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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短篇集

誰でもないふたり

「友情」をテーマにした短編です。

駅前にある夜遅くまでやっているカフェに入ってきたジーンズにシャツを着た男、黒瀬直生に白崎美優は気づいて手を振る。直生はそれに気づいて笑みを零し、手を振り返す。


恋人同士の待ち合わせの見本のような光景だが、このふたりは恋人の関係ではない。

しかし互いに誰よりも『近い』と感じている。



美優は、母の理想のために生きている。


美優の母親は夫への恋に溺れ、夫の浮気で心が壊れた。そして自分が果たせなかった『理想的な結婚』を娘の美優に託している。


「あなたは幸せにならなければいけないの」


それは母親の描く幸せだったが幼い美優にその言葉は毒のように染み込み続け、自分と同じ年頃の子どもたちが母親離れをする中で美優は母親に雁字搦めになって離れ損ねてしまった。そして母親の理想との衝突に疲れた美優の中からは『自分』がいなくなり、いまは『母親が理想とする娘の美優』を演じる自分を最も身近で観ている第三者的存在になり果てている。


友人も母親が『美優に相応しい』と認めた人のみだけ。優秀であるべきだが、周りとの調和もできる程度の優秀さが望ましいなど、大人になってから俯瞰的に見れるようになったものが子どもに分かるわけがなく周りから見て美優は『いい子ちゃん』、下手すれば『気味の悪い子ども』。結局は教室など同じ空間を共有している間の友人関係が限界で、卒業などして共有するものがなくなりグループチャットで近況を知るくらいの『友だち』だったが母親はそれで満足していた。


母親の望む習いごとを学び、母親の選んだ進路を進む。

高校3年生の春になるまで、誰も母親と美優の異常に気付かなかった。



高校3年生の春、教育実習生が美優の高校にきた。


話のきっかけは分からないが、卒業した小学校が同じで家が同じ学区にあるという彼とは共感できることが多く話をする機会が多かった。特別な存在だったわけではない。美優にとっては。でも母親にとっては違った。


大学4年生の彼は21歳、美優は17歳と4歳差。この4歳差が、父親と母親は同じ年で、父親の浮気相手は父親より4歳年下。周りから見れば「は?」と思う共通点に美優の母親は騒ぎ、高校に連日抗議をした。美優と教育実習生の彼が話をすることはあっても二人きりでは決してなく、地元の高校なのだから美優のように同じ小学校出身者は何人もいて美優は決して特別ではなかった。


それでも納得しない母親に対して学校は匙を投げ、県の職員に母親の相手を押しつけ、県の職員は保護者として祖父母を呼んだ。祖父母はこの事態に仰天して母親の異常に初めて気づいた。そして母親の言うことをよく聞く理想的な孫の美優の『おかしなところ』にも祖父母は気づいた。


しかし母親には病名がついたが美優に病名はつかず、社会的に問題はないと医師が判断したため高校生活の残りは祖父母を保護者としてきたが、美優の生活はこれまでと何も変わらなかった。


父親が離婚して家を出ていったから、母親は美優に決して自分を一人にするなと言った。それが美優の進路であり、美優は家から通える大学に進学した。



大学で美優と直生は出会った。


なんとなく直生が気になって目で追い続け、3年間ほど観察して美優は直生が自分と同じだと気づいた。直生も母親の理想を叶えるために生きていた。


直生の母親も夫への恋に溺れ、夫の浮気で心が壊れた。そして夫に求めた『理想の男』を息子の直生に託した。「あなたは幸せにならなければいけないの」というキャッチフレーズも同じだった。


同じように直生も美優が自分と同じだと気づいて、二人は友人になった。



年頃の男と女が『友人』と言っても額面通り受け取る者は少ない。美優と直生は恋愛関係を疑われたが、ふたりともそれはないと分かっている。


だってふたりは、自分を持たない。

だから、誰にも恋をしない。

恋は、自分がある者の特権だ。



『幸せになること』を子どもに願うのが母親の理想だから子どもたちが理想的な結婚をすることを願って見せたが、二人とも性を嫌悪していた。男の浮気で、相手が性欲を優先した結果に捨てられたからだ。そんな母親を美優も直生もよく見ていた。二人とも結局は自分が一番だから、子どもたちがよく見ていたことに気づいてもいなかった。


異性に対して気になるという気持ちを、異性に対して触れたいと感じることを、『汚らわしい』と拒否することで二人は美優と直生から奪った。


二人とも恋をする機会を母親に奪われた。



恋ができない。

結婚できない。

自分が親になることはできない。


自分より母親は先に死ぬ。

いつか自分は一人になる。


一人になったらどうなるのか。

自分を持たない二人にまとわりつくその恐怖。


誰にも理解されないこの恐怖。


誰かに相談しても、それなら結婚すればいいで終わる。


だから、周囲はふたりに恋人になればいいという。

けれど、ふたりは恋人になりたくなかった。


恋は、母を壊したもの。

ふたりは、母を守るために、自分を壊した。


その痛みを互いにだけ共有している。

誰も幸せにできないという痛みを共有してしまっている。



この時間は互いがいることを確認するための時間。

だけど誰のためでなく、自分のために必要な唯一の時間。


恋ではなく友情というのは痛々しいこの関係に名前はない。

けれど、確かにそこにある。


白崎美優と黒瀬直生は、今日も互いの目の前にいる。

誰かのために、誰でもないふたりとして。

ここまで読んでいただきありがとうございます。ブクマや下の☆を押しての評価をいただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
名前のない関係を続けることで、自分自身を守っている。 恋をすることが出来なくても、お互いの存在はきっと癒しや支えになっているのではないかと思います。人生においては、それも大切な救いの一種だと感じました…
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