第十二話 その5
込み入った戦況に、敢えて雑談回みたいなのを放り投げていくスタイル
もちろん、依月にとっての"全力"が、人間と相手取るとどうなるか——そんなことは百も承知である。
軽く最大値で『剛』を発動して、体をちょっと一捻りする……。たったそれだけでこの地はあっという間に消し飛び、人の命など塵のように儚く散り、この場の全てが不毛の地と化してしまうだろう。
あまりにも簡単で、あまりにも残酷だ。
でも、依月がしたいことはそうではない。
悪いことをしてる人たちを止めて、祖母を取り返して、家族皆でまた笑いあいたいのだ。
だから、依月がすべきなのは蹂躙ではなく、
「ぜんぶ捕まえる……っ」
命を奪うなんてもってのほか。これまでは、風を起こして吹き飛ばすくらいしか安全に闘う方法がなかった。
この風起こし……防衛には便利だが、相手を戦闘不能にするには不向きなことは先ほどの戦いで分かっている。
依月は、新たな戦法を求められていた。
「どーしよ」
元の広場に戻ると、完全に復帰した覆面の術者たちがいくつものグループに分かれて、皐月たちを探し回っているところだった。
さっき見ただけでも百人は軽く越えている大群。今は昭陽の結界で姿が隠れているが、総ざらいされると見つかるのは時間の問題かもしれない。
依月は陰に隠れて、自分にできることを考える。
ひとつ、『世界の声』で自然の声を聞ける。今回はあんまり役どころはなさそう。
ふたつ、赤の闘廻。『迅』『剛』——いずれも強力だが、対人戦だと強すぎて逆に扱いづらい。心理的に、あんまり肉弾戦もしたくない。いざとなったらやる覚悟ではあるが……特に武術の心得なんてないわけで。
みっつ、青の闢則。今朝覚えたばかりの力だ。使用できそうな闢則は『纏鎖枷』『泡風吹』『堕星』のみ。でも『纏鎖枷』は非力な少女が引っ張るだけで千切れるほどに強度不足。他のふたつはまだ試してすらいない。
「あ、そうだ」
そこはかとない無能感が漂ってきたところで、依月は一つ思いつく。
「闢則、纏鎖枷」
紐をひょろひょろと伸ばし、壁際にあった剥き出しの鉄筋に括り付ける。
「からのー、剛」
依月は光を青から赤へ切り替える。そして紐を見る。
切り替わった瞬間、紐はぱっと消えてしまった。
「だめなのー?」
依月はがっくりと肩を落とす。
迅で加速しながら纏鎖枷で敵をぐるっと囲って縛り上げたら良さそうだったのに。
でも、やるとしたらこの方向性なのだろう。
更に依月は一つ思いついた。
順番がダメなのだ。逆ならば、もしかして?
*
一方、皐月たちは。
「いいのか、皐月」
「なにが」
派手に光をぶちまけながら白布でぐるぐる巻きになっている皐月。シュールな絵面に仏頂面が晴れない。
功月が彼女に心配そうに言う。
「あの子を一人で行かせていいのか? と聞いたんだ」
「ああ……」
昭陽も外を見ながら会話に入ってくる。
「仮にも"選ばれた子"だぜ。もし万が一があったら……」
皐月は目線だけ上に向け、少し言葉を考える。
「状況的に仕方ない面もありはするけど、あの子はあれで、意外とちゃんと闘えるみたいよ」
「そうなのか?」
「だって、あの子、戦鬼の間をクリアしてる」
その言葉に、功月と昭陽の目が見開かれる。
「え!?」
「! 本当なのか?」
何故か少し得意げな皐月。
「不合格者のお二人には意外だったかしらね」
「なんだと! 相変わらずだな皐月テメーコラ」
「……その割に、今回裏で動くのが得意なお前にしては随分と矢面に立ったな? 依月ちゃんを信頼してない動き方に思ったが」
目を三角にして詰め寄る昭陽とは対照的に、皐月の挑発に乗らず疑問で静かに打ち返してくる功月。皐月は肩をすくめた。
「しょうがないでしょ。依月は対人戦初めてだし、ほんの半月前までただの女子高生だったんだから。喧嘩もしたことなくて、でもいきなり手に入れた巫の力は常軌を逸してる……そんな状態で人と戦うなんて酷すぎるでしょ」
夏休みの前半までは、ただ実家に帰ってきただけのありふれた女の子だった依月。
それが今は最前線で異能者たちと渡り合っているというのは、客観的に見れば異常なことである。
「……それでも"やる"と言ったのか。あの子は」
功月のぽつりと溢した言葉に、皐月は一瞬目を伏せて肯定した。
「強いでしょ? ……それに、まさかあんた達まで駆り出されるとは思ってなかった。立案時は力不足で危ないと思って止めたんだけどね。……で、結局心配してた通り全滅の危機にあったわけでしょ。じゃあ私が目立つしか選択肢がない」
「すまんて」
ずっと仏頂面でつらつらと不満を述べる皐月に、昭陽は耐えきれなくなって目を逸らす。
功月は特に効いた素振りも見せず、もう一点気になっていたことを聞いた。
「選択肢がない……そう言えば爺さんはどうした?」
「それは——」
「それに戦闘中ずっと小太刀しか使ってなかったな。……いや正確ではないか。右手を殆ど使ってなかったな?」
「……鋭いわね」
そう、廃変電所に来てからずっと、皐月は肩に背負った大太刀のほうは一切抜いていない。
本来皐月は大太刀のみで立ち回り、必要に応じて小太刀も抜いての変則一刀流スタイルである。
しかしこの場では、左手に小太刀、右手に式神札という、普段あまり見ない組み合わせだ。
妙に不機嫌な花壊照が、皐月の右袖を捲った。
「皐月さん。これでしょう?」
「これは……!」
「うげっ!?」
露わになった皐月の右腕は、肘から手首にかけて真っ黒に爛れていた。皮膚は火傷痕のようにケロイド状に変質しており、無事な皮膚との境目では血が滲んでいる。
見るからに痛々しい光景に、昭陽は軽く悲鳴を上げた。
花壊照は怒ったような口調で詰める。
「呪いを随分長いこと放置しましたね。ここに来る前に強烈な呪術を浴びでもしましたか?」
「はい」
「何故放置したんですか? そちらには優慈が派遣されていたはず。あいつは何をしていたんです?」
「彼を責めないでください。今あちらで祖父を全力で解呪してもらってます。私の対応をしてる暇なんてない」
「祖父を……? おい皐月、秦月さんは!?」
昭陽は焦ったように皐月に詰め寄った。ほんの僅かに張っている結界が揺らぎ、功月が頭を小突いて我に返らせる。
「……じじ——おほん! 御爺様は私のこれと同じく、呪術の自爆に巻き込まれて重症。『月霜陣』で力を殆ど消費したタイミングだったから殆ど直撃してしまって、今全力で治療中」
「なんてことだ。あの上凪 秦月が……」
「そんな状態の祖父をじじーとか言いかけるなよ……」
功月は嘆き、昭陽は皐月の態度に難色を示す。
花壊照は説明を受け態度を軟化させるが、それでも表情は厳しいままだ。
「この呪いも一緒に取りますが、後遺症は残りますよ」
「仕方ないですね」
特に残念そうでもなく、皐月は頷いた。
「爺さんは助かりそうか?」
「じ……御爺様なら大丈夫。御婆様を攫われたまま簡単にくたばるタマでもないでしょ」
「ふ、それもそうか」
「オメーわざとだろ……」
秦月を慕う青年、昭陽は皐月の素っ気ない態度に反射的に噛みついてくる。
それに何を思ったのか。
皐月はじっと、昭陽を見つめてみた。
「な、なんだよ」
親戚とはいえ、いきなり年下の美人に見つめられて挙動不審になる昭陽。
「昭陽君」
「あ?」
「お手」
「はっ倒すぞ!?」
一瞬で沸騰した昭陽。功月がたしなめた。
「相変わらずだなお前ら……。今の状況を忘れてないか?」
「治るまで暇だし」
「俺で遊ぶな! 緋夕たちがまだ操られて行方不明なんだぞ! お前のお婆さんもな!」
「悲観しても仕方ない。操られてるだけならなんとでもなるわ。御婆様も交渉のためにほぼ確実に生かされてるはず。それより建設的な話をすべき」
「俺を犬扱いすることが建設的なんですかねえ??」
「……」
「無視するな! ……てかどこ見て……は?」
昭陽との会話を打ち切って、結界の外、広場のあるほうの上空を見やる皐月。昭陽が続き、硬直する。
功月が最後にそちらを見て、困惑の様相を示した。
「なんだあれは……」
土砂とともに大量の人が宙に投げ出され、老若男女の迫真の悲鳴がこちらにまで届いてくる。
土を握りしめて、空に向けて全力で放り投げたような。そんな軌道で数百人規模の人々が空を舞う。
衝撃波と砂煙が皐月達のいるところまで飛んでくるが、昭陽の結界によりそれは弾かれる。
が、唯一貫通してきた赤い波動により、誰がやらかした結果なのか、巫の使い手の三人には即座にわかった。
それはこの場に居ないもう一人の巫だ。
「全員空に突き上げたのか……!? なんて力だ!」
「いや全員死ぬぞ!?」
高層ビルを軽々と越えそうな高さまで跳ね上がられた人々。おそらくあそこにいた呪術使いたちだろう。
地面に叩きつけられたら、もれなく全滅だ。
——彼女は、彼らを殺すつもりなのか?
皐月ですら不殺を貫いたのに。
それほどまでに彼女は怒っているのか、或いは、なんらかの事故なのか。
固唾を飲んで顛末を見届けていると、呪術使いたちと地面の間に、何か青く光る層が超広範囲——変電所どころか近くの森一帯を覆うほどに発生する。
それは遠くから見るとつぶつぶした膜のようで、粒の大きさには大小むらがある。
だが、これがなんの術なのか——少なくとも、青に精通した皐月はすぐに看破した。
「へぇ、成程。やるじゃない」
姉は、楽しそうな笑みを浮かべて、そう言った。
●巫の「宗家」と「分家」について
依月や皐月のように上凪家から2人以上の巫参色の使い手が生まれ、やがて家庭を持った際。当主となる宗家、当主とならない分家に扱いが分かれます。
不思議なもので、宗家からは強力な力を持った新たな巫が生まれやすい一方、分家から生まれた子は能力を受け継ぐ確率が非常に低く、一般人として生まれやすいです。
分家として家を出た際、昔からの風習で「上凪」の性を名乗ることはNGとされ、相手方の姓を名乗るか「朝伏」の性を名乗ることになります。
代わりに、祟り神と戦い続ける宿命から逃れることが出来ます。もちろん、引き続き当主とともに祟り神と闘い続けるという選択も可能です。
前者の場合異能総会で働くか、力に関して秘匿するように誓約し、普通の社会人として生きていくことになります。
稀に血を分けて浅い分家から、極端に強い力を持つ子が生まれることがありますが、その場合宗家では子宝に恵まれなかったり、力が弱く生まれたりしていることが多いです。
これは「巫参色」を途絶えさせないようななんらかの働きが、力の遺伝子に組み込まれていると推測されています。
●朝伏 功月
数多広がる朝伏一族"全体"の現当主。35歳。
秦月の妹の息子で、瞬月(依月と皐月の父親)の従兄弟にあたります。
朝伏の中では宗家に血が近いためか、比較的力が強いほうです。しかし、それでも力の総量がかなり低めな皐月にすら劣ります。
赤が全く使えず、緑と青のみが使えます。緑は若干不得意ですが、そのぶん青がかなり優秀です。
実直な理論派の巫です。
●朝伏 昭陽
23歳、功月の従兄弟。しかし功月の父親のほうとの繋がりなので宗家からは遠い血縁です。ただ母が巫参色を持っていたため、それが遺伝しました。
昭陽は緑しか使えません。頑張って二〇番台の術式に届くか届かないか——くらいの実力なのであまり大したことはできません。が、守護に関してのセンスはかなり高いです。限られたリソースで上手くやりくりするタイプ。
※緑の詳細説明についてはいずれ
皐月と歳が近いため、総会で出会った際にはよく話します。口が悪い皐月からいつのまにかイジられる関係になっていましたが、本人的にはいたく不服のようです。




