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リンセルの秘密

「初めまして。リンセルです」

「リアナ・レイティイだ。レティイと呼んでくれると嬉しい。しばらく世話になる」

 賢そうな子というのがリンセルの第一印象だった。それを裏切らない丁寧な挨拶が返る。

「レティイさん。こちらこそお世話をかけます。どうぞよろしくお願いします」

 そこへギーセルセスが口を挟んだ。

「地測官なんだそうだ」

「地測官?」

 なぜかリンセルは腑に落ちない顔だ。

「今は、その肩書きが一番都合が良さそうだったからな。心配しなくてもちゃんと見えてるよ」

 それを聞いて、リンセルの顔がぐっと引き締まった。

「では、お尋ねします。いかがですか?」

 問いかける語尾のわずかな震えに気づいたが、レティイは表情を変えなかった。透かし見るような不思議な眼差しで少年を見つめ、淡々と答える。

「珍しい事象が生じているな。サキア様とルゼブルの判断は正しい。これは私の管轄だ」

 リンセルは怖いくらい真剣な眼差しでレティイを凝視した。

「どうか、お願いします」

「…………あのー、属性の偏りってそんなに深刻なのか?」

 ギーセルセスは一人状況がわからない居心地の悪さに、控えめに口を挟んだ。

「詳しいことはわからないけど……」

 と、あいまいに言葉を濁すリンセルの後をレティイが引き継いだ。

「長くは持たないだろうな」

「具体的にどういうことになるんだよ」

「さて。それは起こってみないとわからないが、楽しい事態にならないことだけは確かだな。というわけだから、ちゃっちゃと片付けるぞ。と、その前に」

 レティイはにっこりと笑った。面白がっている笑みだった。

「そういえば、ルゼブルから伝言を預かってきたよ。ギーセルセス。課題の進行状況はどうだと言ってたぞ」

「カダイ……」

 ギーセルセスの顔が固まった。

「おやおや。困った弟子だな」

「つまり、やってないんだね」

 ずばり核心を突いた弟の発言に、兄はもはや取り繕う努力さえしない。

「いやぁ、すっかりわすれてたなー、あはははは」

「ルゼブルも報われないな。気の毒に」

 レティイはため息混じりに首を振ってみせたが、それ以上言及しなかった。

「さて。明日の予定だが、湖へ行ってみようと思っている。ギィも一緒においで」

「俺も?」

「そうだ。それと、石を三つ用意しておけ。属性はなんでもいい。力も弱くて構わない。そのくらいの創り置きあるだろう」

「…………わかったよ」

 泳いだ視線と微妙な間に、リンセルとレティイは顔を見合わせた。

「兄さん、無理ならそう言ったら?」

「む、無理じゃないぞ。二、三個はあったはずだ。それに、ほとんど出来上がってるのもあるんだ。それを仕上げるくらい、簡単だ」

 むきになっているようにしか見えない。

 あまり信用していない様子の二人にギーセルセスは指を突きつけて宣言した。

「絶対三つ、そろえてやるからな。工房行ってくる!」

 だーっと走り去るギーセルセスの背中をレティイの声が追いかけた。

「なかったら核の状態でもいいぞー。ったく、あれではないと言っているのと同じだな」

 レティイは肩をすくめ、吊るしたランプに手をかざした。それだけで明かりが灯り、薄暗くなり始めた部屋を照らした。

「ありがとうございます。――――あの、どうして兄さんに言わないでいてくださったのでしょうか」

「君の体のことか?」

「はい」

「やっぱり教えてなかったのか。なんだか必死さが足りないし、間違っちゃいないが的外れなことを言ってたものな、ギィは。だが礼を言われてもなぁ。いつまでも黙ってるわけにはいかんだろう」

「それは……」

 レティイは大人びた表情で瞳を伏せる少年の前に両膝をついた。するとリンセルの目線の方が上になる。青灰色の瞳がリンセルを見上げ、長くきれいな形の指がやわらかい髪にそっと触れた。

「とにかく、確認しないことには始まらない。見せてもらえるか?」

「はい」

 いささか唐突な申し出だったが、リンセルはすぐに頷いて衣の前を開いた。

 胸の中心に、ちょうどリンセルが両手で覆えるくらいの黒い痣があった。肌が白いだけに一際目立つそれは、だが不思議と醜くはなかった。

 これが、リンセルを生かしているもの。魂を体にとどめ、命を繋いでいるもの。

 レティイが手のひらを近づけると、それは仄かな黒銀の輝きを浮かび上がらせた。彼女の指はそれに触れはしなかったが、リンセルはひんやりとした冷気がそこを覆うように広がるのを感じた。

「ありがとう。もういいよ」

 少年が衣服を整えるのを待って、レティイはひたと彼の顔を見据えた。

「こんな事例は初めてだが、最善を尽くす。リンセル、君は、生きるんだ」

「いけません!」

 反射的に叫んでいた。

 生まれた時から親元を離れ、サキアの治療を受けながら育ったリンセルは彼女から多くのことを学んできた。リンセルは賢く、彼女の教えを正しく理解した。だからこそわかってしまった。善くない方向に力が働いていると。生命力がとっくに尽きているのに魂は去らず、動く身体。それは必ず、よくないものを生む。そんな行為を許してはならないのだと、リンセルは固く信じていたし、今も信じている。なのに、同じくサキアに師事したであろう女性は、真顔で問いかける。

「なぜ?」

 熱の篭った瞳に気圧されて、わかりきっているはずの答えを口にできなかった。

「私は諦めない。だから、絶対に諦めないと約束して」

 嘆願に近い口調だった。けれど弱さを感じさせない。

 リンセルは彼女に抗しきれないだろう自分を予感し、動揺した。頷きはしなかったものの、やっと出した声には力がなかった。

「どういう、意味ですか?」

「サキア様は、君の手紙を見せてくれたよ。事実だけをまとめた事務的な……実に無駄のない文章だった。君は何を考えてあの手紙を書いたんだ?」

 リンセルの若草色の瞳が刹那、頼りなげに揺らぐ。彼女の顔を見ていられなかった。

「そんなこと、決まってます」

 答えながら、拳を握り締めた。

「僕は、もういないはずなんだから」

 間違ったことは喋っていない。なのに、言葉を綴ることが酷く苦しい。彼女のせいだ。彼女の包み隠さぬ言葉が、誤魔化しを許さぬ眼差しが、押さえこんだ感情を刺激する。

「このまま、ここにいていいはずがない、と……」

 舌が縺れた。

 違う。言いたいのは、こんなことではなくて……でも、それは、言ってはならないから……それは――。

「嬉しかったんだろう?」

 思わず、顔を上げた。

「驚いて嬉しくて、それから困ってしまったんだろう? それを隠そうとしたからあんな手紙になったんだな。違うか?」

 呆然とレティイを見つめた。

「どうして」

「わかるかって? 相手はサキア様だぞ。それこそ心外だと仰るだろうよ」

 彼女は困ったような呆れたような顔をしていた。覗きこむ双眸は何もかもを包み込むように温かく、揺るぎ無く澄んでいてリンセルを安心させる。

 やがて、少年は掠れた声で言った。

「――――まだ嫌だと、思いました」

 その告白を聞いてもレティイの瞳が変わらず優しいことに、リンセルは自分でも驚くほど安堵した。そしてこの時初めて、ずっと一人で抱えていた重荷を投げ出してもいいのだと思えたのである。すべては堰を切ったように溢れ出した。

「僕に、許された時間は少ないと、知っていました。だけど、それにしたって早過ぎると、あの時、死にたくないと……っ、倒れながら……終わりだとわかっていたけど、でも、気がついた時本当に嬉しかった。助かったんだって、生きてるんだって、本当に嬉しくて。何もしないで、このままでいたいと、思いました。でも、黙っていることも怖くて……だってあってはならないことなんだから……! だから、誰かに言わなきゃと思って、でも、治ったと信じている兄さんにはどうしても言えなくて、教えたくもなかった。兄さんといたくて来たのにまだ少ししか一緒にいれなくてまだぜんぜん足りなくって……でも、こんな、こと、こんな……だからサキア様に………………ごめんなさい。言ってること、めちゃくちゃだ」

 最後の方は、ひどく心細げな消え入るような声だった。

 リンセルはぼんやりと視線を落とし、ふっつりと黙り込んだ。レティイはただ静かに待っていた。

 やがて、細い首がゆるやかに動いた。そうして向けられた顔の中で、口許が歪む。眉間に少しだけ、しわが寄る。照れ隠しのような、泣いているような笑みだった。

 励ますように頭を撫でてやると、リンセルは今度はもっとしっかりとした笑顔を見せた。

「兄さんには言いづらいけど、きっと、怒るから。ちゃんと伝えて終わらせます」

「――――終わらせる、だと?」

 唸るような低い声に、リンセルは思わず後ずさりしそうになった。向けられるのは、紛れもない怒りだった。

「まだそんなことを言うか? 助かって、嬉しかったんだろう? まだぜんぜん足りないと思ったんだろう? どうにもならないときはある。諦めるしかないときもある。だが、少しでも可能性があるなら手を伸ばせ」

 細い肩に手を置き、力を込めて言った。

「私はね、終わらせるつもりはない」

「でも」

「君は、サキア様との約束を果たすんだ」

「約束……」

「待っています、と言ってたよ」

 若草色の瞳はまだ半信半疑だった。

「僕、またサキア様に会えるんですか……?」

「会えるさ。そうでなきゃ、私に任せてくれるわけがないだろう。もしセンジュを離れることを許されたなら、サキア様御自身が来たはずだ。この際、難しいことは全部忘れていい。忘れろ。そのために私がいる」

「レティイさんが……?」

「私だけじゃないぞ。サキア様もルゼブルもいる。ギィだって話を聞いたら黙ってないさ。みんな願ってる。生きていてほしいって」

 リンセルの幼い顔がくしゃりと歪んだ。

「運命が千載一遇の機会をくれたと思え。そういう時はがむしゃらに足掻いて掴み取ればいいんだ。他人の迷惑なんか考えてる場合じゃない」

 ひどく乱暴な言いようだったが、そこに込められた思いやりに胸が熱くなる。

 あと一ヶ月の命だと宣告されて、ずっと離れて暮らしていた兄と少しでも一緒にいたいと思った。兄との約束がなければここまで頑張れなかったから。あの日、泣いていた幼い自分にああ言ってくれなかったら、きっと心が先に挫けてしまった。

 ほんの短い間でいいから、ごく普通の兄弟みたいに暮らしたくて、ありがとうとさよならを伝えたくて、会った途端、もしかして治ったのか!? なんて嬉しそうに言われてしまったから、なかなか本当のことを言い出せなくて、覚悟はしていたつもりだったのに、尽きるはずの命が繋ぎ止められてしまい、どうしようもなく怖くなった。期待してしまいそうで。取り返しのつかない過ちを犯してしまいそうで。だから諦めた。心を欺いて、諦めたふりをした。そうして誰かが終わらせてくれるのを待つのが一番楽だったから。

「いのちを、かえさなくちゃいけないと思って……元に戻さないとだめだって」

「そんなことだろうと思った。不安そうなくせに妙に迫力のある目で私を見るんだから」

「だって、世界に背くようなことをしていけないと教わりました。僕は、あるべき形を歪めて生きているのに」

「リンセルは正しい。でも、私は反則技に詳しいんだ、とっても」

 レティイの笑顔は不安を消してくれる。顔立ちは少しも似ていないのに、約束を交わした大好きな人たちの笑顔と重なる。ぽろぽろと涙がこぼれた。

 センジュを出る時、もう会うこともないと、適わないと知っていて交わした約束だった。サキア様に甘えて、治せないのは彼女のせいではないのに、詰って、責めて、でも、サキア様は一度も謝らなかった。安易な謝罪より、リンセルの望む言葉をくれた。つらい約束をさせた。

「約束、したんです。また会いに行くと、センジュに戻ると、約束したんです」

 思えば、適わない約束ばかりしている。それでも、必要だった。負けないためにどうしても必要だったのだ。

 レティイは涙をこぼす少年の頭を抱き寄せた。リンセルは引き寄せられるままに肩口に顔をうずめる。それはとても自然なことのように思えた。

 ゆっくりと背を撫でてくれる手が心地よい。閉じたまぶたの端から、また一つ、涙がこぼれ落ちた。

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