように体を預けた。そのまま携帯を高く掲げてツーショットを撮影する晶。女はもう一枚、と少しでもこの甘い時間が続くように願った。そして再び撮影し、残念そうに離れる女の肩を再び抱き寄せる晶。


「え、え?」


「もういいの? 正直になれよ……ほら、あーんして……」


晶は口調を変えてトーストを女の口に運ぶ。女は顔を真っ赤にしながら、まるでリスのように小さくトーストを齧った。幸せ過ぎて声も出ない。


「可愛いな、お前……よしよし……」


女は必死に鼻息が荒くならないように堪える。ヤバい、心臓が破裂しそうだと肩を震わせる。

何を同性に興奮しているのだ、と自分に言い聞かせるが、このシチュエーションは女の願望その物だった。

むしろ同性だからこそ、安心して体を預けていられる。これが央昌だったら恥ずかしくて必死に逃げていただろう。


「あとちょっとだけだぞ……甘えん坊め」


肩をポン、ポン、と心臓の鼓動に合わせるように軽く叩く晶。

まさに非日常を提供する空間だ、と女は悶える。しかし夢のような時間は過ぎるのが早い。

カラン、とカウベルが鳴り新たな女性客が入って来た。晶はつかさず反応する。


「ごめんな、時間だ。ヤキモチ焼くなよ……子リス」


コクコクと頷く女。そのまま晶は離れ、自分が座っていた椅子を元に戻すと来店した女性客の元へと向かって行った。


 女は震える手で携帯の写真を確認する。一枚目の写真は、まだそこまで体を預けては居なかった。かすかに緊張で硬直する自分の姿が写っている。しかし二枚目ならばもっと密着していた筈だ、とスライドさせる。しかし……


「……え、ひぁ……っ!」


小さく悲鳴を上げながら携帯を床に落とす女。来店した女性客を案内していた晶は、何事かと足早に向かい携帯を拾いあげた。


「どうしました? お嬢様……落としましたよ」


女は震えながら首を横に振る。そして顔を手で多い、泣き出してしまう。

一体どうしたと言うのだ。晶は携帯に写る写真を確認する。


二回目に撮影した写メ、そこには晶と女の背後に、居る筈の無い人物が写りこんでいた。


思わず晶も目を見開き何度も確認する。だがどう見ても背後に写りこんでいるモノは人間にしか見えない。恐らく女。髪の長い白い服を着た女が、悲しげな表情で写っていた。

俗に言う心霊写真なのか。初めて見る晶は、女に許可を取り写真を自分の携帯にも送信する。


「消して……お願い……消して……」


泣きながら訴える女。言われた通り削除する晶。ちょうどそこへ、長いトイレから帰還した央昌が駆け寄ってきた。


「どうしました? っていうか晶さん……貴方は勤務時間ではないですよ」


その言葉にイラっとする晶。お前のトイレが長いせいだ、と思いつつも自分の携帯に送信した写真を央昌にも見せる。


「……これは……」


央昌も目を見開き、眼鏡を何度も直しながら確認する。どこからどう見ても心霊写真だ、と。


「この写真……私にも送信してください。知り合いに……この手の物に詳しい人物が居ますから」






 それから小一時間後、央昌に呼び出され二人の女性が執事喫茶へと訪れる。一人は外人、もう一人は小学生くらいの女の子。だが二人共スーツを着ていた。


 二人は央昌に案内され心霊写真が撮影された席へと座る。そこに座っていた女は別の席へ移動していた。

執事喫茶は一時的に閉店となり、店の中に居る客は晶と共に心霊写真を撮影してしまった女、そして車椅子の女性のみ。今だに看板犬は顎乗せしている。


 央昌は訪れた二人のスーツの女性と共に例の席へと座った。

その二人の内、小学生程の女の子が懐から名刺を取り出し央昌へと渡した。


「おまたせしました。探偵派遣会社、真祖の森の橘 茜と申します」


小学生とは思えない態度の女の子。央昌もつい畏まりながら名刺を受け取る。

そしてもう一人の外人は、央昌へと説明を求める。


「デ? 今日はどうしたんデスカ? 急に呼び出すなんて貴方らしくアリマセンネ」


親し気に央昌へと話しかける外人。晶とその他の人間は驚いていた。央昌の知り合いとは、あの外人の事か、と。凄まじく美人、まるで何処かのモデルのようだ。


「実は……こんな物が撮影されてしまって……」


そのまま自分の携帯へ送信された写真を二人に見せる央昌。

スーツを着た女性二人はマジマジと見つめる。


「あー……心霊写真ですか。どうします? クリスさん……」


クリスと呼ばれた人物はチラっと壁際を見る。そして溜息を吐きながら央昌へ


「塩コショウありますカ? その辺に撒いといてクダサイ。心配しなくても大丈夫デスヨ。ただの浮遊霊デス」


壁を親指で指しながら言い放つクリス。央昌は首を傾げつつ、テーブルに置いてあった塩コショウを手に取り、壁際へと振り掛けた。


「これで大丈夫なんですか……? 呪われたり……」


「呪いナンテただのプラシーボ効果ですヨ。心配するだけ無駄デス。どうしてもと言うなら連れて帰りマス」


連れて帰る、と言われて央昌は壁際を見る。誰も居ないが、恐らくクリスには見えているんだろう。ここに佇む女性の霊が。

 クリスは再び写真を確認する。どうやら女性の霊が御執心なのは執事の方だと見破ると、央昌へと提案した。


「央昌サン、言うなれば……この霊も、お嬢様デスヨ。どうでしょう、この席を私が個人的に買い取りまショウ。いくらデスカ?」


央昌は混乱する。何を言い出すんだ、と。まさか幽霊をここに住まわせるつもりなのか。

すると小学生らしき女の子のほうが、鞄から小切手とボールペンを取り出した。


「どうぞ、好きなお値段で買い取らせて頂きます」


「い、いや……そんな訳には……」


自分より遥に年下であろう少女に畏まる央昌。

正直幽霊が居る喫茶店など誰も入店したくは無いだろう。ここはクリスに連れて帰ってもらうしかない、そう思った時だった。晶が央昌へと近づき耳打ちする。


「あの……央昌さん……お願いします……なんだか……この女の子の悲しそうな顔みてたら……」


「いや……でも……」


幽霊をお嬢様として扱えと言うのか、と央昌は混乱する。それに席を買い取ると言われても値段など出て来る筈が無い。


「央昌サン。何も一生置いて欲しいっていうんじゃアリマセン。成仏するまでの間だけデス。値段が決められないと言うなら……一千万でドウデショウ」


「ちょ、ちょっと待ってください……そんな大金……いきなり言われても……」


すると小学生らしき少女が央昌から小切手とボールペンを奪い、勝手に一千万と書き込んだ。そのまま押印し央昌へと手渡す。そして央昌へと訴えた。ここに置いてあげてほしいと。


央昌は頭を抱えるが、そこに晶と共に心霊写真を撮影した女も近寄って来た。

そして再び携帯のカメラを起動させる。


「あの、晶さん……もう一度……撮影してもらっても……」


晶は頷きながら壁際に立ち、すこし女とスペースを開けて携帯を構える。真ん中に幽霊の女性を入れるようにして。


「はい、チーズ……」


撮影し画像を確認する。すると真ん中に微笑む女性の姿が写っていた。かすかに涙が流れているのも見て取れる。


その画像を見た央昌も涙腺が緩み、眼鏡を取って目頭を押さえた。

そして承諾する。

この席は当分の間、このお嬢様の物だと。


「交渉成立デスネ。では小切手は銀行で換金して貰って……」


クリスが全てを言う前に小切手を破り捨てる央昌。

お金は必要ないと言わんばかりに。


「私は……全てのお嬢様に非日常を提供する為、この店を建てました。決してお金のためではありません」





 数日後


その喫茶店の壁際の奥の席にアルバムが置かれている


アルバムの中の写真


お嬢様方と笑顔で映る一人の幽霊


彼女はもうここには居ない



最後に撮影された写真


執事全員で誕生日のケーキと彼女を囲み撮影した


それを最後に彼女は姿を消した



今はひっそりとアルバムだけが置かれている


ここに確かに一人のお嬢様が居た


それを証明するかのように



 


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― 新着の感想 ―
[一言] え? まさかのホラー?? ちょっと不思議で切ない。 素敵なお話をありがとうございました。
[良い点] コメディーじゃなく、ヒューマンドラマというジャンルになっていたので「まさか」と思っていたのですが、その「まさか」でした。 この喫茶店、最高すぎます……。 たとえ幽霊であっても「お嬢様」とし…
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