第十二話 その3
右手に式紙札を、左手に小太刀を構え。切れ長の瞳はさらに鋭さを増す。
さながら一本の日本刀のように、触れただけで切れそうな冷たい空気。
周囲を殺気だけで牽制しつつ、皐月はいつもの調子で依月に語りかける。
「依月、常に赤を纏って、いつでも動けるように。……でもさっきはやりすぎ。味方にも被害が出てたらどうするの」
「あ……」
依月の目が泳ぐ。自分の行動を振り返り、バツが悪そうになった。そして、言われた通りに赤を纏う。反省して、強度は普段使いでも扱いやすい一未満だ。
「ご、ごめん……一応ずらしたし大丈夫だった、よね?」
「結果的にはね。余波は考慮してないでしょ。次からは先に周囲をちゃんと確認してから動くこと。約束して」
「うん」
「これから私は國木田——敵の首級を急ぎ抑える。依月はあっちの味方と協力して私をサポート」
皐月は朝伏たちのほうに指を差し、その後間もなく前方、隊列を立て直さんとする呪術使いの軍勢のもとへと駆けだした。
依月はそちらへと顔を向け、ちょっと警戒しながら走っていく。
さて、窮地にあった朝伏たちはというと、依月によって吹き飛ばされたことで……結果としては状況をリセットすることに成功していた。
依月の暴挙と正規の巫である皐月の登場により、國木田たちはそちらに意識が割かれ。
功月、昭陽、雪平、花壊照の四名は敵からの視線を隠せる瓦礫のそばで固まり、わずかばかりの休息を得られている。
もちろん依月の所業に驚愕と硬直を強いられたのは彼らも同様ではあったのだが……。
何もかもが吹き飛んで、荒れ狂う操られた仲間六名の行方はわからなくなった。しかし、そう遠くに行くこともないだろう。まだチャンスはある、と彼らは考えて状況把握と立て直しを優先した。
瓦礫に背を預け、まだ垢抜けない青年である昭陽は、一回り年上の功月に問う。
視線は皐月と、戦況を一瞬で滅茶苦茶にした謎の少女に向いていた。
「九死に一生……。なぁ功月、あの馬鹿げたパワーの奴……皐月が親しそうにしてるってことは、あの子が?」
「そうだ。俺も幼い頃の写真しか知らないが……依月ちゃんだ」
「助けに来たってのか! まだ巫参色は取り戻し始めたばっかだろ? ずっと表で生きてたのに大したタマだ」
「実の祖母が誘拐されたんだ。理解はできるだろ」
「……俺たちが助けてやれれば良かったんだけどな」
「これからだ」
「ああ!」
その依月がこちらに近づいていることに真っ先に気付いたのは、花壊照だった。
「あの子、こちらに来てません?」
全員が依月のほうを向くのと、小走りの依月が朝伏一行に合流するのはほぼ同時だった。
「えっと、味方なんだよね? 上凪 依月です!」
ぺこりとお辞儀をする依月。功月が代表して相手をする。
「朝伏 功月。君の親戚だ」
「親戚……え!?」
「やはり知らなかったか。まぁ話してる時間はない——皐月が既に先行しているからな。姉から何か言われてるか?」
「え、あ……ええっと。ここのみんなと協力して、さつ姉をサポートって。……親戚って、わたし初めて見たんだけど……」
「成程……昭陽、國木田と他の従者を引き剥がす。緑は任せた」
「ああ」
「俺は青で足止めに専念、水墨は随時呪いに対処。洗脳された他のメンバーの件は一旦後回しだ」
三人は頷く。功月の合図で四人とも瓦礫から飛び出し、皐月の後を追いかけた。
依月はあわあわしつつ、少し遅れて功月の後を追う。功月は赤を纏っている依月を横目に問いかけてくる。
「依月ちゃん、今巫参色はどの程度使える?」
「えっと、赤と青! でも青は今日覚えたばっかだからぜんっぜん!」
「ならさっきみたいに赤で暴れてもらおうか。三色分かれて丁度いい」
「わ、わかった!」
どう暴れたらいいのかはわからない。でも、聞いてる暇は無さそうだ。
いつもより眩い青光を発している皐月は、先行して敵の本隊に突撃し、"纏鎖枷"や"天環"などを使って敵を封じつつ、周囲に炎を放って逃げ道を封じていた。
近い敵には"八咫響"を用いて視界を歪め、その隙に"帰灯魂切"を纏わせた小太刀を振るって敵の意識を刈り取っている。
淡々と、そして的確に青を使い分け、戦闘を繰り広げる皐月。
しかしずっと孤軍奮闘できるほど敵も烏合の衆などではない。効きにくいとはいえ、土地に施された強力な呪術がじわじわと皐月を蝕んでいく中、四方八方からあらゆる呪術が飛んでくる。
また青を纏っているということは、即ち赤は纏えていないということ。何かと耐性が得られるのは赤の利点であり、尚且つ膂力や速度は常人のそれと同等なわけで。
「……」
表面上は冷たい顔のまま、飛んでくる凄まじい数の呪術を左に構えた小太刀のみで切り落とし。内心は何度も舌打ちする。
皐月は防御が得意ではない。
途切れることなく飛んでくる闇の火花のような放物線。これに触れるとどうなるかは一度経験済みである。
防御が得意でないから、工夫する。
「闢則。籠鏡結、纏鎖枷。連結接続」
光の鎖を自身の周囲に漂わせ、鎖のあちこちに厚みのない鏡が結合して出現する。鏡は呪いの放物線を反射し——暴走依月のときと違って流石に一撃では割れないようだ——皐月の左手の負担を軽減する。うねうね動く鎖の動きに従って鏡は自在に移動し、皐月の防御力を底上げした。
大きな消費を伴ったが、それにより出来た余裕で更に前へと駆けて行く。
「掛呪は弾かれる。設呪に切り替えろ」
耀は即座に特性を看破し、皐月への攻め手を変える。
施設の至る所に仕込まれた呪言が闇色に染まり、その効果を発揮させていく。
地面がぐずぐずに焼け焦げていったり、コンクリートが炸裂して飛沫が飛んできたり。
地形そのものが敵に回ったかのようだ。
「迅」
流石に看過できず、皐月はやむを得ず青を解除、赤に切り替えて速度で切り抜けることにする。
「無駄」
体術で各個撃破しつつ、設置された呪いが効果を発揮する前に皐月の姿は掻き消える。
簡単に気絶させられる青とは違い、赤での戦いは万が一がある。威力は控えめに、代わりに手数を得るため速度は最大に。
しかし、青よりは遥かに戦況は不利だ。
何百人もの覆面たちに徐々に囲まれていき、戦線は後ろへと押し込まれる。
巫である皐月にとって、呪術使いひとり程度には全く後れを取ることはない。しかし不殺を是とする彼女にとっては、手加減をしつつ多数相手取る、となると取れる選択肢は少ないのもまた事実。
どんどんと不機嫌になっていく皐月だが、完全に堪忍袋の緒が切れる前に状況が好転したのは、ある意味で僥倖だった。
依月と朝伏達がようやく合流してきたのだ。
「さつ姉、大丈夫!? えい!」
かなり遠くから赤をまとって大ジャンプした依月は、皐月を中心とした輪の中に入り込んでくる。
そのまま戦鬼の間でやったように、腕だけに強めの剛を適用した状態で、前方を薙ぎ払う。
「ぐわっ!?」
冗談のように発生する突風。
戦鬼の間終盤の影でさえのけ反らせることができた一撃だ。呪うだけのただの人間に抗う術などなく、儚く吹き散らされていく。
「げっ!?」
ただ、あの場所と違うのは、地形にまでその被害が及んでしまうことだ。まるで巨大なスコップで掘り返されたように地面ごと抉り飛ばされ、あっという間に大災害の跡地と化す。
……じと目の皐月からご指摘を頂戴する。
「だから、やりすぎ」
「うー……思ってたのと違うー」
頬をひくつかせた依月は、次からは威力をもっと抑えて上に向かって放とうと決めた。
「おいおいとんでもねぇな。功月、右は俺が! 一式:禍つ壁!」
「合わせる。一式:禍つ壁」
さらに遅れて人の輪に突撃するは、功月たちだった。
昭陽が緑の壁を右斜め前に、功月が左斜め前に。呪術や礫、格闘を防ぎつつ、さながらラッセル車のごとく人混みを強引に割り込んでいく。
その後ろに追従するは雪平と花壊照だ。後ろから飛んでくる呪術を捌きつつ、身をかがめて壁の恩恵に預かっている。
「おりゃ!」
依月が彼らの左右の敵へデコピンを放ち、小規模な空気砲を引き起こす。その援護で勢いを増し、四人とも輪の中に入り込むことに成功した。
「やるな。助かった」
「どーいたしまして!」
功月は軽く依月に謝意を示し、黙々と近くの敵から打ちのめしていた皐月のほうへと向き直る。皐月は視線はそのままに、軽く意識だけ向ける。
「久方ぶりだな皐月」
「どうも」
「作戦は?」
「道を。一瞬でも」
「わかった。昭陽、守りは頼む」
功月は青の光を強く輝かせ、深く息を吐いた。
彼を中心に、地面を薄く青い光の幕のようなものが少しずつ伸びていく。
「お」
皐月は瞬時に意図を察して軽く口角を上げ。そのまま依月に指示を出した。
「依月、その人を守ってあげて。動けなくてしばらく無防備だから」
「へ? うん」
依月はデコピンで近づいてくる敵を弾いていたが、少しだけ赤の強度を落とし、皐月のように肉弾戦をする覚悟で構える。社内での皐月の助言と赤の特性により、いろいろ渦巻いていた不安や迷いは既にない。
昭陽も杖を功月に翳して、気合の入った言霊を紡ぐ。
「一二式:律静界!」
ピラミッド型の結界が功月を中心に生まれ、堅固な防壁と化す。飛んでくるあらゆるものは功月に到達する前に勢いを失い、四散していく。
それならばと徒党を組んで結界へと押し寄せるが、それを防ぐのは依月と水澄の二人だ。
呪いの一切が効かない依月は飛来物を無視して、地面へと影響しないように少し上向きに薙ぎ払い。近づいてきたものから遠くへと突き飛ばす要領で功月へと寄せ付けない。
水墨のうち花壊照が白布を巻いた鉄パイプで依月の援護、雪平は律静界の維持をしている昭陽に飛んでくる呪いを防ぐ役割を引き受けた。
「こっちは私が!」
「おねーさんありがと! えいやぁ!」
花壊照が鉄パイプを大振りで降って敵を牽制、依月はその硬直を突いて腰から遠くへ投げ飛ばす。
皐月は遊撃的に立ち回り、厄介そうな敵を優先的に処理していく。
そして暫く膠着して……。
青い光は敵の集団全体を囲う程度に伸び、功月はようやく言霊を告げた。
「闢則。虚渡帳」
「わっ!?」
「なに!?」
突如。がくん、と依月の視界がずれた。
頭が急に傾いたのか、それとも世界が傾いたのか。
平衡感覚を失い、左右にぶれる視界。依月はまともに立てなくなり、ふらついてしまう。
それは敵味方問わず。水墨たちは真っ先に転んでしまったようだ。
この中で唯一平気だったのは、皐月だけだ。
敵の隊列が乱れたことで、一瞬。皐月と耀の間になに一つ邪魔のない一本道が生まれる。
皐月は待っていたとばかりに、すっと目を細めた。
「迅」
最大速度で敵の首魁のもとへ。
稲妻のように駆け抜ける。
皐月は小太刀を握りしめて、耀の眼前で青に切り替えた。
コンパクトに振りかぶる。
「獲った——」
「想定内だ」
皐月の青い残光が耀の首を走る。
しかし耀の言葉は冷静だ。
帰灯魂切が反応せず、すり抜ける。
人ではないものを切った感触。
「っ」
素早く皐月は身を翻し、出力を跳ね上げた赤で空中から脱出する。
耀のほうを見やると、首元に一本の剣筋が残っていた。ずるり、と頭が斜めにずれて落ちる。
「やってくれたな?」
頭は地面に落ちず、首から伸びる何かで胸元あたりにぶら下がっていた。
頭と首元の間を繋ぎ止めていたのは伸びる幾本もの枯れ草色の筋。
「……藁」
皐月が言うように、耀の体内は藁で作られていた。
……否。これは耀ではなく——
「藁人形……っ」
逆さになった耀の顔が邪悪に歪む。
●テンポ悪すぎてボツにした花壊照さんの疑問
「あの……。昭陽さん、顔を知らないって、上凪と朝伏は親戚なのでは?」
「あー……、功月と俺は従兄弟関係なのは知ってます?」
「そうなんですか? 知らなかったです」
「上凪は本家、朝伏は分家って一括りに言ってますけどね、分家は分家でも、血の濃さでなんとなーく立場は違うんすよ」
「……つまり功月さんのほうが血は濃いと?」
「そういうことっす。功月は上凪現当主、秦月の甥なんですけど、俺んとこはもうちっと離れてるんで」
「へぇ」
「昭陽、あまりペラペラ話すな」
「おっと」
書いてるのはすごく楽しいんですが、別にここで登場する上凪以外の異能者は全員、本物語においてはまったく重要ではありません。
本編で掘り下げてもなぁ……という葛藤と、掘り下げないと「なんだコイツら」になるよなというジレンマが。
プロットの組み立て方が良くないと言われたらそれまでなんですが、ここで「異能が当たり前の世界」をちゃんと描かなきゃな、という焦りがあるのでなるべくキャラも充実させておきたい所存です。
一応、皐月が使った闢則なんだっけ、という方がもしいらっしゃる場合、第十話 その2 の後書きをどうぞ。
『虚渡帳』は視界と平衡感覚を歪める闢則です。食らうと洗濯機でぐわんぐわん回されてるような感覚になります。立っていることは極めて困難です。
強力な妨害であるぶん、範囲指定が大変なので使うのは難しいです。




