嵐の前の襲撃
風が、韋駄天のように吹き荒れる秋の日であった。
明日にでも嵐が直撃し、大雨が降るであろう。
移香斎は、今日のうちに、山へ修行に出た。
鶴姫は今度ばかりは真剣に止めるので、明日は止めにしておく。
機嫌をそこねては、何かと差し障る。
山での修行中、鋭い殺気を感じた。しかも、複数。
五人、いや六人か。
大方、大黒屋に雇われた食い詰め浪人かと思いきや、
剣気がなかなかのもの。かなり、本格的に修行した者と
感じ取れる。
山の中で、逃げようと思えば、逃げれるが、
それでは、もったいない。
詮索は止めて、近くの神社に誘った。
周囲を五人の覆面をした武士が、真剣を抜き、
遠間にて、取り囲んだ。
凄まじい殺気が、移香斎を包み込む。
肌を突き刺すような視線。
ゾクゾクする。
「 その方ら、どこの者じゃ。 理由を、聞こう。」
返事は、無かった。
もちろん、期待はしていなかった。
移香斎は、今日は、真剣を抜くことにした。
木剣で相手をするのは、ちとやっかいな
相手たちでもあった。
それより、姿を見せず、様子を窺っている
六人目の武士の存在を警戒したのである。
実のところ、最近、生身の相手に真剣を
揮っていなかったので、良い機会と考えた。
模索中の太刀も、試してみたい。
「 畳の上の水練は、役に立たず。真剣にて、斬り覚えよ。」
鵜戸明神の教えであった。
およそ、神らしくない言葉である。
敵は、前に三人、後ろに二人。
移香斎は、八方目にて、剣を抜き、下段に下げた。
後の世に、柳生新陰流に「無形の位」(むぎょうのくらい)として
受け継がれる構えであった。
剣を知らぬ者が見れば、こいつ、ボ~ッとして
やる気あるんかいなと疑うであろう。
五人は、ジリジリと確実に間合いを詰めてくる。
明らかに、連携のとれた、手慣れた動きであった。
一際、大きな風が吹き、境内の木々がざわめいた瞬間、
五人は一斉に動いた。
皆、刀を上段に構え、斬りかかってきた。
下手な同士討ちをさけた見事な連携技で、
ほぼ同時に襲ってきた。
死を呼ぶ暴風であった。
「 うげえ!」と悲鳴があがり、赤い血が境内を汚した。
移香斎は、左後方へ跳び、そのまま横薙ぎの一撃を敵の一人に、
喰らわしたのである。
残された四人の気が乱れた。
今まで、何度となく、確実に敵を葬ってきた。
この必殺の陣形を、まさか、後ろへ跳んで反撃するとは、
信じられなかった。
移香斎は、相手の技の「起こり」がわかる境地に既に立っていた。
「先」を完全に読むことが、できる。
その上、観の眼と言おうか、天神の眼と言おうか、
今みたいな場面では、自分も含めて、敵の動き全てが、
天空の位置から観えるのであった。
達人の証であった。
四人は、気持ちを奮い立たせるかのように、
前後左右に 陣形を変えた。
「どおりゃ~!」
正面の敵が、上段で斬りかかってきた。
これは虚である。
後ろの敵が、疾風の突きで襲って来た。
移香斎は、前を向いたままかわし、自分の刀は使わず、
左手に握ったまま、その突きの刀の柄を右手で握り、
勢いを利用して、正面の男の水月に正確に突き刺した。
正面の敵は、声を立てる暇もなく絶命した。
左の敵が、隙ありと、一瞬で間合いを詰め、
袈裟斬りで襲ったきたが、慌てることなく、
逆に踏み込み、小手を斬った。
右手を宙に飛ばしてみせることができたが、
皮一枚を残した。
「ぎゃっ。」
悲鳴をあげて、のけぞり、残った左手で
右手を懸命にくっつけようとする。
移香斎の恐ろしいほどの技の冴えである。
それ以上に立ち向かってくる敵には容赦しない
非情の精神が、敵の心を折る。
鵜戸明神の修行の前とは、別人であった。
修行僧のような禁欲生活をし、剣の奥義を極めんと、
修行に明け暮れていた。
戦国乱世の世に、活人剣を目指していた。
「 刀など、所詮、人斬り包丁に過ぎぬ。
剣術は、人殺しの術よ。
活人剣などうたうは、笑止。
どうせなら、活殺自在を目指さんかい。」
鵜戸明神の教えが、蘇る。
「 さあ、どうする。 まだ、やるか。」
無傷の二人に、凄味のある笑みで、声をかける。
二人は、剣を構えているが、剣先は揺れていた。
「 早く手当をすれば、その仲間の右手は
くっつくかもしれぬな。
さあ、どうする。
理由を聞かせてくれれば、命だけはとらぬことを 約束しよう。」
どちらかと言うと、かかってくることを期待している
移香斎が、たまらなく怖かった。
二人がかりでも、一瞬で斬られることがわかる。
それくらい理解できる技量はあった。
どうしようもなかった、
蛇に睨まれたカエルの気持ちが、よくわかった。
「 さあ、どうする。」
移香斎が、二人に詰め寄った瞬間、
びゅんと風を切り、後ろから弓矢が襲ってきた。
六人目の男の攻撃であった。
移香斎は、振り返ることなく必要最小限の動きで、
攻撃をかわした。
六人目の男が、弓矢の間合いで、境内を見下ろせる
山の中に姿を現した。
般若の面をかぶっている。
並みの者より遠い間合いで、しかもこの強風の中、
かなりの力量である。
全身から立ち登る覇気に遠間からも、剣の達人の位に
達しているのがわかる。
二撃目の弓矢が、放たれた。
移香斎を襲ったのではなかった。
手首を斬られた男の心臓に、正確に突き刺さっていた。
それを見た二人は、脱兎のごとく逃げた。
移香斎は、追うことはしなかった。
移香斎の興味は、すっかり、般若の男に向いていた。
今までの闘いを観察し、分析していたに違いない。
油断ならぬ相手、嬉しくてたまらない。
移香斎は、般若の男の元に走り寄った。
三撃目、四撃目の弓矢が立て続けに襲ってきた。
刀を使うことなく、かわす。
五撃目の弓矢が全く見当違いの所に飛んだ。
その途端、その方向から、無数の先を削った竹槍が、
移香斎目掛けて、獲物を狙うハヤブサのように飛んできた。
「なんて日だ。」
笑みを浮かべながら、飛んで来る竹槍を全て、
竜巻のような斬撃で、斬り弾いた。
その間に、般若の男は、姿を消していた。
どこまでも、用意周到な敵である。
「まあ、よい、楽しみは、先にとっておくとしよう。」
移香斎は、嵐を待ちわびるかのように、空を見上げた。
今にも、大雨が降りそうな空模様であった。