『破』のシニカタへようこそ 1
花火を打ち上げるような、衝撃を差し上げます。
棺に入って、蓋を閉められたら、体が疼く。
これで私は逝ける。楽園へ行くことができる。天上の世界。選ばれしものたちだけしか行けない世界。
私はそこへ行く価値がある。
その『新世界』へ旅立てるチャンスをようやく掴んだ。これをみすみす逃してなるものか。そこへ逝けるならばなんだってする。このまま、そう、生きたまま焼かれることだって喜んでみせる。
だって、私は選ばれた人間だから。
寝心地は悪くない。揺れているのは霊柩車に乗っているからだろう。生きたまま棺に入り、腹の上で手を組んだ。目を閉じる。あの世界が見えるようだ。
何度も何度も何度も何度も頭の中で考えてきた。
自分の体から『魂』が抜け出る瞬間。ゾクリとした。
一度きりだ。たった一度きりのこと。泣いても喚いても、一度きりしか体験できない。
ならばその最後の瞬間まで私は目を見開き現状を脳ミソに叩き込んでやる。
霊柩車の運転手は若い男だった。
目を合わせない男は外で待っていた私にびっくりしたが、それ以降は淡々としているように見えた。慣れた手つきで私を霊柩車の中に誘導した。直感的に、これが初めてじゃないなと感じた。
でも、その方がいい。慣れている方がスムースにいく。
あちらへ逝くことだけを考えたい。だから、彼くらいの対応が好ましい。
手慣れていてほうが段取りもよく、最低限の苦痛にしてくれることだろう。
調べてある。
しぬということが、どれだけ苦しいことなのか。生きるよりはるかに苦しいことを私は知っている。
寿命を全うしないで、私のように途中で自ら終わらせようとするような奴には、数倍、数百倍の苦しみが伴うことも、ちやんと分かってる。
だから、なるべく早く終わらせたい。いや、終わらせてほしい。
「加穂留はどこ?」
「......すぐにお会いできます」
「そう」
棺の中から声を出したのに、運転席の男にちゃんと聞こえている。ということは、この中は監視されている。
こいつらは、私と引き換えに何をたくらんでいるんだろう。何が狙いなんだろう。
あのサイトは不気味だった。きっと私のようなやつが覗いているサイトの情報を紡いで、そこに入ってきた奴等を寄せ集めたりしたんだろう。
私の他にもいるはずだ。こうして連れてこられた奴等が、いるはず。
どこで何をしてる? この車はどこに向かってる? どうやって私をみつけだした?
そこを確認するまでは、逝けない。
しばらくすると車が止まり、運転していた男は外に出た。バタンとドアの閉まる音に、砂利を踏む音。遠ざかる足音に神経を集中させた。
しんと静まり返って我にかえると、棺の中は真っ白で、シルクのように滑らかな手触り。冷たくて、滑らか。枕のようなものも柔らかく気持ちがよかった。
棺の蓋を手で押し上げると簡単に外れた。
私は好奇心からその蓋を全部外して体を起こしてみた。
周りを見てみると、森。
いや、正面、フロントガラスの向こうには家が見える。その中に黒いスーツを着た男が入っていく後ろ姿があった。
こんなところで何が始まるんだろう。こんな山奥で、人の気配もなんにもないところで。
棺から出ようと足を棺の外に出した時に、息を飲んだ。
そこから外が見える。スモークが貼られているため外からは見えないんだろうけど、中からはよく見える。
森の入り口、そこには、真っ黒い大きな犬。口だけが赤く浮かび上がり、口の端からはトロッとしたよだれが垂れていた。
何頭もいるそれは、うなり声を絞りだしながら一歩一歩近づいてきて、目的は……
この車だ。つまりは私。
全身に鳥肌が立ち、咄嗟に運転手が入っていったドアの方に目を向けた。
ドアの前にも黒い犬が二頭、地面の臭いを嗅ぐようにうろうろしていた。
辺りを注意深く見回すと、そこら辺に骨のような黄ばんだものが転がっていて、長い髪の毛のようなものも散乱していた。
息を飲んだ。
ここで出ていったら殺される。噛み殺される。
いや、もちろん早くこの世から離れたいけど、生きたままこの犬に食い殺されるのだけはごめんだ。それだけは嫌だ。
「大丈夫ですよ。この犬は私が命令しない限り襲うことはありませんから心配なさらずに」
いきなりバックドアーか開いたと同時に女の声が降ってきた。
「アイコサマ。ようこそいらっしゃいました」
外には笑顔を浮かべている黒髪のおかっぱ頭の女性がいた。黒いパンツスーツを着ていて、それは喪服にしか見えなかったけれど、纏う雰囲気には死の香りがした。
「あなたが、加穂留?」
「アイコサマのシニカタは『破』です。この犬たちは証拠処理のためのものですから、生きている人間に興味は持っていません」
「生きている人間? 証拠?」
「ささ、家の中へ。車から降りましょう」
家の中へ入ってどうなるんだろう。加穂留の後ろでは黒い犬がうなり声を上げてよだれを垂らしながらこっちをしっかりと見ている。
「この犬」
「私の命令しか聞きませんのでお気になさらずに。ただいるだけですので。アイコサマは早く終わりそうですので私としてもほっとしているところです」
「そう、早く逝けるんだね。よかった。犬に食い殺されるのだけは嫌なの。それ以外ならなんでもいい」
「早く?」
素足に響く地面の土の感触は冷たくて骨に響く。小石が足の裏で転がって、少し痛い。
無言、無表情になった加穂留は、私が車から降りたのを確認すると手慣れた動作で雑に棺を車からおろした。というよりむしろ投げ捨てたとでも言おうか。
犬たちはひたすらに棺の臭いをかぎまわり、加穂留はドアを閉めて先へ歩き始めた。
「棺、臭いは大丈夫でした?」
「臭いなんてなかった」
「キクカワはまた勝手なことをしたんですね」
「キクカワ? 勝手なこと?」
「アイコサマの入っていた棺、もう一人入っていたんです。何日も」
絶句。そんな中に入っていたのかと思うと嬉しさで笑みが出る。私より先に逝った人がすぐそこにいる。
「ふふふ。やはりアイコサマはいいですね」
後を追うように小走りについていく途中で何かを踏んで足の裏にまた痛みが走る。
見ると赤い線が刻み込まれていた。
「切ってしまいましたか。気を付けてください。犬たちは血の臭いを嗅ぎ付けると食らい付いてきますから。それだけは私も止められないんです。さ、行きましょう。食い殺されたくなかったら」
棺の臭いを嗅いでいた犬が私の足から落ちた血の臭いを嗅ぎ付け、キュンキュン鳴き始めたのは、私が家の中に入ってすぐのこと。
一心不乱に砂利を舐める犬を見て、足の指を内側に曲げてなるべく地面に皮膚がつかないようにした。
「アイコサマこちらへ」
スリッパとか、そんなもん、ないんだ。もうこの世からいなくなる者に対してはそんな配慮などないのか。
加穂留は靴をはいているが、私に何か履き物を貸してくれるとかそんなことは一切ない。自分の家を出るときに、裸足でと言われたから、どこにも靴などなかった。
家の中も外とさほど変わらぬくらい砂っぽかった。
古びた家具には誇りがたまり、壁にかかっているカレンダーは擦りきれていていつのものかは分からない。
床も腐りかけているところがある。
「加穂留、なんかさ、履くものとか......ない?」
我慢できないほどに痛くなってきた。この家の床にはガラスの破片も散らばっていて歩くのは辛い。
「......失礼しました。それでは」
あまり好意的とはいえない間が広がったけど、そこは考えないことにして、手渡された茶色く変色した古いスリッパを履いた。
前を歩く加穂留の後ろ姿を眺めていると、なぜだか懐かしい気持ちになった。昔もそう、こういうふうに誰かの後をついていったことがあった。その時は確か一人じゃなかったはず。
そういえば運転していた男はどこへ行ったんだろう。見当たらない。
家の中はすべてが茶色。薄汚い黄土色といったほうが近いか。
歩くたびに土埃がたち、家具そのものは何年も使われていないように家と一体化していて色まで同じようになっている。
茶色く汚れた窓から外を見たら、犬が棺の蓋を開けて中に入っていく様子が見える。
何頭かはいまだに地面を舐め続けていた。
しばらく歩くと広間に出て、真ん中に置いてある汚いソファーに加穂留はふわりと座った。
白い砂埃と綿ゴミが加穂留を包むように宙に舞い、静かに加穂留の頭上に舞い降りた。
「アイコサマ、さ、こちらへ」
言われるとおりに腰を下ろすと同じように埃が舞った。
カチャカチャと音が鳴り響き、紅茶のいい香りがどこからともなくしてきた。
こんな汚い家には不釣り合いな上品な香り。
自然と心が温かくなる気持ちになった。
「このようなものしかなくて、すみません。置いたらとっとと下がりなさい、キクカワ」
黒ずくめの男はさきほどの運転手。
キクカワってこの人か。メガネも黒、来ているものもすべて黒。彼もまたまるで喪服のようだ。
「ささ、アイコサマ、どうぞ。本当はお茶菓子も用意しておけと言ったんですが、忘れてしまったようで。すみません」
どういう関係なんだか興味はないけど、あの男は悪い気はしない。
もう少し話してみたい。あの男は一体なんなんだろう。
加穂留と一緒にいるってことは、もしかして。
いや、そんなことどうでもいいか。
とにかく、私は早くこの世から消え去りたい。
そのために来たんだから。
こんなのんびりと紅茶なんて飲んでる場合じゃない。
「アイコサマ、そんなに焦らないでください。ちゃんと準備は整っていますから。まずはお話でも」
「加穂留。話はいらない。私はすぐにでもここから消えたい」
「アイコサマの考えていることくらい、加穂留ちゃあんと分かってますよ。ただ、どうして死にたいと思ったのか、教えてくれてもいいじゃないですか。すっきりして逝けると思うんですけどなあ」
「すっきりして逝けるか」
「なんで見殺しにしたのか、たぶん乞いましたよね彼女たちは。教えてくれても罰は当たりませんよね」
「なんでそれをあんたが」
ばんと足を踏み鳴らし、立ち上がった。それは私の心の中でしか知り得ないことだ。ほかの誰にも言っていない。なんで加穂留が知ってるの。
「アイコサマはあ、他の人たちと違うんです。なぜそんなに死に急ぐんでしょうか? だって、欲望は既に満たされたじゃないですか。そこのところを加穂留に教えてはいただけませんかあ?」
しばらく加穂留の顔を見て、何をたくらんでいるのか探ってみたものの何も感じとれず、
「これから死ぬんだからいいか。話したら楽に逝けるかもしれないってのもわかる。
じゃ、私の秘密教えてあげる」
ソファーに座りなおすとわざとらしく加穂留が背を伸ばした。
「おねがいしまあす」
「子供の頃、小学校3年生くらいかな。友達と森を歩いてた。うちの裏の森は子供たちの遊び場だった。一つ年上の背の高い彼女は常に私の前を歩いていたの。私は彼女の後ろを、後頭部をじーっと眺めながらついていった。今思えばその子は意地悪で、木の上の果物を取りに行けと命じたり、川で裸で泳げと命じたり、遊んでもらってると思ってたけど、ある時、ほかの子も交えていつもの森に入っていったとき、私が裸で川で泳いでいるのを二人で見てげらげら笑ってた。その後、私の服を燃やして、笑いながら走って行った。急いで川から上がって服を手に取ったらもう着られるような形ではなかった。裸で森を出てもすぐにうちではない。道路を抜けなければうちには帰れない。裸じゃ歩けない。泣いた。森の入り口の草村に隠れて、誰か来てって願いながら小さくなって泣いた。なんでこんなことされるのか分からなかった。夜になって暗闇に支配されたとき、私の中の何かが弾けた。黒いモノが頭を上げて口から死臭のする息を吐いた。それからは分かるでしょ」
「背の高い友達の方に睡眠薬を飲ませて体中にレンガを巻き付けて川に沈めた」
「桟橋まで行くのに苦労した。薬入りの物を食べているあいだ、私はまたいじめられた。裸で立ってろってね。でもほら、いまだに彼女は見つかっていないわよ。我ながらよくやったと思ってる」
「川底に眠ってるなんて、その上を泳ぐ人がいると考えるだけでわくわくします」
「もうひとりのは、廃屋の建物の最上階にくくりつけてある。叫べないように口を塞いでくさりでぐるぐる巻きにした」
「その子もいまだに行方不明ですよね」
「私がくくりつけたその場所には誰もいなかったみたい。誰かに拾われたか、他の頭のおかしい奴らに殺されたかのどちらかじゃないかなって思ってる。べつにそんなのどっちでもかまわない。やられたからやりかえしただけ。
死に急いでいるわけじゃない。いずれ終わりが来るのだから、今終わったとて同じ話。ただ、それだけのこと」
「正確にはあ、罪の意識に苛まれての結果って言ったほうがいいかもしれませんねぇ。罪を背負ったまま生き抜くのは苦痛ですよねえ。いつ捕まるんだろうって緊張しながら生きるの、地獄です」
「憑りつかれてるんだよ私は。祟られてる」
「そうかもしれませんね。でも本当のところを知らないのはアイコサマだけってこと、あるかもしれないですよお」
「それってどういうこと」
「......もう、忘れましたあ。遠いむかあしのことなので。あの二人がいなくなったのに世間では何も起こらない。話題にもならない。そのあとアイコサマだけ引っ越しを余儀なくされたってことはどういうことなんでしょうね。ただあ......私のことを言えば、今はもう死のうとは思わなくなりましたねぇ。だって」
「だって、なに?」
「意味ないですもん。死ぬことって。あら、もう時間みたいですね」
ギギっと錆びた鉄が擦れる音。もわっとした臭いは、血の腐ったような臭い。
眉を寄せ手で口元を覆う。
横に座る加穂留を見たら、顔色ひとつ変えず、笑みを浮かべている。
「っ加穂留」
「キクカワ、あんたまたやったね」
「わるい」
「お客が来てる時にゴミの処理をするなと何度言えばわかる?」
「本当に悪かったから、だから」
「次やったら、あんたどうなるか覚えときなって言ったよね」
「わかってる。分かってた。だから、ごめん、本当に。だから」
目の前で繰り広げられているこの光景、
キクカワは明らかに狼狽し、加穂留から距離をとった。
肩には黒い袋がひとつ。ヒトのようにも見えるし、たんなる荷物にもみえる。
「今から犬のエサに」
「今やることじゃないでしょ! っとに、何の役にもたたないんだから!」
加穂留はキクカワを怒鳴り飛ばし、ふーっと溜め息をついて自分を落ち着かせている。舌打ちをして手であっちへ行けというふうにひらひらとやった。
キクカワがおずおずと目の前を通過していったその時、担いでいるものから羽根のようなものがひらりと落ちた。赤茶色いそれは、うっすら血の臭いがしていた。
「加穂留はキクカワさんとあまり仲良くないの?」
「......キクカワですか? あれは仕事のパートナーです。あれを一人前にするまでは私はこの仕事から抜けられないんですよ。仲がいいも悪いもないんです」
「仕事?」
「っ余計なことまで言いました。気にしないでください」
ごくりと喉が鳴るのが分かった。加穂留と目が合ったとき、なんとなく雰囲気が少し変わった。きっと、加穂留も私と同じことを思っているんだろう。言わなくても、同じ波長の人が側にいて、その考え方が同じだったら、答えはするっと頭に入る。間違いない。私の顔をじっと見て、にやっとした加穂留に嫌な気持ちはしなかった。
加穂留も人を殺めてる。同じだ。
「アイコサマ、話し過ぎました。アイコサマはなんだか今までと雰囲気がちがうので、つい。でも、これ以上話したらこの先に行けそうもないので、この辺で切り替えますね。
アイコサマのシニカタは『破』です。『破』のシニカタはとても感動的です。
充分に恐怖を楽しんでください。
ただいまよりシッコウ致します。
アイコサマは最初から死ぬことを望んでいらっしゃいましたので、余計なことは一切省きます。よって、たった今から行います。
それでは、アイコサマ......よい死を」