『歯』のシニカタへようこそ 1
疼くような快感を死ぬ前に差し上げます。
頭痛い。いてててて。なんだこれ、このダルさ。確か遊園地で加穂留に会ったところまでは覚えてる。船に乗ったところまでは覚えている。そこから記憶先の記憶は無い。
頭を抑えながら周りをぐるりと見回してしたら、部屋が動いているような錯覚。なんか揺れてるし。
「まじ、頭やばい。てかこの揺れが気持ち悪い」
ふっかふかのベッドの上にいるけど、自分の部屋じゃない。自分の部屋は黒一色。
こんな真っ白いホテルライクな部屋なわけがない。ということはだ、ここはどこか他の場所。
心臓の動きに合わせて痛む頭を抑えながら立ち上がり、ドアらしき所まで歩く途中の両サイドの壁に見えた丸い窓に惹き付けられるように近づき外を見る。
おでこを窓にべったりとくっつけて目をひんむいた。
「まさかの、これってまさかの海」
この揺れって、ドアのところまで走って、半ば体当たりする感じでドアにぶつかった。頬に当たる突き刺す風。香る潮の香り。
波しぶきが眼球にぶつかり、それを防ぐべく無意識に上下するまぶた。
開いた口に入り込むその全てを飲み込むように一度口を閉じて、ドアを閉めた。
ドアに着いている窓からは上に上がる白い階段が数段見える。水で濡れている。
ここは船の上だと理解し、ゆっくりとドアを開け、手すりに捕まりながら上がり、デッキに出たところで照りつける暑い日差しに視界がぼやけ、手で顔を覆い目を細めた。
かなりのスピードで進む船。いや、小型のボートか。もう、この際なんでもいい。
360度ぐるりと囲む青い水。
海。
これ、どこ向かってんの? てか、操縦士だれ?
船の周りを見ると、人の影が見えた。加穂留か?
そうだ、加穂留と一緒にいたんだから、あいつだってここにいるはずだろう。
「あ、起きましたかあ? ユウダイサマお疲れのようで寝ちゃってたので、加穂留、勝手にお船に乗せて出ちゃいましたあ」
可愛らしい笑いかたに白いビキニ。そんな格好を見たら、そうかそうか、それは悪かったな。としか言えなくなる。どうやってこの船に乗せられたのか、ここはどこなのか聞きたくても頭は加穂留の水着に釘付けになり聞けない状態。
寝ちゃうとか格好悪すぎとしか思えないし恥ずかしい。無しだよな完全に。
「わわわわりぃ。寝ちゃったんだ俺って、これ、あの、何、どこ向かってんの?」
「いーいところですよっ。きっとお好きだと思いますー」
「あー………そうなんだ。秘密ってこと?」
「はい」
くすぐることをしてくるな。まあ、目の保養にもなるし、いっか。
加穂留は白いビキニに茶色いサングラスをかけて船を操縦してる。
高校生でそんなことができるのか。と不思議にも思う。てか、そもそもそんな簡単に船って操縦できんのか?
でもだ、ビキニの女の子が片手で船を動かしてるのはなかなかそそる。
「ユウダイサマも水着に着替えたらどうですー? とーっても気持ちいいですよお」
「え、でも俺水着なんて持ってきてないし」
「ちゃーんと用意してありますよー」
「まじか」
クローゼットの中にいくつかありますから、好きなものをどーぞー。
甘ったるい声を聞きながら今来たところを戻り、涼しい船内に入りながら鏡に写った俺の顔は、にやついていて自分でも気持ち悪いと思った。
そんな俺のことを笑みの無い顔で見て、シガレットケースからタバコを一本取って口に運んだ加穂留のことなんて、その時は全くもって、分からなかった。
そんなことする子だなんて、思いもしなかった。
「お腹すきません?」
加穂留の息はミントの香りがした。もう、パーフェクトだろ。
お腹すきません? とか言いながら出した皿には捌いた魚がたくさん乗っていた。
ジュースに酒まである。
「いや、俺まず酒は飲めないよ。高校生だし(行ってないけど)それはちょっと」
「やーだ、そんなの加穂留だって飲みませんよー。大丈夫、この中はジュースですよ」
「気分ってことか」
「てことです」
粋なことを。
「じゃ、かーんぱい」
「かんぱい」
飲み干した。
「お魚どーぞっ」
「ありがとう」
食べさせてくれるとか、いたれりつくせり。
「ささ、もう一杯」
「はいはい」
魚もうまい。ジュースもちょっと苦みがあってうまかった。
こんな女の子といられるなら死ぬのももったいないな。これだったら毎日ずっと一緒にいられると思う。
「本当はぁ、朝から来たかったんですけどぉ、ちょっと押しちゃって」
「押す?」
「はぁい、なので、今夜は一晩海の上なんですけど、ダメですかあ?」
「海の上?」
「加穂留と二人でなんですけどお」
「………」
「あ、やっぱりおイヤですね、じゃ、なんとか帰りますね。夜中になっちゃいそうですけど」
いやなわけあるかよ! むしろ歓迎、ウェルカムだよ。
「いやいやいや、それならさ、加穂留ここまで操縦して疲れてんだろ、俺は大丈夫だから一緒にいようぜ」
「ほんとですかー! 嬉しいー!」
この感じだと抱きつかれるコースだと思ってたんだけど、加穂留は程よい距離をとり、
『じゃ、追加のお魚持ってきますね』
と、手を叩きながらどここへ走って行った。
まぁ、かわいいし、夜は長いしな。これからだろ、なにか起こすには。
にしても、なんだか眠くなってきた。
♢♢♢
あっつい。まじ、くっそ暑い。なんだこの焼き付ける感じ。喉も乾いてるし頭も痛い、皮膚も痛い。体、重い。
顔を左右にゆっくり揺らせば顔の汗が左右に流れ、汗が入らないようにまた無意識にまぶたが固くなる。
耳に届く音は心地よい音楽。遠くのほうで誰かが話す声が聞こえる。時おり体にかかる水しぶきが火照った肌に滑り、気持ちがいい。
どこだここ?
ここが船の上だということに気づくのに、たっぷりと時間を使った。
頭が考えることを拒否していた。
「加穂留?」
加穂留の声を聞いて、かろうじて動く口から声を出した。
「加穂留ー?」
「ユウダイサマ? お目覚めですか?」
「……目覚めたけど、目ー開かない」
「大丈夫ですよお」
「……体も…動かないけど」
「お疲れなんですよお」
「……なにここ?」
「ウミノウエ……です」
いきなり低くなった加穂留の声に体が反応し、固くなった。
なんだか、なんかすごくいやな予感がする。
「ユウダイサマのシニカタは『歯』ですから」
「……ちょ、まてまてまてまて!」
「はい? 違いましたぁ?」
「や、や、やっぱりあのサイト、ほ、本当のやつなのか」
「それはもちろんそうですよぉ、何を今更ぁ。だから加穂留お迎えに行ったんです」
「......」
「ユウダイサマは、死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて死にたくて、
仕方ないってかんじでしたよね?
ですから、加穂留がそれをお手伝いさせて頂くんですよお。そのために会ったんじゃないですかっ。もうっ。忘れっぽいんだから」
いつもの甘ったるい声が、更に恐怖を増す。
「なにも不安になることはないですよっ。
楽にー………とはいきませんが、ちゃーんと確実にぃ、コロシテあげますからね」
うふふふふ。
狂ってる。こいつ、狂ってる。俺が死ぬとかありえない。だって、そんな…
パチンと指を鳴らされ、その音が耳に届いた瞬間、体が動くようになった。目を開けた。
真っ青な空、身体中が焼けつく暑さ。流れる汗と潮が混ざって気持ち悪い。背中に水の冷たさを感じた。動くようになった体を横に向け、なんとか起き上が………
「か、か、加穂留……なんだよ、これ、なんなんだよ」
恐怖で起き上がれない。立てない。出られない。
四角くて白い檻の中に入れられていてる。しかもそれは海の上に浮かんでいる。俺の横に船が見える。自分の周りには檻。檻の中に入れられて海に浮かべられている。
檻に捕まり手を伸ばすが、加穂留には届かない。
「加穂留」
「ユウダイサマ、下をご覧になって」
「下? 海だろ? そんなもん見なくても分かる! 海水だよ海水! 早くここから出せ!」
「ウミノウエですが、それだけじゃアリマセンヨ」
なんだよ、とにかく、一刻も早くここから出してくれ!
このままもしこの檻が海に沈めば俺は生きたまま海底に沈むことになる。
苦しくてもがいて喉をかきむしるだろう。
ありえない!
死にたくない。
「まだ死にたくねーよ!」
「また、ご冗談を」
「冗談てなんだよ、そんな冗談つけねえだろ、こんな状況下で」
ガコンと檻に何かがぶつかる音がして、足元に目をやり、悲鳴も出ない現状に、固まった。
ケイヤクはケイヤク。
わたしはユウダイサマに既にお伝えしています。あとには引き返せない旨、連絡済。
「それに、もうこの計画はシッコウされてますから、止められないんです」
「なんで止められないんだよ!」
「私、一人でやっているわけではないので」
「じゃ、他に誰がいんだよ、そい、そい、そいつにさ、言ってよ………うわーぁぁぉ」
「ああ、そろそろ食事の時間かしら」
「………お、お、お、お、お前、まじ、ふ………ざけんな」
「ふざけてなんかいませんよっ。加穂留はいつでも真面目です」
こいつの冷淡に笑う笑みが…………
ガコンと音がして、下を見れば、
「増えてる」
「はい! ばら撒いてますからっ」
加穂留の指さした方では、男が一人、捌いた魚の内臓を海に落としていた。
血のにおいで来てる。
足元に見えるのは、腹を空かせた……………
サメだ。
ぬめっとした黒とグレイのコントラストの巨大なサメがゆらりゆらりと左右に揺れ、海面に出ているヒレが怖さを助長。
一匹じゃない、数匹いる。
俺の入れられている檻の回りを回遊し、俺がここから落ちるのを待っている。
檻に捕まり、なるべく足を真ん中に、端によらないようにした。
押せば開くかもしれないと檻を押してみてが、嫌な音を立てて左右に揺れるだけ。
開けろ!
と、叫んでも、後ろで魚を海に投げ入れている男と話をしていて俺の方は無視。
加穂留はタバコ片手に何か指示を出し、男はそれに従っていて、男の手は魚の血だろうか、血まみれ。
このままじゃ殺されるのは時間の問題だ。
なんとかここから脱出する方法を考えろ。何かあるはずだ。
考えろ。
「ユウダイサマ」
「なんだよ!」
「やだ、そんなに怒らないでくださいよお。今から加穂留がせっかくレクチャーしようと思ってるのに」
「なんのレクチャーだよ! まずはここから出せ!」
「出しますよ。ちゃんと」
「サメに喰わせるんだろうが!」
「ですね」
「ふざけんな人殺しが!」
「やだ、望んだのはユウダイサマですよお。加穂留はその、お手伝い」
「望んでねー! 出せよ!」
「あのサイトで警告を出してましたよね、それを無視して進んで行ったんですから、こうなるのは当たり前なんですよ」
淡々と喋る加穂留に腹がたつ。何を言っても聞き入れないスタンス。サングラス越しにこっちを笑いながら見ていて、本当にあの清楚な女の子だったのかと疑いたくなる。
またサメが檻の下に当たった衝撃が檻の中に走る。
「大丈夫ですよ」
「な、な、な、な、なにが!」
「その檻、ちゃーんと浮くようになってますから」
浮く?
浮くってことは、助かるのか?
「海面に出てないと、最期の記録ができませんからあ」
男が血まみれの手で手渡したのは、ビデオカメラ。
「キクカワ、カメラを血まみれにするのはやめてって、何回も言ってるでしょ」
「……………わりぃな」
今までの可愛らしい声からドスのきいた低い声に変わった加穂留は二重人格のようにも見え、怖い。
俺の最期を記録に残す。
とんでもない計画の加穂留はカメラの電源を入れ、試し撮りを始めた。
キクカワと呼ばれた男に捌いた魚の残骸を海に落とせと命令し、言われる通りにキクカワは魚の内臓や頭を血を絞り出すようにぎゅっと握りつぶしながら海に落とす。
血のにおいに誘われ、俺の下にいたサメが船のほうへ寄り、海面に浮いている魚を、
巨大な口を開けて食いついた。
垣間見えた歯は白く、するどく、幾重にも重なっているように見えた。
キクカワは大きめな魚の頭を手で持ち、海に血を落とすように振り、サメを誘き寄せ、それを加穂留は笑いながら、楽しそうにビデオを回す。
「ユウダイサマ、よーく見てくださいね」
ビデオを回しながら俺に言い、海面を指差した。
直後、海底のほうから小さな黒い影が上がってきて、それは上に上がるにつれ、大きくなる。
かなり大きい影はゆらりゆらりと左右に揺れながら、垂れる血に誘われるように上がってきた。
「きた」
加穂留がズームにした瞬間、ザバッという音と水しぶきを上げながら巨大なサメが魚の頭を目掛けて海面から飛び出すように顔を出した。
キクカワは慣れた手つきで魚の頭をサメから遠ざけるように持ち上げ、大きく開いたサメの口の中に血の滴だけを垂らした。
そのあと、サメの鼻先を手のひらで抑えるように触った。
サメに触るとか、ありえねえだろ。
なんだこいつは。
鼻先を触られたサメは体を左右に大きく揺らし、海の中へ消えていった。
「ユウダイサマ、ちゃんと見ましたね?」
「見たけ…ど、な、な、な、なんなんだよあれあれは」
「………サメです」
そうじゃねえよ! なんであんなことができんだよその男は。
「いいですか、レクチャーしますよ」
「い、いらねえよ」
「生き残れるかもしれない方法なのに」
「じゃ、そんなことしないで今すぐ助けろよ! 船の中に上げてくれよ!」
「キクカワがやったように、サメの……」
「ここから、出せって言ってんだよー!!!」
「鼻先を触るとサメは逃げます」
サメの鼻先を触るとサメは逃げます?
「それが身を守る方法」
加穂留は完全に俺を無視しているが、助かる術を教えてくれた。
確かにさっきキクカワがやっていた。それを俺に見せてどうすんだよ。
生き残れるかもしれない?
そんなことができるのか?
サメの鼻先を触る。
それだけで?
「まず、サメに喰われたら、動かないほうがいいですよ。
それから、サメは噛んだ獲物のことを一度離すクセがあります。
口が開いたらニゲテクダサイ。
そして、さっきキクカワがやったように、鼻先をタッチ」
タッチとか言ってる場合じゃねえ。
「暴れると食いついたまま海底に引きずりこまれます」
「ふ、ふ、ふ、ふざ」
「けてませんよ。いつだって本気」
キクカワがまた懲りずに魚の頭を海に向かって振り回し、血の滴を落とし始めた。
檻の下にいた数匹のサメが群がり始め、血のまわりを回っている。
『ユウダイサマのシニカタは『歯』です。歯のシニカタはこういうことです』
クワレテシヌということです。
「これも前もってメールに書きましたが、ちゃーんと見ていただけました?」
「メールなんかきてねーだろ」
「えー、加穂留ちゃーんと送りましたよっ」
「あれか、あの、あの、かたかたかたかなのやつか」
「ひらがなまじりのです」
「文字化けだったんじゃねーのかよ」
「メッセージでしたよ。カタカナじゃないところを組み合わせれば簡単にそれに気づけたはずですよ。シニカタはサメに喰われるって書きましたもん。そうしたらここに来なくてすんだのにい」
あのメールには暗号のようなものが隠されていて、それを解けば、あのパークに来ることはない。
そんな内容のメールだったらしい。気にしないで読み捨ててた俺が悪いのか。
いや、こんな狂ってることをしているこいつらのほうがよっぽど悪い。
「自殺サイトなんて覗くユウダイサマが一番悪いんですよお」
何が書いてあった。
何が書いてあった。
何が書いてあった。
「今ここで加穂留が送ったメッセージを言うことができたら、今回は特別に助けてあげますよお」
キクカワに合図し、魚の頭を船内に戻させた。
サメは一瞬にしてそこから去り、俺の、俺の檻の下を泳ぎ始めた。
「ユウダイサマ、最後のチャンスですよ、さ、思い出してください。加穂留、なんて書きましたあ?」
考えろ。思い出せ。思い出してくれ。
何を書いてあった。
何が書かれていた。
こいつは一体どんなメッセージを送ってきた?
考えろ。
思い出せ。
あのメール、あの、カタカナだらけのメールの内容。
「ま、一晩考えてください」
「一晩?」
「はい。シッコウは明日です」
「シッコウっていうなよ。まじで」
「今更になって命乞いをなさるならあ、加穂留のメッセージ、思い出してください。一生懸命書いたんですから。それに、恐怖を抱きながら一晩過ごすのも、いいものですよ」
こんな直射日光の下、遮るものもないところで夜になるまでいるのんて、無理だ。
一晩恐怖を抱いて過ごせだと。
このクソ女。
だんだん暑くなってきたし、喉も乾いてきた。
加穂留は水だけは置いていったし、頼めばどんだけでも水はくれると言った。
加穂留とキクカワは俺を置き去りにしたまんま、船内の冷房の効いた部屋に入り、俺は海の海にひとりぼっちにされた。
サメは相変わらず回りにいるが、数は少なくなっていた。
さあ、考えるんだ。
暑かろうがなんだろうが、死にたくない。
恐怖はあるが、ゆっくり考える時間ができた。これで明日までにメッセージを思い出せば、助かる。助かるんだ。
死にたくない。
こんなサメの腹の中に入るなんて、考えただけで全身の毛穴が開き、毛が逆立つ。
寒い。
夏と言えども、朝方は寒い。それがしかも海の上なら海風も重なって更に寒く感じる。海パン1枚で檻の中に入れられているせいもあり、背中や腹の日焼けが赤くなり、ひりひりしている。
水を体にかけた時は火照りも冷めるが、そんなもの、焼け石に水、そのまんまだ。
日が上がり始め、オレンジ色に水平線が光を保つ。
あいかわらずメッセージは思い出せない。
飯も食ってないせいもあり頭はフラフラだ。
真夏の炎天下、下からは海面からの照り返しで陸にいるときよりも体力の消耗は早い。
夜中、檻を外そうと試してみたが、不可能だということが分かった。
この檻はよくあるテレビ番組でやっているあれと同じだ。
檻に入ってサメを間近で見る。
それとなんら変わりはないように思えた。