俺の細胞が猫なわけねぇだろ
私たちガランティスには掟がある。掟とはすなわち、長い歴史の中で洗練された生きていくための矜持のことだ。その仔細は、一本の巻物に収められ、私たちの長が代々受け継いでいる。幼少からその教えを徹底的に教え込まれた私たちガランティスは、誇りと友愛に満ちた高潔な一族である。
「それで? その高潔な一族は右も左も分からない旅人を餌にしようとしてたわけだ」
「ギ、ギクッ」
「図星かよ」
夜、焚き火を囲んだ私たちは驚異の去った森の中で一日目の夜を越そうとしていた。すっかり元の姿に戻ったアドルフと、相変わらず声を発しないヴァン君とともにサバの缶詰をちまちまとつついているところだ。
「い、いつから気づいてたの?」
「お前が案内役なんて言い出した時点で変な感じはあったんだがな。結論が見えたのは厄介なやつに全員やられたって話を聞いたときだ」
いやあ、察しがいい。バレないように振る舞ってたはずなんだけどな。人間ってみんなこんなに敏いのだろうか? アドルフにしろヴァン君にし、ろ、って……。
あ、あれれ? 会話についていけてない顔のヴァン君がそこにいます。
私につられたのだろう、同じくヴァン君を見たアドルフがおかしそうな声を出した。
「なんだヴァン。気付かなかったのか?」
ヴァン君は、何に?とでも言いたそうな顔だ。
瞳の中にいっぱいハテナマークを泳がせるヴァン君に、アドルフは親切にも説明を始めた。というか、それは私の所業の暴露にもなるわけだけれど。
「変だとは思わなかったか? この樹海は広い。いくら森に残るっつっても、わざわざあいつが住み着いたエリアに拘る必要はないはずだ。離れた場所に移るのが常道だろう。ただそれでも凛風がここにとどまっていたのは、おそらく何らかの目的があったからだ。竜のせいで近づけなくなったこのエリアにな」
アドルフは缶詰をひと切れ口に放り込んで、もごもご咀嚼しながら説明を続ける。
「目的を果たさないわけにはいかないが、竜が邪魔でそれができない。そこで考え出した苦肉の策が、俺たちみたいな旅人の利用だったわけだ。集団でいる方が、あれに出くわしたときに狙われる可能性が低くなるからな」
なんだか叱られてる気分になってきた。
「どんな目的があったかは知らんが、竜の注意を俺たちに向かわせてる間に、それを済ませてしまおうとしてたんだと思うぜ? こいつは。……だけど運が悪かったな。結局自分が追い回されてんだからよ」
戦慄の洞察力だよアドルフ。
「ひょっとしてエスパー?」
なんか変身してたし。
「少し考えれば誰にでもわかる。旅慣れてるやつならなおさらだ。初対面の相手の、行動の裏を考えておくことはな」
「その割には、ヴァン君イマイチ分かってないみたいだけど」
サバ缶片手にヴァン君は硬直している。
「分かってないんじゃなくて、驚いてますって顔だなそりゃ」
「何に?」
「凛風がそこまで考えてたことに。ただの追い剥ぎだと思ってたんじゃねぇのか?」
「ホントに?」
ヴァン君がコクコク頷いている。
だったら私の演技も捨てたもんじゃない。
サバ缶を食べ終えるとすぐ、アドルフがその残骸をねだった。ヴァン君はさも当然のように空き缶をアドルフに差し出し、私は意味をつかめぬまま何となく缶を渡す。
三つの缶を器用に手に乗せたアドルフが何事か呟くと、その右腕に見覚えのある黒銀の篭手が現れた。その直後には缶詰の残骸が瞬く間に小さくなって、音もなく消えた。
ハッと昼間のドラゴンが脳裏に残像して、私はアドルフの顔を見た。
年を食った中年顔だったアドルフが、昼間の美少年に豹変している。
「それそれそれ!」私は何度もアドルフの顔面を指さした。「どういうからくりなわけ?」
どこからともなく変幻自在の篭手といい、嘘みたいな若返りといい、アドルフの生態は謎だらけだ。
「さっきも説明しただろうが。俺の身体は人間じゃねぇんだよ。見てくれが変わるのもそれのせいだってよ」
竜を倒してヴァン君と合流する道すがら、簡単ながら解説を一度聞いた。なんでも、TRDが何とかで、縮退炉を何とかしてるんだそうだ。
さっぱりわからなかった。
「あんな簡単な説明じゃわかんなかったもん。もっと簡単に説明してよ」
「んなこと言われてもな」
アドルフは渋面を浮かべて唸った。
「じゃあゆっくり説明してやるから、これでわからなかったら諦めろよ?」
ヴァン君よろしく、私はこくこくと頷いた。
「まず、俺の見た目がガキっぽくなるのは、俺を形作ってる細胞が活性化することによって生じる副作用みたいなもんだ」
「TRDだっけ? その細胞」
アドルフの身体はその変な細胞でできているというのは覚えている。その細胞は昼間のドラゴンと同じものであるとも彼は語っていた。
「そうだ。体組織再生装置ってのが正式な名称だがな。一言でいえば、生物の体細胞を複製コピーしながら増殖していくナノマシンだ。お前、ナノマシンってわかるか?」
「さあ? 猫の種類?」
ハクビシンという種の猫なら聞いたことがあった。猫は沢山増えるし、増殖というならぴったりだ。
「アホか。俺の細胞が猫なわけねぇだろ」
だよね。
「ナノマシンってのはな、塵ほどに小さな機械のことだ。人間の体内に入り込んで、もともとあった細胞を複製し、それに成り代わる機能を備えたナノマシンがTRDだ。増殖と複製を繰り返し、大体六カ月ほどで人体の全細胞はTRDに置き換わる」
「これのおかげで、俺は破損した体をほぼ治せる。まあ、治せるというよりは再生させているという方が正しいがな」
「ここまではいいか?」
どうやってそんなものを作ったのかとか、どうしてそんな体になってしまったのかとか、分からないことは山ほどあるが、TRDのことはなんとなく理解できたので頷いておくことにする。ここでそれを突っ込むとますます分からない説明が登場してきそうだし。
私のサインを確認すると、アドルフは「それでな」と説明を再開した。
「このTRDってのは何もしなけりゃただの細胞と何ら変わらん。若返りもしないし普通以上の再生もしない。誰もと同じく老いて、衰えて、死ぬ」
「でもアドルフ若返ってるじゃん」
しかも超イケメンに。
「何もしなけりゃって言っただろ?」
「TRDはな、特殊なエネルギーによって劇的に活性化するように作られているのさ。そうなった時の結果がこれってわけだ」
言って、アドルフは黒銀の篭手をグネグネと波打たせた。
「活性化するということは、複製と増殖の速度が増すということでもある。加えて、TRDはほぼ万物をコピーできてしまう万能複製装置だ。俺の頭が覚えてさえいれば、好きにその在り様を再現できる。極少ない時間でな」
歪に動いていた篭手が、昼間に見た鋭い剣へと姿を移した。
「ねぇアドルフ」
「ん?」
「昼のドラゴンも同じ身体って言ってたよね?」
「ああ、あいつも俺と同じくTRDでできている。だからあんな風に体が絶えず変化してたんだ。俺から放たれていたそのエネルギーによってな」
腑に落ちない点が一つだけある。だとしたらなぜ、あいつは壊れたのだろう。
「自分の身体を知っておくということは、思ってる以上に重要なことだ」
問いかけようとした私より先に、アドルフが唐突なセリフを吐きだした。
「あいつらは、自分の肉体がそういう代物であるということを知らないんだよ。だから瓦解するしかなかった。苦しみ悶えることしかできずにな」
私の疑問を見透かしたようにつらつらと答えをくれるアドルフ。本当にエスパーなんじゃないだろうか。きっとアドルフの特殊細胞が彼にテレパシーを授けたんだ。
「ふむ、話が逸れたな。どこまで話した?」
「特殊エネルギーでアドルフの細胞が元気になるとかってところまでかな。うん」
疑問の先読みは出来ても話のログは追えないらしい。頭がいいのか悪いのか分からない人だ。
「ああ、そうだったな」
「それで、そのTRDを活性化させるために使ってるのが縮退炉だ」
と、そこまで言ったアドルフがちらりと私と目を合わせた。
「なあ」
「な、なに?」
その美貌で見つめられると照れるんだけど。
「この話面白いか?」
目の前でピチプチと焚火が音を立てている。暗がりからは虫がさえずり、夜風が森をさらさらと鳴らす。ヴァン君は暇そうに水を飲んでいた。
「まあ、ずっと無言よりはいいかな。正直、若返りの秘密以外は興味ないけど。あははー」
難しい話は得意じゃない。それでもアドルフの話を聞いているのは、この話をしている間は、彼がこの美しい少年の姿のままでいてくれる気がするからだ。
「まったく、遠慮のない女だなお前は。自分で聞いといてそれ言うか普通」
アドルフがクスクスと破顔する。さっきまでのガサツなおっさんとは大違いだ。無邪気というかなんというか、やっぱこっちの方がカッコイイよアドルフ。
「つまりだ。縮退炉使ってTRDを活性化させれば、必然的に新陳代謝も加速する。一気に全身の細胞が新しくなるのさ。だから炉を回してる間は勝手にこんな見てくれになるんだよ」
これで話は終わりだと言わんばかりの勢いで、アドルフはさっさと変身を解いた。
「ああ……」
自然と私の口から呻き声が漏れる。もう一度変身してくれと心で願うも、アドルフは薪を一本くべただけでそのままだった。
きっとテレパシーは変身してないと使えないんだと思った。
「ねえねえアドルフ。アドルフってさ、恋人とかいるの?」
特に流れがあったわけではない。ただ気になっている人に伴侶の有無を聞くのは恋する乙女としては当然の判断だと思っただけだ。ガランティスの中で重婚は禁止だし、ここは押えておきたいポイントだったのである。アプローチをかけるならそういうのは早い方がいい。ヴァン君が飲んでいた水を盛大に噴き出した。
「ど、どうしたヴァン君! 大丈夫?」
ゲホゲホと咳き込むヴァン君が私の顔を見て全力で首を振り始めた。顔が必死だ。な、何事かな?
素早い動きでメモ帳を取り出したかと思うと、これまた素早くペンを走らせるヴァン君。そして私に寄越したメモには不思議なことが書かれていた。
『先生は――』
と、そこまでは読めた。その続きがよくわからなくて、そこには恐らくさくらんぼと思しきイラストが描かれている。先生というのは恐らくアドルフのことだろう。
で、このさくらんぼは?
意味が分からない。
私の表情を見て、またヴァン君がペンを走らせる。
『その話題はタブー』と書かれていた。
「んん~? なんで? なんでタブーなの?」
問いかければまた高速でペンが走る。しかしてその内容はイマイチ理解できない文章の数々で。
『触れてはならない過去がある』『先生は魔法使いなんだ』『先生は孤高だから』『TRDのせいで色々少年のままなんだ』等々。
分からないメッセージが続いて、ヴァン君がさらに一枚を書き始めたところでアドルフが吠えた。
「おいヴァン!」
アドルフの手にはヴァン君のメモが一枚握られている。ちなみにヴァン君の手元には『先生は女性』と書かれたメモが。え、女の子なの? アドルフって。
アドルフの冷酷な目線がヴァン君に突き刺さっています。
「それ以上書くと、お前のアナルに突っ込むぞ」
アドルフまでも意味のとれないセリフを吐いた。ヴァン君の顔がさささーっと青ざめていく。あなる?
「アナルってなに?」
聞いたことのない単語だ。
問いかければ今度はアドルフが固まった。ちょっと顔が赤い。ヴァン君は青ざめたままだ。
「ねえねえねえ、アナルってなに?」
「く、繰り返すな」
「だって気になるもん!」
私は駄々っ子のように主張した。空気が固まっている。
アドルフは深々と唸り声をあげてようやく声を絞り出した。
「アナルってのは、だな。そう、言ってみれば急所のことだ」
「急所?」
「お、おうそうだ。だからアナルに突っ込むぞって言ったら、ブッ飛ばすとか、ぶん殴るとか、そんな感じの意味だ。脅し文句だな、平たく言えば」
「ふーん、人間って怒った時そんな風に言うんだ」
そうそう、そうなんだよ人間はと言ってアドルフが笑う。
なるほどなるほど。アナル。アナルに突っ込むか。ふーん。人間にしかわからないやり取りというやつだ。文化の違いというか。私たちはそんな言葉つかわないし。
「あ、そだ。じゃあさ」
私はさっきヴァン君が書いたメモを拾い上げた。さくらんぼが描かれたあの一枚だ。
「これはこれは? どういう意味?」
アドルフの笑顔が引きつった。なぜかヴァン君は涙目だ。
「あ? こりゃお前、簡単だよ。先生はさくらんぼが好きだって、そう書いてあるんだよ。なあヴァン?」
なすびみたいな顔色になったヴァン君がかくかくと頷く。肯定らしい。
「好きなの? さくらんぼ」
「ああ、まあそれなりにな」
「ほほう。そうなんだ」
いいことを聞いた。胃袋をつかむのは恋愛においては重要だというし、覚えておこう。
「あ、それからさアドルフ」
ふとヴァン君が書いていた最後のメモが脳裏をよぎった。
「今度はなんだ」
「アドルフって実は女の子?」
「アホか」
鋭いチョップが私の額に炸裂した。






