第零話 その4
大通りを抜け再び寂れた小道になって、さてそろそろ帰ろうかと考えていたとき。
前方から泣き声が聞こえてきた。見ると、打ち捨てられた小屋の前で、小さな兄妹が立ち尽くしている。兄は必死に涙をこらえながら背丈ほどもある草をかきわけて何かを探しており、妹はしゃくりあげながら兄のシャツの袖を掴んでいた。
「あれ、たっくん、あいちゃんじゃない? どうしたの?」
依月が声をかけると、二人が驚いたように顔を上げた。町の小さな子供たちだった。
男の子は吉岡たかゆき、女の子はあいという名前の幼い兄妹だ。
「あ、いつきねーちゃん……?」
たかゆきが涙を拭いながら答える。よく見ると手のひらは草で切ったのか、あちこち傷だらけになっていた。
「ユキが……ぐすっ……いなくなっちゃって」
「え、ユキちゃん? ……いつから?」
依月の記憶では、ユキとは彼ら吉岡一家の飼い猫のことのはずだ。
町の自販機でたまたま買っていた水をハンカチに含ませて、たかゆきの手を拭き、財布から絆創膏を取り出して傷ついたところを保護しながら、依月は猫のことについて思い出していた。
「さっき……お母さんがかいものに行くっていって、るすばんしてたんだけど……ぐすっ……おれがドアしめてなくて……」
大人――もちろん子供たちにとって、である――に出会えた安心感で、たかゆきの涙腺がみるみる決壊していく。依月はこれまた手慣れた様子で慰めてあげながら、周囲を見渡してみた。
「それであいちゃんと探してたんだね。でもここって吉岡さん家から結構離れてるよ?」
「ひっぐ……見づからなくて……っ!」
「ずっと探してここまで来たんだね……よく頑張ったね」
依月はずっと泣きじゃくるあいを抱きしめてあげながら、ひざを折って二人と目線を合わせる。
「もう大丈夫、わたしが一緒に探してあげる! きっと見つかるよっ」
太陽のような笑顔と自信たっぷりな声に。
「ほんと!?」
あいが顔を上げ、泣き腫らした目を輝かせて、たかゆきも安心したように頷いた。
猫探しが始まった。依月は『世界の声』を併用しながら、ここから吉岡家に向かいながら猫を探している。
「いつきねーちゃんありがとう」
「……どういたしまして。わたしもユキちゃんが心配だしねー」
ながら作業で『世界の声』を聞くにはコツがあり、少し集中する必要があるので、依月は普段より茫洋としている。
意識をその場に残しながら、耳だけ遠くに飛ばすような。実際の聴力を使っているわけでもなさそうで、その場にいる人たちの会話くらいは聞き取れる。
あいは拾った木の枝で藪をかき分けながら、依月のほうを向いて目をキラキラさせた。
「でもおねーちゃん動物さんのきもちがわかるって本当!?」
「うんー、そんな気がするってだけだけど」
「なんでわかるの?」
「なんでかな……わたしにもわかんないや」
この力のことは、過去の経験から詳細は家族とよっぽど親しい友達以外には話していない。
周りにはふんわりと、なんとなく人間以外の動物の気持ちがわかる気がする、とだけ伝えてある。この二人にもそうだ。
「あいにもできるかな?」
「動物ともっと仲良くなりたいって願ってたらきっといつかね!」
「やったぁ!」
動物と心を交わす未来に心が浮き立つあい。より一層気合を入れて、木の棒を握りしめた。
「いつきねーちゃん、おれも?」
「もちろん!」
妹の前で少し背伸びしているたかゆきも羨ましい力のようで、ユキのことを想いながら拳を握り締めた。
「無邪気っていいねー」
純粋無垢な子供達に、嘘を伝えてしまった思わず依月は苦笑いする。その様子に、たかゆきが少しだけ首をかしげた。
「じゃ、いつきねーちゃんもおれたちくらいの時はどうぶつと話せなかったの?」
「わたし?」
「うん」
急に幼少期の話を聞かれ、うーんと唸る依月。
顎に人差し指を当てながら、ぼんやり空を仰ぎ見る。
「わたし、きみらくらいの頃の記憶がいっこも無いんだよねー」
「おぼえてないの?」
「小学校くらいからは割と憶えてるけど。その前ってわたしどんなんだったっけー……」
「へんなの!」
川辺で魚を狙っている水鳥が、あいの声に驚いて飛び去った。
遠くなるシルエットを目で追いながら、祖父が泣きながら悔やむように謝っている様子がふとフラッシュバックする。
「……?」
この記憶は、なんだっけ?
「今更だけどユキちゃんって白い猫だったよね?」
「うん。でかいやつ」
「ふわふわで可愛かったよね~。早く見つけてあげないと泥だらけになっちゃってるかも」
「おれとあいがシャンプーしてあげるから!」
「するー!」
「偉いねー。首輪はどんな色?」
「あお」
猫探しを始めて三時間ほど。
肉眼で一帯を探しながら、更にそこそこ遠くまで「声」を探してみるも、猫はなかなか見つからない。
「ユキちゃんって生まれたときから家猫だよね? 外で暮らしてたことはあったっけ?」
「えーと、赤ちゃんのときからうちにしかいないよ」
「だよねー。うーん、どこまで行ったんだろ……」
可聴範囲は集中すれば三キロにも及ぶ結構な力だけれども、二人があちこち行かないように気を付けているので、そこまで遠くまで意識を飛ばすことはできない。
現に、ちょっと目を離せばたかゆきが藪の中に身体ごと突っ込んで捜索しようとするので、なかなか思うようにいかないのだ。
流石にあいが疲れたと言うのでおんぶしてあげながら、依月は捜索の効率をすこし憂慮する。長時間子供二人を連れ歩くのもよくないだろう。
結局舞の練習、さぼっちゃったな。
依月は、川沿いをずっと続く一本道の先ををぼんやり眺めた。澄月川は少し暖色がかり、蝉の声にヒグラシが混ざり始めた。いつの間にやら、影ぼうしも長くなっている。
「たっくん、あいちゃん。もう夕方になるし、一回家に帰ろう? わたしがちゃんとユキちゃん連れてきてあげるから」
「いやだ。おれもさがす!」
予想していた返答に、依月はそれでもどうしたものかと思う。
「このままだともうすぐ夜になっちゃうよ。夜中まで探してたらお化けが出てくるかもしれないよ?」
「……」
威勢はいいが少し表情に怯えが走ったたかゆきを見て、依月はここを突破口とした。
結果としてたかゆきとあいを帰らせることに成功するが、怯えすぎてあいの号泣が止まらなくなったことを、ここに追記しておく。
「いつきねーちゃん、おねがいします!」
吉岡家に送り届けたたかゆきから、泣きそうな声でそんなお願いをもらい。
ばつが悪くなって気合の入った依月は、敢えてサムズアップで気障に応えてみた。
「さてと!」
送り届けたころにはすっかり夕暮れになり、木製の柱の街灯がぽつぽつと点灯しはじめる。蝉の声は消え、代わりに蛙や鈴虫が元気になってきた。
依月は集中するために街灯下にあるベンチに腰掛けて、瞑目した。
近場の喧騒が遠ざかり、代わりに草木のざわめきがどんどん強くなる。更に集中するとそれすらも無音になり、静寂が彼女を包み込んだ。
「まずは動物の声かなー」
近場から、ざっと大きめの動物っぽい声が聴こえないか調べてみる。たぬきや猪はそこそこいるようだが、猫らしきものは見つからなかった。ピンポイントで一匹ずつ調べるようなものなので、このやり方だと無駄に時間がかかるだけと判断する。
「んー木が話してないかな?」
チャンネルを合わせるような感覚で、対象を木々の声に絞る。まっ白い猫なんてここらには野生にいないはずなので、暇な木々が噂している可能性は高い。
ざっくりと範囲ごとに聞きとって、可能性の高いエリアを絞っていく。家猫なのでそもそもあまり遠くにはいかなさそうだし、吉岡家から半径一キロくらいを探ればヒントは見つかるに違いない。
「あ」
猫かは分からないが、ここからほど近い裏山で、樹皮を剝がされて愚痴を垂れている木の声が聴こえた。何かの爪でバリバリされたらしい。
「……爪とぎ、とか?」
完全に暗くなる前には決着をつけたい。
依月は小さな可能性に賭けて、駆け足で裏山のほうへと向かっていった。
●船麓町について
全方位が山に囲まれた田舎町です。町というよりは村や郷に近いくらい。
土地の大半(7割くらい)は水田と畑で、幹線道路が一本だけ町を貫通しています。バス停がそこに一つ。
人口は約300人。老人が大半を占めます。一級河川 澄月川が幹線と直交するように流れており、川に沿うように舗装された大通りがあります。
大通り中心部には役場や小さな商店街、診療所が寄り集まったそれなりの施設群があり、人々が集まる場となっています。
施設群から幹線道路を挟んで向こう側に小中一貫校があります。総生徒数は20人に満たない学校で、かなり広い運動場に木造の建物が特徴的です。
大通りを幹線道路から逆に向けてずっと進むと、民家のない開けた場所があり、そこに神薙鬼社があります。
社のある広場は天陰山の麓になっており、その山にある粗雑な階段を上ると、上凪の家がひっそりと建っています。
天陰山の向こうには、龍蔓の森と呼ばれる未踏の暗い森が広がっています。良くない噂が絶えず、地元の人は近づきません。