異世界説話 盗人栄枯渇水
「やったぞ。これで俺が今日から勇者だ!」
小柄で醜悪な面をした少年。彼はあるものを盗んだ。勇者の剣。それを、寝ている勇者から盗んだのだ。
ここは寂れた小さな農村。みんなやっとのことで食っていける程度の規模。特に何も起こらない平和な、いや、つまらない日常。そんな日常は突如壊された。ドラゴンの襲来によって。
最初に事態に気づいたのは、小太りな旅の商人である。地面を覆う巨大な影。彼が上を見上げると。
「うわあああああ、ドラゴン!!!」
思わず叫ぶ。尻餅をついてしまったがすぐに立ち上がり、走る、走る。とにかくその場から離れるために。
「ドラゴンがこの村の近くで現れたんです。」
村へ入ってきてから時間が経ち、なんとか落ち着く。それと同時にふと頭に抱く疑問。しかし、それを口にはせずに、彼はこう村人に告げる。
「私はこのまま逃げます。みなさんも早いとこどこかに避難してください!」
そのまま村を通り抜けていった。
その日の夜、村では集会が行われた。ドラゴンが現れたから避難するかどうか決議を取るために。村人たちは恐怖に慄き、決を採るどころではない。泣き出したり、わめき散らしたり、終始無言だったり、下を向いて蹲っていたり。
そんな時のこと。勇者ご一行がこの村を訪れたのだった。村の外での見回りを担当していた者が勇者を出迎え、集会の場に連れてきたのだ。人々は歓喜し、奇蹟の到来を祝うことにした。
ドラゴンは昼行性である。だから、この夜には行動を起こすことはない。それがこの世界の常識であった。村を挙げての宴会が行われた。村中から食べ物と酒を集め、勇者ご一行を歓迎している。勇者たちも村人たちもたらふく酒を飲み、疲れもあっただろうが、全員が眠りに就いた。
そう、勇者たちも含めて全員が油断してしまったのだ。もう大丈夫だと。誰も死なずに済むと。しかし、そうではなかったのだ。よく考えて欲しい。冒険やスリルが大好き、そして、楽観的であり、酒を飲まない存在。
そう、子供である。村の子供たちのうちの一人。醜悪な面の子供。彼は勇者に憧れていた。勇者そのものではなく、その称号に。自身がそれを手にして、悪い魔物と戦うことを夢見ていたのだ。
その剣を取った彼は、村の外へ出る。村の出入り口を普段見張っている大人も今日は全員眠っている。そのためあっさりと外へ出ることができた。
次の日の朝。勇者ご一行は、戦いの準備をする。そしてその時に気づいたのだ。勇者は、自身の愛用の剣が見つからないことに気づく。
「あれ、俺の剣がないんだが。勇者の剣なのに、あれ。まさかどっかに落としちまったかな?」
頭を掻きながらとんでもないことを言い出す勇者。
「またなの、バカ! 失くすのそれで何本目だと思うの! 武器なかったら戦えないんだからなんかてきとーに村人から武器もらってきなさい。」
女魔法使いは、勇者をいつものように叱る。何度も武器を失くしているのだ。当然である。
「とは言っても、全員酔っ払って起きないだろ、これ。」
やれやれと反論する勇者。村人たちはまだ全員眠っている。二日酔いどころか三日酔いの勢いで酒を流し込んでいたのだから。
「オキロ~! はい、いっちょ上がり。これで問題ない。」
男僧侶が呪文を唱え、その場の全員の目を覚まさせた。そして顎で催促する。たったと剣借りて来い、と。
勇者の持っていた剣、勇者の剣。それはただの鉄の剣だったのだ。それを勇者の剣と呼称していただけであった。勇者の強さは武器で決まるのではなく、その心と才能で決まるのだから。武器なんて飾りなのだ。
「借りてきたぞ~。じゃあ行くか。」
戦いが終わり、帰って来た勇者ご一行。夕日をバックにし、三人は村へと戻ってくる。それを村人たちは総出で出迎える。勇者たちの顔は晴れない。
もしや失敗したのか? などと村人たちは一瞬考えたが、勇者の持っている刀に血がべたりと付いていることを確認しそれはないとあっさりとその考えを撤回した。
村の入り口に到着した勇者一向。勇者は何か背中に背負っている。行きしなにはなかったものである。討伐の証拠でも持って帰ってきたのか? などと村人たちは期待する。顔が自然とにやける。ドラゴンの素材は例え一部分であっても高く売れるからだ。
「村人たちよ。私はドラゴンを討伐した。」
勇者がその証拠である鱗を一枚、手に握りこんでいたそれを掲げたのだ。女魔法使いと男僧侶はずっと下を向いており、顔を上げようとしない。
「しかし、一人の少年がドラゴンの犠牲となった。こんな顔の少年だった。」
勇者は、女魔法使いが書いたその醜悪な顔の少年の似顔絵を見せた。すると、村人たちは笑う。死んだのがそいつでよかった、と。盗人小僧が死んでも誰も気にしない、と。そして、どうでもいい、と。
村人にとっては突如降りかかった災難と奇蹟。その犠牲者については何とも思わなかったようだ。
「さて、私たちはもう行く。礼や見送りは結構だ。この鱗はあなたたちに渡そう。」
勇者がそこにいた村長にその鱗を渡し、勇者ご一行はその町を後にするのだった。
そして、町外れ。ドラゴンがいた巣穴。そこにはドラゴンの死体が横たわっている。勇者たちはその隣に穴を掘り始めた。背負ってきた少年の死体をそこに放り込む。そして土を被せて。墓標は、少年に盗まれて、少年が死んだとき持っていたその剣である。
あらかじめ剣でドラゴンの死体の爪を切り取り、そこに刻む。
盗人栄枯渇水
刻んだ文字。しかし、妙である。栄枯渇水ではなく、栄枯盛衰だろう、正しくは。勇者は博識であり、このような間違えは犯さない。
疑問に思った女魔法使いは問う。
「それどういう意味なのよ?」
少し間を空けて、勇者はその問いに答え始める。
「この少年は凄かっただろ。俺たちがここに来たとき、こいつはドラゴンと一人で戦っていたんだから。」
「当然瀕死だったが、あのただの剣でここまでドラゴンと戦えていたんだから勇者の才能はあったかもな、こいつ。」
村長に渡したドラゴンの鱗。それは、醜悪な少年がドラゴンと戦ったときに体から削ぎとったものだったのだ。
「あの最後の一撃は本当に見事だった。ドラゴンを斃すには全然足りないが、その鱗を一枚落したんだからな。そして、力尽きた。」
「私たちは間に合わなかったのよね……。」
「そうだ。」
勇者のその言葉を聞いて、泣き出す女魔法使い。
「そう。私の回復呪文も間に合わなかった。手遅れだった。しかし、村は守れた。」
男僧侶はそう言いながら、女魔法使いの背中を擦る。
「これの意味だが、盗人。これは少年のことだ。村でもそう言われていたようだからな。少年の符号としてこれを始めに持ってきた。」
「次に、栄枯。少年が勇者の資質を示したことが栄、しかしドラゴンの命に届かず死んだから枯。」
「盛衰ではなく、渇水なのは、一瞬の輝きはあったが、少年の冒険があっさりと終わりを告げたからだ。水溜りができて、それが太陽によってあっさりと蒸発するように。」
「栄枯の部分を残したのは、俺からの、こいつは頑張ったっていう健闘を称える気持ちからさ。」
そして、最後に勇者は二人に問いかける。
「二重の意味での盗人栄枯渇水なのさ。分かるか、二人とも?」
涙をこらえ、女魔法使いは答える。
「ええ、一つは、この子自身を責める意味ね。」
残りを男僧侶が無表情で答える。
「もう一つは、少年を死なせてしまった私たちと村人たち。」
そうして勇者ご一行は、ドラゴンの巣穴を後にした。