じゃあな!
凛風の村を出てから四日が過ぎ、五日目の朝を迎えた。先生は凛風に村に残るのかと聞いていたけど、彼女は役割を終えていないからという理由で今も俺たちと行動を共にしている。
それは別にかまわないのだが――村での出来事があったからか――出発してからこっちの凛風はどうにも空元気で駆動しているようだ。現状を無理に楽しもうとしているというか、何をやるにもやたらとオーバーリアクションで、俺たちの気を引こうとしてくる。
まるで失恋した相手を目の前にしたかのような所作だ。普通を繕おうとして空回りしている。普通が分からなくなってる状態。
いやはや、まったく分かりやすい少女だ。ドラゴンと遭遇するまでの物欲丸出しの演技はどうした。今は俺ですらおまえの真意を見抜けるぞ。
「ほらよ、ヴァン」
先生から差し出されたココアを受け取って、ありがとうございますと会釈する。モーニングは欠かされない先生の嗜みだ。
「凛風はコーヒーでよかったか?」
「あ、うん!」
朝っぱらから元気に頷いてみせる凛風。
ありがとうと先生に謝してコーヒーを一口、
「ところでさあ」
と彼女は疑問を持ち上げた。
「アドルフはどうしてヴァン君を連れてるの?」
「一人の方が動きやすいでしょ? 実際問題さ」
耳の痛い話である。
確かにその通りではある。俺がいなければ先生はヴァレムント樹海を抜けるまでもなく、空路でネルトまで辿り着けるだろう。俺を抱えて飛ぶことも出来るだろうが、それをしないのは万一、落っことす可能性があるからだと以前に教えてくれたことがある。
この俺は先生にとって文字通り足かせに他ならない。でも先生は、
「もう慣れたさ」
そう言って笑う。いつもの事だ。様々な人に再三問われてきたこの問いの答えは。
「旅の目的の半分はドラゴン退治だしな。その情報を集めるために重要なのは足ってわけよ。動きやすさってのはまあ、あんまり価値のない要素だわな」
「それに、別にこいつが役に立たないってわけでもない。肉弾戦はともかく、銃の扱いはヴァンの方がうまいし、状況次第ではこいつの腕の方が重宝することもある。良くも悪くも派手だからな、俺の力は」
それは極々限られた状況下ですがね。内心で自虐して、俺はココアを啜った。
俺が役にたったのなんて数えるくらいしかない。食糧が底をついてやむを得ず狩りをするってパターンがもっぱらだ。しかもその食糧を必要としているのが俺の方だというのだから、役にたっているというよりはむしろ手間を増やしているのではないかと思い悩む。縮退炉さえ回せば、たぶん先生に食事なんて必要ない。
「ほえー、ヴァン君ってガンマンだったんだ。意外」
「もっとこう、非戦闘員なイメージだったよ。飯炊き救護班みたいな」
あいにくと俺に炊事の心得はない。
「ねえねえねえ! どんな銃使ってるの?」
凛風が好奇心旺盛な瞳で俺に迫る。
「私たち銃とか使わないからさ。興味あるっていうか」
分からなくもない。俺が住んでいた国も銃社会ではなかったから。初めて先生から銃を渡されたとき、セイフティの存在も知らないくらいだった。
ちらりと先生にお伺いの眼差しを向けると、構わないというように首肯された。
腰のガンホルダーから愛用の一丁を取り出して凛風に見せてやる。
「おお」と歓声があがった。
LH950オズワルド――なんでも、大昔にいた暗殺者の名前が込められているのだとか。50口径の大ぶりなハンドガンは、常闇のような深い黒色に染められている。マガジンとバレルを交換すれば9ミリ弾を扱うことも出来るらしいが、やってみたことはない。目に見える改造と言えばサプレッサーを付けたくらいだ。用途は主に非常食調達のための狩りだからな。
「まあ、古い型だがな」
「そうなの? 綺麗だけど」
「そりゃ手入れがキッチリできてるからさ」
こまめにメンテナンスはしているからな。昔は先生に教えてもらいながらやっていたけど、この一丁に関してはもう俺の方がうまく調整できるという自負がある。
「今の主流はレールガンって言ってな。銃の形状はもっとずんぐりしてるのさ」
「ただ、レールガンってのは一度故障すると直すのがかなり難しい。電力で動かしてるから、たまには充電も必要だしな。旅向きの兵器じゃないのさ」
その分高性能で、弾道のコンピュータ制御とか発射速度の調節とかができたりする。銃そのものも軽いし、撃った時の反動も極めて少ない。でも俺個人としては、あまり馴染まない武器だ。弾道制御というのがどうもしっくりこない。俺には邪魔な機能に思える。
「それに、あと何年かしたらレールガンはすたれる運命にある」
コーヒーちびちびとやりながら先生は言った。何度も聞いている話だ。
「なんでそんなことわかるの?」
最初にそれを聞いた時の俺とまったく同じ反応を見せる凛風。
「そうなるように技術を与えてきたからだ。電力兵器を使用不能にできる装置がもうすぐ現れる」
正確には、効果範囲内で一定以上の電圧をかけられなくなる装置が登場するのだとか。電気が流れなければレールガンのエラーは免れない。その装置の中では最新鋭兵器もただのガラクタというわけだ。
「与えてきたったって……、誰が? アドルフとヴァン君とか? なんか荷物がどうのって言ってたあれ?」
「そうじゃない」
先生が一つかぶりを振る。
「そういう技術を世界が獲得するように仕向けてきたのはミッドガルドさ」
「うへぇ、アドルフの国ってそんなことまでしてたの?」
「むしろそっちが本命だったな」
ミッドガルドという国は世界をやり直しているのだと、前に先生は言っていた。世界が今の様相を呈する前――先生の言葉を借りれば先史文明と言われる時代――世界は今よりもはるかに高度な技術を持っていたそうだ。宇宙移民に手が届きそうなほどだったと言われているらしい。ただその時代は苛烈な戦争によって壊滅的な打撃を受けた。破壊兵器が飛び交い、この星は燃えた。唯一難を逃れた海上都市ミッドガルドと、一千分の一にまで人口を減らした地球人類を残して……。
それ以来ミッドガルドは、人類が同じ道を歩まぬよう延々と世界を導いてきたそうだ。技術提供もその一つ。少しずつ種をまいて、もう一度人類の最盛を図ろうとしていたのだ。
「子育てする親の境地とでもいうのかね。国全体にとって世界の発展はかなり関心の強い事案だった」
「ふーん。道理で面倒見がいいわけだアドルフは。国民性ってやつだね、そのお人好しは」
凛風は得心顔ふむふむと頷いた。
ああ、なるほど。言われてみるとそうかもしれない。この人のお人好しは。
「お人好しだ? この俺が?」
凛風に言われて先生はおかしな表情になった。自覚がないとは筋金入りだ。
「お人好しだよー。普通しないよ? 出会って間もない相手のために弔いとかさ」
「別にお前のためにやったわけじゃねーよ」
「またまたー。そう照れなくてもいいのに」
へらりと笑って凛風が尾を振った。
先生は溜息をついた。
「そう思いたいならそれでいいがな」
少なくとも、百パーセント彼女のためじゃなかったってことはないと思う。事実あの時、先生は凛風を気遣っていた。自ら傷を増やすなと諭していたほどだし。
「俺はな、死者は篤く弔われなければならないと思っている」
ふと、先生の声の圧が下がった。
「そうなって初めて、その死は他の人間の糧になるのさ」
「誰にも弔われず、朽ちていった命を俺は何度か見てきた」
「でな、その亡骸を見て思うわけよ。こいつの生にはいったい何の意味があったんだろうなってよ」
死んだからには、その生に意味を見出してやりたいんだと先生は漏らした。
凛風は感心したような表情で聞き入っているが、俺にはイマイチピンとこない話だった。理解するには抽象的すぎる。あるいは、俺の人生経験不足だ。
「昨日食ったサバ缶だってそうさ」
はい?
「へ? サバ缶?」
俺と凛風は目を合わせて間抜けな顔を浮かべた。
「おうよ。一匹一匹が朽ちないようかけられた手間ってのは、手厚い弔いと同義だな。俺に言わせればよ。そのおかげできっちり糧になってるだろうが。今のところ、腹の虫は鳴かずに済んでる」
とんとんと手のひらで腹をタップする先生。命を頂いているんだとかそういうことを言いたいのだろうけど、大げさな言い回しをする人である。
「他者の糧となれたなら、その生は意味あるものだと俺は思うね。そうやって繋がっていくもんだからな、生命は。その糧を繋げていくことが生なんだよ」
無駄にはしたくないもんだなと、先生は突飛な持論を締めくくった。
朝食を終えて歩き出し、日が高くなるにつれて俺たちの旅は終わりに近づいていたようだ。
「凛風、ここでいい。もうわかる」
ふと先生が立ち止った。
少し向こうにアスファルトの舗装路が見えている。遠ざかるほどに木々がまばらで、もうすぐそこが森の出口なのだと分かった。
「お前、どうするんだ? これから」
先頭に立っていた先生が凛風に振り向いてそんなことを聞く。
連れ出すつもりだろうか? ……いや、先生に限ってそれはないか。自分で決めさせる人だ。俺の時がそうだったように。
「どうするって、そりゃあ、あの村でさ……」
「独りで暮らすつもりか?」
先生の問いかけに、凛風は何とも言えない表情で黙した。付いてくるかという先生の言葉を待っているかのように思えるその顔に、先生もきっと気が付いているはずだ。
しかし、
「そうかい」
先生は彼女の妄想をあっけなく突き放した。
「まあ、決めるのはお前だからな。あれこれ口出しなんざしねぇよ」
こういうところが先生は厳しい。誰かを後ろから支える優しさを持たないんだ。いつも前に立って、誰かの憧れであり続ける人。それがアドルフ・ルグナーという俺の師だ。
「ヴァン、ちょっと来い」
考えているところにふと声をかけられて変な声が出そうになった。いや、そもそも声なんて出ないんだけれども。
何だろうかと思いつつ歩み寄ると、先生は俺のバックパックに手を突っ込んで、サバの缶詰を一つ取り出した。
「ほらよ。餞別だ」
ひょいと投げられた生命の糧が、緩やかな放物線を描いて凛風へと届く。この糧を繋ぐこと生だと先生が言ったのはつい先ほどのことだ。
「生きるってことをやめんなよ凛風」
彼女が缶詰を受け取ったのを見て、先生が快活な声を上げた。
「じゃあな!」
ふらふらと手を振って先生が歩き出した。俺は何度か凛風を振り返りながらその横を歩くが、先生には振り返るそぶりも立ち止るそぶりも伺えない。凛風は寂寞たる表情でそこに立ち尽くしていて、俺の中で冷たい罪悪感が芽を出した。
「あんまり振り返ってやるな」
俺の挙動を見て取った先生が静かに言う。
「あいつの意思が折れるだろうが」
それもそうかもしれない。人生のターニングポイントで、決めなきゃいけないのは自分自身であるべきなんだ。一人で生きる強さを得るために。
俺は頷いて、振り返ることをやめた。
一歩二歩三歩と、凛風から離れていく。彼女が追いかけてくる気配はない。来るのか。来ないのか。たかだか数日間を共にした程度の仲だけど、来てくれた方が気持ちが楽に思えるのは、情に絆されたということだろうか。
後ろに気をとられているところに、ズドンという衝撃音が俺の耳を駆け抜けた。
音に弾かれて意識を覚醒させると、俺の目の前には物々しい光景が広がっていた。
灰色の装衣を身にまとい、銃口をこちらに突き付ける七人の男。
右腕を欠損し、膝をついた先生。そして、彼らに守られるように佇む迷彩柄の小型トラック。その荷台には銀板に覆われた奇妙な物体が設置されている。しかしそれよりも奇妙なのは、先生の欠損した肉体が一切の再生を始めないことだ。
そもそも、先生の炉が回っている気配がない。
いやな汗が首筋を伝った。
銃器で威嚇する男たちがこちらにふと動き出した。
俺は振り返り、凛風に逃げろと叫ぶ。声などでないが、それでも彼女を逃がすためにはこれしかない。俺の必死の形相に目を剥いた凛風が、猫のようにその身を隠した直後、
「逃がすな!」
俺の背後で怒号が飛んだ。視線を移すと同時、二人の男が悪鬼のごとく俺を取り押さえた。
銃口を頭に当てられたまま、地面にねじ伏せられる。いてぇなおい。
「逃げられては困るのですよ」
この場にそぐわないくらい丁寧な口調が、俺の耳を通り抜けた。
「殺さなくてはいけなくなる」
あくまで穏やかな声。トラックの傍らに立っていた声の主は、薄い笑みを湛えながら俺たちとの距離を縮めた。年は三十前半と言ったところか。すらりと細い長身と切れ長の目が、どことなく蛇を思わせる男だった。
「VADにG38、おまけに対物ライフルか。ずいぶん先進的な装備じゃねぇか」
血だらけの肩口を押えた先生が苦しそうに声を放った。G38といえば軍用のマシンガンだ。俺に突き付けられているこれがそうなのだろう。そして対物ライフルの長距離射撃で先生の腕を吹き飛ばしたってことか。
俺は先生の一言から必死に状況を分析していく。ここで死ぬつもりは毛頭ない。捕らえられる気もだ。この考えは先生も同様。それにおいて、アドルフ・ルグナーという人は無駄なことは一切しない。だから今のセリフは、活路を見出すために必要なアクション。
その意図を理解しようと俺は必死に頭を働かせるが、ヴァッドという聞き慣れない単語が消化できなかった。
「いやはや、これはこれは。さすがと言うべきでしょうか」
「よくお分かりですね」
爽やかとまで言える表情を崩さずに、その男は手を叩いた。
「もっとも、ご自身で“異変”を感じておられるでしょうから、分かって当然と言えばそうなのかもしれませんが。アドルフ・ルグナー殿」
その瞬間、それが何なのかを俺は理解した。
「なに、簡単なクイズだろ。回したくても回せねぇ縮退炉と、今時レールガンを所持しない装備スタイル。いかにもって感じの荷物のっけたおんぼろトラックとくりゃあな。典型的な対電磁兵器用の編成じゃねぇか」
「何が目的だ?」
「なんて、聞くまでもねぇか」
よろめきながら先生が立ち上がる。右腕は再生されないまま、やはりその顔も壮年の男のもののままだ。
「おっと、動かないでいただきましょうか」
蛇面の男が銃を持った手で空を切った。と、
「っあが――」
遠方から放たれたと思しき弾丸に、先生の右足がおびただしい血液を噴き上げて千切れ飛んだ。
「あなたの正義感には感謝しなければなりませんね」
「ああ? ……感謝、だ?」
地面にうずくまりながら先生は男を睨みつける。凶悪な眼差しに射抜かれてなお、男は怯みもしなかった。
「一週間ほど前、ある飲み屋で女性を助けられたでしょう? 酔っぱらいの男から」
あの居酒屋での顛末が俺の脳裏を稲妻のように駆け抜けた。
「彼が私の部下でしてね。まさかこんなところでアドルフ・ルグナーを手に入れるチャンスが巡ってこようとは。それに、あなたが樹海を抜けてくるというタレこみもありまして、幸運にもお目にかかれましたよ。ミッドガルドの忘れ形見に」
いやなつながり方をしたものだ。その辺のならず者ならともかく、ここまでの装備をもった組織に突き当たるとは運がない。
「さて、抵抗はしないでくださいね。我々としては、あなたが従ってくれさえすれば、手厚く迎え入れたいと思っておりますので」
まさに余裕綽々といった風に語る蛇。
押え付けられたこの状態からどう脱するか。先生の言葉から考えれば、あのヴァッドとかいう装置を何とかできればいいのだろうけど……。
思案するも糸口がつかめず、俺はぎりぎりと歯噛みした。
満身創痍の先生を確保するべく、相手の二人が接近を開始した刹那だった。
「ちょーっとまったああああ!」
突如戦場に降り注いだ少女の声。対峙する俺たちの真横。誰もが注意の外に置いていたその位置に、獣人の戦士は現れた。