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日常と非日常の境界

「ギィはいい子よね」

「そうそう。いい学校の出だってこと鼻にかけたりしないし」

「うちの旦那がさ、最初はあんなひょろひょろしてて大丈夫かって思ったけど、けっこう頑張るもんだって褒めてたわよ」

「からかうとまた楽しいのよねぇ。赤くなっちゃってかわいいったら」

「あんまりやると嫌われるわよ?」

「でもやめられない気持ちわかるわー」

「でしょでしょ? 三年間なんていわないで、ずっといればいいのに」

 真っ赤な茜浮丹の皮を、小さなナイフで手際良くくるくると剥いていたレティイは、吹き出す一歩手前で笑いをかみ殺した。

 三人の若奥さんたち――そのうち一人は妊婦さんだ――の話題がギーセルセスのことになると、終始こんなふうだった。

 つい構って遊びたくなるのは自分だけではないらしい。素直かと思えば負けん気が強くて、でも絶対的に経験値が足りなくて、何よりすぐ顔に出る。頭も見てくれもそう悪くないとくれば、退屈凌ぎのちょっかいの一つや二つ、出してみたくなるというものだ。

 そんなことを考えているうちに、話はまだ目新しいリンセルのことに移り、ひとしきり盛り上がってから、最後は「あんな子どもがほしいわー」で締めくくられた。

 昼過ぎにひとり湖から戻ったレティイを迎えたのは、『兄さんの代わりにエリスさんのところに手伝いに行ってきます』というリンセルの書き置きだった。様子を見に顔を出したところ誘われて昼食をご馳走になり、そのまま手伝いに加わったのだった。

 ギーセルセスを置いて先に戻った理由は、地測官としてもっともらしく説明しておいた。曰く、調査を円滑に進めるために創石師である彼に仕事を依頼したのだと。それが終わるまで作業を進められないと言ってある。

 食卓の話題は当然ながら珍しい客人に集中したが、レティイは心から楽しそうに、しかし事実を隠したそつのない対応をした。昔からなぜか女性受けがよいレティイは、ここでも好感を得たらしい。

 こんなことしてもらっていいのかしらと、一応はためらう様子を見せながらも、よければ一緒にやらせてほしいという申し出に嬉しそうに頷いてくれた。

 そんなわけで、土間に置いた作業台を囲み、大量の茜浮丹の皮をせっせと剥いているのである。茜浮丹の皮は小白富を漬ける時に欠かせないものの一つだ。

 茜浮丹の実の方はへたの部分を紐に括って吊るすことで水分を抜く。今は拳より大きいが、完成する頃にはすっかりしぼんで二周り以上小さくなる。どちらも基本的に保存食だ。

「思ったより早く終わりそうね」

 ミリエルはそう言って、残すところ数個になった実に手を伸ばした。が、わずかばかりの差で届かない。隣に座っていたレティイはひょいとその実を渡してやった。

「ありがとう」

「お腹が大きいと大変だな」

「それももう少しの辛抱よ。また生まれたら生まれたで大変なんでしょうけど」

「来月の初め頃と言ってたな」

 アラリスで生まれる最初の子どもだと言っていた。皆の期待ももちろんのこと、ミリエルの微笑みは母になる喜びに溢れている。

 そこへ、リンセルが小走りにやってきた。

「すみませーん。皮くださぁい」

「あ、ちょっと待ってね。もう少しで終わるから」

「はい。あとエリスさんが、貯蔵庫に運び始めたいからもう一人来てほしいって」

「あれをリンセル一人で運ぶのは大変だものね。いいわ。あたしが行ってくる」

「いや。私が行こう」

 レティイはナイフを布巾で拭いながら申し出た。

「え、いいんですか?」

「向こうの作業も見てみたいんだ。構わないだろう?」

「構わないもなにも、大助かりだけど」

「なら問題ない。遠慮は無用だ」

 膝の上に置いた籠の中に溜まった皮を大きなざるの中へ移して立ち上がると、他の三人から回収した籠もざるの上でひっくり返し、さっさと一つにまとめてしまう。

「じゃあ、申し訳ないんですけど……お願いしちゃおうかしら」

 最後の一個を剥いていたマイラが、くるくると螺旋を描く皮を既に山盛りいっぱいのざるの中に放り込むのを待って、レティイはリンセルを促して外へ出た。

 小白富を甕に漬け込む作業は貯蔵庫の脇で行われている。

「あの、兄さんに僕のこと、話しましたか?」

 二人きりになった途端、リンセルは小声で尋ねた。実はずっと気になっていたのだが、今まで機会がなかったのだ。

「いや。言ってないよ」

 初めから言うつもりはなかったのだが、リンセルはどこかほっとしたような顔をした。

「なんだ……僕はてっきり、それで帰ってこないんだと」

「逆だ。聞いたならすっ飛んでくるさ」

「あぁ。そう、ですね。きっと」

 だから、一人で家にじっとしていられなかったのだった。

「ギィが帰ってきたら自分で話すんだな。そしたら胸のそれを何とかしよう」

 リンセルは前を見つめたまま、はいと小さく答えた。



   ※



 導いた水の力が氷石の中に収まった。寸分の隙間もなく凝縮され、わずかな揺らぎもなく、固定される。

(終わった……)

 それを最後にギーセルセスの記憶はとんでいる。

 気がついたら、自分の寝台の上にいた。

 窓の外はすっかり暗かったが、少しだけ開いた扉の隙間から零れる光のおかげで部屋の様子は見て取れる。間違いなく自分の部屋だ。

 なのに、どうやってここまで戻ってきたのか欠片も憶えていない。

 わけがわからないながらもとりあえず起き出して、話し声がする部屋をのぞいた。

「おや、目が覚めたか」

 先に気づいたのは赤紫の髪の女性だった。それから弟が矢継ぎ早に尋ねてきた。

「もう起きて平気? だるくない? 喉が痛いとか、寒気がするとかは?」

「あ、ああ。別になんともない」

「良かった。ご飯とってあるけど、食べるよね。今持ってくるから待ってて」

 ほっとした顔で台所に入って行くリンセルに、レティイは少し申し訳なさそうな視線を送った。

「すごく心配してたからな。無理させたんじゃないかと、怒られたよ」

「怒られたって、リーンに?」

 レティイは改めてギーセルセスを見つめ、真面目な顔で言った。

「よく頑張ったな。上出来だ。穏やかな性質だったとはいえ、壊れることなくあれだけの力を内包できるのだから、ギィの石は本当に上等だ」

 ことん、とテーブルの上に光る小石を置く。

「どうした。おいで。見てごらん」

 言われるままに近づいて間近で見ると、それはとてもやわらかな印象の石だった。

 形はふっくらと丸みを帯びた卵型。薄水色に仄かに緑がかって、時折、砂金を水に流したような輝きが奥に垣間見える。何より、レティイが言うところの『緋の剣にさえ拮抗する力』を閉じ込めたために、元があの氷石とは思えないほど力ある石になっている。

「繊細で美しい構成だ。力の均衡も波動の容も高い水準で保たれてる。ルゼブルが言った通り、ギィは筋がいい」

「なんだって?」

 思わず聞き返したギーセルセスに、レティイはからかうように言った。

「これは君の仕事だよ。いい出来だと思わないか?」

「そうじゃなくて、なんかその前にとってもすごく信じられないことを耳にした気が……でもなぁまさかそんなことあるわけないし! 空耳だなきっと!」

「なんなんだその強引な断定は」

「あと気になってんだけど、俺どうやってここに帰ってきたんだ?」

「あんまり遅いから迎えに行ったんだよ。そしたら気持ちよさそうに寝てたから、そのまま連れてきたのさ」

「湖からここまで!?」

「別にずっと担いで歩いてきたわけじゃない。それほど手間はかからなかったから気にするな」

「じゃあどうやって運んだんだよ。なあ、おまえも一緒に湖まで来たのか?」

 ちょうどいろいろ盆に乗せて戻ってきたところだったリンセルは、首を横に振った。

「ううん。行ってないよ。兄さんを迎えにでしょ? 行ったのはレティイさんだけだよ。そしたら背負われて帰ってくるんだもん。びっくりしたんだから」

 リンセルの声には咎める響きが混じっていたが、並べられる料理に既に半分以上心を奪われていたギーセルセスはまったく気づいていない。それは嬉しそうに皿を引き寄せた。

「おおーいい匂い。いただきます」

 朝から何も口にしていないのだ。食べ物を前にした途端、諸々の疑問は棚上げされて、とにかく食事に集中してしまったらしい。といってもがっついているのではなく、なんとも美味そうに食べるので気持ちがいい。

 ただ、話し掛けてもほとんど相槌しか返ってこない。食べる速度は普通なのだが、間を開けないから口の中が空にならず、長い台詞を喋れないのだ。

「成長期の男の子だものな。多めに作っておいて正解だったか」

 その食べっぷりにレティイはそう言って笑った。

 ギーセルセスの手が止まったのは、三回目のおかわりをぺろりと平らげた後だった。どうやら腹が満ちたらしい。

「これだけ食べれるなら本当に何ともないみたいだけど、もう結構寒いのに外で寝ても平気だなんて……」

「そういうのは昔から平気なんだな、これが。それはそうと、リーンはともかくレティイさんと俺はやること逆な気がするぞ。なんで俺が湖で頑張ってレティイさんが小白富の漬け込み手伝うんだよ」

 聞いていないようで聞いていたらしい。

「いいじゃないか。あんな実習は滅多に出来ないぞ」

 青灰色の瞳がくすりと笑った。その眼差しはリンセルに移り、そっと伏せられる。

「ギーセルセス。リンセルが話があるそうだから、聞いてやれ」

 改まった言い方にギーセルセスは怪訝そうに二人を見遣った。

 レティイは軽い調子で続けた。

「私は後片付けでもしてるから、さ」

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