加穂留とキクカワの仕事 1
『その人の願望』を見せる仕事。それが私のの仕事。
唯一、私が私でいられるところ。
夢を見せると言ってもいい夢なんかじゃない。つらい夢、見たくない夢、苦しい夢、残酷な夢、憎い夢、後悔の夢、張り裂けるような夢。
それを与えるために私はここに居続ける。
もしそれがなくなったら私はきっと消えてしまうだろう。
自分の居場所を無くして、どうしたらいいのかわからなくなるだろう。
そして、きっと私はキクカワと共にこれからもずっと......
ノートパソコンに向かってぱちぱちと文字をタイプする。書いては消し、書いては消しの繰り返しで、なかなか先へ進まない。
私はほぼ一日中こうやってパソコンに向かい、画面に上がってくる情報に振り回されている。
わずかな時間で終わることもあるし、何ヵ月かかかることもある。
準備に時間もかかるし、抱えている仕事はこれだけじゃないからいつも何かに終われている。
この仕事がなくなる頃には"ふつう"に戻れるのかもしれない。
しかし"あの人"は、私はもう普通にはもどれないだろうと言った。
いや、そんなことは本当はとっくの昔に気付いていたことなのかもしれないけど、それを認めるのが怖かったから、そのすべてを否定してきた。
私『加穂留』の仕事は、人を殺めることだ。
パートナーは『キクカワ』
かれこれ長いことキクカワと共に仕事をしているが、彼がどんなやつなのかは分からない。今まで何をやっていてどこにいてどうしてここにたどり着いたのか、聞いたこともないし、聞く気もない。きっとそれは彼も同じだ。
キクカワは彼を見る人によって、イメージが変わっていく。時にはすごく魅力的に映ることもあるし、残忍に映ることもある。また、守ってやりたくなるように映ることもあるし、邪険に扱いたくなるように映ることもある。
今回の仕事は前のグループに比べたらいくらか難しかった。最後の最後まで記憶を保っていたから、やりにくかった。
だいたいは途中で気を失ったり失神したままそのまま逝ってしまうかのどちらかだったから、正直今回は戸惑った。
しかし、これから仕上げにかかれば、これで"あの人"のことを満足させられるに違いない。難しい仕事ほどあの人は喜ぶ。
手早くパソコンを操作して、今までに撮りためた映像をまとめて送った。
あとは返事がくるのを待つだけだ。
それで、全てが終わるはずだ。
3時間後、私は相変わらず同じ格好でソファーに深く座って頭を後ろに倒したまま。
埃まみれのこの部屋は私のような人間には似あっている。
外ではかわいい犬たちが棺桶の中で丸くなっていたり、木にくくられている女の足に噛みついたり、霊柩車の周りをうろうろしたりとのんびりとした時間が流れている。
膝の上にはノートパソコン。無音のこの部屋にはパソコンから発せられる機械音しか聞こえない。
ふわりと空気が動く気配を隣に感じ、上を向いたまま目を開けて深呼吸した。
嗅ぎ慣れた腐った血の臭い。
ちゅぱちゅぱと何かをしゃぶる音。
私は静かに目を閉じて、再度大きく深呼吸をした。
右肩に心地よい重さを感じたのと同時にきつくなる血の臭い。
「ぜんぶ終わったの? キクカワ」
「おわった」
「そう」
「......」
「これで終われるのかな」
「......」
私の肩に顔をうずめるキクカワは、無駄に大きい体を小さく丸めてすり寄って、私の顔色を伺いながら、ゆっくりと腕を回して甘えてくる。
血のついた指をきれいに舐めとり、薄汚れた服で執拗に指をこすりつけ、自分の中できれいになったと思ったあと、私にすり寄り、べったりとくっついて離れない。
子供が親に甘えるような感覚なんだろうか。でも、嫌じゃない。
というよりも、この状態にもう慣れてしまった。仕事が終わった後はかならずこうなる。私も気が抜け、何日もソファーから起き上がれなくなる。
寝息をたてて眠るキクカワを横目に眺めていると、なぜだか無性に涙が出そうになる。
だから、ぎゅっと目を閉じて、余計な感情を捨てた。
その直後、一通のメールが入った。
送信者は"あの人"
息を飲んだ。
「キクカワ」
低い声はいつも通りの私の声。仕事の時の私の声だ。
キクカワはそれを聞き逃さない。
何を考えているのかは分からないが、こいつは場の空気を読む。
素早く離れたキクカワはいつも通りの無表情に戻り、私の横で直立した。
「あいつからだよ」
このメールに全てがかかっている。
これがダメなら私たちはもう一度最初からやらなければならない。
お願い。これで終わって。この悪夢から逃げ出したい。
加穂留へ。
お前タチハ良クヤッタ。
最後ノ映像はとても良かった。
しかしながら、ココデオワッテハ困る。
この後、どうなったのかまでヲ撮って送ってくれ。
まあ、言わなくとも君はワカッテいると思うけど。
話はソレカラダ。
「終わる。終わるかもしれないよ。たぶん、これで最後。あいつらを起こして。これですべてが片付くから」
「分かりました」
あいつらを起こしたら、この後の展開をビデオに録ったら、ここで私は自由になれるはずだ。
この世界から解放されて、誰でもない私になれる。
約束した通り、自由になれるはずだ。
あいつらのいる部屋へ行こうとソファーから立とうとして腰を浮かそうとしたとき、またメールが来た。
開くと"あの人"から。
電話にデロ
心臓がどきりとした。
砕けたガラスが散乱している机の上に置きっぱなしになっている電話が光っている。
サイレントにしてあったから気付かなかったが、この電話に電話をかけてくるのは数人しかいない。
走って電話を手に取ると、ディスプレイに表示されている名前を確認した。
息を飲み、鼻で軽く呼吸を整えてから電話を耳に当てると、声が聞こえていないうちから鳥肌がたつ。
『加穂留』
ぬめっとしたいやらしくまとわりつく声に全身にたった鳥肌から氷のように冷たい熱が溢れだした。
「はい」
『とても良かった』
「ありがとうございました」
『それでねえ、これは一つ提案なんだが』
「提案」
『僕は前にキクカワ君を独り立ちさせたら君はこの仕事から解放すると約束した』
「キクカワはもう十分一人でやっていけます」
『そうだね。彼には君というストッパーがいたからこそ今までやってこれた』
「......」
『どうだろう。この続きは彼にやらせてみようと思うんだけど』
「そ......そんなことしたらあいつらは。それにこれは私の仕事のはず」
『そうなんだけどね。ほら、このあとの成り行きはもう予想がつくからさ。君のやり方は僕が教えた通り。優等生なんだよね』
「......それがお望み......なんですか」
『いやあ、僕じゃないんだけどね、ほら、僕にもお客がいるからさあ』
「私にどうしろというんですか」
『賭けをしようか』
「賭けですか」
『そう。君が勝ったらすぐにここから解放してあげる』
「負けたら」
『んー、そうだなあ。あまり僕は乗り気じゃないんだけどね、本当に。乗り気じゃないんだけどなあ。ほら......くくく。未来永劫、僕の下で働いてもらおうかな』
今までの何年間もの思いと、今まで関わってきた人たちの顔がフラッシュバックして、自分の中のいろいろな想いとやってきたことの重さがどんと全身に乗っかってきて、そこから解放されないと確信したショックで一気に涙が溢れ、頬に伝い、電話を持つ手に力が入らなくなった。
泣きたくなんかないのに、こんなこと、きっと最初から分かっていたはずなのに。
『加穂留、泣かないでよ。これじゃまるで僕が君をいじめているみたいじゃないか。僕はそんなことしないよね。ね? ね? ネ? ね』
あの人は私を解放する気がない。
『カホル』
最初から解放なんてする気がなかったんだ。こいつの話にいいように乗せられて、使われていた。
『カホル、僕の話聞いてるの? ぼく、きみに、はなしているんだよ』
確かにこいつには恩があるかもしれない。ここにこうやって生き残らせてくれたっていうことだけで頭が上がらない。そして、今ここにいることの幸せさやありがたさを教えてくれたのも、悔しいけれどこいつだ。
私も最初は自殺をしようとした側だった。
同じようにあのパークであの人に会った。同じよな経験をさせられて苦痛もたくさん味わった。生きていることの苦しさも教えてもらったしその苦しさ以上にある楽しさをも教えてもらった。
だからこそ今こうやって希望を抱えて生きてこられた。
『カホル。何も言わないなら賭け事、もう始めちゃうよお』
キクカワはどうなるんだろう。あれはまだ一人じゃ何もできない。あれを一人にしたらいずれはあの人のターゲットになる。
「キクカワはどうなる」
『あ、やっとこっちに戻ってきてくれた。たくさん考え事してたみたいだけど、大丈夫だよお。僕、ちゃあんと考えているからね。悪くするはずないでしょ。僕の右腕なんだから。あ、本当の右腕じゃないよ。ほら、僕、無いのは左腕だからさ。だめだよ僕のことを無視しちゃ。きみの立場、分かってるよね』
「キクカワはどうなるの」
『あれえ、僕の言ってることはスルーうー? んー、そんなにキクカワ君のことが気になるのかなあ』
「どうなるの」
『んー、さあ。どうなるんだろうね。君がここを去った後のことになるからね。僕が彼をどうこうしようと君には一切関係なくなるよねえ』
「だってそれじゃあいつはきっとここに来た人を」
『ああ、そうだよ。きっと君の考えている通りになると思うんだよね。それに僕、キクカワ君てあんまり好きじゃないんだ。はははは』
「殺すってこと?」
『さあ。それは彼次第だよね』
「キクカワには、まだそんなこと無理だよ」
『へえ、そうなんだ。興味はそんなにないかな。でも君はさっきもう独り立ちできるってはっきり言ったよ。僕、聞こえたよ。加穂留、顔顔。怖い顔してるときれいなお顔が台無しだよ』
「ここも見えてるの?」
『だって、僕のうちだもん』
私がやっていることはすべてこいつに教えてもらったことだ。
当然ながらこうなるに決まっている。
じゃあ、この後キクカワを野放しにしたらどうなるのかなんて考えなくても理解できる。
キクカワをひとりここに残して私が去ったら、あいつはきっととめどなく、ココに来た全てのものを殺しまくる。
楽しんで殺して喰って手がつけられなくなって、きっと最後にはこいつに……
誰かがいないとあいつは簡単に凶器になる。
『心配しなくて大丈夫だよ、ほら、彼をハントしたい人たちってきっといっぱいいると思うんだよね』
「ハントって」
『今迄のことに恨みや怒りや殺意を持っているのって、たーくさんいるでしょ? 僕、そういうの集めるの得意だしさ』
「......」
『じゃあ、もういいかな。そろそろ始めちゃうけど、いいよね。くくくくくく』
「待って......私が、やるから」
『ふーん、へえ、そうなの。じゃあ、あれだね、君はここに残るってことになるんだよ。せっかく君の嫌いなココから離れられるチャンスだったのに。キクカワ君にここを譲って君は外の世界で自由にやれるんだよ。やれる場所も僕が提供してあげるし。もしそこが嫌なら辞めて自分で探せばいい。君は自由になれるよ。キクカワ君を残して行けば。クククク。それを蹴るってことだよねえ? それじゃあ、仕方ないからキクカワ君と一緒にここに残って僕の下で』
「とっとと終わらせるからそこで見ててくださいよ。それで私はココを去りますから。約束通りに」
「それは無理なお願いだよ加穂留。だって今君は僕との契約を」
あの人の返事を聞かないうちに私は電話を投げ捨てた。
すぐにパソコンにメールが入った音が聞こえたけど、そんなものは無視。
メールを見なくたってきっとあいつが何を考えているのかなんて分かってることだし、こんなことも想定内。
しつこいほどにメールを送ってくるだろうけど、それだって楽しんでやっているに違いない。
あいつの考えていることはすべてこの私の頭の中に入っていることと同じなんだから。
自由になれるなんて思った私が間違いだった。人のこと言ってられないってことか。結局私もあいつらも所詮同じ扱いなんだ。
あいつからは逃げられない。
そもそも私はどうしてここから逃れて自由になりたいと思ったんだろう。
あいつらに感化されたか、いや、そうじゃない。
後ろの方に立ったままのキクカワの姿を視界の隅に捉えた。
挙動不審、びくびくしながら辺りを見回している。
力が抜けた。結局私はこいつを一人にしていけないんだ。こいつと離れられない。こいつと離れないとどんどんのめりこんでいくい自分がいる。それが怖かったのかもしれない。
怖い?
冗談じゃない。私に怖いものなんて何一つない。あるとしたらこの揺れ動く私の気持ちだ。
ここを去るのはキクカワを追い出してからでも充分だ。
心配ごとの種を摘み取ってから心置きなく出ていけばいい。
その頃にはあの人とも会えるはずだ。どこにいるのかも分からないけど、その間に居場所を見つければいい。
それならと気持ちを切り替えた。
いつもの仕事モードになって、顔には仕事用の笑みを浮かべた。
「ユウダイサマ、サトミサマ、アイコサマ、お目覚めになりましたか」
ユウダイサマは顔面蒼白なまま、お腹を抱えるように丸まって床に転がっていて、
サトミサマは両手首を守るように胸の前でぎゅっと組んでいる。
アイコサマは……笑いながら大の字になっている。
みんな、まだ私の問いかけには答えない。
まだ気を失っている状態だからなのか、反応はまったくない。
この三人はまだ殺していない。
私が手にかけたのは一人だけ。たった一人だけ。
ソレは更正しないと思ったから、三人をここに集める前に『羽』のシニカタで早々に送ってやった。
やはりソレはおかしくて、自分が殺されながらも最期までぶつぶつと何かを唱えていた。今どこを刺されたとか、嘴が入ってくる感覚はえぐいとか、実況に近かった。
木に張り付けにされたまま、半殺しの状態で生きたまま鳥につつかれている。
それでも実況は止めず、ひたすらにぶつぶつと唱えていた。
そのうち服が引きちぎられ、皮膚が見え、刺されたところから体の中の肉が見え、柔らかく暖かい肉に鳥の嘴が鋭く突き刺さっても尚、
それを見ながら永遠と自分の状態を言いしつづけていた。
さて、この三人の最終的な行き場所を決めて、早く終わりにしよう。