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速達郵便とリアナ・レイティイ

「入るぞ」

 一応そう声をかけたものの、ギーセルセスは返事を待たずに戸を開けた。

 家の裏手。物置を改造した作業場は一種独特の匂いがする。秤を前にして敷物の上に座り込んでいた弟は、手にした薬匙を置いて顔を上げ、嬉しそうに笑った。

「お帰り、兄さん。早かったね」

 かわいらしい外見の少年である。薄茶色の髪はやわらかい癖っ毛で、不揃いに短く切っているせいもあり毛先がふわふわと踊っている。肌は白く、鼻の頭にはそばかすが散っていた。

 魔界人が肉体成熟に要する年月は、十五年から四十年と個人差が大きいのだが、大多数は二十歳前後で成体になる。それを考えると、リンセルの成長は遅めだった。このあいだ十七になったというのに骨格はまだ完全に子どものそれだ。けれど、顔つきは意外にしっかりしている。落ち着いた眼差しにもふとした表情にも、甘えた感じがない。

 一方、兄のギーセルセスは今年で十九。背丈こそ弟より頭一つ以上飛びぬけて高かったが、まだ少年特有の細さが目立つ。しかしそれもあと一年二年のことだろう。優しげな顔立ちは兄弟だけあってよく似ており、髪色も同じだ。だが、中途半端に伸びてしまった感のある髪は癖っ毛の弟と違い真っ直ぐで、後ろで一つに結わえきれなかった短い横髪が頬に落ち掛かっている。

 にっこり笑った弟に、ギーセルセスはいきなり封筒を突き出した。

「これ、なんのことかわかるか?」

「読んでいいの?」

 確認したのは、表書きにはっきりと『創石師ギーセルセス殿』と書いてあったからだ。兄が無言で頷くのを見て、リンセルは封筒を受け取った。

 ギーセルセスはそれをなんとなく面白くなさそうな表情で眺めた。

 ギーセルセスはこの日、任された仕事が思いのほか順調に進んだので機嫌が良かった。帰路に着いた時は日暮れまでまだ時間があり、更に得した気分になった。

 今年は秋に入ってから雨が多く、今日も朝方まで小雨が降っていた。今もまだ空は曇っていたが西の方はうっすらと明るかった。明日は晴れそうだなどと思いながらのんびり歩いていたところ、顔見知りの男に呼び止められて封書を手渡された。

 それほど住人の多くないアラリスには、郵便物の集配を行う機関はない。公共の案内門を通ったアラリス宛ての郵便物は、すべて村長宅に設置された書簡箱に届く。普段は自分で受け取りに行ったり、何かのついでに渡されたりするのだが、今回の手紙は紺地に白の転送印という組み合わせで、つまり速達指定だった。ちょうど居合わせたとかで届けくれるところだったらしい。

 表書きの字に見覚えがあったが、誰の手か思い出せずに裏を返す。そこには『ビノスカリナ修練館』とだけあった。

「あ」

 そう言えばこんな文字を書く人だったと思い出す。文字の内部の空間を広くとった勢いのある筆跡は、ギーセルセスの後見人であり、彼の学んだ修練館の学長であるルゼブルのものだ。

(けど、先生が速達……?)

 不思議に思いながら手紙を開くと、大らかな文字の連なりが目に飛び込んできた。簡単に安否を問う挨拶の後に、これまた簡潔に用件が記されていた。しかし、なんのことやらさっぱりわからない。もう一度読み返し、封筒に便箋を突っ込んだ。そして、足早に我が家を目指したのである。

『リンセルが問い合わせた件について。サキアさまと相談の上、リアナ・レイティイに調査を任せることにした。彼女は専門家だ。すべて指示に従うように。ルゼブル』

 手紙には、そう、記されていた。

「リーン?」

 ギーセルセスは思わず弟の名を呼んだ。

 さっと書面に目を走らせた刹那、リンセルが今まで見たこともないほど怖い顔をしたからだ。無表情に近いが、ひどく思い詰めた様子だった。

「どうした? 大丈夫か?」

「……さすが、反応早いね。驚いた」

「驚いたって……」

 とてもそれだけには見えなかったのだが、広げた手紙から顔を上げたリンセルは、いたって普通に笑んでいた。便箋をきちんと折り畳みながら首を傾げる。

「でも、なんでルゼブル様から返事が来たのかな。それも兄さん宛てに」

「だからなんなんだよ、それは」

「ここって属性に変な偏りがあるよね。もともと水の強い土地みたいだけど、それにしたって不自然なくらい水系統の伸びがいい。今のところ特に支障は出てないんだけど、僕が扱ってるのは直接体に入る物だから気をつけ過ぎることはないし、サキア様に相談したんだよ」

 リンセルはまだ若いが、一流の薬学院を出た優秀な創薬師だった。

 創薬師は調剤の最後に魔力による精製を行う。その過程が創薬師の真骨頂であり、技量が試されるところでもある。

 精製の主な目的は二つ。薬剤を媒介に魔力を治癒力に変換すること。それを薬そのものに付加し効能を高めること。その応用で、求めるイメージを補強するもの――例えば『清んだ水』など――に薬効を持たせることもできる。

 魔力の使用。それが通常の薬師との決定的な違いである。彼らは生体師と並ぶ治癒術の専門家だった。

「今のところ難しい調整はいらなかったけど、その、これからのこともあるし。魔力を扱えば、どうしても土地の属性に影響を受けるからね」

 ギーセルセスは弟の手から戻ってきた手紙に視線を落とした。

 『サキア様』というのはリンセルの主治医であり、彼が学んだ薬学院の院長だ。他にもいろいろと肩書きを持っているが、現役の指導者でもある。リンセルが彼女に師事したことがあっても不思議ではないし、ならばその道の第一人者であるサキアに助言を求めたのもうなずける。

 にもかかわらずすっきりしないものがあるのは、創石師の自分に一言の相談もなかったからだ。その理由もわかっている。頼りにならないと判断したからだ。ギーセルセスに答えを出すことはできないとリンセルは断じた。たぶん無意識に、彼は相談相手から兄を除外した。しかもその判断は正しかった。リンセルはアラリスに来てまだたったの二ヶ月。ギーセルセスはもう一年以上住んでいる。なのに、偏りとやらを疑問に思うことすらなかったのだから。

 仮にも創石師が。土地属性の偏りに気づかない。最悪だ。

(手紙が俺宛てだったのは、きっとそういう意味なんだ。その上、名前に『創石師』を冠する念の入れよう。相変わらずきっついなぁ)

「兄さん、どうかした?」

 黙り込んでしまった兄を不思議そうに見つめるリンセルに悪気はない。だからこそ、余計に不甲斐ない自分が情けなく、取り繕うように急いで言った。

「いつ来るのかなと思ってさ。書いといてくれればいいのに。先生はそういうところ大雑把なんだよな」

「でも、こうして速達でくれたんだから、そんなに待つことはないんじゃない?」

「たぶんな。いろいろ雑なのに手回しはいい人だから」

 ルゼブルの嫌いな言葉は『明日から始める』である。今やれ今! と言いたくなるらしい。

「そうすると、泊ってもらうところ用意しとかないとね。リアナ・レイティイさん、かぁ」

 リンセルが妙に感心したように名を呟いたので、ギーセルセスは不思議に思って尋ねた。

「もしかして知ってる人か?」

「ううん。知らない人。きれいな名前だなあって思っただけ。古詩からとったのかな」

「あ、それわかるぞ。夕焼け砂漠に金の粒、だろ?」

「そう。それそれ」

 リンセルは手を打ち合わせた。

「リアナさんに使ってもらう部屋は俺が見ておくよ。リーンはまだそれ、途中だろ?」

「ありがとう。終わったら手伝う」

 ギーセルセスは紺色の封筒をひらひらと振った。

「それにしてもおまえ、研究熱心だな。俺が出かけてる間、ずっとここに篭ってるんだもんな」

「何かしてないと落ち着かなくて。本当は兄さんと一緒に行けたらいいんだけどな」

「今やってるのは力仕事だからなあ。おまえ小さいし。それにまだ激しい運動はいけないんだろう。でも明後日は来ても平気かな。小白富の漬け込みを手伝うんだ」

「うん。そういうことならできる」

 リンセルは嬉しそうに笑った。

「そう言えば、サキア様は小白富の甘漬けがお好きで、仕事場の戸棚にはこんなおっきな壷で常備してらっしゃるんだよ」

「で、おまえはそれを分けていただいていたんだろう」

「あ、わかる? アリエル夫人には内緒ね、ってこっそり出してくれるのが、小さいころはすごく楽しみだった」

「わかるとも。サキア様ってすごくきれいで優しいもんな。いいよなぁ」

 ギーセルセスはセンジュを訪れた際、何度かサキアに会っている。

 リンセルがアラリスにやって来るまで、兄弟は一緒に暮らしたことがなかった。リンセルは生後まもなくセンジュの施療院に入院している。リンセルの病は滅多にない難しいもので、放っておけば確実に命を落とすものだった。自分の手には余ると町の生体師は言い、魔界一と名高いセンジュの施療院を勧めたのだ。

 ギーセルセスに当時の記憶はあまりないが、その後、幾度となく両親と共に小さな弟に会いに行ったことは覚えている。

 両親を事故で亡くしたのは、そうして弟を見舞った帰り道のことだ。時に、ギーセルセス七歳、リンセル四歳。兄弟に身寄りはなかったが、幸いなことに手を差し伸べてくれた人がいた。それがサキアであり、ルゼブルだったのだ。

 既に創石の才を見出されていたギーセルセスは、ビノスカリナ修練館への入学が決まっていた。他の創師と比べ創石師の数が極端に少ないのは、いくら努力しても適性がなければ創石は不可能だからだ。その稀少な才能のおかげか、ギーセルセスはルゼブルの意向でそのままビノスカリナへ、リンセルは治療を受けながらやがてセンジュの薬学院へ進んだ。

 兄弟が会うのはもっぱらセンジュだった。というのも、リンセルには遠出が許されなかったからだ。片道十日も掛かるので、ギーセルセスも十二になるまではルゼブルに連れて行ってもらわねばならなかった。もっともルゼブルは竜形の宿連使を飼っていたので十日もかけたことはなかったが。そんな事情で年に数回しか会えなかったが、ギーセルセスは弟が好きだった。

 だから、一緒に暮らせるようになってとても嬉しかったし、何より、体が治ったことを跳び上がって喜んだのである。

「兄さんはサキア様ばっかり褒めるけど、ルゼブル様も優しいし、すごくきれいだよ」

 ギーセルセスはその発言に重々しく首を振った。

「いいか。優しいはともかく、きれいだなんて本人に言うなよ。機嫌悪くなるから」

「それ、サキア様にも言われた」

 真顔で忠告する兄に、リンセルはおかしそうに声を立てて笑った。

 この家に弟がいて、元気に笑っている。少し前までは考えられないことだった。それだけに、こんな他愛もない会話が、ギーセルセスにはとても大切なものに思えるのだった。



   ※



 約百五十年前のこと。

 対なす双世界――天界と魔界を巻き込んだ『緋の剣』を巡る大戦が終結し、二つの世界はそれぞれ新たな長を迎えた。

 以来、この魔界でもおおむね穏やかに時は流れた。

 魔界に生きる大多数の人々の寿命は約二百年だから、大戦の記憶が遠く感じられる程度の時間が過ぎたと言える。

 アラリスは、ビノスカリナから北へ五日ほど歩いたところにある小さな集落だ。

 センジュは大戦前からあった旧い街であり、ビノスカリナ修練館も大戦直後にできた由緒正しい学び舎であるが、一方アラリスはまだ人が住み始めて三年目の新しい土地だった。全戸数は十五。そのうちの半数が若い夫婦である。

 そのアラリスに暮らす兄弟の家の戸が叩かれたのは、ルゼブルからの手紙が届いた翌日。四日ぶりに晴れた日の夕刻のことだった。

 応対に出たギーセルセスは目を見張った。

 見知らぬ若い女が一人、立っていた。女性にしては長身で、ギーセルセスより少しばかり目線が上だ。

 一見したところ旅装なのだが、ただの旅行者には見えなかった。その風体はいささか普通の枠を逸脱している。背負っているのはきれいとは言い難い皮の鞄。裾の方が擦り切れた長い外套。その下の衣服は男装に近く、使い込んだベルトには短刀が挿んである。足元は女性の好む軽い短靴ではなく頑丈な長靴。両腕の肘から先には布を巻きつけ解けないように上から紐で縛っている。極めつけに腰には剣を佩いていた。

 だがそこに気負いはなく、そうあることを当然とする空気があった。ただ必要だからそうしているだけなのだろうと思われた。

 身に着けている物はすべて実用第一の造りで女らしい華やぎとは無縁だが、印象は地味とは縁遠い。装飾品などなくとも、生まれ持ったものが何より鮮やかに女を彩っている。艶やかな光沢を放つ赤紫色の髪は束ねられずに背の中ほどまでを覆い、西からの光を反射してところどころ金粉を散らしたように輝いている。肌は健康的に陽に焼けて、瞳は灰色がかった青。目尻は涼しく切れ上がって少しばかりきつい顔立ちだ。まっすぐ見つめる眼差しの強さに胸がざわめいた。

 紅くはない、しかしきれいな色の唇が落ち着いた声で尋ねた。

「こちらは創師兄弟の住まいか?」

「は? あ、はい、はいそうです」

 ギーセルセスは我に返って慌てて答えた。

「……失礼ですが、ルゼブル先生が調査を依頼した方ですか」

 他にこんなに変わった客が訪ねてくる理由が思い浮かばなかった。案の定、女は頬を緩めて名乗った。

「連絡は間に合ったようだな。レティイだ。よろしく頼む」

「レティイ、さんですか?」

 前情報と一致しないがまったくの別物ではない名を名乗られて、つい確認するような口調になってしまったが、彼女はその理由を正確に察して答えた。

「もしかしてルゼブルは違う名を教えたのかな。どれだろう。フルーレ? リアナ?」

「それです! リアナ・レイティイと書いてありました」

「それも私の名の一部だ。名前が長いんだよ。古い友人は好きなところをとって呼ぶものだから。それはそれで有難いんだが、ややこしいだろう? 最近はレティイと名乗ることにしている」

「そうなんですか。たいへんですね。俺……いえ、私はギーセルセスです」

「そうかしこまる必要はない。普段の通りで構わないぞ」

「はあ。じゃあ、どうぞ。入ってください」

 ギーセルセスは曖昧な返事をして、片手で扉を押さえ体をずらした。

「ふふ。名前の話をすると、たいていどのくらい長いんですかと訊かれるんだが、きみは訊かないんだな」

「きっと覚えられないからいいです」

「ははっ、なるほど」

 軽く笑ったレティイは一転、真面目な顔になってギーセルセスを見つめた。

「君は兄の創石師の方か」

 ギーセルセスは即座に肯定できなかった。道に迷って困っている人のような、どこか苦しげな表情で言葉に詰まっている。

 レティイは、くす、とからかうような笑みを浮かべた。

「そんな無防備に助けてくださいって顔で見つめるのは止めた方がいい。おねーさんはいけない気分になりそうだ」

 指先で額を軽く突かれ、一瞬ぽかんとしたギーセルセスだったが、みるみるうちに真っ赤になった。

「本当にかわいいな。聞いた通りだ」

「き、聞いた……て?」

「まったく飽きない生徒だったと言っていたぞ。ルゼブルが」

「飽きないってなんだよ! まさか……」

 確かにいろいろやらかした自覚はある。その恥でしかない出来事の数々を喋った、とか言わないよな、先生!

 記憶の連鎖とでも言うべき作用で思い出したくもないものを思い出してしまったギーセルセスは、それこそ穴をあったら入りたい気分だった。

「そんなに心配しなくても時間がなかったからな。大したことは聞いていないよ」

「大したことって、じゃあ少しは聞いたんじゃないかぁ……うわ~う~」

 頭を抱えて唸っていたギーセルセスは、不意にがばっと顔を上げた。

「忘れてくれ! ……てのは、だめ、か?」

 レティイは大きく目を見開いた。

 勢いがよかったのは最初だけで、今は、頼みますこの通りと目が訴えている。

 思わず吹き出してしまった。

「なんで笑うんだよ」

「なんでって、ギーセルセスが笑わせるから」

「ギィでいい。みんなそう呼ぶし」

「ではギィ。なかへ行こうか?」

 いちいち可愛すぎる少年の耳元へまだ笑いの余韻を残した唇を寄せ、低く囁いた。

「そうしたら、あまり大っぴらにできない話をしよう」

 ギーセルセスは反射的に間近にある顔を見返し、そして、客人を招き入れた。

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