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ねえ、行かないでよ

 アドルフが二本目の煙草をくわえた。懐から取り出したライターで火をつけて、うっすらと紫煙をくゆらせる。

「あいつのことを思い出さない日はない。この景色を見たらどんな反応をしただろうとか、これ食ったらきっとハマっただろうとかな」

「昔はその都度突きつけられるあいつがいないって現実に思い悩んだりもしたんだが、時間ってのは容赦がないな。今はもう、エルザの声もエルザの顔も、おぼろげにしか思い出せない。昔は思い出すたびに感傷に浸ってばかりいたのに、今はそんな気分になることも少なくなってきやがった」

「だがな、それを不幸だとは思わねぇ。おぼろげに霞んでいくあいつの記憶を克明に想起したいともな。慣れちまうもんさ。今の生活も案外悪くない」

 そう締めくくって、アドルフは語りを終えた。

 どうしてそんな話をしてくれたんだろうか。身の上話なんてしそうにないのに。それもそんな、重たい内容の話をさ。しかも慣れちまうもんさとか、そんなわけないじゃん。仲間を無くして、私の心はこんなに――。

「あの、もしかして慰めてくれてる?」

 あ、と気が付いた。多分、アドルフはこの痛みを知っているんだ。

「あ? いや、別にそんなつもりじゃねーよ」

 僅かに頬を赤くしたアドルフは勢いよくタバコを吸った。照れ隠しがヘタクソだ。

「なんか話してた方が無言よりはいいって言ってただろお前。それに、まだ質問に答えてなかったしな」

「質問なんかしたっけ?」

「恋人いるのかって聞いてきただろうが」

「ああ、ヴァン君が水噴き出した時の」

 ヴァン君が妙に取り乱すせいで聞けずじまいだったんだ。

「あいつにはこの話をしたことがないからな。思い込んでやがるのさ。まあ思い込むだけならいいんだが、変な気を回しやがるのは時々頭にくるぜ」

 変な気?

「ま、この体の性質を知って以来、経験が少ないのは事実だけどよ。ああも過剰に反応されるとな」

 黒銀の篭手を顕現させた右手でライターを弄びながらアドルフは困り顔を晒した。

「あ、そうそうアドルフ。体の性質って言ったらさ、なんでアドルフはいちいち中年の身体に戻ってるの? 今のまんまの方がカッコイイのに」

 中年のルックスもあれはあれで渋みがあっていいけど、今目の前にいる美少年と比べたらやっぱり見劣りする。実は女の子なんですと言われても違和感なく信じてしまいそうなルックスだ。

「あの便利な力だって、その姿の時ならいつでも使えるんでしょ?」

 今変身しているくらいだ。この姿でいることの時間制限とか回数制限とかもきっとないんだと思う。一回一回変身を解くのは、なんとなく非合理的というやつではないだろうか。

 質問を投げると、アドルフは深いため息をついた。

「お前は俺から生命としての矜持まで奪うつもりか」

「矜持?」

「誇りってことだ。お前が言う掟とやらと同じようなもんだよ」

 ガランティスとしての生き方、信念。そんなことが書き記されているのが私たちの掟の書だ。

「縮退炉を回してさえいれば、そりゃ確かに不老不死だろうさ。病にもかからんし、傷だってすぐに治る。年月によって加齢することもない。強欲でバカな人間からしたら、これほど魅力的な肉体はないだろうな」

 だがなと、アドルフは逆接を打った。

「それは果たして人間か? 老いることも死ぬことも、傷つくことも無くした存在が、生きていると言えるか? 生と死は表裏一体なんだよ。光と影みたいなもんだ。どちらかがあるから存在できている。つまり、死なない生命は生きてすらいないのさ」

「何の因果かこんな化け物になっちまったが、俺はせめて生命でありたいと思っている。だから戻るんだよ。事故でも老衰でもなんだっていいが、死ぬるべくして死ぬためにな。それが生きるってことだ」

 言って、アドルフは吸い終えたタバコを処分した。そしてすぐにおっちゃんの姿に戻ると、残っていたコーヒーを飲みほした。

「さて、ぼちぼち中入るか。あんまり冷えて風邪ひくのは勘弁だからな」

「へー。アドルフでも風邪ひくんだ」

 変身ですぐ治せそうなもんだけど。

「ばーか。俺じゃなくてお前のこと言ってんだよ。ほら、入るぞ。熱いミルクでも入れてやるから、それ飲んで早めに寝とけ」

 くしくしと私の頭を撫でてから、アドルフは家の中へと戻っていった。

 私も続いて中に戻る。キッチンでアドルフがポットを漱ぐ音と、静かに響くヴァン君の寝息。

 二人を森の外まで送ったら、ここに一人で暮らすことになるのかと思うと、なんだか物悲しいような気持ちが沸いてくる。掟さえなければ、二人について行くんだけどな。声高に一族の掟を披露した手前、今さら連れてってなんて言い出せないし。

 うーん、いっそ一緒に来いって言ってくれないかなあ……。

 声にはできない願望を胸中に描きながら、アドルフがいれてくれたホットミルクを飲んで、私は寝床に潜り込んだ。


 翌朝、いつの間にか雨は上がり、アドルフたちはネルトを目指して郷を発った。

 アドルフは目的が果たせたなら無理に案内をしてくれる必要はないと言ってくれたけど、約束を反故にするのは私の信条に反するし、何より、まだ彼と行動を共にしていたい気持ちが大きかった私は彼の提案を呑まなかった。一人で暮らすには、あの郷は大きすぎる。叶うなら、誰かといる温もりをまだ感じていたかったんだ。

 ネルトへと向かう道を進み進み、一泊目二泊目三泊目。予定よりも抜けるのに時間がかかったのは、私が努めてゆっくり歩いていたからだ。ヴァン君をからかい、アドルフに質問を投げ、驚異の去った森を私はピクニック気分でゆっくりと歩いた。

 ヴァン君の育った国には、日進月歩という言葉があるそうだ。日に日に進歩するとか、そういう意味だそうだ。日の下でも月の下でも進み歩くのだから、そりゃあ進歩するだろうと思ったけど、結局、月明かりの下で眠りについて日の光の下だけ歩いていても進んでいることに違いはない。日歩月眠(にっぽげつみん)というやつでも、その時は来てしまうのだ。森の出口が見えたのは、ガランティスの郷を発って五日目の昼だった。


「凛風、ここでいい。もうわかる」

 ネルトへと抜けられる出口らしい出口はここしかない。少し向こうからは人工的な舗装が始まっている。あの舗装の通りに進めば、その先が交易都市ネルトだ。

 その舗装を視界に収めたのだろう、歩いていたアドルフがふと立ち止まって言った。

「お前、どうするんだ? これから」

「どうするって、そりゃあ、あの村でさ……」

「独りで暮らすつもりか?」

 ついて来い――って、言ってくれないのかな?

 あいまいな表情で沈黙する私を見て、アドルフは「そうかい」と言った。

「まあ、決めるのはお前だからな。あれこれ口出しなんざしねぇよ。……ヴァン、ちょっと来い」

 私の期待を見事に打ち砕いたアドルフがヴァン君を呼び寄せ、彼のバックパックから缶詰を一個取り出した。

「ほらよ。餞別だ」

 投げ寄越したのは、この旅で飽きるほど食べたサバの缶詰である。

「生きるってことをやめんなよ凛風」

 じゃあな!

 ふらふらと手を振って、アドルフは外の世界へと歩いていく。ヴァン君もその後をついて歩いていく。

 私は。

 私は……。


「ねえ、行かないでよ」


 小さな声で彼らの背中に呟いた。でもそんな言葉は、森を流れる微風に容易くさらわれた。

 遠ざかっていく背中。今ならまだ追いつける。簡単だ。すぐそこにいるんだから。

 私の後ろにあるのは、影と過去と孤独だ。逃げるように駆け出せば、きっとアドルフたちは受け入れてくれる。そんな確信がある。

 走れ、逃げろ、跳び出せ!

 躊躇う両足に何度も言い聞かせる。でも、私の足は森の大地に根を張ってしまったかのように動いてくれない。

 ああ、二人が行ってしまう。

 どうしよう。どうしよう。

 ――ドン。

 私が見守る視界の中で、アドルフの右腕が吹き飛んだ。


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