『地獄に一番近い島』 序
~前回までのあらすじ~
突如現れたもう一人のヴァリアブール。メンシェ教徒の一人にして、琉達に強い憎しみを抱くアヤメは彼を利用し、二人を討とうとした。新型のエアハッカーにより、パルトネールを奪って琉を追い詰めた彼女であったが、あと一歩と言うところでロッサによって阻止される。だがその直後、話を付けたはずのヴァリアブールはロッサにその爪を向けたのであった!! 辛くも逃げ出した琉とロッサであったが……。
クロリア島。現在カレッタ号の停泊している島である。ここはハロゲニアの玄関として知られる島であるが、もう一つの側面があった。
「この島は温泉も有名でね。港から少し行くとあるんだよ。いつもだったらアードラーでビューンなんだけどね……」
「流石に今運転しちゃあダメでしょ。特に右手を、無理に動かしたらそれこそ大変なことに……」
ロッサに支えられつつ、水上タクシーに乗り込む琉。全身に包帯を巻いた姿は、それを見た人に生々しい痛みを示していた。
「大丈夫かい? 姉ちゃん、しっかり支えてやんなよ。それにしても良いねぇ、こういう熱いお二人さんは。そういやこないだもいたなぁ……」
聞かれてもいないのに船頭が喋り始める。二人は聞き流すことにした。
「あれはほんの数日前だったかなぁ。丁度そこの姉ちゃんくらいの男と女がひっそりと、人目を憚るかのように黒を着込んでおれの舟に乗りこんでな。いやぁ、ああいうのをおれは何組か見送ったけどもよ、やっぱ若い二人連れってのは良いね!」
「……へぇ、そんなことが?」
「ま、アンタにはまだ早いか! カッカッカッ!!」
ベラベラと話を始める船頭。一瞬ギクリとしながらも、二人は何とか平静を保っていた。
(コイツ、見覚えがあると思ったらあの時の船頭じゃねえか。しかもまた顔だけで子供扱いかよ!?)
(この人、確か黙っておいてやるって言ってたような……。まぁ良いか)
「あ、でも降ろした場所までは言えないよ? 折角おれの舟を選んで乗ってくれたんだ、ここはしっかり秘密にしておいてやらんとな。まぁ、お二人さんには関係のない話だろうけどね! お、着いたぞ!!」
銭湯の前で舟を降りる二人。お喋りな船頭を見送りつつ、琉が呟いた。
「あの船頭の口、まるでシャコガイだな」
「中々開かないってこと?」
「普段から開きっぱなしってことさ。じゃ、行こうか」
着替え部屋に入る琉。服を脱ぐと、その包帯だらけのその姿に周りの目が寄って来た。
「ボウズ、どうしたんだそのケガ」
「お若いの、随分苦労をなさってるようじゃの」
「つうかガタイ良くね、アイツ」
サッシュベルトを外し、脱いだ衣服を結ぶ。その最中にもあちこちから質問やら何やらが飛んで来る。
「ああ、ちょっと作業中にね」
琉はあえて誤魔化した。この中に、メンシェ教徒がいないとも限らないからだ。
「しっかしまぁ何だ、渋いボウズだったなぁ……」
「何か隠しているようじゃが……まぁ、人には事情ってモノがあるからの」
「アイツぜってー風呂にいる婆さん達にモテるぜ。もう混浴は懲り懲りさ……」
「おいお前ら見てみろよ、今すっげー良い女が入って来たぜ! こうスラーッと背ぇ高くてムッチムチでボンッ、キュッ、ボーンのッ!!」
ガラッ
引き戸を開ける琉。そこでは湯船の中で、数人の老婆に囲まれて話しかけられるロッサの姿があった。
「あらまー! こんなピッチピチのべっぴんさんだなんて珍しい!!」
「わしもつい30年前まではこんなんじゃったんだがのぉ……」
「サバ読んじゃダメでしょ! 大体アンタ40年前でもこんなんだったこと一度もないクセに!」
「え、あ、その……あ、琉!」
ロッサが湯船から出て来た。タオルを巻き、湯気でほてった体が非常に艶めかしい。少し前の琉なら鼻血を出して倒れ込んでいる所であっただろう。
「ああロッサ、すまない。歩くのも中々大変だぜこりゃ」
琉がわざわざ混浴の銭湯を選んだのにはワケがある。以前にオキソで温泉に入った時はジャックに支えてもらっていたが、クロリア島には知り合いがいない。支えてもらうとしたらロッサしかいなかったのである。
「あれま、あの子あんな良い男の知り合いが!?」
「若い子は良いのぉ。わしも若返るようじゃ」
湯船に浸かる二人に、他の客の目は完全に釘付けとなっていた。
「アガッ(痛ッ)!? くぅ~、しみて来やがる……」
「大丈夫?」
二人はしばらく温泉に通うことにした。琉のケガを早く治し、またエリアγに潜るためである。そして二人が湯治に通う間、何故かこの銭湯の利用客が異様に増えたのはいうまでもない。
「おいこら押すな押すな」
「ええのぉ……わしゃ10歳は若返りそうじゃ」
「ウホッ、良い女……てかどっかで見たような……まぁ良いか!」
その晩のことである。カレッタ号の窓に、ロッサが佇んでいた。するとそこに、数匹の蜘蛛が寄って来たのである。ロッサは窓を開けて蜘蛛達を中に入れ、そっとその掌に乗せた。
「どうだった?」
「……メンシェは特に動いてないみたい。例のヴァリアも見つかってないみたいね」
二人はただ養生をしていたワケではない。再び行方をくらましたヴァリアブール、行動を控え始めたメンシェ教。この二つの動きを探るため、ロッサは自らの分身として蜘蛛をハロゲニア中に放って探らせていたのである。
「ありがとう。そうだ、フローラに電話するかい?」
琉は携帯電話を取り出し、テレビ電話を起動した。
「ハイサイ、カズ! フローラに代わってくれないかな?」
「はいはいいつものね~、了解!」
琉はロッサに電話を手渡した。こうして毎晩、ロッサは自分の娘であるフローラとの会話を楽しんでいるのである。これは親子を引き離すことをしてしまった、琉によるせめてもの償いであった。
「……ごめんね、ちっとも帰ることが出来なくて。わたしが記憶喪失なばっかりに……」
「お母さん、それは言わないやくそくでしょー?」
「え、そんな約束したっけ?」
「あー、あのね。いまのはカズにーにーにおしえてもらったんだー! それより見て、かみがたかえてみたんだけど似合うー?」
液晶に映るフローラ。前髪を、それまで母と同じパッツンだったのを二つに分けて額を露出する、いわゆるオデコに変えていた。母とほぼ同じ顔つきではあるものの、髪型を変えただけで大分違う印象を受けるのが分かる。また、ヴァリアブールの髪は自在に伸ばしたり縮めたり出来るので、実質的に髪型変え放題だったりもするのである。
(フローラちょっと成長した? ただ、言い回しやら何やらがどんどんカズになって来ているのがな……何だかな……)
子供が成長するというのは実に喜ばしいことである。それが好きな人の子供であり、かつワケあって離れているのだから尚更であろう。しかし、預け先の人間はクセの強い人物である。当然そのクセまで似てきてしまったため、琉の心は複雑であった。
『航海日誌×月%日。しばらく潜ることが出来なくなった。エリアγに入れなくなったのもあるが、私自身がケガを負ったためである。そのため、しばらくは温泉通いとなるだろう……』
『……フローラもすっかりハイドロ島の子となっていた。ただ惜しむらくは、カズの影響で変な言葉を覚え始めたということか。おそらく今の島の子供達もそうであろう。まぁ私自身もそんな子供時代を送って来たのだ、とりわけ心配するほどの事でもないか……』
『……あのヴァリアブールは今頃何をしているのであろうか。あのハロゲニアの警察や海上保安庁の捜査網を潜り抜け、今なお姿を見せないのだ。更にメンシェの活動も気になる所である。ヤツら、表立って行動を起こさないとすればまた変な兵器でも開発しているのであろうか? 恐らく、3体目のハルムであるバジリゼルが関係しているのだと思われる。とにかく、今後も気を抜けないのは確かなようだ』
温泉に通い始めて1週間経った時のことである。温泉の効果と懸命の治療により、琉の右腕はすっかり動くようになっていた。まだ歩くともたつくものの、その回復力は凄まじいモノである。だがその一方でエリアγの厳戒態勢は全く解かれる気配がなく、琉が回復しても一向に潜れそうにない状況が続いていた。
「ロッサ。右手が動くようになったし、そろそろハイドロに帰ろうと思うんだ」
温泉からの帰り道、琉はロッサにそう提案した。
「え!? でも、あのヴァリアブールは……」
「気になるのは分かる。だがヤツは今姿をくらましてるからね、探そうとしてもすぐには見つからないだろう。そこで逆に、こちらが動けば君を嗅ぎ付けて寄って来るかもしれない。そうすれば彼を何とかメンシェから引き離して対処することも出来よう。それにここは今メンシェ教の密集する危険地帯だ、またいつ襲撃されるかも分からん。だからなるべく早くここを出て、オルガネシア領内に逃げようって寸法さ」
琉の策は簡単なモノであった。相手のヴァリアブールがロッサの目を狙っているという性質を利用し、わざとハロゲニアを離れることでおびき出そうという作戦である。そうすればメンシェ教による妨害を防ぐことも出来、そのままオルガネシアに逃げ込むことでハロゲニアの鎮静化を待つことも出来る。更に琉自身も治療に専念しやすくなり、まさに一石二鳥のアイディアなのだ。
「……分かった、そうしよう」
操舵室に立つ琉。右手を数回動かして指がちゃんと動くことを確認すると、深呼吸した後に舵を握った。
「琉。一つだけ、あの子には心当たりがあるわ。以前ガルメオンを仕留めた後、わたしはメンシェの兵器で体を焼かれた。その時咄嗟にその焼かれた部位を海に捨てたのよ。恐らく彼は、その時に……」
「なるほど。ちょっと専門的な言い方をすれば、あの光線で焼かれた際に君の細胞の一部が突然変異を起こしたと。そしてその細胞の一部が増殖し、今の形を作り上げた。そういうワケか」
「そう。あのヴァリアブール、何かがおかしいと思ったら……」
「なるほどね。しかしロッサ、もし本当にそうだとすれば、彼はヴァリアブールの新たな進化の可能性を秘めているということでもあるんだぜ。その可能性を潰さぬためにも……カレッタ号、オルガネシアに向けて出港!」
港から動きだすカレッタ号。湾を出て、曇り空の下を白い船体が加速する。その後ろから、琉の目論見通り赤い影が迫っていた。
「ロッサ、レーダーにヴァリアブ-ルとおぼしき反応あり。自動操縦に切り替えたから甲板に出るぞ!」
飛来する赤き影。4枚の翼をたたみ、あのヴァリアブールが甲板に降り立つ。ロッサは鉤爪を構え、そして言った。
「来たわね……ネオ!」
「ネ、ネオ? アイツの名前か!?」
この後、琉達は何が起こるかなど予想だにしていなかった。二人の気付かぬ所で、思わぬ罠が待ち受けていようとは……。
第八章突入。ちょっとギャグ描写が多いですが、シリアスなシーン以外はなるべく肩の力が抜けるように心がけているためで御座います。




